第2話 リュウとの出会い

一五八一年 三月 高天神城

真田幸村 十四歳


 とても理性のある人間がしていることとは思えなかった。

 高天神城から出てくる餓死寸前の武田軍を徳川軍が次々と殺していく。

 巣穴から出てくる蟻をぷちぷちと潰していくように。


 徳川軍が武田家の高天神城に攻めた時、新府城にいた武田家当主の武田勝頼は高天神城に援軍を出そうとした。

 だが家臣団がそれを許さなかった。

 だったら降伏を、と伝令を飛ばしたが、徳川軍は降伏を受け入れなかった。

 徳川軍は高天神城の周囲に砦を築き、兵糧攻めに持ち込んだ。

 半年間、高天神城は何度も降伏を徳川軍に申し入れたが全て跳ね除けられた。

 なぜ降伏を受けいれてくれなかったのかは解らない。

 高天神城の兵糧が尽きた時、幸村は勝頼に呼ばれ、高天神城の城主である岡部元信に手紙を届けてほしいと新府城から高天神城へと向かわされた。

 なぜ幸村が呼ばれたのか。

 それは元信が幸村を孫のように可愛がっていたからだ。

 元信は六年前の長篠の戦い以降、高天神城を家康から守り続けてきた。

 その防衛能力の高さは勝頼はもちろん、幸村の父、昌幸も認めており、幸村は年に数回、元信から防衛術を学ぶため、高天神城を訪れていた。

 元信は幸村が来ると喜び、滅多に捕れない鯛を準備しては振舞った。

 また、高天神城をよく知る幸村なら深夜に城内に忍び込むことぐらいは容易い。

 徳川軍の目を潜り抜け、無事城内に忍び込んだ幸村が勝頼から預かった手紙を元信に渡すと、元信はしばらく読みふけた後「この城に入った時から生きて帰ろうなどとは思っておらぬわ」と豪快に笑った。そして一言、

「幸村、鯛を準備できずにすまんなぁ」

 と頭を下げた。

 元信はもちろん、城兵はみな痩せこけていた。

 幸村は全力で頭を横に振った。

 高天神城では会う人会う人皆、笑顔で幸村に話しかけてきた。

 勝頼様は元気か?

 新府城はどこまでできた?

 今度はいつ来るんだ?

 皆、幸村が好きだった。


 元信の最後の勇姿を勝頼に報告すべく、幸村は山陰から高天神城の様子を見ていた。

 翌朝、元信率いる武田軍の徳川軍への突撃が始まった。

 雑草が切られるように易々と殺されていく武田軍。

 皆、知った顔だった。

 その様子を徳川軍の後ろで徳川家康が見ていた。

 金の甲冑に青の肩当、馬印である金扇の下で座っている。

 幸村は家康の外見の詳細を勝頼から毎日聞かされていた。

 いつでも殺せるように。

 家康は笑っていた。

 殺されていく人間を見て、笑っていた。

 六年前の長篠の戦い、叔父達が殺されたあの戦いの時もこうやって、遠くから見ながら笑っていたのだろうか。

 長篠の戦い出陣の前夜。

 幸村はまだ八歳だったが勝頼と幸村の父昌幸と父の二人の兄である信綱、昌輝のの計らいで、出陣する武将達が集う酒の席に招待されていた。

 そこには山形昌景、馬場信春、内藤昌秀といった武田家歴戦の勇者達もいた。

 勝頼はそこで幸村を皆に紹介した。

 いずれは肩を並べて助け合う仲間達だと。

 やせっぽちの身体にボサボサの髪。なんの役にも立たなそうな幸村を、誰一人子供扱いせず、皆、豪快で、優しく迎えてくれた。

 しかし、そのほとんどが長篠の戦いから戻らなかった。

 今でもあの酒の席での皆の笑顔は幸村の脳裏に焼きついている。

 家康は叔父達の仇、そして武田家の仇だ。

 今こそ、家康を殺す絶好の機会なのではないか。

 家康の周辺には小姓や兵士達の護衛がいるが、今は勝ち戦に油断しきっている。

 これ以上、高天神城の人が死ぬのを見たくない。

 勝頼様のために、元信のために、そして武田家のために、俺は家康を殺す。

 幸村は獣のような速さで山を駆け下り、家康の背後に向かった。

 誰にも気づかれず家康の背中を捕えられる距離まで忍び寄る。

 家康の護衛は後ろを全く注意していない。

 今なら殺せる。

 短刀を手に幸村は家康の背後に飛んだ。

 誰にも気づかれていない。

 刀が届く所に家康の首があった。

 獲った!

 しかし、浮いていたのは家康の首ではなく、幸村の身体だった。

 幸村は何者かに背中から羽交い絞めにされていた。

 身体の自由が一切利かなかった。

 ツボというツボを全て抑えられている。

 こんなことができる人間が徳川にもいるのか。

 幸村は捕らえられながらも感心していた。

 仮にも自分は忍びの出だ。その自分を羽交い絞めにするとは。

「釣れたか」

 家康は幸村の方を振り返る。

 猫背に中肉中背、狸みたいな外見だ。

 こんな奴が強いとは思えない。

「真田のせがれだな。やけに簡単に城に入れるとは思わんかったか」

 家康は幸村が高天神城に入るのを見逃していた。

「そうだ、おまえにいいものを見せてやろう」

 家康は小姓に指示を出し、何かを持ってこさせた。

 板に乗った生首。

「さっきあがったばかりでな」

 それは元信の首だった。

 幸村は変わり果てた元信の姿を見て思わず叫んだ。

「家康!」

「ふん、弱い犬ほどよく吠える。半蔵」

「はっ」

 幸村の背後で半蔵と呼ばれた男が返事をする。

 幸村は怒りながらも納得した。

 伊賀忍者の頭領、服部半蔵ならば自分が動けるはずもない。

「殺せ」

 家康が命じる。

「はっ」

 幸村は家康を睨みつける。

 この男だけは許せない。

 許せないが、今の自分には何もできない。

 せめて睨みながら死んでやる。

 俺の視線を地獄まで忘れないように。

 家康は俺の方を見ず空を見上げていた。

 死にゆく人間には興味無しか。

 いや、違う。

 空を見上げているのではない。

 空に何かいるのだ。

 家康の目は明らかに何かに驚いていた。

 幸村も空を見上げる。

 そこには巨大な鳥が二体飛んでいた。

 いや、鳥ではない。

 竜だ。

 トカゲのような胴体に身体の何倍もある翼。

 全身が血のように鮮やかに赤い。

 神話や伝説の世界にしか登場しない想像上の生き物だと幸村は思っていた。

 はるかに想像を超えた大きさをしている。

 二体の大きさは全然違う。親子だろうか。

 大きい方は高天神城ほどあり、小さい方はそれでも民家一軒分ほどある。

 二体の竜は巨大な羽音をたてていた。

 家康をはじめ半蔵、周りの小姓、兵士全員が竜を見上げていた。

 幸村も逃げるのを忘れ見上げていた。

 二体の竜はじっと、家康を見ていた。

 しかし、なぜ家康を見ているのだろうか。

 幸村がそう思っていると、急遽小さい方の竜が家康に向かって急降下を始めた。

「クキキキキキキキ」

 と耳をふさぎたくなるような鳴き声をあげながら。

 家康周辺がパニックになり、家康も頭を抱えてしゃがみこむ。

 その瞬間、幸村の身体が自由になった。

 逃げられる。

 幸村は咄嗟に身体を反転させると逃げた。

 振り返ることなく、ただがむしゃらに。

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