67.夜風と追憶

 相変わらず、双子の月は厚い雲に覆われたままで、明かり無しでは、夜歩きには向かない夜だった。

 少し宙に浮かぶ、魔法の明かりを頼りに夜道を足早に進むのは、ビジネススーツを着た男と、赤いワンピースの女が二人。だんだんと強まってきた夜風は肌に冷たく、共に風避けの外套マントを身に纏っていた。


「ルイーズさん、折角の休暇中と言うのに、これから冒険者ギルドで仕事とはせわしいね。申し訳無い」

「いえ。こういった事態に対応するのも仕事の内です。それに、今日は良い運動になりました。……ソウヤさん、ごめんなさい。酒の席の事だけは、どうか忘れてください」

「このような仕事だ。愚痴りたくなる事もあるでしょう。お気にせずに。そのような事で、貴方の価値は何も損なっていない」


 宗谷が微笑むと、ルイーズは恥ずかしそうに、外套マントのフードを被った。

 ジャッカルたちが来た時の仕事の手際を見る限り、彼女の仕事ぶりは何の心配も無さそうだった。気が乗らなくても、やるべき事を頭と身体が覚えているのだろう。


「……ソウヤさん。私が来る前、セラン君とは、どんな会話をしました?」

「彼は口数が少ないね。でも、一つ大事な話をしたよ。白銀の魔将シルバーデーモン赤角レッドホーンについて」


 宗谷の言葉を聞いた、ルイーズが表情をかげらせた。

 セランの話だと、彼女はイルシュタットの近隣にあるルギノ村が赤角レッドホーンに壊滅させられた時に、赤角レッドホーン討伐隊の一人として参加していた筈だった。


「やっぱり。……彼には、それしかないものね。でも、赤角レッドホーン討伐を果たしたいのは私も同じ事。……それまでは引退は出来ないわね」


 ルイーズは、うつむき加減ながらも、凛とした声でつぶやいた。


「ルイーズさんも因縁があるのかね? 赤角レッドホーンに」

「いえ。セラン君みたいに、個人的にどうこうという訳では。……でも、イルシュタットの近くの村を二つ滅ぼされています。これ以上、被害を出す前に何とかしなくては。……それに、この街だって、いつ襲われないとは限らないのだから」


 一陣の強い風が吹き、ルイーズの外套マントのフードが巻き上げられ、蜂蜜色の髪がはためいた。

 足を止めて風をしのぐ彼女に合わせ、宗谷もその場に留まり、手で外套マントを抑えながら風が収まるのを待ちつつ、ルイーズのつぶやいた事を考えていた。


 イルシュタットには、何人もの白金級プラチナ黄金級ゴールドの冒険者が在籍している。赤角レッドホーンが強い悪魔だとしても、簡単に街を攻撃する事など出来ない筈だ。

 だが、いくつもの街や村を滅ぼした実績のある白銀の魔将シルバーデーモンである。万が一街に踏み込まれた時は、大きな被害は避けられないだろう。ルイーズの言う通り、可能性は常に考慮しておく必要があるのは間違いない。


 やはり、悪魔に対抗する為の準備を整えなくてはいけない。

 その存在の恐ろしさについて、宗谷は嫌と言う程思い知らされていた。つい最近でも、四つ腕の白銀の魔将シルバーデーモンに殺された。そして、二十年前も。


 宗谷は強い風に吹かれながら、二十年前、少年の魔術師レイだった時の事を追憶した。



◇ ◇ ◇ ◇



『あらあら、レイったら、そんなに私に逢いたかったんですか? ……他の仲間は残機が無いのに、貴方ばかり死んでますね。マイナス100万点です』


 ある冒険の時の事。レイは白銀の魔将シルバーデーモンの暗黒術を身体に浴びて呪殺された。

 仲間のロザリンドをかばう為ではあったが、実に呆気無い最期であった。

 そして、死から目覚める場所は、大抵が庭園の木陰で、女神を名乗る蒼い髪の女性が、嫌味事をつぶやく事が多かった。


『……仕方無いだろ。僕は祝福で甦れると、仲間に周知されているからな。身体を張る必要があるんだよ。……それより、エリス。僕に魔術の続きを教えろ』

『やっと私を頼りましたね。今度は、どのくらいのレベルまで?』

大導師グランドマスター級。……ラナクに並ばれた。あいつにはめられたくない』


 死ぬ度に、女神エリスにより、上位の魔術を教わる事が何度かあった。

 レイがこの性悪女にモノを教わろうとする時は、パーティーメンバーで、知と術を競うライバルとも言える、知識神ラスターの司教の天才少年、ラナクに刺激されての事が多かった。


時間支配タイムドミネーション。……この空間ならば、時間を気にせず修行し放題。ですが。レイ、貴方は天才ではない。それならば、人一倍時間をかけて学ぶしかないですよ』


 上位の魔術を理解するのに、女神の修練の下、何年もの時間がかかった。レイは魔術の理論を解する優れた適正を持ち合わせていたが、天才と呼ばれる領域には手の届かない人間だった。

