第5話:ご、ごめんなさいぃ〜
「今夜は収穫なしか……。みんなご苦労だった! 部屋に戻って休息をとってくれ! 明日も夜の十時にこの玄関ホールに集合だ! それまでは自由にしていてくれ」
屋敷にディーナたち討伐隊が戻ったのは、東の空が少し明るみ始める朝の五時頃だった。
カミーの指示に従い、玄関ホールに集まっていた討伐隊の者たちはみんな、バラバラと東屋の自室へと戻っていく。
「目撃もされなかったのか?」
まだ目が冴えているのか、珍しくディーナがカミーに話し掛けた。
「あぁ。さすがにこの大人数で待ち構えていたんだ、無理もない。奴らも馬鹿じゃないって事だ……。けれど、いずれ現状に慣れて姿を現すさ。その時が狩り時だ!」
目の下に隈を作っている辺り、どうやらカミーは夜は苦手なようだ。
ナチュラルハイな様子で拳を振り上げるも、足元はふらついている。
「そうだな……。お前も、ゆっくり休めよ」
カミーの体を気遣ってそう言ったディーナだったが、何事においてもディーナに負けたくないカミーは、「これくらい平気だっ!」と強がりを言って、走って自室に戻って行った。
「僕も、部屋に戻っていますね」
特に疲れた様子でもないペチェも、自室へと戻って行った。
さて、どうしたものか……。
ディーナは、玄関ホールを見渡す。
まだ使用人は誰も起きていないらしく、薄暗い屋敷内は静まり返っている。
前日、この館に初めて足を踏み入れた際、ディーナは妙な臭いを嗅ぎ取っていた。
その臭いは今も変わらず、ここに漂っている。
最初は、討伐隊の中に数名いる獣人の放つ獣臭かと考えたが、どうも違ったようだ。
クンクンと鼻を動かして、臭いの出所を探る。
本来の姿、即ち、フェンリルという魔獣の姿に戻ってしまえば、嗅覚は今より数段アップする。
そうすれば、この臭いがどこから漂って来ているもので、何の臭いなのかもすぐさま解るのだが……、生憎、ここではそれは無理な話だ。
微かに感じ取れる臭いを頼りに、足を進める。
東屋とは別の方向へと進み、館の奥に続く廊下を歩いて、ディーナが辿り着いたのは大きな扉の前だった。
その扉には板が渡してあり、三つの大きな南京錠が掛けられている。
えらく頑丈にしてあるもんだと、不思議に思うディーナ。
その扉の向こう側から漂っている、妙な臭い。
これだけ近付けば、さすがにその臭いが何なのか、見当はついている。
腐った肉と、血の臭い……、そして、生き物の焼けた後の臭いだ。
しかし、それだけではディーナが妙な臭いだと思うはずがない。
それらに混じって漂ってくる、油のような臭いと、何かの薬品のような臭い……。
その正体にいまいち確証が持てないのは、未だかつてディーナが嗅いだ事のない臭いであるからだろう。
だがしかし、これはもはや事件であることは間違いない。
小麦畑の真ん中にある、大地主が所有する屋敷の中から漂う臭いにしては異質過ぎる。
ローザンの言っていたのはこの事か……、そう考えていた時、ディーナの獣耳が、背後に迫る者の足音を捉えた。
相手はディーナに気付かれないようにと、わざと歩みを遅くしているようだ。
距離は約五メートルというところだろうか……、すぐさま振り返っては怪しまれるな……。
ディーナは、さも困った風に頭を掻きながら、ゆっくりと背後を振り返った。
「オード様、こちらで何を?」
後ろに立っていたのは、館の使用人の一人、ドルクだ。
「あぁ、良かった。迷ったんだ」
少し驚いて、そして安心したふりをして、返すディーナ。
しかし、その瞳は鋭く、目の前の相手に決して隙を与えないものだった。
「左様でございますか。屋敷内は広いゆえ、迷われるのも無理ございません」
愛想の良い作り笑顔で、ドルクが答える。
「……この扉の向こうは?」
ディーナが訊ねる。
「そちらのお部屋には、外から直に続いている扉がありまして……。先日、我々使用人が力を合わせて仕留めたミドヌーを、その部屋にて解体致しました。もしや、血の臭いでも?」
表情一つ変えず、淡々と話すドルクの様子から、嘘はついていないだろうとディーナは判断する。
「まぁな……。しかし、なぜ解体を? そのまま軍に引き渡せばいいものを」
ディーナの言葉に、ドルクの眉がピクリと動く。
その動きをディーナが見逃すわけもなく、こいつ何か隠しているな……、とディーナは警戒心を強めた。
