第4話 リュウに初めて乗った日

一五八二年 三月 新府

幸村 十五歳


 もう、限界だ。

 幸村は思わず山道の地べたに座り込む。

 尻が水溜りにはまったがもうどうでもいい。

 三日三晩、飲まず食わず、一睡もせずに残党狩りから逃げ続けてきた幸村だったが、もう身体が動かなかった。

 一週間前、武田勝頼の本拠地、甲府の新府城に織田・徳川連合軍が急襲した。

 勝頼は城に火をつけ逃亡。

 幸村は父、母、兄、従兄弟達、侍女、その家族、総勢二十名近い者達と共に夜を徹して新府城から本拠地である上田に帰るべく逃げ続けていたのだが、三日目の夜に残党狩りに会い、幸村だけがはぐれてしまった。

 はぐれてから丸三日。

 新府から上田までは夜通し歩いて五日ほどの距離。

 本来なら上田に着いていてもいい頃なのだが、なぜか着くことができない。

 昨日の夜から霧のような雨が続いている。

 三月なのに風は真冬のような冷たさだった。

 いっそこのまま眠ってしまおうか。

 そしてそのまま息絶えてしまえたらどんなにラクだろう。

 幸村は思う。

 家康は殺したい。

 だが、今の俺からしてみれば遠すぎる夢だ。

 餓死しそうな一人の男に何ができるというのだ。

 その時、どこからか

「クキキキキキキ」

 という耳をつんざくような音が聞こえた。

 この音は。

 幸村は一瞬にして疲れも飢えも雨も寒さも忘れ、音の方へと走った。

 道のない藪の中をかきわけていくと、その音の正体がいた。

 一年前に高天神城で空を舞っていた赤い竜だった。

 それも家康に突撃していった小さい方。

 幸村は彼のおかげであの場から逃げることができた。

 しかし今、目の前にいるチビ赤竜は、徳川家の兵士に囲まれていた。

 翼には大量の矢が突き刺さっている。

 飛ぶことができないのだろう。

 徳川家の兵士は十人。

 勝てるか。

 幸村は考える。

 いや、あのチビ赤竜がいなければ今の俺はない。

 考えている場合ではない。

 ここで助けないでどうする。

 どうせ餓死しかけたこの命、最後に恩人のために燃え尽きるのもいい。

 十五の誕生日に勝頼から授かった愛刀「村正」を握り締め、幸村は敵を見る。

 十人の相手を片付けるには誰から切ればいいか。

 イメージができれば幸村の勝ちだ。

 いや。イメージができなくても突っ込む。

 十人のうち、何人かでも倒せれば、チビ赤竜のためにもなる。

 幸い、イメージができた。

 勝てる。

 幸村は足を踏み出した。

 一人、二人、三人、雨に紛れて次々と切り殺していく。

 小さい頃から佐助や才蔵と共に忍者の訓練を重ねてきた。

 その時のつらさに比べれば。

 四人、五人、六人、村正はよく切れた。

 七人、八人、九人、あと一人。

 十人。

 幸村は全員切った、途端、身体がガクンと崩れた。

 ロウソクの最後の灯火だったか。

 このまま死ぬことに後悔はない。

 チビ赤竜は幸村の方を見ながら震えていた。

 幸村は村正を地面に置く。

 おまえに敵意はない。

 という意思表示だったが、その途端、目の前が真っ暗になった。

 ああ、死ぬってこういうことなのか。


 目を開く。

 ここはどこだ。

 自分がどこにいるか分からない。

 目に見えるのは濡れた草木や地面。

 そうだった。チビ赤竜を助けようとしてそのまま倒れたのか。

 身体中が震えている。

 寒さで目が覚めたようだ。

 チビ赤竜はどうなった?

