宙の上の猫

空吹 四季

宙の上の猫

 あの仔が、名前の通りに天へいってしまったのは、そう、確か十一月の寒い頃。薄暗くなった夕方に、ウィンドブレーカーを着込んで庭の隅に穴を掘った。天へいったはずなのに体を土に埋めてしまうことへの抵抗感。それを努めて無視しながら、穴を掘って掘って、あの仔を埋めたのは、もう何年前になるのだろう。


 茫と夜空を見上げて、そんなことを思い出した。吐き出した紫煙が、冷えた空気に流されて霧散する。

 月が、綺麗だ。


*   *   *


 あの仔――数年前に死んでしまった黒猫は、まるで冴え冴えとした夜に浮かぶ満月のような眼をしていた。レモンイエローに、少しだけ翠を溶かしたような、綺麗な眼だった。

 庭から聞こえた仔猫の、助けを呼ぶみたいな鳴き声が放っておけなくて、みゃあみゃあ鳴く声を探して歩いて、やせっぽちのあの仔を見付けて抱き上げたんだ。

 急いで暖かい場所へ連れて行って、置いて行くのは心配だったけれど、一番近いスーパーまで自転車を飛ばして仔猫用の餌を買ってきて食べさせて、目ヤニを拭いて、ノミの駆除薬を少しだけつけてあげて。それから、それから――とにかく必死だった。

 

何日かして様子が落ち着いた頃、ごめんと思いながらシャンプーをした。最初こそ嫌がって暴れたけれど、諦めたみたいにおとなしくなって、疲れたんだろう、ドライヤーをあてている間に眠ってしまった。

 そうっと運んでクッションに乗せて、すぴすぴ眠る姿を眺めて、思った。長い尻尾、汚れが落ちた毛並みは柔らかく流れる黒蜜みたいにつやつやで、綺麗な仔だと、思ったんだ。

 丸い月みたいなくりくりの眼も相まって、まるで夜が猫の姿になったような、そんな仔だった。

私は、それからあの仔を天深―—あまみ、と呼ぶようになった。


 懐いてくれるかどうか不安だったけど、きっと今まで寂しかったんだろう、すぐに甘えてくれるようになって、私も寂しかったから、出来る限り一緒に過ごした。

そんな日々は、決して長くは続かなかったけれど。


ある日バイトから帰ってくると、あまみは荒い呼吸でぐったりとしていた。どうしよう、と思った。混乱する頭の中とは裏腹に、体は勝手に動いていた。猫を飼っているバイト仲間に電話をし、猫用キャリーを借りて、通りがかりのタクシーを拾って教わった動物病院へ急いだ。

結果は、親猫の血液型による初乳の影響が遅く出たのか免疫に異常が出ている――という、猫に詳しくなかった私が初めて耳にするものだった。どうするのかを尋ねられた。安楽死をさせるか、傍において看取るか。

私は、あまみの傍に居たかった。あまみはすごく苦しいのだろうとは思った。けれど、私はあまみの傍にいたいという私のエゴを優先してしまったんだ。


バイト仲間たちの厚意で私は暫く仕事のシフトを入れず、一日殆どの時間をあまみの傍で過ごした。そうした三日後だった。

あまみは、震える脚で立ち上がって、私を見て、にゃあと一声鳴いて、まんまるの月みたいな眼を閉じて、そしてもう動かなかった。


*   *  *   


無知だったと思う。ちいさな命を引き受けるには、あまりにも。

それでも、私はあの仔と一緒に過ごした時間を大切だと思うし、寂しそうな鳴き声に手を伸ばしたことを後悔してはいない。


月が、綺麗だ。まるであの仔の眼みたいだ。

「きれいだね、あまみ」


頬を切るような風に乗って、あの日の猫の鳴き声が聞こえたような気がした。

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宙の上の猫 空吹 四季 @Trauma_Rock

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