転感性空言
かべのくは
1, 6月の終わり。少年の空言。
嘘、本当、本当、嘘、本当、嘘。
教卓から少し離れている、板書をとるにはかなり適した席。そこで俺は、教室後方で繰り広げられるスクールカースト最上位五人の喧騒を薄い目で眺めていた。
言葉のマシンガンという言葉がふさわしいほどに彼らの会話は教室の後方で絶え間無く続いて行く。
しばらくして、話題が芸能人の話から最近の恋愛事情に転換したようだ。言葉が流れるにつれて声量も増し、比例するように形容し難い迫力が勢力を強めている。五人の周りはぽっかりと空間が空いており、雰囲気が人を押し返しているかのようだった。
最初に話し始めたのは、一年生にして水泳部の副部長、加えてクラス委員を同時に務め、いかにもリーダー格といった男子。同じ塾に通う他校の女子生徒が気になっているらしい。
笑顔は本物。だが、目線が少し泳いでいる。加えてこの話題に入ってから左足の貧乏ゆすりが加速した。
ダウト。嘘だ。
笑顔から推測すると、気になる女子がいるのは真実のように思える。だがおそらく同じ塾ではなく、この学校の生徒だろう。変にからかわれるのを避けるのが目的のようだ。
続いて話し始めたのは、同じくクラス委員を務めるメガネをかけた少しおとなしめの女子。彼女は特に気になっている人間はいないという。
声に不自然な震えもなく、加えて少しまゆの端が下がった。話題に乗れず、少し寂しさを感じているらしい。どうやら本当のようだ。
それでは面白くない、隠しているのではないかと周りの人間からは疑いの声が飛び交っているが。
些細な戸惑い、微かな良心の抵抗。そういったものを要因として、人間は嘘とともに疑いの種を無意識に振りまく。どんな些細な嘘であっても、それは生じる。
それを見破るために他人の吐く言葉全てに対して疑ってかかるなんてことはやってられない。だが、集中すればなんとなくそれは嗅ぎとれてしまう。
これまでの体験上、俺はそれが得意な方なのだと自負している。現に今までのあいつらの会話は、嘘と真実の割合はおよそ一対一ぐらいだと予想することができた。
この推測が正しいのであれば、クラスの上部では思っていた以上にドロドロと血生臭いカースト争いが繰り広げられていることになる。プライドと威厳を保つのは、なかなかに大変らしい。
推測があっている保証はない。だが、別にこの結果を用いてあいつらに下克上を挑もうなどという考えはないので自ら答え合わせをするために動く気もない。
そのため相手が気を緩めボロを出した時、初めて予想の真偽がわかる。ここ数年の予想的中率はほぼ百パーセント。たまにボロを出すふりをしてもう一段階嘘を被せてくる奴もいるが、そのパターンの予想も含めてこの確率だ。
人は平気で嘘をつく。それに対してとやかくいうつもりはないが、壮大な嘘をつく癖に、それを見破れないようにする嘘はお粗末な奴が多い。何事もアフターケアが大事だというのに。
少し調子の良い自分語りを含めた思案を巡らせていると、後方からガラガラと扉の開く音が聞こえた。続けて、若い男性の声が響く。
「
俺だ。
まさか自分の名前が上がるとは思っていなかった。
動揺しつつも身体を百八十度回転させ、俺を呼んだ、見覚えのある教師の方に向き直る。
「はい。俺ですけど…何かありましたか」
教師は俺と目があったのを確認すると、再び口を開いた。
「文芸部の顧問の先生がなんだか君を探してたけど、特に何も聞いてない?」
聞いていない。
「えっ、本当ですか。今日の昼休みは何も呼びたてはないはずなんですけど…」
自分の所属している文芸部は、部員が集合して活動することはあまりなく、一ヶ月に一回発行する部誌用の作品を各自持ち寄る時ぐらいだ。昼休みに呼び出しが、しかも個人でというのはあまりにも珍しい。
「クラスには来なかった? あの先生かなり真面目だし、部員のクラス把握してないなんてことはないはずだけど、」
「俺は見てないですね…。あ、俺四限が終わった後すぐ購買行ってたから、入れ違いになっちゃったのかもしれないです。」
