02 Alice in wonder pigpen





 ナオくんがあたしの両手を掴んで、壁に押さえつけている。股の間に膝を入れられているから、あたしは完璧に身動きが取れない。この体勢、少女マンガとかでたまーに見かけるような気がするけど、実際されるのは当然初めてだ。うーむ、なんだか不思議な緊張感。

「いいねーこういうの。一度やってみたかったんだ」

 そんな状態のあたしを楽しむように眺めてナオくんが笑う。あたしたちは身長同じくらいだから、こうやって向き合うとお互いの顔がまん前に来て超至近距離で見詰め合う感じになる。ナオくんのSッ気ムンムンの冷ややかな笑顔が目の前にあって、ドキドキ。

 ちなみに場所は今日もナオくんちの車庫。コンクリの壁が背中に当たってひんやり気持ちいい。

「痛くない?アリス」

「だいじょぶだけど、動けないよー、ナオくん」

 あたしがそう言うと、ナオくんはくっくと満足げに喉を鳴らす。で、そのままチューされた。動けないあたしの唇をナオくんは奪って、そのままジュパジュパ乱暴に吸う。あたしもそれに応じて、吸い返す。

 最初にナオくんに「今日はこうやってキスしよう」って提案された時には「何考えてるのこの子ー」って思ったけど、実際されてみると、なんか、悪くなかった。Mに目覚めそう。

「アリス、もっと嫌そうな顔してよ」

「……こんな感じ?」とちょっと首曲げて眉寄せて、悩ましげな感じに。キス後のちょっと息切れして苦しそうな感じもコミで。「……どうかな?」

「そうそう!うわ、ヤバイよ。なんかすごくいい」

 そしたらナオくん超嬉しそう。サドなんだからー。

「アリスはどう?この体勢だと興奮する?」

「うーん、どうだろ?」

 唸りながらもかなりいいと思い始めているあたしがいた。けど、ここで肯定するとナオくんますます調子に乗るのでテキトーに誤魔化す。恋人間のイチャイチャは攻守交替が明確でなければならないと思う。あたしはこういう押せ押せな感じになるナオくんも頼もしくて好きだけど、せっかくショタっぽい顔してるんだから、攻められて「はぅん……」みたいにいたいけな感じになるナオくんも見ていたい。

「あー、よかった。このシチュがやりたかったんだよ」と満足そうなナオくん。変態だ。変態がいる。けどソレに対して「せっかくだから今日はこのまま立位でやろうよ」と言うあたしも我ながら大分アレだと思った。

 で、あたしたちはその日はそのまま立った状態でラブラブした。お互い顔がすぐ近くだから、頻繁にチューをした。ナオくんとあたしの舌が吸い付いてざらついて甘くてくすぐったくてもうサイコー。

「アリス、タバコのニオイがするよ……」

「あ、ごめん、ヤだった?」

「ううん、愛してる。興奮するよ」

「はぁ~ん、ナオく~ん♪」

 なんでもない言葉の掛け合いがそれだけで嬉しすぎる。甘えるように絡み付いて、吸い付く。それはお礼だ。向けられる愛情への感謝。こんなシアワセな気分にさせてくれてありがとう。そのための愛情表現。単なる前戯のためのキスでも愛撫でも抱擁でも、そこに「好き~」なキモチがないと効果半減だと個人的には思ってる。

 上唇と下唇を存分にはみはみしあってから、もうすっかりカタチを覚えたお互いの口内に舌をむにゅーんと入れる。もう今日はキッスキッスまたキッスの超ハードキッス状態だ。この日だけで一年分くらいしたかもしれない。

 満足だー。



「カオリー、あんたいつまでお風呂入ってんのー!?」

 突然遠くからお姉ちゃんの声が響いて、あたしはハッとなる。

「おぼぼ」

 気付けば風呂でうとうとしていた。腰が大分ずれ込んでいて、もうちょいズッたら顔まで沈んでしまうところだった。ヤバイヤバイ。おフロで寝落ちすんのは危ない。以前それでおぼれかけてお姉ちゃんに助けられたことがある。

「もしかして寝てるー?」と絶妙なタイミングで聞いてくるお姉ちゃん。鋭い。

 あたしはその声でようやっとスイッチオン。「寝てないよー!」と大声で返事をして、体を起こすと、湯船の底に長らく密着していた腰が痺れてた。その感じが、前にナオくんちの車庫で立ったままセックスした後の感じと似てて、ちょうど今見ていた夢が思い出されて……。

 夢?

「って、またか!?」

 思い出して思わず大声でセルフツッコミ。また遠くでお姉ちゃんが「なにー?」と言っているが無視。今はそれどころではない。

 おいおーいマジですかアリスさん。またナオくんとのセックスドリームですか。そんな欲求不満なのかこのビッチは~!

 少し前にもそんな夢を見て、あたしはよーやっと失恋の痛みから立ち直ることにして、そこからもう一歩踏み出して健全になっていこうって決めたのに。で、そういうことを割とマジに毎日考えて生きてたってのに。

 なのに、あの夢。立位。キス乱射。

「もー、なんなのこのマジで萎える展開はー……?」

 再度風呂にずり込んでため息をつく。ため息で目の前のお湯がブクブクなった。その向こうにあたしの胸とお腹とあそこが見えて、なんとなく気になってあそこを触ってみると、お風呂のお湯とは違う液体がそこにあるような感じがした。

「……温感ローション。なんちて」

 意味不明かつ最低なことを呟いてから、あたしは湯船を出て、さっきも洗った体をもう一回洗った。全身ツヤツヤにしてやると言わんばかりにボディソープを皮膚という皮膚に塗りたくりまくる。もちろんあそこにも。むしろ念入りに内側まで指を突っ込んで洗う。汚物は消毒だー!

「ふぃー……!」

 で、シャワーで全身を流してサッパリしたところで、ホッと一息。なんだか生まれ変わったような気分になる。まあ実際は別に何にも変わってなくて、ただエロ夢見てモヤモヤしてたあたしの自己完結なんだけど。滝に打たれるように、シャワーをもう一回頭から浴びる。邪念をかき消せ。

 ザ・解脱解脱!

 ナオくんとのサイコーすぎるセックス。あたしは夢の中でそれを未練がましくひっぱり出してきて、残り香を味わうみたいに追体験していた。

 ……しかし今考えるべきはセックスでもなければナオくんでもない。あたしが健全になることだ。過去なんか振り返ってないで、より良い未来を想像しなきゃ。

 まあ、強いて何か考えるとすれば、ナオくんと付き合ってたころのあたしのこと。悪いのはあたしで、ナオくんと付き合ってたこと自体は全然悪くないのだから、見るべき箇所はそこにある。新たなる自分ロードを目指すあたしとしては、あの頃のあたしについて積極的に見つめなおして、過去のあたしの色々を反省点として今後改善していくぐらいの姿勢があってもいいだろう。

 ……けれど、そう思って過去のあたしを見直すと、そこには必然的にナオくんがいる。彼の存在はあたしにとって大きすぎて、近すぎた。あたしを構成する要素は全てナオくんと強く関連付けられていて、ナオくんと一緒に歩いた道を通った時とか、一緒にいる時に着てた服を着た時とか、そういうふとした瞬間に自動的に、ナオくんとのことも思い出されてしまうのだ。

 つまりあたしは無意識下においてはナオくんのことを常に考えていたいってことなんだろうか。平時、意志の力で健全になるためにそれを抑え込んでいる反動のように。

 とはいえ、別にナオくんは何も悪くない。

 ナオくんとのことを思い出すこともダメじゃない。失恋しちゃってるとはいえ、ナオくんとの思い出は大切にしたいし、時々思い出してムフフってなるくらいならいい。

 けど、弱いあたしはきっとその思い出にズブズブドンドン浸るばかりで、そこから現実に立ち向かう力を得ることはできないだろう。それは完全な逃避でしかなくて、未来に向かうことなんて到底できない。