「本来ならそうするべきなのでしょうが……。ここはスレーンの森近く、町からは遠く離れております。国営軍に知らせを届けて待っている間に、肉は腐って悪臭を放ち、とても耐えられるものではありません。それに、オード様も知っていらっしゃるでしょうが、ミドヌーは巨体中の巨体。とてもじゃありませんが、ここより町まで運ぶ方法はありませんゆえ、処分もこの屋敷で行われます。そうなると、軍の方々に、死体の処分の為だけにここまで御足労頂くのも申し訳ないと、主人の命令で私どもが処分をしているのでございます」
丁寧な口調ながらも、どこか、何かを知られまいとしているドルクの様を、冷ややかな目で見守るディーナ。
「もし、お気になるようでしたら中をご覧になりますか? 少しばかり血生臭さが残っているやも知れませんが……。ちなみに、解体したものは屋敷の裏にある焼却炉で焼却済みですので、ミドヌーであった物は何一つ残されておりません」
ドルクの言葉にディーナは、今ここで中を見るべきか迷ったが……。
「……いや、いい。済まないが、東屋まで案内してくれないか?」
「承知いたしました。さぁさ、こちらです」
ドルクが一緒だといろいろとやり辛いと感じたのだろう、ディーナはドルクに連れられて東屋へと戻って行った。
チャポーン。
小気味いい水音を立てて、ディーナは湯に浸かる。
東屋に作りつけられた風呂場は、大層広く豪華なものだった。
火の魔法を使える使用人が起きていたので、風呂釜に溜めた水を湯に変えてくれるよう頼んだところ、快く引き受けてくれたのだ。
湯に浸かるなど何年ぶりだろうかと、ぼんやり考えるディーナ。
この国には科学技術がない、という事は、もちろんガスも存在しないのだ。
貴族や地主など、金を持つ者はこのように、火の魔法を使える使用人を雇えば毎日でも簡単に湯に浸かる事ができるのだろうが、平民及びディーナのような定職に就いていない者などは、温かい湯のはられた風呂釜になど滅多にお目にかかれないのである。
その美しい顔、髪、肢体に、これでもかと湯を浴びて、寛ぐ。
すると、浴室の扉が開く音がした。
しかしながら、女湯と男湯は分けられていたし、討伐隊の中に女は自分一人のはずだ。
どこぞの馬鹿が大胆にも覗きに来たのかと、殺意の籠った目で扉の方向を睨むディーナ。
するとそこに現れたのは……。
「わわっ!? デ、ディーナさんっ!? えぇっ!? どうしてぇっ!??」
薄い麻のタオルを全身に巻いた、素っ裸のペチェだった。
獣人まがいのディーナと、男のはずだったペチェは、並んで湯に浸かっていた。
お互いに、何やら気まずいようで、背を向け合っている。
「ディーナさん……、女性だったんですね……」
おずおずとした様子で、声を発したのはペチェだ。
「……そっちこそ、女だったんだな」
自分が男だと思われていた事よりも、ペチェが女の子であった事の方が、ディーナにとっては衝撃的だった。
「すみません、隠していたわけじゃないんですけど……。外界に出るにあたって、女性だとばれると危ない目に遭うって、村長様に言われて……。だから、自分の事も僕って言って、服装も変えて、男性のフリをしていたんです……」
ペチェの言葉に、なるほどな、と納得しつつも、見事してやられたなとディーナは思う。
男特有の嫌な臭いがしなかったのも当然だ、と……。
しかしまぁ、こうなるまで気付かなかったのだ、ペチェの変装は見事なものだった。
「……上手く騙せていたぞ、良かったな」
精一杯の、ディーナなりのフォローだ。
「あ、ありがとうございます。でも、ごめんなさい……。てっきりディーナさんの事……、男性だと思っていて……」
申し訳なさそうに謝るペチェ。
しかし、その点について、ディーナは何とも思っていない。
むしろ、女扱いされる事の方に嫌悪感を抱いてしまう質なのだ。
「大丈夫だ、慣れている」
気にしていない、という事を伝えたかっただけなのだが、ペチェはより小さくなる。
「ご、ごめんなさいぃ~」
そんなペチェを他所にディーナは、なんだそうか、女だったのか……、じゃあ全然、同室でも良かったな……、などと呑気に考えるのだった。
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