「なるほど。昼休みだから面倒かもしれないけど、あの先生結構いろんなとこ歩き回って探してたから、一応会ってあげた方がいい」
「そうですね…。わかりました、探してみます。」
ここで会話は途切れ、教師は軽く会釈をした後、身を翻し教室を後にした。
この昼休みは特に他の用事もなく、昼食も食べ終わりこの後は暇なため、後に続くような形で俺も教室をでる。
顧問自身が俺を探し回っているのなら、俺自身も動くというのはあまり効率が良いとは言えない。ならば、一通り校内を探索し終わった顧問を職員室で逆に待ち伏せるのが得策だろう。
この高校の校舎は広すぎず狭すぎずといったところだし、自分が教室を離れていたのは昼休み最初の十分程度なので、入れ違いになっているなら今頃校内のほとんどを歩き尽くしているはずだ。そろそろ諦めて一度戻ってくる頃合いに違いない。
考えを固めた俺は、早速職員室へと歩みを進めた。
職員室前の廊下の壁にもたれかかっていること数分。廊下突き当たりの曲がり角から見覚えのある人影が姿をを表た。
少しがっしりとした体つきと、遠目でもわかる癖っ毛。顔を合わせた回数はまだ少ないが一目でわかる。文芸部の顧問だ。上半身を上下させているため、明らかに疲労困憊といった感じだ。
人影をこちらを認識したかのような素振りを見せると、先ほどの疲労はどこへいったのか、といった全力の競歩でこちらに近づいてきた。
その迫力は、これまでの俺の顧問の行動に関する予想が全て合致していたという真実を物語るには十分すぎるもの出会った。
顧問は、獲物を追う獣のような勢いで俺の前まで来ると、一呼吸おいて膝から崩れ落ちた。
「はぁ、楠木さぁ、何処居たんだよ…。学校中探してもいなかったじゃん…げほっ。クラスにもいないかったしさ…」
「先生が俺のクラス来たの、四限終わってすぐですよね」
「え、そうだけど…まさかお前」
「購買の十食限定スペシャルサンドイッチ買いに行ってました」
「おいぃ! 先生だってあれ買いたかったけどお前探すために我慢したんだぞ! 月一回しか販売されないのに…せっかくの苦渋の決断を…」
「あれ人気なんだから、誰でも狙いに行くでしょう。買いに行ってからクラスに来てたら、入れ違いにもならず一石二鳥だったのに。いやぁそれにしてもサンドイッチ美味しかったなぁ…」
「この野郎ぉぉぉぉぉ!」
この先生は、このような生徒からのからかいにも乗っかってくれ、加えてしっかりする所はしっかり筋を通してくれる。ふざけるにも、正すにも真面目な先生だ。生徒からの評判はかなりいい。
軽い馬鹿話とじゃれ合いを一通りした後に、俺は本題を切り出す。
「それで先生、用事があるんですよね。息切れするまで俺を探すってことはかなり大事な」
「あ、そうそう。聞いてくれよ」
「愚痴は勘弁してください」
「違うわ! いや実はな、文芸部に新入部員が来そうなんだよ」
「へぇ」
「…」
「…え、それだけ?めっちゃいいことじゃないですか」
「いや、それがな。うーん」
何事もまっすぐ突っ込んで来るこの先生が口ごもるのは珍しい。それほど面倒臭い部員なのだろうか。
何より俺は部員の中で特別な人間ではない。部長などの重要な立場についていないし、まずまだ高校一年生。三年生の先輩もまだ引退していない。
「部長とかには話さなくていいんですか? 何か大事なことならそうした方がいいですよ」
「いや、この件はお前が一番深く関係していることなんだ。部長とかが出て来てどうにかできる内容じゃないんだよ」
少し口ごもっていた態度が一変して、はっきりと言い切る。舌と歯の動きも強くなり破裂音もよりハキハキと聞こえた。嘘をついている人間の弱々しさは一切見られない。
俺にしか関係ないこと。しかも先生はこの件と言い表した。どうやら新入部員自体のみの問題ではないらしい。
正直、面倒事の匂いしかしないため話を適当に切り上げてさっさと立ち去ってしまいたいところだ。