 楽しかった思い出とか好きだったこととかも思い出されて、抜け出せなくなりそうで辛いのだ。そして、そんなナオくんと一緒にいたあたしがもう過去のものでしかないことがわかって辛いのだ。

 だから過去を思い出すのは嫌だった。明るい未来があると信じて、それだけを考えていたかった。

 けれど、あの頃のあたしが、そこかしこに宿ったナオくんの記憶が、そこから逃げようとする今のあたしの邪魔をする。目を背けても、視界に入り込んでくる。変わろう、と思って前を向いても、後ろをチラッと見れば必ずナオくんがいて「そんなことしないでいいよ、こっちのほうがいいよ」って誘ってるみたいな感じだ。不意に見てしまったさっきの夢みたいに。くじけそうだ。

 だからいっそ、ナオくん共々昔のあたしのことなんか忘れて封印して、もう思い出さないようにしちゃえばいいか、と思った。なるべくナオくんのことは考えないようにもしてみた。けどそうすると胸の辺りがずぐんって超痛くなる。ナオくんを忘れることなんてできないと心が主張するみたいに痛むのだ。こっちも辛い。辛すぎる。泣いてしまいそうになる。

 その辛さが、あたしがまだナオくんとのことから完全には立ち直れてないんだなあと思わせる。ナオくんのことをどれほど愛していたかを再認させる。

 ハーン!せつなくなってきたー!

「つらいよー、ナオくん。会いたいよー」

 そう思ったらあたしは泣いていた。メソメソ泣いちまっていた。風呂場で。全裸で。

 愛することは辛いことだ。色々なことが恐ろしくなる。何かを失う不安。何かを失った後の孤独。その恐怖。

 結局、あたしは何をしたらいいんだろう。ナオくんのことを考えると辛くて、考えないようにしても辛くて、もうどうしたらいいのかわからない。


 ……まあ、色々な何かの所為にしようとしてみたけれど、結局問題あるのは自分なのだ。

 ナオくんとの思い出が心地よいからそれに甘えて現実から逃げてしまいそうになる自分。それなのにナオくんとの思い出を吹っ切ることももったいなくてできない自分。

 弱い自分。ダメな自分。そういう自分が必ずどこかにいるから、ガタが出る。

 強くならないといけない。変わりたいのなら過去あったことから目を背けず、それでいて未来をしっかり見据えていく強さを持たないといけない。そうじゃないと、あたしはナオくんとの思い出を大事にできないだろうし、結局は現実逃避の道具にしてしまうだろう。

 革命は、何であっても弱者ができることじゃないんだ。


 形を変えて、ダメな自分が追いかけてくる。

 追いかけてくるんだ。あたしがいくら逃げたって、それはいつまでもいつまでも。


 だから、そいつらの気配がなくなるまで、あたしは頑張って強くならないといけない。あたしみたいなダメな子がマジに生きようとするなら、なおいっそう。


 けど……はーん。やっぱ一人はつらいよー。

 こんなあたしを誰か支えてよー。マジで。



 ……そんなことを思ってしまうあたしは、やっぱり弱いんだろう。





 だからってわけじゃないけど、あたしは部活に行くことにした。

 あたしは剣道部に所属している。入部したのは一年生の春頃。新入生らしくあちこちの部活の見学をして回るような時期があたしにもあって、中学同じだったカズミと一緒に剣道部見に行ったあたしはそのままなんとなーくそこに入部したのだった。当事仲良くなりたてだったヨシノも続けて入部し、どの部活入るのか決まらなくてフラフラしてたオノザキもついでに入部した。今でもよくつるんでるあたしらグループはこの時に結成されたことになる。

 けど、あたしがマジメに活動に参加してたのは一年の夏ぐらいまでで、それ以降はホトンド出てなかった。理由は特にない。汗まみれで道着と防具つけて竹刀振ってるより、汗まみれでナオくんにまたがって腰振ってる方が楽しかったとかその程度のものだろう。一週間のほとんどの放課後を拘束される部活動をやるには、あたしは少々不真面目すぎた。

 ……だが、これからのあたしは違う。

 健全志向のあたしは部活もマジメにやろうと思う。部活動というのは、やるからどうとか、やってるからこうとか、そういう即物的なものじゃなくて、もっと単純に、自分がやっていて楽しいとか、やっている自分が好きとか、それらを通じた成長とか、そういう段階的に成果が上がっていくものなんじゃないかと思う。あたしは今まで剣道やることも剣道やってる自分も大して好きじゃなかったけど、今になって好きになってみようと思ったのだ。ここで新しく何かを始めてもよかったけど、まだ在籍しているのだから剣道部でいいだろう。しかも剣道は武道である。武道への意気込み。そういう強くなりたいって方向性は健全ぽくないだろうか?

 あたしがやりたいのはスポーティに汗を流すことじゃなくって、ダメな自分を叩きなおすこと。いわば修行をすることだ。ならばやっぱ武道だ。修行することを楽しみ、修行している自分を好きにならなければならない。それならやはり、行うべきは武道であるべきだろう。

 真剣に生きるコト。剣道とは文字通り真剣に通ずる活動じゃん。いい感じ。


 まあ、今だからそんな風に思えるけど、剣道部に入部した当初は思い入れなんてホトンドなかった。ぶっちゃけあたしは武道ってカテゴリに限定しても、剣道よりは弓道の方がやってみたかった。弓道ってなんかクールだし、道着も剣道みたいにモッサリしてないし。あと女子がつける胸当てがなんだかちょっとエロくて個人的にポイント高。……けど、ウチの学校には弓道部はなかった。自分で新しく部を立ち上げるほど胸当てにエロスを感じていなかったあたしは、諦めて剣道部に入部したわけである。

 剣道は小中でやってた(やらされてた)し、そのまま続けるのも悪くないとも思っていたというのもある。ちなみに段もってる。これでも意外とマジメにやってたのだ。

 けど剣道をまたやろうと思った最大の理由は、ナオくんが和服フェチだったということだ。よくあたしが部活やってるのチラチラ見てたし、セックスする時に何度か袴着用を命ぜられたこともあるので、ナオくんの嗜好は間違いなく本物だ。本人に聞いたらいつも通りしらばっくれてたけど。あー、懐かしいなあ、あの襟の間から手を入れる時の嬉しそうな顔とか、可愛かったなあナオくん……。

 ……ってあたしバカー!

 これじゃ昨日とおんなじだ。もうナオくんのこと考えるのやめよう!ちっとも先に進まない。

 これからのあたしは、ザ・ケンドービショウジョ・アリス・オブ・ピュアネス。あの時の和服萌えみたいなふざけた理由で武道やってるクソビッチではない。マジで真剣に部活する。自分を鍛え、律するための修行として、竹刀と防具を手にするのだ。剣道の神様、改心したあたしをどうか導いて!

