第9話:カミーにいったい、何をした……?
ディーナとペチェが目を覚ましたのは、東屋の廊下の柱時計が、夕方の六時を告げる鐘を鳴らした時だった。
パチッと目を開けたディーナは、腕の中でスヤスヤと眠るペチェを見て優しく微笑んだ。
泣き過ぎて疲れたペチェと、考え過ぎて疲れたディーナは、共にディーナの部屋の一つのベッドでいつの間にか眠っていたのだった。
いつものように、クワ~っと大口を開けて欠伸をし、ベッドから降りてストレッチをするディーナ。
すると、ペチェが目を覚ました。
「……あれ? 私、寝てました?」
目を擦りながら起き上ったペチェが、何気なく口にした「私」という言葉が、ディーナにはやけに新鮮で、なぜか嬉しかった。
「まだ夕刻だ。疲れているのなら眠っていても大丈夫だ」
優しい口調のディーナ。
「……ディーナさんは? どこかへ行くんですか?」
「そうだな。少し、調べたい事がある……」
一瞬で、キリリとした仕事の顔になるディーナ。
すると、ペチェは少し俯いて、何かを考えてから言った。
「ついて行ってもいいですか?」
先ほどまで泣きじゃくっていたとは思えないほど、ペチェの瞳には強い意志が現れている。
それを感じ取ったディーナは、首を縦に振った。
東の空から夕闇が近付くこの時間、討伐隊の者たちは思い思いの時間を過ごしているようだ。
しかしながら、交代で解体部屋の見張りをすると言っていたカミーとウィーダスの姿はどこにも見当たらなかった。
ディーナとペチェは、広い屋敷の周りを歩く。
もう既に、昨晩仕留められたミドヌーの解体は終了したのだろう、屋敷の裏庭にある焼却炉の中では炎が躍り、轟々と音を立てて燃え上がっている。
そこから伸びる煙突は、黒い煙をもうもうと吐き出して、辺りには生き物が焼かれている臭いが漂う。
さすがのディーナも、その臭いには顔をしかめた。
「何も、聞こえませんね……」
ずっと何も話さず後ろをついてきていたペチェがそう言った。
どうやら、ペチェもディーナと同じ事を考えていたようだ。
「この屋敷のどこかにいると思うか? ミドヌーの子どもが」
ディーナの言葉に、ペチェが頷く。
二人が考えている事は、一つだった。
「さっき、ディーナさんと話していて、気付いたんです。ミドヌーは夜行性の生き物じゃないのに、小麦畑を荒らす時間は決まって真夜中から朝方……。普通なら有り得ない事です。そして、あの雌ミドヌーの言葉……。あのミドヌーは子どもを探していた。もし本当に、ミドヌーにしか聞こえない、子ミドヌーにしか出せない声があるとして、夜中にそれを聞いた大人のミドヌーたちはどう行動するだろうか……。夜目に強いわけでもない、小麦を食べるわけでもないのに、畑に入るミドヌーたち……。間違いなく、子どもを探しているんです。だとしたら……、答えは一つしかありません。この近くに、子ミドヌーがいるはずです。それも、きっと……」
「……囚われている?」
「はい。そう思います」
自分だけでは整理できなかった全ての事を、ペチェが順序立てて説明してくれた事によって、ディーナはようやく、絡み合った全ての糸を解く事ができた。
カミーとウィーダスが追っている違法麻薬は、間違いなくここで、ミドヌーの瘤から採れる毒で作られているに違いない。
そして、材料となるミドヌーを手に入れるために、この屋敷の近くで子ミドヌーを捕まえて、鳴かせて、大人のミドヌーたちをおびき寄せているのだ。
それも、夜目の効かないミドヌーたちを仕留めやすいように、真夜中の時間帯を狙って……。
昨晩、雌ミドヌーに対峙した時、相手が足を追って伏したのは、おそらく身を守る為だ。
夜目の効かないミドヌーにとって、夜の戦いは不利であり、ああやって防御する以外に命を守る方法を知らなかったのだろう。
そして、左方から突進してきた三頭のミドヌーたち。
あの俊敏性をもってすれば、ペチェの作った根の壁に激突するまでもなかったはず。
なのに正面からぶつかったという事は、それ即ち、見えていなかったという事だ。
彼らは夜行性の生物ではない……、夜に行動するなど、異常事態以外の何ものでもない。
この時期、彼らにとっての異常事態とは、子どもの行方不明に他ならない……。
