104.夜の帳が降りた頃
程なくして、シャミルが
これまでの人型を取ったシャミルの動きを見る限りでは、反射神経や機敏性には長けているものの、筋力は人間と大差が無い、あるいは劣るくらいと推測できた。幼い少女とはいえ三〇キロ前後はありそうで、背負っての全力疾走は、シャミルにとってかなりのハードワークだったようだ。
少女の方は足の痛みを堪えつつも、目を閉じながら、シャミルにしがみ付いている様子が窺えた。
「……
シャミルは少女を
「シャミル、よくやった。何か気づいた事は」
宗谷はシャミルと少女の二人に、先程準備しておいた、水の入った容器を手渡すと、シャミルに質問をした。
「……ええ、特には。……移動中に見渡した限りでは、周辺には誰も居なかったと思います」
「それとお嬢さん──エミリーと言うのですが、地下のある
シャミルの報告から、彼女──エミリーが助かったのは、偶発的な要素が強いように思えた。地上に居てリンゲンから退避できなかった者は、おそらく皆殺しにされているだろう。そして退避した者も
「わかった。シャミルは暫く休んでくれ。僕一人じゃどうにもならなかったな。君を
宗谷の労いを受けると、シャミルは安堵の表情を見せ、容器の水を飲み干すと、ぐったりと肩と顔を落とし
「……
お茶を啜っていたフィリスが、黒目を大きく見開いて、少し驚いたような表情を浮かべていた。これまで大きな感情の起伏を表さなかった彼女が、はじめて揺らぎのようなものを見せた瞬間だったかもしれない。
「さあな。猫の王っていうくらいだから、普段は猫なんじゃねえのか? ……私の出番だな。後は任せろ」
セイレンが鞄から
明らかに鞄より丈のある錫杖である。どうやら収納されていた鞄は
通称、異次元鞄と呼ばれるそれは、許容最大容積は魔力の強度によって様々だが、最低でも金貨一〇〇〇枚、容積によっては、金貨何万枚と天井知らずの価値を持つ
「エミリー、よく頑張ったな。……この腫れ方だと多分骨がイってる。
セイレンの見立てだと、エミリーは骨折しているようだった。酷い折れ方ではないようだが、当分の間は痛みは引かないだろうし、この状態で、イルシュタットまでの長距離の移動は困難を極める。正に彼女の行使する神聖術の力が必要な局面だった。
「──
(──
高位の神聖術に加え、聖斧と呼ばれる
厳格な
神は表向きの振る舞いだけで力を授けるわけではない。世の中には、聖人を装っていても、大した実力の無い聖職者が往々にして存在した。
「良し。そこの
セイレンが
「
途中から顔を上げたシャミルは、目の前のセイレンの迫力に圧されたのか、慌てて遠慮するように両手を広げ、断る仕草をとった。
「……怖がんな。お手柄だ。その怪我はイルシュタットで完璧に治してやる。……おい、ルイーズ、ぼうっとしてんな。出番だ」
セイレンは
辛い役割を任されたルイーズは、複雑な表情を浮かべていたが、この場にいる面子では、間違いなく彼女が適任だろう。沈黙したまま様子を見ているセランやフィリスは、こういった状況での対話に向いているとは思えなかった。
宗谷も黙ったまま、それを見ていた。ルイーズに申し訳ない気持ちはあったが、つい先程、初対面のエミリーを怖がらせてしまった事を思い出していた。今なら宗谷に対する印象も大分違っているかもしれないが、それでも自分がルイーズ以上の役目を果たせるとは思えなかった。
「……弱気になるな私」
覚悟を決めたのか、ルイーズは両手で自らの頬を強く叩くと、震えているエミリーの下へ向かい、足を崩して座った。呆然としている
「……こんにちは。エミリー。私達はイルシュタットから救援に来たの」
ルイーズの言葉に対し、エミリーの反応はなかった。恐怖が甦ってきたのか、水の入った容器を持つ手が小刻みに震え始めていた。
「……本当に、ごめんなさい。遅くなって」
続けて出た言葉は簡潔だった。ルイーズは申し訳なさそうに頭を下げ、そしてエミリーをそっと抱きしめた。普段のルイーズとはまるで違う、暗く沈んだ声。それでいて、不快を感じない落ち着いたものであった。
それから少し遅れて、エミリーの慟哭が、夜の帳が降りた空に響き渡った。
それを耳にした者の反応は様々だった。セランは抱き合うエミリーとルイーズから目を反らすように背中を向け、強張った表情で周囲を警戒していた。
淡々としていたフィリスも、少しやりきれないような表情を見せている。
セイレンは歯を剥き出しにして顔をしかめ、リンゲンに破壊を齎した悪魔に対する怒りの感情を隠そうとしなかった。
『
宗谷も同じ思いである。
そして
前途は多難である。宗谷はかすかな苛立ちを覚えつつ、闇に閉ざされた天を仰ぎ見た。
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