 で、


「カズミー、ちょっといい?」

「うん?」

 あたしは休み時間にカズミのいる教室まで行って、そんな感じで話しかけた。

 部活行くにしても、いきなりあたしが部室や練習場に現れるんじゃ唐突すぎる。まずは知り合いに出ようと思ってる旨を話して、それ経由でさりげなく混ざっていく感じが望ましいだろう。

 まあ知り合いということなら、別にカズミじゃなくてもいいんだが、気まぐれヨシノは部活に出たり出なかったりしてなんか不安だし、オノザキじゃなんとなく頼りない。っつーより、カズミは剣道部の部長なので、知り合いだとかそうじゃないとかそういう体裁っぽい部分以前に喋っておくべきかなと思った。

「どうかしたの?」

「んー、あのさ――」

「あ、ごめん。ちょっと待って!」

 あたしが話そうとすると、カズミはいきなり席から立ち上がって、黒板のところにいた男子のところまで駆けていく。

「え、ちょっと――」って感じであたしは放置され、追いかけてくわけにもいかず、無人になったカズミの席に一人で立ってて意味わかんない感じになる。

 で、カズミはその男子とちょろっと会話を交わしてからまた戻ってきた。

「ごめんごめん」

「どうしたの?」

「もうすぐ運動部でやる体育館とかの清掃があるんだけど、そのことを今日のホームルームでしゃべってもらおうと思って。あ、彼、整備委員の郡山くん」

 と、カズミは聞いてもいないのに黒板のところにいた男子をあたしに紹介してくれる。ちなみに本人は黒板を消してる最中であたしたちに背中を向けているから気づかない。

「今突然思い出して、すぐ言っとかないと忘れちゃいそうだったから。ごめんね」

「いや……いいけど」

 大した用事じゃなかったから放置時間が短く済んであたしはちょっと安心するけど、何もあたしが話しかけたタイミングでそれやんなくたっていいじゃん、と少しだけムカ。

 まあ、細かいことにまで気が回ってカズミらしいけど。クラス委員ともなればそんなもんなのかな。

「で、カオリどうしたの? 休み時間にこっちまで来るなんてずいぶん久しぶりだけど」

「久しぶりだっけ?」

「そうだよ。一年生の頃は、よく遊びに来てたけどね」

「……それ、超最初じゃない?入学したばっかの頃の話だよね?」

「そうそう。カオリ、クラスで馴染めない~ってよくこっちのクラス来てて。あ、それでオノザキと仲良くなったりしたんだよね」

「……そうだったかな」

 濁しつつも、確かにそうだったことをあたしは記憶している。今、言われて思い出した。

 新しい環境に馴染むのが苦手なあたしには、知り合いが誰もいない自分のクラスよりも、同じ中学のカズミのいるクラスのほうが居心地が良く感じられたのだろう。

 けど、そんなこと蒸し返されるのはあんまりいい気分じゃない。苦手にしてたことだし、余所のクラスに入り浸っているって状況は自分でもカッコ悪いと気にしてたことでもあるから。

「……そんな話いいよ、本題入ろ」

「あ……、うん」

 だからあたしはまだ喋りたそうなカズミの言葉を強引に遮って、会話を一旦終わらす。にべもないあたしの態度にカズミはちょっとだけシュンってなるけど、フォローすんのもメンドいからパスでいい。

 ……まったく、こっちはそんな昔話なんて興味ないっての。せっかく言われるまで忘れてたのに、なんかあの頃の自分思い出しちゃってヤな感じ。

 まあいい、さっさと本来の用事を話そう。

「あのね、カズミ。あたし、今日から部活行こうと思ってるから」

「……へ?」

「いや、屁じゃなくてさ。あたし、今までサボってたけど部活再開することにしたから」

「…………」

 最初のは早口で聞こえなかったのかと思いゆっくり言い直すが、カズミはいまだにポカンとしている。

「だから、一応部長のあんたに報告しとこうと思って。先生んとこには放課後部活が始まる前にでも――」

「ちょ、カオリちょっと待って!」と今度はカズミがあたしの言葉を遮った。

「……なに?」

「と、突然すぎてよくわかんないんですけど……部活って、剣道部のこと、だよね……?」

「他に何があんのよ?あたしが手芸部入る報告をあんたにすると思う?」

「あ、いや……そんなことはないけど……ホントに?剣道部、戻ってきてくれるの?」

「……そうだよ。さっきからそう言ってるじゃん」

 そろそろあたしがメンドくさくなってきたところでカズミはようやくその事実を認識したようで、「はー」とかヘンなため息をついていた。

「……と、突然どうしたの?何かあったの?」

「別に何も。二学期にもなったし、せっかくだからやり直そうかなって」

「カオリ、剣道嫌いになったんじゃなかったの?」

「そんなことないよ」

 予想通りネチネチと理由を尋問される。予想通りなのであたしはスラスラ返答できるけど。

「そ、そうなんだ……いきなりだね、なんか、理由でもあるの……?」

「だから別に理由なんてないよ」

「そ、そうなんだ…………」

「うん、そう」

 テキトーに誤魔化していたが、正直ウザかった。どうしてコイツは人の行動にいちいち理由付けをしたがるんだろう。これがヨシノだったら「ふーん」で終わるから楽なのに。

「でもよかった。カオリ帰ってきてくれるんだね。嬉しいな」

「別にあんたのためじゃないもんね」

「そ、それでも、私は嬉しいな」

「…………」

「……」

 行動の理由とか動機なんて、なんとなくというか、言葉にならない、する必要のない意識から導き出されたものが結構多いはずだ。そういうの全部にいちいち順序だった筋道を考えていられるほど、あたしらは完成されていないと思う。実際はそこまで深く考えてなくて割と直感的なものなのに、その時々の行為に細かな動機とか求められても困るのだ。

 それに今回のあたしがそうだけど、話したくもないくだらないこととか、話してしまうとかえって無粋なことである場合だってあると思う。そういうのを察していくことだって、大事なんじゃないの?それも、そういう状況に陥ってしまうあたしが軟弱だからって言われてしまえばそれまでだけどさ。

 ……まあ、一年以上もどっか消えてたヤツがいきなり復帰するなんて言ったら、カズミみたいな反応するのはむしろ普通か。だからってあたしの考えてることぜんぶを教えてやる義理なんてないと思うけど。


 とかそんなこと考えてたらいつの間にか放課後で、あたしが支度してたら今度はカズミがこっちのクラスに来た。

「カオリー、いるー?」

「いるよ。こっち」

 あたしが手招きするとカズミは気づいて、パタパタこっちまで駆けてきた。

「どした?」と言いながら、あたしはなんとなくカズミが来た理由を察している。

「いやいや、カオリ、先生のところ行くんでしょ?」

「今から行こうと思ってたところだったけど……、カズミもついてくる?」

「うん。せっかくだし。そのあと、一緒に部活行こう?」

「……いいけど」

 あたしは半ばカズミに連れられるようなカタチで、剣道部顧問の先生のところへ向かう。すげえ久しぶりに訪れる体育教官室を前に、あたしは妙な緊張感を覚えるのだった。

「じゃあ、がんばってきてね」とカズミはあたしの肩をぽーんと叩いて激励。

「カズミ、ここで待ってるの?」

「うん。だって、カオリが一人で行かないと意味ないでしょ?」

 今や当然のように剣道部の部長もこなす優等生カズミ様は、あたし自ら先生に復帰の意思を伝えることをご所望だそうだ。ってか、まあ、あたしもそうするべきだと思うけど。思うんだけど……めんどくさいなー。超めんどくさいけど、ここで先生シカトこいといて後で部活の時にややこしくなるのはもっとめんどくさい。それに、いくらめんどくさいからってカズミに丸投げしちゃうのは、さすがのあたしも情けなく思うし。自分のケツは自分で拭くのがマトモな大人の責任だ。「ふー」と体育教官室の前でため息をついているあたしを「ほら、カオリ」とカズミが促す。めんどくさかった。もう超めんどくさかった。さっき教室で喋った辺りでは余裕だったのに、今はクソだるい。

「今日は先生いると思うよ?早く行って、挨拶してきなよ」

「むー、ヤだなあ。怒られるかなあ」

「平気だよ。ちゃんと話せば先生わかってくれるし。カオリが真剣なら」

「ハーン、どうしよ、あたし今きっと胃液超出てるよカズミ~」

 死にそうになるあたしに「よしよし」ってしてくれるカズミにあたしは気を許しそうになって、ともすれば油断しそうになる自分を奮い立たせる。

 剣道部の顧問をしている神山先生は体育の先生で、厳しい人たちの多い体教の中でも特におっかない先生だ。フマジメな生徒が大嫌いな人なので、あたしみたいなのは基本的に相手にしてくれない。

 この先生の恐いところは、自分が見込みナシと判断した生徒にはもう怒ることもせず、ただ興味なさそうな顔をするだけになっちゃうところである。これはマジにやられると怒鳴られたり注意されたりするよりも威力が高いことが多い。