きっと、ミドヌーの生態や、その瘤にある猛毒の存在を知らなければ、ディーナがここまでの考えに至る事は出来なかっただろう。
隣で、まだ尖った耳を澄ませて、子ミドヌーの声が聞こえやしないかと集中しているペチェを見下ろして、ディーナは思う。
小さくひ弱でも、ペチェはこの世界にとって、私にとって必要な存在だ、と……。
夜になった。
部屋に戻ったディーナは、ペチェに違法薬物の事を話して聞かせた。
それを聞いたペチェは、絶対にそうだと言って、怒り出した。
「酷いっ! 何も悪い事なんてしていない、大人しい野生のミドヌーをそんな事に利用するなんて……。酷過ぎるっ!」
小さく握り締めた拳が、震えていた。
一刻も早く、カミーとウィーダスに知らせなければと、屋敷をくまなく探したディーナだったが、やはり二人の姿は見当たらなかった。
そして時間は過ぎ、玄関ホールに集まる夜の十時になった。
「それじゃあみんな、今日も警備についてくれ!」
集まった討伐隊の者たちの真ん中に立って、指揮をとっているのはカミ―ではなく、ウィーダスだった。
「カミーはどうした?」
不思議に思ったディーナが、ウィーダスに訊ねる。
「あぁ、あいつは一度ビリザードに戻った。先ほど南部隊から伝書鳩が届いてな……。なに、用が済んだらきっとすぐに戻ってくるさ。しばらくは俺たちだけで頑張ろうぜ?」
ウィーダスの言葉に、ディーナは違和感を感じた。
「……見張りは、どうだったんだ?」
「それがな、何もなかったって、カミーが言ってたんだ。使用人たちはあの部屋の奥から解体包丁などを出してきて、解体処分をきっちりやっていた。何も怪しいところはなかった、てな。もしかしたら、カミーがビリザードに呼び戻されたのもそれが理由かも知れねぇ……。つまり、ここは白だってわけさ」
ニッコリと笑って見せるウィーダス。
しかしディーナは、気付いていた。
「お前、風呂には入ったのか?」
「えっ!? あ、あぁ、風呂か……? 悪いがまだだな。臭うだろう? ミドヌーの血だ、すまんな」
ウィーダスの返答に、ディーナは確信した。
「いや、いい。行こう」
ウィーダスに背を向けて、ペチェを連れて夜の小麦畑へ歩き出す。
「……ディーナさん? 大丈夫ですか?」
足早に歩くディーナに、ペチェが不安気な声を出す。
しかしながら、その声はおそらく、ディーナの耳には届いていない。
その瞳には、いつもは押し殺している野生剥き出しの殺意と、強い怒りがあった。
「……あの、ここで、何を?」
比較的背の高い小麦の陰に隠れて、身を低くし、じっと息を殺すディーナに対し、同じようにその隣で息を殺しているペチェが訊ねる。
屋敷からさほど離れていないこの場所で、ディーナとペチェは、小一時間ほどこうしていた。
ディーナは、屋敷から討伐隊の者が出払って手薄になり、事が始まるのをジッと待っているのだ。
先ほどのウィーダスの様子は、明らかにおかしかった。
あれだけこの屋敷を怪しんでいた奴が、たった一度の見張りで、今日何もなかっただけで、なぜこの場所を白かも知れないなどと言えるのか。
一軍人にしては、考えが軽率ずぎる。
それに、あの臭い……。
ミドヌーの血に混じって、微かに臭う、嗅いだ事のある臭い。
あれは間違いなく、カミーの血の臭いだ。
幼い頃、何度も何度も自分に挑んできては傷を負っていた、あの時のカミーの血の臭いを、ディーナが忘れるはずがない。
あいつ……、カミーにいったい、何をした……?
ディーナは、殺意のこもった鋭い瞳をじっと屋敷に向けて、何かが起きるのを待っていた。
そして、遂にそれは起きた。
「フューン、フューン……、フューン……」
微かに聞こえる、高い音。
決して聞き取りやすいとはいえない、消え入りそうな鳴き声。
何かが助けを求めているような、悲痛な叫び……。
「……聞こえますか? どこかで、誰かが泣いている」
ペチェが、尖った耳を澄ませてそう言った。
「どこから聞こえる?」
ディーナの問い掛けに、ペチェが真っ直ぐに指差したのは、小麦畑の中に突如として現れる大きな屋敷の外側の……、解体部屋へと繋がる扉だった。
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