第2章 夜の草と森妖精

12.静謐な雨上がりの朝

「ソウヤさん、起きてください」

「……ん。朝か。……ミアくん、おはよう」


 宗谷は目覚まし時計を確認しようとしたが、すぐに、ここが異世界である事を思い出した。そして、一〇年以上も続いていた習慣が抜けていない事に思わず苦笑を浮かべた。

 掛け時計は六時一〇分を指している。現実世界で普段、宗谷が起床する時間をわずかに過ぎていた。雨はすっかり止んでいるようで、ミアが開けたであろう開き窓から、涼やかで新鮮な風が吹き込んでいる。


「やあ、ミアくん、眠れたかね?」

「おかげ様で、ぐっすりです。でも、ソウヤさんはまだお疲れですね。……余計に魔法を使わせてしまいました。ごめんなさい。絶えず迷惑をかけ続けてる気がします」


 ミアは既に神官衣に着替えていた。寝間着と見比べてみると、やはり良く似合っている。彼女に似合うように合わせた、特注の神官衣と言われれば、そう信じるかもしれない。


「僕は布団にありつけただけでも御の字だよ。良質な睡眠を取れるとは思ってなかったのでね。しかし、それでも眠い。……そうだ、魔法とはこんなに疲れるものだったな」


 今までは仕事でトラブルさえ無ければ、おおよそ定時に帰り、定時に寝て、定時に起きる。極力身体に負担のない生活を心掛けていた。そんな健康的な日々の事は忘れなくてはいけないだろう。

宗谷はベッドから起き上がったが、身体に痛みを感じ、すぐ椅子に腰を掛けて再び身体を休めた。


「おや、今になって痛みが来たか」

「大丈夫ですか? ソウヤさん、もし治療が必要なら私が出来る範囲で」

魔力痛マジックペイン。魔法の乱発は久々だったものでね。後は筋肉痛。いずれも自然治癒に任せた方が良い」


 魔法力マジックパワーの激しい流出が身体に刺激を与え、鈍痛を齎す魔力痛マジックペインという症状だった。普段魔法を使い慣れてない者が、魔法力を大きく消耗したり使い果たしたりすると、しばしばこういった状態に陥る事がある。

 つまり筋肉痛の魔法版のようなもので、身体が馴染む数日間は痛みが取れないかもしれない。


魔力痛マジックペインなら、自然治癒に任せる他無いですね。筋肉痛……運動したのも久しぶりですか?」

「ああ。何もかも久々だった。といった方がいいかもしれない。ただひたすら、無理のない毎日過ごしていた罰だ」


 宗谷はまだ眠り足りないと言わんばかりに大きな欠伸をした。その様子を見て、ミアがくすっと笑う。


「朝は苦手ですか? ソウヤさん、待っててください。何か貰ってきますね」


 ミアは部屋の外に出た。一拍置いて、たんたんと階段を跳ねるような軽快な音が響く。


(おやおや、落ち着きがない。いや、若さというものか)


 そんな事を思いつつ、宗谷は重たいまぶたをこすり、テーブルに置いてある黒眼鏡をかけると、椅子に腰をかけたまま、まどろんでいた。


「宿屋の主人マスターから軽食とコーヒーを貰ってきました」


 しばらくして部屋に戻ってきたミアはトレーをテーブルに置いた。トレーにはサンドウィッチの皿と、コーヒーカップが二組ずつ。カップからは黒いコーヒーが暖かい湯気を立てていた。それとミルクが入っていると思われるポットが一つ。


「ソウヤさん、ミルクは入れますか?」

「僕はどちらでも構わないが、用意してあるなら、使うのも悪くないかな。ミアくんの目分量に任せてみよう」


 ミアは、二つのコーヒーカップに、どばっとミルクを予想外の量、というより全て入れた。彼女の好みなのだろうか。宗谷は苦笑した。


「ミルクを入れると、おいしいです」


 ミアは椅子代わりにベッドに腰をかけ、美味しそうに大量のミルクが入ったコーヒーを飲んでいる。ミルクと混ぜれば、それは確かにあれ・・になるのだから美味しいだろう。


「くっくっ、半分ほど入れるスタイルを、僕の故郷では、カフェ・オ・レと言ってね。お子様向きの飲み物なんだ。……いや、失礼。今のは僕の個人的な主観に過ぎないな」


 宗谷は口を拳で押さえて意地悪そうに笑う。カフェ・オ・レと化した、コーヒーカップを拾い上げると、一気に飲み干した。


「……お子様。む、むぅ~~、あっ……もしかして、入れすぎでしたか?」

「いやあ、美味しかった。まあ、それはさておき、天気も良さそうだし、食事と支度を済ませたら、早々と冒険者ギルドに向かおう。僕の記憶が正しければ、ギルドは同じ区画にあったはずだ」

「……ええ。すぐ二つ隣です。三分もあれば、受付まで行けますね」


 イルシュタットでは同じ区画に、冒険者の宿、冒険者の酒場、そして冒険者ギルド。提携した三つの施設が横並びになっていた。全て冒険者向けに特化した施設になっていて、宿や酒場は冒険者証を持つ会員は割引が効くサービスもある。その他、冒険に必要な武器や道具などの、冒険者にとって必需品を扱う店も近くにあり、まさに冒険者の為の特別区と言っても差し支えは無い。


「そういえば、ソウヤさん、ギルドに登録されているんですか」

「今はもうしてない、と言った方がいいかな。何せ二〇年前の事だ。だから気分も一新して、新人ルーキーとして出直そうと思ってる」

「やっぱり……イルシュタットは久々と言っていましたから。ソウヤさん、初めての方は、初回に登録費用がかかります」

「……なんだって? 年会費があるのは知っているが。初回費用とは」


 初回費用という言葉は宗谷にとって初耳だった。冒険者ギルドのルールが二〇年前と違うのだろう。皮算用のやり直しをいられる事になった宗谷は、思わず顔をしかめた。


「冒険者の質の低下とか、色々、理由わけがあっての事と聞きました。冒険者証の発行にも少し時間がかかると思います」

「ミアくん、いくらかかるかわかるかい?」

「確か、銀貨五〇枚くらいだったと思いますが、ちょっと自信無いです。冒険者証については、ギルドで詳しく聞いた方が良さそうですね」

「そうか……しかし、参ったな。その初回費用というのは誤算だ。払えない人はどうするのだろう」

「心配いりません、お金は私が持ってますから。カフェオレ大好きなお子様の私が、ソウヤさんを養ってあげます」


 少しつん、としたミアの態度。先程、お子様扱いした事を怒っているのだろう。そんな態度も表情も可愛らしかったが、彼女の口にした内容は、気取った宗谷をみじめにするものであった。


「いや、はは、意趣返しをされてしまった。……悪かったよ。少女に養って貰っている情けないおじさんを苛めないでくれ」


 現実世界では散財もせず、それなりに蓄えがあるというのに、金にだらしのない男のような役割を演じさせられてしまっている。宗谷は項垂うなだれて溜息をつくと、皿に乗ったサンドイッチを拾い上げてかじった。挟んであるアンチョビが少し塩辛く感じるのは気のせいだろうか。

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