「そんなの気にしなければこっちの勝ち」とかヨシノは言っていたが、あたしはそんな平然と冷戦状態保てるほど心が強くない。

 ……そんな人に「長らく部活サボっててスンマセンもっかいやらせてください」って頭下げに行かなきゃならないんだから気が重い重い。重いが、やるしかない。逃げるなあたし。

「やるかー」

「カオリ、ガンバだよ!」

 力なくつぶやいて、ドアに手をかけたら勝手に開いた。あたしが一歩退くと、中から別の体育の先生が出てきてあたしを一瞥してくる。この人もご多分に漏れずコワモテでゴツイので、あたしは何も悪いことはしてないのに、ついつい反射的に「……どもっす」と弱腰な挨拶をしてしまう。

「ん、有栖川か。珍しい」

「神山先生に用事が」

「む、遂に不純異性交遊をしたのがバレたのかぁ?」

「違います」

 あたしがそう即答するとその先生は「ワハハ」と暑苦しく笑いながら去っていった。コワモテぶりを生かして生徒を黙らせての、あまりにも自然なセクハラ発言。あたしの後ろにいたカズミにもしっかりちょっかいを出していく辺り徹底してる。ああいうのを職権乱用って言えるんじゃないか、とふと思った。あの暑苦しい先生はコーヒー好きとして有名で、「ブルマン先生」というあだ名がついているが、セクハラ教師としても有名なので、生徒間では「ブルーマウンテン先生」というより「ブルママンセー先生」とか「ブルブルマンコ先生」というニュアンスで「ブルマン」呼ばれている。

 まあブルマンはどうでもよくて、あたしが話しかけなければならないのは体育教官室の奥で書類をチェックしている神山先生だ。あたしが「シツレイしまーす」と言って入室したら先生はチラっとこっちを見たが、すぐに何事もなかったかのように書類に視線を戻してしまう。



「先生」と呼びかけようとしたら声が掠れて出てこなくて、それであたしはもう勇気が尽きる。

 うあー、やばいよー。アレ絶対イラッとしてるよー。超こわーい。

 去年部活出てた頃はフツーに話してたのに、空気みたいな扱いのナウあたし。

 体教の中には、ブルマンみたいに男子には鬼だけど女子は優しいという下心丸出しなスケベ教師もいるが、神山先生は男子にも女子にも均等に厳しいため、みんなから恐れられている。けど不思議なことに嫌われてるって話はそんなに聞かなくて、それどころか剣道部部員を始め、一部の生徒からはすごく信頼されている。多分、セクハラしなかったり、相手見てコロコロ態度変えたりしないからだろう。マジメにやればその分評価してくれるし、体育会系ぽい理不尽な言動もあんまりない。いい先生ってことになるんだろう。

「あの、先生」とビクビクしながらあたし。

「……何?」とこっちも見ないまま先生。あーんもう、恐いよー。

「ちょっと、お話が……ありまして……」

 ところが、あたしがそう言うと、神山先生はグルッと椅子を回してこっちを向いて、ズビシッとまっすぐあたしを見つめてくる。メッチャ目が合って、思わず気圧されるあたしに、先生は短く「聞くよ」とだけ言った。顔は相変わらず険しいっつーか真剣だったけど、その口調はなんとなく穏やかで、あたしは少しだけ安心できた。

 けれども、そっから先に何言ったかはテンパり過ぎててあんまり覚えてない。ただ、「今までは部活サボってましたけどこれからは心入れ替えてマジメに出ようと思ってるんでどうかよろしくお願いします」的なことを非常にグダグダな感じで言ったような感じがする。もう超グダグダ。全体的になんか言い訳くさいし、同じこと何回も言った気がするし、支離滅裂。

 そしたら先生は、「そうか」とだけ言って机に戻ってしまう。けれども一番上の書類に名前を書いてファイルに戻すとまた目だけこっちを向いて、「やるからには真面目にやれよ」と言ってくれた。

 あたしは「ハ、ハイー!」と裏返った声で返事をしてソソクサと部屋を出る。あたしがドアを閉めるまで先生はずっとこっちを見てて、最後には少しだけ笑ってたような気がする。

「お帰り、カオリー」と、廊下で待っていたカズミが手を振ってくる。「どうだった?」

「わかんないけど……、やるからにはマジメにやれって」

「そう」

「これって、許してもらえたってことなのかなー?」

「まあ、チャンスは貰えたんじゃない? カオリのやる気は伝わったってことだと思うよ。だって先生、やる気ない人には声もかけないもん」

「そっか」

 やった。

 ここに来て、入るまで感じてた重圧とかダルさがウソみたいな開放感と達成感があたしを襲う。「来てよかったなー」とか都合のいいことまでついつい言ってしまうくらいに晴れ晴れした気分だった。これというのも、あたしが神山先生という超強敵にも、マトモになるという目標の元、逃げずに立ち向かったからだ。

「よかったねー、カオリ?」

「うん」

 真剣に話せば、意思は必ず伝わる。応えてくれる。

 それは結果だ。結果が出ることは嬉しい。

 けれども、あたしみたいに傍から見れば今までフマジメ女子でしかなかったヤツの話をちゃんと聞いて、理解して、しっかりチャンスくれるんだから、やっぱり神山先生はすごい人で、いい先生なんだと思う。あたしもカズミたちのようにすっかりファンになってしまいそうだった。

 あたしは自分の決意を先生に伝えられて嬉しかった。それを先生が認めてくれたことが、あたしの決めた道が正しいって言ってくれてるみたいで嬉しかった。

 あたしが努力して動き出した結果が、もう出始めているような気がして嬉しかった。





 ……けれど、先生に挨拶してからカズミと一緒に更衣室まで行った時、そう上手くいくものではないとあたしは知る。

 世の中そんなに甘くなかった。


 一年半ぶりに入った更衣室は相変わらずホコリっぽくて、薄っぺらな鉄のロッカーやベンチから放たれてるような気がする空気をひんやりさせるみたいな感じが懐かしくて、あたしはちょっといい気分になりかける。

 けど、そんな更衣室であたしたちを迎えてくれたのは、部長のカズミを見て元気に挨拶してからその後からやってくるあたしを見てキョトンとしている一年生の女の子たちだった。去年から部活に出ていないあたしは一人も顔を知らない。

「あ、この子、私の同級生ね。で、ちょっと部活休んでたんだけど、今日から復帰するの」

 カズミがそんな風にあたしを紹介してくれるが、一年生たちの反応は正直かなり微妙だった。こんな中途半端な時期に見たこともない二年生が突然現れて、「実は剣道部でした」と宣言されたりすりゃ当然困るだろうが、にしても冷めた反応だった。あたしが一体どういうヤツなのか、探ろうとする不躾な視線が次々向けられる。

 更に微妙な反応だったのが後から来た三年生。こっちがすげー決心して「おはよーございます!」って挨拶したというのに露骨に無視してカズミと大会の相談なんかをし始めた。あたしが挨拶した時一瞬だけマユゲがピクッてなったが、それだけしか反応しないってのはある意味さすがかもしんない。「どっか逃げてたお前なんかもう知らん。ウザし」みたいな雰囲気が伝わってきて、その敵意にあたしの内モモあたりがなんかピリピリした。うーん。

 やっぱ拒絶されたか。心のどこかでこの展開は予想してたので、ダメージはそれほどでもなかったけど、無視かよ。……やっぱりちょっとガックリくる。

 相談が終わった先輩は素早く道着に着替えて更衣室を出て行く。最後に一瞬だけあたしをチラ見して、何か言いたそうに「えと……」とか口走るけど、結局何も言わずに出てった。ガン無視かと思いきや、ここに来てなんだか半端な態度だ。ムカつく。周りを見ると、この状況を傍観していた一年生たちがサッと視線をそらした。みんなロッカーに荷物しまったりしてて、誰もあたしと目を合わせようとしない。