 エリスから渡された、汚い文字で記された魔術書グリモワール。そこには人間の世界では失われている遺失魔法ロストマジックや、人間が決して到達する事の出来無い、時間や次元を操作する不滅イモータル級と呼ばれる魔術までが記されていた。

 この女神とは一体何者なのだろうか? 宗谷は一時期、エリス及び女神達の正体を探りたいと考えた時期があったが、やがて無意味と悟り、それを止めた。


『レイ。お前ってさ。死に戻ってくると、強くなってねーか? いつの間に大導師グランドマスター級になってんだよ。……また、抜かれちまったな』


 知識神ラスターの法衣を纏う、栗色のマッシュルームカットをした少年が、悔しそうに顔をしかめながら、不思議そうな物言いで尋ねた。


『……お前に勝つ為に、この世の果てで、魔術の修行をしてきたんだよ。嘘じゃない』

『ああ? 世の果てで誰に教わったってんだよ? 死神か?』

『くくっ、まあ似たような物か。……ラナク、死神の事を一つ教えてやるよ。……死神は字が汚い』



◇ ◇ ◇ ◇



(死に戻りのレイか……僕は仲間の誰よりも弱かった。二十年の空白ブランク。きっと今もそうだ)


 宗谷は、ライバルだった旧友や、屈辱的な女神との修練の日々まで想起してしまい、思わず苦笑いを浮かべた。


「……ソウヤさん。どうかしましたか?」


 ルイーズが声をかけた事により、宗谷は続けていた追憶を止め、現実に帰った。

 そして、二人をしばし足止めをしていた強い風も緩やかになり、宗谷はルイーズと共に再び歩き出した。


「いえ。少し考え事を。……もし今後、赤角レッドホーンの討伐隊を結成する際、僕の手が空いていたら、頭数に入れて頂ければ」

「……ソウヤさんに、そのように言って頂けるのは心強いですね。今度副ギルド長に伝えておきます」

「もっとも、ミアくんと組んでいる間は、無理はしないつもりですが。彼女は良い資質を持っているよ。きっと、優れた司祭プリーストになる」


 『必要なのは経験と敬虔』という親父らしい洒落を思い付いたが、状況を考え、宗谷は言い止めた。

 彼女の優れた資質の裏付けという物を、幽霊の少年の救済で目の当たりにしている。白銀の魔将シルバーデーモンとの戦いでも、恐慌する事無く仕事をこなす胆力もある。高みに駆け上がる資質を彼女は持っている筈だった。


「私もそう思います。たまに見せる強い意志は、大地母神ミカエラの信仰から来るものなのかしら? そこが強みでもあり、心配な所でもありますが……ソウヤさんが一緒ならば安心ですね。どうかミアをよろしくお願いします」


 ルイーズが頭を下げた。彼女は風を断つ者達ウィンドブレイカーズの解散の責任を感じ、相当落ち込んでいて、今日の愚痴でも、その事に対する後悔の念が強く現れていた。これ以上、悪い話を聞かせる訳にはいかないだろう。ミアを護るという宗谷の責任は重大であった。



 冒険者ギルドのある区画に差し掛かる前に、宗谷は魔法の明かりを打ち消した。

 建物の灯りが増え、特に魔法を維持しなくても、ゆっくり歩く分には差支えが無くなっていたからである。魔術師ギルドに所属していない為、必要以上の魔術を使うのもあまり好ましくないだろうし、丁度雲間も切れ、双子の月の明かりも注ぎ始めていた。


「ソウヤさん、ありがとうございました。あの……また機会があれば、飲みましょうね。制服は……まあ、そのままでいいわ。本当は非番だし」


 ルイーズは宗谷に微笑みつつ、自宅に戻るのが億劫おっくうなのか、緑色の外套マントで身体を覆い、赤いワンピースを完全に覆い隠した。どうやら制服に着替えず、外套マントの姿で、仕事に入るつもりのようだった。

 冒険者というのは大半がフランクな物だし、ルイーズならば、かえって受けも良さそうなので、私服を気にする必要は無いのではと宗谷は思ったが、着ていた赤いワンピースは、私服としては少し派手に映ったので、彼女のイメージ的に、大っぴらに晒したくないのかもしれない。


「それでは、また後日。ええ、また機会があれば。ただ、お酒の量は気を付けるように。ドーガさんの処なら構わないですがね」

 

 宗谷は微笑み返すと、冒険者ギルドに入り、仕事に臨むルイーズを見送った。

 見送りを終え、外でしばし考え事をした後、その足で冒険者の酒場へ向かった。考え事の内容は、寝る前の夕餉ゆうげをどうするかという点だった。


 この世界の質素な食事にも大分慣れたが、現実世界の料理が恋しくなる事があった。もっとも、塩気の足りない、あっさりし過ぎているスープに慣れてきた今は、現実世界の食事の方が、口に合わなくなっているかもしれない。

 宗谷はそのような事を考えつつ、空いたテーブルに着くと、味気の無いスープとサラダ、飲料水をウェイトレスに注文する事にした。

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