希望演舞グロリア歌劇団

膕館啻

《第一部》

『世界を見返したい人 募集します』

自殺サイトで見た書き込みに、こんなものがあった。

更にその下には『募集要項:全てを捨てられる人』とある。胡散臭さしか感じないが、確かにこのサイトには条件ぴったりの人材がいるだろう。とりあえずアドレスをコピーしておいた。

一度サイトを閉じて、そのまま横になる。何時間も見た天井が、相も変わらずそこに存在していた。

遠くで人の笑い声がする。窓から外を覗くと、小さくなった人々がそれぞれ、これからの目的を果たす為に生きていた。もうすぐ夕飯の時間か。

夕方は特に苦しくなる。明確な理由は分からないが、下校中の学生だとか、スーパーの袋を持った子連れの主婦などを見ていると、無性に消えたくなる気持ちが強まった。

自分の存在意義が分からない。居ても居なくても世界には何の影響も及ぼさないし。このまま死んだとして、泣いてくれる人や骨を埋めてくれる人すらいるだろうか。

なんとか食い繋いできた貯金もそろそろ尽きる。実家に帰ったとしても自分は歓迎されないし、いないものとして扱われている。ここは頼ることができない。

働かなくてはと思うが、どうしても体と頭が重くなった。今では就職や履歴書、そんなものに纏わる文字を見るのでさえ苦痛だった。

職についたら無理やり体を叩き起こして、苦手な人間と接する為に外へ出る。表面は取り繕っていても、神経はすり減る。また明日に備えて寝ないといけないのに、そんな環境では満足に眠れず悪循環のまま、また朝を迎える。

もっと自分に合った条件のものを選べば良いとも思うが、どんな環境でも完璧な理想が存在しないことは知っている。

甘えだとかは分かっている。とてもよく分かっているのに、いつの間にか出来なくなっていた。怖くなって逃げた。でも逃げた先にも苦痛が待っていて、結局どこにも道はなかった。その中で死を望んでしまうのは、自然な選択肢だとも言える。自分にはもう期待できない。

……世界を見返したいとはどういうことだろう。全て捨てるって一体何を?

世界は、世間ということだろうか。だったら見返してやりたい、認めさせたい、こんな感情を持つ人間は少なくないだろう。

過去に自分を苦しめた人たちや、今悩ませている原因、そんなものを何も言い返せないほどの圧倒的な力で……見返す。世界をとかいうぐらいなら、このぐらいのパワーでも持っているのだろう。

ぐうの音も出ない程の完璧な勝ち組として生きられる。そんな約束がされているのなら、全てを投げ打つ覚悟もするだろう。そういう意味なのか?


自分のアドレスから送ろうかと思ったが、面倒に巻き込まれるのも嫌だったので、とりあえずフリーアドレスを作成してメールを書こうとした。しかし文章が思いつかない。そういえばあの変な簡潔な文章だけで、特に何を書けとかは言われてなかった。

なんとなく行き着いた自殺サイト。似たような悩みや言い訳がズラリと並んでいた。しかしもうそんなところに書き込みには行く奴はいないのか、過疎っていた。あの書き込みは二年間何も書かれていなかった掲示板に突如ぽつりと、三週間ほど前に現れたらしい。誰も反応していなかった。

掲示板を見ました、名前、年齢辺りを書いて送ってみた。数秒迷って送信ボタンを押す。押した瞬間に後悔した。何してんだろう。

立ち上がって意味もなく腕を伸ばした。ポキポキと体のどこかが鳴る。

返事が来るか分からないけど、それまで死ぬのは一旦やめておこうか。

適当に寝たり本を開いては閉じたり、そんなことをしながらチラチラと画面を確認していた。昨日と違う出来事はどれだけ小さくても、それなりに気にしてしまうものだ。そんな自分に呆れたり色々考えたりして、深夜になった。

突然来たメールを確認する。未読のメルマガを避けてそれを開いた。

『この度は連絡をして頂きありがとうございます。まずは疎々乃木そそのき様の現在の状況を確認したいので、面接を執り行いたいと思います。実際にお会いするのが不安でしたら画面越しでも構いません。日時を指定して頂ければそれに従います。』

文面と共に住所と会社名が乗っていた。それを検索してみても、どこにも引っかからない。

詐欺だ。どこかで落胆したけど、初めから分かっていたことだ。でもネット上でやりとりするなら……もう少しいけるか? やばくなったら携帯を止めて家も飛び出すか。住所が無かったら変な荷物も請求も来ないもんな。

「それってこっちが犯罪になったり……するのか?」

まぁいいかと、明日の午後にネットで会うことを指定しておいた。ちょっぴりドキドキして、眠りにつくのが遅くなってしまった。

次の日ボサボサの髪を軽く整えて、やっぱりもっと早くにしとけば良かったと思いながら三時になるのを待つ。

チャットを開くと時間ぴったりに、誰かがログインしてきた。メッセージのやりとりのみのシンプルな画面だ。

『来て頂きありがとうございます。アドレスはkから始まる方で間違いないでしょうか』

変な確認の仕方だと思いつつ返事を打つ。

『では手始めに公開できる範囲で宜しいです。貴方様の年齢、性別、現住所、所属、身長、体重。現在の状況を教えてください』

「住所はまぁ市ぐらいまでならいっか。身長体重とか……忘れたけどなんとなくで。現在職無し一人暮らしと」

『ありがとうございます。面倒になりますがもう少しお付き合い下さい。それから念の為にこの画面をスクリーンショットなど、確認できる形で残しておいてください。もしも貴方様の情報が漏れるようなことがあれば、それを信用できる場所へ持って行ってください。

HPは用意できていないのですが、実際に住所の場所までお越し頂ければ事務所があることがお分かり頂けます。このように面倒を申しますのは、これから言うことの現実味を帯びていないことを、我々も重々承知しているからなのです。』

「急に長いな……」

『我々の目的を話す前にもう一度確認させてください。

――貴方は世界を見返したいですか? その為に全てを捨てられる覚悟はありますか?』

その文字を見つめた。できるのなら、今の状況を少しずつ良くしていくのが一番なのかもしれない。でも……。

拳を握って窓の方を見た。静かな昼下がりだ。本当なら自分もどこかで帰ったら何をしようかと、そんなことを考えながら働いていたかもしれない。毎日そんなことを思ってはふとしたことに消えていったり、考え込んで眠れなくなったり……そんな日々はもう嫌だった。

本気で死にたいわけじゃない。でもどうにもならないのなら、誰かに殺してほしいとさえ思った。優しくても厳しくても言葉だけじゃ腹は膨れないし、金にもならない。

「はい、あります。何もかもいりません。ただ全てを捨てるというのは、それを捨ててくれるのですか? それとも自分で捨てろということでしょうか」

世界を見返すという点については、良くわからない上にそんな気力もなかった。別に世界に復讐するほどスケールのでかい悩みはない。

まさかこれって人材募集だったりするのか? じゃあ返答次第では落ちて……そうなったらもう残っている道が無い。

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