 ……っつーか着替えるの遅すぎじゃないかこの子たち?あたしらが来る前からいるのにまだ制服着てる子とかいるぞ。

 全体的に、あたしを厄介者扱いするような空気があるのを感じた。あたしの被害妄想って割り切るには、この雰囲気はちょっと露骨過ぎる。

 こんな時期になっても受験勉強せずにまだ部活に来てる三年生とか、道着一枚着るのにもいつまでも更衣室でモタモタノロノロノロマな一年生とか、そういう人たちとこのあたしとどっちがマトモなのかとかそーゆーこともついつい考えちゃうけど、あたしの修行志向のストイックな心情なんか誰も知るわけないので、傍から見れば出戻り野郎のあたしがこういう反応されるのは当然ってことになんだろうけど……。

 特にあの三年生はあたしが一年のまだ部活出てた頃も、「もっと真面目にやんなさい」ってよく注意してきた人たちのグループの人だ。その中には「段持ってるからって調子のんな」っていうヤッカミ的な意味合いもあったと思う。

 ウチの学校だけかもしんないけど、武道系の部活ってのは割と足並みをそろえるところがあって、いくら上手くても強くても一人だけホイホイ昇級昇段試験は受けちゃいけないみたいな感じになってる。昇級したら何ヵ月間は次の試験受けちゃダメみたいな決まりもあるしね。

 だから高校から剣道始めた人なんかは三年生でよーやく段取るか取らないかって辺りで、その当時段持ってるのはあたし含めた一部の経験者と引退間際の三年生くらいだった。今部長やってるカズミも高校に入ってから剣道を始めたクチだ。だから段とかはまだ持ってない。けど中学まではずっと柔道の道場通ってたから、足さばきとか試合運びとかはかなり慣れた感じがする。ヘンにビビッてないというか、動き一つとっても武道のセンスみたいなものが感じられるのだ。

 で、そんなカズミはさておき経験者のあたしは有段者で、その割には中途半端な気持ちで入部してたし、やる気なかった。まじめな先輩たちからうざがられるのも仕方ない。

 けど、今は違うんだよ?

 あたしは今、ホントに剣道やりたいって思ってる。部活だからっつーより、自分のために。修行して強くなって、健全になりたいってマジで思ってるのよ?

 その心意気はプラプラしてた一年の頃とは比べ物にならないくらい真面目でキラキラだと思うのに。やる気とか超みなぎってるのに。だからこーやってまた部活来てるのに。

 ……その心意気も、神山先生くらいにしか伝わらなかったんだな。

 それがガッカリ。

 先輩の露骨な拒絶が悲しかったのは、あたしを相手にしてくれないからっつーよりはそもそも見てくれてすらいなかったからだ。あたしの思ってることとかわかった上で「けどお前逃げてたんだからダメじゃね?」って言ってくるんだったら、悲しいけど受け入れるしかないよね。でも先輩はあたしが何で戻ってきたのかすら知ろうとしてないじゃん。頭ごなしにシカト。期待ゼロってことよねコレ?

 要するに、

 あたしが変わるだけじゃダメなんだ。変わったことを他の人たちに見せ付けて、そうであると認識させて初めて変われたと言うことができる。それはつまり、あたしが以前とは違うんだということをいかにしてアピールしていくかという話だ。

 普通にしてるだけじゃ伝わらない。示さないと。誰もがあたしの心情を読み取ろうとしてくれるほど、あたしは今まで真面目な人間じゃなかったってことだろうな。

 世界中の人が神山先生みたいに出来た人だったら、あたしの自己改造は今日で終了だったろうになあ。

 ……っつーか、そんな世界ならあたし自己改造の必要ねえしな。多分。


 道着着慣れてるあたしは着替えるのはソッコーだったけど、あんまり早く体育館行くとさっきの先輩とか、部活休んだおかげで絶縁状態だった二年生とかと鉢合わせして気まずくなりそうだったから更衣室で少し時間潰してたんだけど、後輩の子たちがあんまりにもノロいもんだから、そろそろメンドくさくなって体育館に向かうことにした。

「あ、カオリ、来た来た」と体育館では先に行ったカズミが待っていた。「うわ、なんか懐かしいね」

「一年近く着てなかったからなー」

「また一緒に部活、がんばろうね」

「……ん?おう」

 体育館で倉庫からあたしの防具出して(まだあった)、カズミとダベってたらよーやくその後輩たちがやってきた。それなりに人数多めの剣道部だが、今年の新入生も割かし豊作だったみたいで一年生は結構たくさんいる。で、そんな大勢の一年生グループが部長のカズミに話しかけてきて、カズミもそれにフツーに受け答えし始めるんだけど、おかげさまであたしは一発で蚊帳の外になった。話についていけない。

 所在無く体育館を見回すと、二年生もそれぞれグループ同士で雑談とか準備体操とかしてて、今更あたしが入り込める余地はなさそうな空気。一年も抜けてたんだからそりゃそーかって話なんだけど、それで納得するにはこの疎外感はちょっとハンパなさすぎる。思ってたよりもずっと気まずいなー、こりゃ。

 ちなみにあたしの思った通り今の時期に三年生なんかいるはずもなくて、体育館にいたのはさっきあたしを無視した先輩だけだった。話し相手もいない先輩は一人寂しく素振りとかしている。

 こっちは真剣に自分革命するために部活出てんだよ。あんたみたいな受験からの現実逃避じゃねーんだよバーカバーカ……とかまた思ったが、さっきも思った通りそんなことしても意味も説得力もないのでまたやめる。

 ……ってか、そうだ。あたしは自分を変えるために部活来てんだった。馴れ合うためじゃないんだから、孤立してても先輩から冷たくされても全然構わないのだ。厳しい空間に身を置くことで強くなれんだったら、一人ぼっちでも別にいいもんね。っつーか、もしかすると「部活」って見方自体がそもそも間違いなのかもしれない。あたしがやりたいのは馴れ合い的な「部活」ではなくて自己啓発のための「武道」なのだ。「修行」ともいう。その辺、見誤らないよーに。

 ……って思い切ろうとするけど、でも、それってホントに正しいのか?

 不意にふって湧いたその疑問に、答える声はない。


 一人で暇なことに変わりはないので、あたしは記憶を頼りにラジオ体操なんかをやったりしながら、後輩たちと喋っているカズミをなんとなーく眺めていることにする。

「カズミせんぱーい」「今度の大会って……」「あの人、先輩の友達なんですよね?」

 カズミと一年生たちがあたしには理解できない内容の話を延々繰り広げている。中にはあたしについての話題もある。ついていけないあたしは傍観しているだけだけど、そうしているとピーピー言ってる一年生たちの中でカズミが実に上手に受け答えをしていることに気付く。一人もシカトすることなく丁寧に返事してあげてる辺りが実に聖徳太子的――っつーか、あんだけ大勢に囲まれてるっていうあいつの人望が既にすごい。

 カズミはすごい。すごい。すごいんだけどさあ……。

「………………」

 カズミはすごいけど、やっぱ見ていてちょっと鬱陶しい。なんか善人面してる感じがする。ブリッコみたいな感じっていうかさ。八方美人きどり。

 あたしは八方美人ってキライだ。なんか超理想的な人間演じるためにすげー無理してるみたいに見える。

 こんなの、回り全部にいい顔してるけど実際は絶対そんなことないよっ、ってあたしなんかは思ってしまう。ってまあ、それはあたしがヒネてるだけか。でも要するにさ、それって回りから良く見られたいってことでしょ?周りから信頼得て、好意受けて、あーやって馴れ馴れしい笑顔向けられたいんでしょ?