しかし、この先まだ二年もある高校生活を過ごしやすくするため、さっさと問題を解決して名声を手に入れたり、媚を売っておくのが最善の選択だろう。
俺は姿勢を正して先生の目をしっかりと見つつ、少しだけ語気を強め、かつ優しさを含んだ口調で言葉を紡ぐ。
「先生、さっき自分愚痴は勘弁っていいましたけど、もう愚痴混じりだったとしてもいいですから話してください。僕にとってはこの先、文芸部での活動に滞りがでる方がよっぽど問題です。」
文頭に軽いジョークを挟むことにより場の雰囲気を少し和ませ、すぐに本題を口に出す。緊迫した空気の中では何を言っても相手に抵抗感を与えてしまうことが多い。
加えて最後には、少し洒落た表現を交えて相手が喜ぶ文章、いわゆる優等生が口にするようなことを付け加える。
これはおまけのようなもので、運がよければ相手の心を良い方向に揺さぶり、今後の話の進行をよくできる。格好つけていると哀れに思われても問題はない。
不思議なもので、人は一度哀れんだり、不思議、変だと思った人間を疑いにくい傾向にある。少し弱みが見えているように錯覚し、それが安堵と油断を生んでいるのだろう。
こうやって俺は、面倒だと思う自分の心と、それを見透かされないようにするために先生に対して「完璧」な嘘をつく。
他人の嘘を見抜けるようになることで、どんな嘘が見抜きやすいか、逆にどんな嘘がわかりにくいかを細かく分析できるようになった。
嘘がバレないようにするにはその見抜きやすさの要因を徹底的に潰し、加えてわかりにくくする要点をひたすらに盛り込んで行けば良い。
嘘を見抜けるようになって時間が経つにつれて、俺は嘘をほぼ完璧につくことができるようになっていった。
相手に疑いの余地も与えない。むしろ相手を安心させ、助ける。そんな嘘を。
今回もうまくいったようだ。俺の嘘を聞いた先生は最初は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに苦笑いの混じった笑顔で塗り替えた。
「わかったわかった。そこまではっきり言ってくれるなら、言わないのは逆に失礼だよな。話すよ」
笑顔は崩れず、呼吸も落ち着いている。苦笑いを含んでいるのは、先ほどまでの自分の態度が後ろめたいためだろう。嘘ではなさそうだ。
一呼吸置いて、先生は口を開く。
「実はその新入部員、先月の部誌に乗せたお前の短編小説をみて文芸部に入りたいと思ったらしいんだがな、そいつはお前と一緒に小説を書きたいんだそうだ」
「…は?」
あまりにもわけのわからないの答えに、思わず間抜けな返事をしてしまった。
前半の内容は少し驚いたがまだ合点が行く。自分の作品が他人になんらかの影響を与えられたというのは創作者名利に尽きるし、加えて自分も発信する側になりたいと思ってくれたなら、こんなに嬉しいことはない。
問題は後半だ。
「一緒に小説を書きたいって…どういうことですか」
「文字通り、アイデアを練って、ストーリーを考えて全部書き切るところまで一緒にやりたいってことだろう」
「はああああ?」
思わず失礼極まりない返事をしてしまったが、本心を言って良いのならば一番返ってきて欲しくない回答だった。
小説というものはざっくり言えば自分だけにしかできない空想をひたすら文字にぶつけ、表現するものである。
他人から影響を受けることもアイデアを出す上では重要かもしれないが、ストーリーの構想、執筆まで一緒にやるというのは、幸せな空想世界への殴り込みを許し、テリトリーを半分持って行かれているようなものだ。
何より俺自身、小説の共同執筆なんてことは聞いたことがない。
驚きと呆れが多重に叩きつけられ、呆然としている俺を見ながら先生はいかにも罰が悪そうに頭を搔く。
「まぁそんな反応するだろうなとは思ったよ。お前の作品は特に他人なんかに譲れないものがたくさん詰まってそうな感じ出してるもんな」
「おお、わかってくれますか先生。それは嬉しいです…じゃなくて。さっきあんな偉そうなこと吐いといてなんですが厳しいです。一緒に執筆までやるなんて…」