 チビ赤竜がいた方を見ると、倒れる前と変わらずそこにいた。

 矢の突き刺さった翼で身体全体を包み丸くなっている。

 雨脚が激しくなっている。

 まずは矢を抜かないと。

 幸村は震える身体でチビ赤竜に近づく。

 チビ赤竜は幸村の気配に気づくと、翼から顔を出し、睨みつけてきた。

 敵意のない旨を示そうと幸村は両手を上げる。

 それでもチビ赤竜はグルルルルと威嚇のうなり声をあげている。

 しかし、矢を抜かない限りチビ赤竜は飛べないし、傷も治らない。

 幸村はチビ赤竜に近づき、矢に手をかける。

 するとチビ赤竜は幸村を翼ではたいた。

 その衝撃に幸村の身体はふっとぶ。

 宙を舞い、地面に叩きつけられ、身体からはバキバキと嫌な音が聞こえる。

 それでも幸村は身体を起こし、チビ赤竜に近づく。

 しかし、またはたかれる。

 しかし、また近づく。

 またはたかれる。

 また近づく。

 何度か繰り返すと、さすがに幸村も足元がふらついてきた。

 なんとか矢を抜く方法はないものか。

 そうか。

 幸村は甲冑を脱ぎ、上半身裸になった。

 冷たい雨と風に目がくらむ。

 チビ赤竜は幸村の方を見ている。

 幸村は地面に転がっている木の枝を拾うと、自分の腕に突き刺した。

 その枝を抜き、出血したところを布で拭いた。

 そしてチビ赤竜を見ると、

「これがしたいんだよ」

 と言った。

 チビ赤竜に言葉は通じないだろうが、したいことは伝わったのではないか。

 幸村は改めてチビ赤竜に近づく。

 チビ赤竜は幸村をはたかなかった。

 静かに幸村を受け入れる。

「よし、いい子だ」

 幸村はチビ赤竜の翼に突き刺さっている矢に手をかけ、ひと思いに抜く。

「グギギギッ」

 チビ赤竜は鳴くが身体を動かさず我慢している。

 矢が刺さっていたところを丁寧に布で拭う。

 そうして次の矢を抜く。

 何本抜いただろうか。

 全ての矢を抜いたところで、幸村はまた気を失った。

 

 身体が暖かかった。

 小さい頃、夜、怖くて眠れない時、母の布団に入れてもらったことがある。

 その時のような暖かさだった。

 これが天国ってやつか。

 そう思いながら目を開けると、身体が赤い布に包まれていた。

 よくよく見ると布ではなく獣の皮膚だった。

 皮膚の所々には血がにじんでいる。

 チビ赤竜の翼だった。

 チビ赤竜は幸村を包みながらエメラルド色の目で幸村の目を見ていた。

 しばらく見つめあってからチビ赤竜は自分の首を幸村の身体に巻きつけてきた。

 締め殺す気だろうか。

 いや、それならどうして俺の身体を暖めた。

 幸村が思いを巡らせているとチビ赤竜はその首で幸村の身体を自分の背中に持っていった。

 そうして翼を思い切り広げた。

 飛べるのか? 

 これだけの傷を負って。

 雨は止み、空には青空が広がっている。

 チビ赤竜は少しずつ翼を動かす。

 血が噴き出し、それに伴いチビ赤竜の身体が震える。

 しかし、チビ赤竜は翼を動かし続けた。

「やめろ、無理だ」

 背中にいる幸村の言葉を聞かず、チビ赤竜は翼を動かし続ける。

 立ち上がろうとする生まれたての小鹿のような不器用さで。

「やめろって」

 やがてその身体がふわっと浮き、チビ赤竜は上空へとあがった。

「飛んだ」

 思わず言葉が出た。

 幸村は初めて空を飛んだ。

 空から見る景色はまさに天国のようだった。

 青空の下、甲府一面の山脈が見渡せる。

 そこからは帰るべき場所、上田城が見えた。

 すぐそこだった。

 幸村は懐かしさのあまり、無意識に上田城を指差した。

 すると、チビ赤竜は微笑み、うなずいた。気がした。

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