「…………」

 あたしはもう一度、一年生と喋ってるカズミを見やる。

 カズミの周りで喋ってる一年生女子たち。みんなすげー楽しそうで、カズミになついてんだなーって思う。……けど、あたしは正直、あの子たちからの好意がそんな必死になって良い顔してまで得るほどのものかなあ、なんて思ってしまう。

 けど、そんなこといったら今のあたしのクラスにいるトモダチとかも、頑張って維持するほど価値があるのかな。あたしが健全になるぞって言って、守ろうとしてるものって、実はすんごいしょーもないもんなんじゃないだろうか。

 ……そう思ったら、あー、なんか一気に色々がアホらしくなってきた。もー、なんなんだよホントにー。

 なんでみんなそうやって群れようとすんの?一人だって全然楽なのに。人付き合いとか、馴れ合いとか、マジだるい。喋らなくていいならずっと黙ってたいくらいなのに、あたしは。

 それが本音だ。あたしの。

 けど、健全に生きていくってコトはそうやって信頼を得ていくことでもあるんだろうなってことはあたしにもわかる。だって、あんなみんなからフレンドリーな態度取られてたら、ヘンなケンカとかイジメとかにはなんか絶対ならないもんね。

 そうだ。つまり、しっかりしたコミュニケーション能力を持ってて、誰とでも平和に争いなく交流できる人を健全って呼ぶんだ。つまり、あたしもいずれはカズミみたいにスマートにコミュニケーションできるようにならないといけないんだ。健全でマトモに生きていこうって思うんなら、それは避けて通れない。

 あたしはワラワラ群れてるよりも少人数あるいは一人だけでいるほうが落ち着くタイプなので、新しく会う人とかその場にいる人みんなと仲良くしたいなんてホント、全ッッ然思わないんだけど、……実際はカズミみたいに会う人会う人みんなと打ち解けようとする方が、うまいこと生きていけるんだろうなあとは家で一人腐ってる時に色々考えた結果思うようになってきた。

 だからあたしも、そうならないといけない。

 ……けどそれって不自然! あたしがあんな風に笑顔見せたら、絶対白々しくてキモい感じになっちゃうよ。必死さが見え見えでダサいっつーか、媚びてるみたいで鬱陶しいじゃん。想像しただけで寒い。

 そう。健全になるって決めたのに、あたしがいつまでも微妙に納得いってないのはそこだ。

 この圧倒的な不可能性というか、あたしには無理ぽいですゴメンナサイって感じが、絶望的というか、立ち向かっていく気力を萎えさせる。

 あんな、誰とでもスラスラ喋って、信頼勝ち取るなんて器用なマネ、あたしにはできないよ……。

 だからなんかカズミが気に入らない。「あんな、道着着るのにもベラベラ喋ってるばっかりでノロノロしてるやる気ない子たちにまで良い顔するなんて茶番でしかないんじゃないの?」とか思ってしまう。



 けど、思う。

 ……それはもしかしたら、あたしがカズミを知りすぎている所為なんだろうか?

 小学校とか中学校の頃からカズミはいい子だったけど、こんな誰でも彼でも救ってしまうようなスーパー女子ではなかったはずだ。

 あたしの過去を知るカズミがその知識であたしを規定しようとするように、あたしもあたしの中にある今ほど八方美人になりきれてない過去のカズミの姿から今のカズミを規定しようとしてて、そこから逸脱しかかってる今のカズミが気に食わない?

 要するに、羨ましがってんのかな?

 いつの間にかあたしの目指すべき位置に到達しているカズミに。

「あ、そういえば昨日のテレビ」

「マジで」「カズミ先輩、この間借りてたマンガなんですけど」「みんなで回しちゃっていいって」「あ、いいスか部長。後で先生んトコに大会の手続き書類で」

「……………………」

 そこであたしはラジオ体操を一通り終えて、なんか妙にすっきりした気分になった。

 ……ってかさ、一年生たちとカズミ見ながら人間関係における欺瞞みたいな小難しいことを色々ぐちゃぐちゃ考えてたけど、あたしはホントは、ただ健全になるのなんてメンドくさい、って思ってるだけなんじゃないの? そのための修行とかって大義名分くっつけた部活だってやっぱかったるい、やりたくない、って思ってるんじゃないの?

 だから今日はこんなにストレスがたまって、カズミの言動に苛立って、一年生がゴミにたかるハエみたいに鬱陶しく見えてしまうんじゃないか。

「…………」

 ……そうだな。そういうことだ。たぶん。

 認めると、さっきまでゴチャゴチャだった心の中が驚くほど整然とした感じになった気がする。人付き合いのメンドくささも、カズミに対するイライラも、落ち着いてる。

 正直なところ、あたしは剣道なんて今でも全然やりたくない。段持ってるのは昔からやってたからってだけで、剣道自体にそこまで思い入れなんてないのだ。で、今になって「健全になるぞー」とかって真面目そうな理由付けて、ホイホイ出戻ってる自分の安易さを自分でうざいとさえ思ってる。

 加えてあたしは今思った通り、人付き合いがだるいのだ。体育会系の部活なんてそれのカタマリ。協調性のある、より良い部活動として一体感を持って臨んでいくためには、部活なんて人付き合いだらけだ。その中で生きていくために、カズミみたいに愛想笑いしなきゃなんないのかと思うと超嫌だ。ゲロ出そう。

 で、あたしはそれの言い訳のために心ん中でカズミを人柱にしてボコスカ攻撃してただけってワケか。ちゃんとしてるカズミを見るとあたしが嫌な人付き合いの色々が連想されて、逆にちゃんとしてない自分が浮き彫りにされて、ダメさを強く意識されるからやたら鬱陶しく感じる。

 そういうことか。

「……あーあ、アホくさ」

 うん。

 ごめん、カズミ。心の中で謝罪。

 思い返せば、あたしってばなんでこんなにカズミのこと毛嫌いしてんだろ? 中学の時は普通に仲良かったし、「カズミ」なんて呼び捨てでもなかったのに。

 カズミ。

 あんたはやっぱ部長やってるだけあって、そんだけ人間もできてるし人付き合い上手いし頭もいいんだろうね。昔からあんたを知ってるあたしにはちょっと鼻につくとこもあるけど……でも、そうも言ってられないのが今のあたしなんだな。

 人付き合いはだるい。けど必要だ。だってあたしもその中で生きてんだから。そん中で生きてくって決めたんだから。っつーか実際、人付き合いだるいあたしでも話し相手が一人もいないのはやっぱつまらんし。仲良くしたいって気持ちがないわけじゃないのだ。

 だから神山先生っつー超強敵にも立ち向かったし。ホントにやる気がゼロだったら、そんな無駄なことあたしがするとは思えない。だからあたしにも多少は部活に賭けてるものがあって、神山先生もそんなあたしの奥底にあるピコグラム的な心意気を汲んで、「真面目にやれ」って言ってくれたんだろう。そう思うとやっぱ神山先生はすごい。あたしの中にはカスみたいな量しか生まれてなかったやる気にも、しっかり火をつけてくれている。あたしの意思はさておき、そうすることがあたしのためになるって思ってくれたからなんだよね先生?

 よーし。なら、やっぱがんばるか。

 あたしに限った話なのかどうかは知らないけど、いつも心の中で「仲良し志向のあたし」と「仲良しだるいあたし」がせめぎあっている。カズミの場合は、「仲良し志向のカズミ」が超パワー持ってて「仲良しだるいカズミ」が限りなくゼロに近いってことなんだろう。ってか「だるいカズミ」なんて想像つかない。その時点で相当すごいのだ。

 確かにカズミみたいに全員と仲良くする必要はないのかもしんない。しんないけど、それにしたってあたしの中の「仲良し志向のあたし」は弱すぎる。こんな、部活なんていう割かし少人数で目的もハッキリしてる集団の中においても、「仲良しだるいあたし」が圧勝しそうになるのだ。いくらなんでも、そりゃやばいだろ。

 なにもブラジル人のオッサンと仲良く文通しろっつってんじゃないんだから、同じ部内の子たち相手ぐらいもうちょっと積極的に、せめて必要最低限プラス一段か二段くらいの人付き合いはすすんでやるぐらいにならないといかんのじゃないか?