「まぁ、詳しくは聞いてないから、本当にそうしたいかは知らんが」
聞いてないのかよ。緊張が一気に緩んで危うくこけるところだった。
「そこをちゃんと聞いておいてください! めっちゃ大事なところですよ!」
「悪い悪い。でもな、彼女は一緒に小説を書きたいと言って譲ろうとしないんだ」
「えっ、彼女? 入部したい子って女なんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ。一年の女子だぞ」
「言ってませんよ…」
勝手に男性だと思い込んでいた。というのも俺の書いた作品は殺し合いなどの、絶望色の強い展開をかなり盛り込んだハードな内容に仕上がっている。そのため女性はあまり好まない作風だろうと思っていた、のだが。
「まぁ、それはいいとして。やっぱり難しいです」
「でもなぁ、彼女、一緒にかけないなら部活には入らないって聞かないんだ」
「…そうきましたか。」
俺のうやむやな返答を聞いた後、先生は顔を少し俯かせた。
今の文芸部は三年生が全部員数の半分以上を占めている。二年生は少なくはないものの、一年生は俺を含めて立ったの四人しかいない。
今は六月後半。後二、三ヶ月ほどで三年生は部活を引退しなければならない。急激に部員数が減少するのだ。
もともとあまり活発に活動する部活ではないため、このままではいずれ部の存続が危ぶまれる事態も考えられる。故に部員の獲得は重要だ。
先生は少し眉にしわを寄せて、俺の方に向き直る。
「一度会って、話してみてもらえないか? 承諾するかはそちらに任せる。」
文末の方で声のボリュームが一瞬下がった。嘘を含んでいるからだろう。本心としてはなんとしてでも女子生徒を入部させたいに違いない。
現状、一緒に小説を書きたいという言葉の意味がまだ不明瞭。
もし俺の予想している形以外の方法を取ろうとしていた場合なら、まだ共に活動できる可能性はある。この時点で対応を判断してしまうのはあまり良い選択とは言えないだろう。
「…わかりました。一度会ってみます。どうしても気が合わなそうだったら断りますけど」
「それで十分だ。ありがとう。あ、ちょっと待ってろ」
返事を返した教師はシャツの胸ポケットからメモ用紙とペンを取りだし、数秒ペンを走らせ、ページをちぎって俺に手渡した。
「生徒の名前とクラスを書いておいた。まぁ時間があるときにでも会いに行ってくれ。嘘。なるべく早く頼む。彼女、毎日返事聞きに来てしつこいんだよ…」
「結局愚痴じゃないですか」
少しの沈黙の後、お互い揃って苦笑いを浮かべる。先生は話してみて、どうするか決めたら教えてくれよと一言言い、職員室へと戻って行った。
それを見届けた俺は近くの壁に背中からもたれかかる。
「…部の活動が滞るのは嫌とか言っちゃったからな」
さっきまでかぶっていた優等生面を脱いでつぶやいた。
一度嘘をついたからにはその嘘の責任は自分が持たなければならない。助けてなどと他人に頼ることなんてできないのだ。
もたれていた上体を起こし、教室へ戻りながら先ほどの会話の内容をもう一度振り返る。
入部したいと行った女子生徒は、なぜそこまで俺と共同作品が作りたいのだろうか。
いくら俺に憧れを持ってくれているとは言え、入部の判断さえもそこに大きな比重を置くというのは異質だ。
加えて共同制作にこだわっている理由もわからない。
こだわるということは、それをすることでしか手に入れられない体験などがあるに違いないが、あいにく俺には意見の食い違いなどのデメリットしか思いつかない。
やはり一度しっかり話を聞く必要がある。なぜここまで俺に目をつけているのか、何が目的なのか、を。
握ったままだったのメモに視線を落とす。そこには先生の角ばった字で
「一年四組 宇野 空音」
と書かれていた。
教室に戻って時計を見ると、すでに針は授業開始五分前をすでにまわっていた。
先ほど繰り広げられていたリーダー格達の言葉の応酬は未だ続いている。
会話の種の多さに感心しながら俺は自分の席に着いた。