 だからもう少し、もう少しでいいからがんばらねばだよ。せっかくチャンスくれた神山先生の期待にも答えていかないと。

 うむ。


 って、思ってあたしはシャキッと気持ち切り替えて、後輩の女の子たちに少しだけ話しかけてみたりする。

「やっほー、あたし二年の有栖川。よろ」

 けどやっぱみんな警戒してるっぽくて、「あ……」とか「こ、こんにちは」とか、反応は全体的に微妙。全体に話しかけたつもりだったけど、それぞれが「誰か返事してやんなよ」みたいな顔してる。あたしの押し付け合いだった。見ちゃいらんねえなあオイ。

 けどま、こんなもんか。反応してくれただけでもよしとしよう。

 多分。一年の子たちにとってあたしは、あたしにとってのあの三年生みたいな扱いなんだろう。そりゃ触りたくもねーわな。

 けど、いつかはきっとわかってくれる。あたしが心の奥底に抱いた小さなやる気を燃やし続けていれば、それに気付いてくれる子が現れるはずだ。だって、夏前に投げ出しちゃったあたしより、今のこの子たちの方が剣道長続きしてるわけだしね。あたし以上に骨がある。


 で、そんなことやりながら部活が始まるの待ってたら、男子部員たちもぞろぞろやって来て、その中になんかコイツがいやがった。

「お、アリスじゃーん」

「…………」

 あたしとおんなじカッコした浅野がいつものノリで話しかけてきた。

「なにしてんの?お前も剣道部入部したの?」

「んなわけないじゃん」と答えつつも、あたしは全然ちがうこと考えてる。

 ――なんでこいつがここにいんだよ?

 剣道着と防具つけて、頭にタオル巻いた浅野の姿は決まっていた。同じ剣道やってるからこそ、その着こなしっつーか、身に着け方に慣れがあるとわかる。

 っつーか、なんか似合ってる。普段はあんまそんな雰囲気じゃないのに、浅野って硬派な感じも似合うんだ。そうだよね。制服着てたりしてもモサい感じを上手く着こなしてたりするし。

 ……って、そうじゃねーよ。「ねえ、どういうこと?」と、あたしは浅野をシカトして隣でアキレス腱を伸ばしているカズミに尋ねる。

「え、何が?」

「なにがじゃなくってあいつ。浅野」言いながら小さく指差したら、なんか気付いて手振ってきた。目ざとい。目ざとすぎてちょっとキモい!

「ああ、浅野くん?」

「そうそう。なんであいついんの?剣道部じゃなかったよね」

「ちょっと前……一学期の末ぐらいに入部してきたの。なんか、前にも剣道やってたことあるんだって」

「…………」

 あたしの知らないうちにそんなことが?

 ちょっと予想外なんだけどー、と抗議の視線を浅野に戻すけど、さっきまでこっちに手振ったりしてた浅野はもう他の男子部員とゲームの話とかしてた。

 しかも、「よかったねー、カオリ」とあたし的には嫌な笑顔のカズミ。さっきと違って、今となってはそれがあたしの勝手な思い込みで、カズミ的には百パー善意でやってくれているんだってわかるんだけど。これに関してはやっぱりムカっとくる。

 だからあたしはぶっきらぼうに「なにがだよ」って返す。あ、やばい。口調が自分でも不機嫌になってるのわかる。お腹すげー空いてる時みたくなってる。

「久しぶりに復帰して、話し相手いなくて退屈そうにしてたから。浅野くんだったら話しやすいんじゃない?」

「…………」

 何が浅野だったらー、だ。あたしは別にカズミが思ってるほど浅野と仲良くも親しくもないっての。

 ってか、浅野なんか来たって鬱陶しいだけだ。あたしは真面目に剣道と部活内の人間関係やろうとしてんのにあんたが来たら気が散るじゃんよ。っとにー。



 で、ちょっと後になって、「ってかなんで浅野がいたらあたしの気が散るのよ?」って思い直した。

 よくよく考えたら、さっきまで燃やしてた剣道部の活動と人付き合いに対する熱意と、浅野の存在は実際なんの関係もないじゃん。

 そう、浅野は関係ない。こいつが剣道やってようが弓道やってようが、あたしの自分健全化計画には何の影響も支障もない。ないのにあたしは浅野が現れて、ちょっとイラッとして、予想通りカズミがその件でうざい絡みをしてきてますますイラッとした。なんで?

 ん?

 なんでイラッとしてんのあたし?

 考える。

 考えるんだけど、明確な答えはなくって、考えれば考えるほどなんでもないんだってことに気付かされる。単に、浅野についてカズミに前ちょっとなんか言われたってのが未だに引っかかってるしつこいあたしってだけだ。

 そんだけじゃん。マジで。

 え?

 ホントにそんだけ?

 で、「あーあーあー、カズミのことも浅野のことも、勝手に思い込んだ上にいつまでも意識しすぎであたしってば超カッチョ悪ぅ」とか思ってたら、なんか気付いたら目の前に面と防具でフルアーマー状態のカズミが竹刀振り上げて迫ってきてた。

 硬直。

 何?あたしなんでカズミに襲い掛かられてんの?

「めーんっ!」

 パシイイィィィィン!


 あたしは失神した。

 考え事に夢中で気付かなかったけど、どうやら試合中だったらしい。


 打ち込んできたカズミの面をモロに、かつ変なところににくらってあたしは瞬殺されたわけだ。

 なんだよアリス。段持ちなのに、超弱い。

 ザ・無様。





 カズミに必殺奥義おみまいされて保健室に運ばれて、そこでなんで自分が気絶したのかを考え直して、あたしは余計なことを考えすぎている自分のアホさにため息が出る。

 なんか疎外感とか孤独感で妙にネガティブになってて、色々とワケのわからんことを考えていたっぽい。

 で、挙句、カズミに一本決められて撃沈。

 カズミにはすげー心配されるし、あたしは事実確認して自分のあまりのダサさに嫌気がさしてもう部活行くのやめようかなとか思ったけど、せっかく仲良くしてこうって決めた後輩の子たちとかあの三年生とかにザコ呼ばわりされたくなくてそうなる前に阻止しようと思って改めて部活行くけど、部内ではもうとっくにそういう感じになってて、あたしの居場所はますますなくなって、あークソやっぱこの部活で修行とか無理かーとか思ったんだけど、それで逃げたらそれこそクソ野郎なんでガマンする。

 もうなにがなんだか。


 あたしはその後も真面目に部活に出続ける。その間、後輩の子たちに陰で色々言われたり、あの三年生の視線が冷たかったり、カズミが妙に気づかってきて恥ずかしかったけど本音言うとちょっぴり嬉しかったりした。色々ままならないけど、もう気にしないことにしたし、そしたらホントに気にならなくなったからだ。

 相変わらず何も考えてなさそうな浅野と試合やったりもした。ちなみにあたしが勝った。ほら見ろ、何も考えなければあたしはフツーに剣道美少女。竹刀握った感じや防具の重さ、裸足で感じる板張りの床の感触、そういう剣道って競技を構成する色々が前やってた頃と変わらない緊張感とクールな思考をあたしに取り戻させる。そういう状態になっていれば、あたしはブザマなトコなんて見せやしない。カズミとだって互角に戦える。ヨシノやオノザキなんかだったら絶対負けない。浅野にだって、あの三年生にだって負けない。けど驕らない。なぜ?あたし、修行中だもん。

 えへ。

 ストイックな自分って好き。


 そんな感じで何日か経って、今日も部活いくかーとあたしが徐々に燃やす情熱を増やし始めたところで、不意にカズミに「ちょっとカオリ、話があるからちょっと来て」と言われて部室の裏に連れて行かれた。何?シメられんのあたし?