余裕があれば軽く女子生徒の顔ぐらい把握しておきたかったが、時間のがないため仕方ない。しかし毎日しつこく返答を尋ねられる先生のことを考えると、問題解決はなるべく早い方が評価はより良いものになるだろう。
放課後は生徒の行動が掴みにくいため、明日の昼休みに話を聞きに行くことにした。
時間を考慮した一人の生徒の声によって軽い静寂が教室という閉鎖空間を包み込む。後方で繰り広げられていたある種の意地の張り合いも、終わりを告げたようだ。
昼休みと授業の変わり目は、多くの生徒にとって好ましい瞬間ではない。それの影響もあってか、ひりついた重苦しい空気が少しずつ濃度を増す。
俺は授業用に表情と心持ちを整える。背筋を伸ばし目をほんの少し強目に開くだけで、真面目な生徒だと教師と、自分を錯覚させられる。
そんな最小の嘘で自分を覆ってから俺は教科書と筆記用具を取り出し、授業が始まるまで、ただ流れる時間に身を任せていた。
ほんの少しだけ輝度が落ち、代わりに橙色を含んだ光が周囲を強く照らす。真夏も近づき、日照時間も長くなっているため、下校時間になっても体感温度や景色は正午ごろとあまり変わらない。
湿気を含んだ熱気が圧迫するかのように体全体を包み込み、身体中の穴という穴から汗が吹き出る。
時折ワイシャツの上腕部分で額の汗をぬぐいつつ、俺は帰宅のために足を動かし続けた。
初夏でこの暑さだというのに、八月ごろの気温の中で俺は生きていけるのだろうか。すでに制服は夏服を着用しているため、これ以上服装で体温調節をするすべはない。
これから待ち受けるであろう地獄にため息をつきながら、水分補給をするために自動販売機に立ち寄る。
ミネラル補給も考えスポーツドリンクを購入し、キャップを開け一気に呷る。
喉の渇きが冷たい液体により一瞬で潤い、続けて体の節々にまで水分が行き届いたような感覚が全身を満たしていく。夏ならではの感覚だ。
半分ほどの量を一度に飲み干し、ペットボトルを口から離す。
頭も冷えたからなのか、心なしか見える景色も鮮明になった気がした。先ほど感じていた嫌悪感の塊のような熱気も少し楽になっている。
今のうちにさっさと家までたどり着いてしまおう。軽くなった足を再び動かし始める。
歩みをを再開して五分ほど経ち、帰路の残りは一割ほどになった。その指標としている商業施設が密集している地域を突っ切っていこうとした矢先、ズボンの右ポケットに入れておいたスマホから軽い振動が響く。
取り出して画面を確認すると、クラスメイトからの着信が入っていた。応答ボタンを押してスマホを耳に近づける。
「はいもしもし」
「よお楠木! 今日俺らの部活休みでさ、これからゲームセンターとか遊べるところ行こうと思ってるんだけどよ。一緒に行かね? あ、ちなみに俺の他に後三人ぐらい来ると思うぞ」
外出の誘いだった。この友人とは何度か遊んだことがあるし、悪いやつではない。ただ、ゲームセンターは室内とはいえ、これ以上、この気温の中で外出はしたくない。単純に、かつ欲望に忠実にいうと、面倒だ。
「うーん、誘ってくれたのは嬉しいけど…ごめん。文芸部の作品のアイデアを考えなきゃいけなくて。締め切りが近いんだ。」
実際、次回の締め切りは来月の終わり頃。まだまだ執筆期間に余裕はある。例の入部希望者による無駄なトラブルがなければ、だが。
声のトーンを調整しつつ、申し訳なさそうに考えを絞り出すような雰囲気を作る。
電話越しでの嘘は楽そうに見えて実はそうではない。相手は内容を聴覚情報のみで判断するため、よりそれらに注意を払いつつ話を展開していかなければ簡単に疑いのタネを生んでしまう。
そのため、内容にはより具体性を持たせることを心がけている。ここが曖昧だと相手は明らかに不審がり、追求を行ってくることもある。追求されると話のテンポが一度崩れてしまうため、うまくリカバリするのが難しい。
「そうか…。いや、残念! まあ部活は大事だよな!」
「本当にごめん…。また今度」