 別にそんなことはなかった。なかったが、「カオリ、浅野くんのこと、何か知らない?」とカズミが言う。

「え?」

「昨日の放課後ね、突然浅野くんが私のところに来たの」

「うん」ちなみに昨日は部活のない日だ。「それで?」

「で、あのね……えっと」と、そこでカズミが言葉を切ってしまう。普段あんだけ図々しいのに妙なところで歯切れの悪いカズミ。むーん。

 あたしはそんな彼女にちょっとデレる(ちょっと前に心の中で悪く言っちゃった反省も含めて)。

「なに?どうしたのよカズミ?浅野になんか言われたの?」

 部活を再開してしばらく経った今のあたしは、カズミに対しても友好的だ。中学の頃みたいにベタベタする気はないけれど、少し前までのように意味もなく悪く思ったりはしないように心がけている。

「いや、なんかっていうか……」

「うん」

「……カオリ、ホントに何にも聞いてないの?」

「だから、なにを?」

 ってか、あたしここ最近、浅野とまともに喋ってないよ?

「そう。なら話すけどさ」

 そこで一瞬周りをキョロキョロしてから、カズミは言った。

「浅野くん、なんか部活やめるって」

「……はい?」



 浅野が部活をやめた。

 突然の退部。カズミから聞いた話によると、こうだ。

 昨日の放課後、カズミのところに突然浅野がやってきた。「チッス部長、おつかれ~」みたいないつも通りの軽い感じで会話が始まって、カズミも何の気なしにそれに応対してた。

 そしたらあの野郎、「あ、そうだ。本来の用事言い忘れてた」とかついでみたいな感じで言い出して、その直後に退部宣言したらしい。

 無茶振りに弱いカズミはビックリ硬直。慌てて確認しようとするも浅野のほうは既に風と共に去りぬしていて聞くに聞けなかったそうなのだ。

 ……ってか、なんじゃそりゃ?

「先生には確認したの?」

「うん。そのすぐ後に行ったら、そうだって。最初に先生のところに行って、その後に部長の私にも報告してくれたみたい」

「ふーん……」

 この「ふーん」は興味がないって意味の「ふーん」じゃなくて、ヘンな話だなーって意味の「ふーん」だ。

「カオリ、昨日の放課後って何してた?」

「え、あたし?」

 あたしは昨日――?

 昨日は学校から帰って部屋で漫画読んでたらお姉ちゃんが帰ってきて、晩御飯作るからおつかい行ってきてって言われたからダイヤ行ってきて、余ったお金でコーヒー豆買ってったら「まだストックあんのに買ってきてどーすんのよ」って怒られてケンカになって、で、責任持ってあたしが全部飲むってことになったから晩御飯の後に早速コーヒーいれて、飲みながらおつかい行く前に読んでた漫画読み直してたら、なんかちょっとエッチなシーンが出てきて、別にそんなでもなかったんだけど急にムラムラっと来ちゃったからベッドに仰向けに転がって漫画読みながらアソコ弄ってたらいつの間にか漫画読むのやめてて、そんなことやってるうちに十二時過ぎちゃったから「アホらし」ってなって寝た。

 ふむ。

「昨日は家で勉強してたよ」

 ウソつきました。えへ。

「そっかー、部屋にいただけか」で、カズミ信じてるし。「……カオリの家って電波入るよね?」

「うん。トイレは圏外だけどあたしの部屋は平気」

「そう……ホントに何の連絡もなかったんだね」

 うなだれた。



 退部宣言、か。

 微妙に落ち込み気味に考え込んでしまっているカズミを見ながら、改めてあたしはその光景を想像してみてもう一回「ふーん」ってなってみるけど、だからって浅野のトンデモ行動への理由付けができるはずもない。

 ……イキナリ退部ねえ。浅野のヤツ、なーにやってんだか?

 ん?

 ってか、なんかおかしい。ひっかかる。なんだと思ってすぐわかる。

「っつーか、なんで浅野があたしんとこに連絡なんかしてくんのよ」

「え、えっと……カオリと浅野くん仲いいから」とカズミはやっぱり予想通りのことを言う。「やめるんだったら何か相談受けてるんじゃないかって思って」

「…………」

 今度はあたしがうなだれた。

 だーかーらーさー!

 まーだそんなこと言ってるカズミにあたしはもーっ!ってなるけど、今のあたしは手前勝手に怒ったりしない。ちゃんと優しくできる。

「だから知らんってば。この際だから言っとくけどさーカズミ、あたし、あんたが思ってるほどあいつと親しくないよ」

 っつーか、全然親しくない。実際、会話なんてチョコっとしかしたことないし。

「あ、ご、ごめんね。気にしてたのかな」

 でもやっぱあたしの口調がトゲトゲしさが残ってたのか、カズミはちょっとだけしょんぼりする。

「……いやま、いいけどさ。どーせヨシノあたりが適当なこと吹いてまわったんだろーし」

 だからあたしも大人になる。大人しいカズミ相手には。

 そうだ。大人になれ。今日に限らず。

 最近までのあたしはカズミとかの言動にいちいち細かく反発しすぎだったのだ。カズミははこの通り根はドがつく善人で基本的に悪気はないんだから、あたしがカチンと来ても、それはあたしが一方的に怒ってるだけに過ぎないのだ。

 だもんだから、あたしとしてはただムスッとするんじゃなくて、カズミにこーやって「それうざいからやめて」って理由を説明したらいいってことに気が付いた。で、カズミだってそう言われたぐらいで逆ギレするほど馬鹿じゃない。むしろこの子は頭いいから、なんか言われたらすぐ自分の行動顧みるだろう。不必要なくらいに。

「あー。ごめんカズミ。あたしそんな怒ってないから、んなソワソワせんでよし」

「あ、えっと、うん……」

 だからあたしは、カズミに対してきちんと説明をすることを覚え、そこで優しく接することを覚えようとしている。

 だって、あたしになんか言われて「ごめんね」って言ってくるカズミは見てていたたまれない。知らなかったとはいえあたしの勝手な事情なんだから、カズミにそこまで言われても困っちゃう。

 こうしてるとホントにあたしって悪い子みたいだなーって思ってしまう。同時に、こうやって素直に見てあげたらカズミってすげーいい子なんだなーって改めて思う。これでもうちょい見た目オシャレだったらモテモテなんじゃね?

 そんなことを今更になって思い直しているあたり、あたしが今までどれほどヒネていたかという話でもあるわけだが。

「ってか、マジで浅野どうしたんだろう?今日もそういやガッコ来てなかったな」

「ホントにね。一昨日の部活の時は何にもなかったと思うのに」

「……あんたが責任感じる必要ないよカズミ? 浅野がわけわかんない理由で勝手にトンズラしただけなんだから」

 言ってから去年トンズラしたあたしが何を言う、って思ったけどカズミはスルーしてくれる。

「でも、わけわかってないのは部長としてやっぱよくないもん」

「頭固いなー」

「カオリもなんかわかったら教えてね」

「うん。まー、わかることなんて何もないと思うけど」

「私の言ったこと気にして、浅野くんとケンカしないでね」

「しないよー。あたしも怒って悪かったってば」


 で、その後二人で色々と理由を考えてみたけど、浅野が突然退部した理由は思い当たらなかった。

 仕方ないから明日学校来たら聞いてみようってなってそのまま部活行ったんだけど、浅野は次の日になってもガッコ休んでた。

 なんなんだよ、理由聞くにもガッコこないんじゃ聞けないじゃん!

 肩透かしくらったあたしたちはそうやってモヤモヤしたままなんとなく部活やったりしてた。


 にしても浅野。

 部活からいなくなってもあたしにこうして迷惑をかけていくなんて、ある意味運命的なヤツかもしれん。

 運命的?

 こらこら、何ハズいこと言ってんだあたしは。運命とか軽々しく言うなって。


 そういうマジなこと言うと、痛々しいこと思い出されて痛々しいじゃん。もー。

 マジで。


 それから一週間経って、浅野がまだ来ないってことよりもキチンと日数数えてる自分がなんか恐かった。



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