最後にもう一つ謝罪を加え、次への意欲を見せる。より疑いを持たれにくくするための保険だ。
軽く別れの挨拶をして電話を切り、スマホをもう一度ポケットにしまう。
ほんの1分ほどの電話だったが、立ち止まっていた俺に暑さを再認識させるには十分すぎる時間だった。
頭上から降り注ぐ直射日光と、地面から放たれる熱気が体を挟み込み、疲労を掻き立てる。
いつの間にか目の上にまで汗が垂れてきていていることに気づき、急いでシャツで拭った。
左手に持っていたスポーツドリンクの残りをおもむろに喉へと流し込む。
外気でかなりぬるくなってしまっていたが、喉の渇きを潤してくれることに変わりない。気がつけば全て飲み干してしまっていた。
空になったペットボトルを日光が通り抜け、規則性がないのか、あるのかわからない不思議な模様を地面に描く。
嘘に規則性はない。人間という存在は一人一人大きく異なっている。そのため人ごとに最善の嘘を描き、伝えなければならない。
相手の感情、欲求、精神状態、それらを全て把握することができたなら、本当に完全無欠な嘘がいくらでも吐けるだろう。
だが俺にはそこまでの能力はない。ただ、自分が読み取った嘘を分析し、そのデータを利用しているだけだ。同一の個体が存在しないものに経験や過去の統計を用いるのはあまり好ましくはない。
ただそれでも、俺がここまで嘘をつき通せているのは、一つはこの性格のせいだろう。
俺は嘘をうまくつけるようになってから、罪悪感を感じなくなるまで、ほとんど時間はかからなかった。
気がつけば、息を吐くようにさらっと嘘を吐く。堂々とした態度で虚偽を吐き、並大抵の真実より高い信憑性を持たせる。それらのことがあっという間にできるようになった。
嘘に慣れてしまったのだ。
最初の方は人を騙すことへの抵抗感や、背徳感も感じていたはずだが、もう思い出せなくなってしまっている。
慣れの速さ、状況適応力や利用できるものを利用する意欲。それらが長けていたのだろう。
何より嘘をつけるようになってから、俺は毎日が生活しやすくなった。
本当に面倒なことはごまかして逃げられるし、周りの雰囲気を整えたりすることも格段に楽だった。ちょっかいをかけてくる面倒な奴には、嘘で脅しをかけてねじ伏せた。他人からの評判だって上がった。
嘘が見抜けるようになって気がついた。
なんだかんだ言ってこの世の中は、どんな姑息な手段を使ったってうまく効率的に生きた奴が得するようになっているのだろう。
人は生きていく上で嘘をつかないなんてことはできない。
そのくせして、他人には嘘をつくなと平気で諭そうとする。聞いているだけ馬鹿みたいだ。
俺ら人間が学ばなきゃいけないのは嘘をつかないことじゃなくて、嘘のうまい使い方に違いない。
などと自己肯定の塊のような考え事をしていた頭を上げると、いつの間にか自分の家の玄関前にいた。俺の体はあの高温の中で長い時間止まっておくことは得策ではないと考え、我が家への歩みを再開したのだろう。
鍵を開け、いつもより重たく感じるドアを引く。
家の中に足を踏み入れると、軽い冷気で満たされていた。玄関付近の廊下とリビングを隔てるドアが少し開いている。そこからエアコンの風が漏れ出しているようだ。
リビングを覗き、麦茶を飲んでいた母に帰宅したことを伝えてから2階の自室に向かう。
部屋にたどり着いた俺は荷物を投げ出し、エアコンをつけ設定温度を二十度に設定した。扇風機の電源もつけ風量を最大にする。
シャツのボタンを緩めつつ扇風機の前に座り込み、風を頭から受ける。先ほどまで纏っていた熱気の塊が吹き飛ばされ、毛穴の奥まで風が入り込んだかのようにすっとした涼しさが身体中を駆け巡る。
しばらくすればエアコンの風も部屋を満たし、より快適な部屋ができあがるだろう。この後特に外出の予定はない。この幸せな空間でのんびり読書でもしようと思う。
先ほどついた嘘を肯定するには、十分すぎる幸せだった。
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