10.雷鳴轟く部屋で

 結局、宗谷とミアは背を向け合ったまま、一つのベッド、一つの布団の中に同衾していた。

 ミアは質素で可愛らしい寝間着に着替えていたが、宗谷は着替えも持っていないので、スーツの上着だけ脱いで、ワイシャツのまま横になるしか無かった。


(寝間着も一着くらい欲しいが。……まあ、今は贅沢を言っていられない。それに、このワイシャツの方が安全ではある)


 中に着込んでいたワイシャツもどうやら女神エリスの手によって強化が施されているようだった。若干の寝心地の悪さに目をつぶれば、これで問題はなさそうである。



「……あの、ふ、ふしだら……なんて思わないでくださいね。他の方と寝るのなんてはじめてで、こんな事は、あまりにも悪い偶然が重なりすぎただけで」

「思わない。部屋の空きが足りないのだから、このようになっている。合理的に行こう」


 お互い背を向けているとはいえ、背中越しに生暖かい肌の感触を感じる。正直、悪い気分でもないが、ミアがどう思っているかはわからない。


(――まあ、本当に偶然が重なりすぎた。多少の事は勘弁してもらいたい)


 少し疲れがあるのは確かである。魔法力マジックパワーを消耗した事もあるが、異世界という環境にまだ慣れていないせいでもあるだろう。思えば一日中歩き続けたのも久しぶりであった。


「ソウヤさん、狭いですね」

「その点については、若干、申し訳ないね。僕がワッフル屋の事を言わなければ、大雨の前に宿泊手続きチェックインが出来ただろうし。二人分の部屋も個別に取れただろう」

「それは、私が強引に連れて行ったからです。それに、この大雨は完全に予想外でした」


 窓の外では相変わらず強雨と共に、雷が鳴り続いている。雨は一体いつまで続くのだろうか。衛星の無いこの世界では、正確な天気を予測する事は困難である。


「ソウヤさん、明日の予定は?」

「お金を稼がなくてはいけないから、冒険者ギルドに挨拶に行こうと思ってる。仕事を斡旋して貰えれば御の字だね」

「私も一度顔を出そうと思います。……顔を合わせたくない人が居るかもしれないので、あまり行きたくはないですが。でも、さっき主人マスターにも言われましたけど、一人旅は危険ですから。少し冒険を甘く見ていました」


 彼女はまだ冒険者としては経験が浅いのかもしれない。もし、そうであれば、ミアにとっての不幸は自身を口説くような冒険者と早い段階で知り合ってしまった事だろう。


「まあ、仮に迂闊だったとしてもだ。正しい事、誤った事、それらを含めた選択の中で、僕と君は知り合った。これも一つの縁だとすれば、それが間違っていたとも言い切れないとも考えられる」

「……そう言われると、そうですね。無謀な行動が無ければ、ソウヤさんに知り合う事もありませんでした」

「とはいえ、詭弁に近い結果論の話だ。やはり危険な単独行動は避けるといい。……ミアくん、僕はそろそろ寝るとするよ」

「今日はありがとうございました。おやすみなさい、ソウヤさん」

「こちらこそ感謝しているよ。ミアくんが取った部屋に、無理矢理泊めさせてもらっているのだから。では、おやすみ」


 背を向け合った姿勢で、小一時間程の沈黙。掛け時計が刻む秒針と、窓の外の雷雨だけが、音を支配していた。

 

「ソウヤさん……起きてますか?」


 背中越しに、ミアの呼び掛けが聞こえた。


「――どうした?」


 浅い眠りに入っていた宗谷は、その声で覚醒すると、薄らと目を開けつつ、ミアに応答した。


「……あ、ごめんなさい。もしかして、もう寝てましたか」

「大丈夫。でも、すぐ寝直すよ。魔法力マジックパワーの回復をしなくてはいけない。……もしかして、眠れないのかね?」

「色々あったからでしょうか、どうも目が冴えてしまって。あの、変に意識をしてる、というわけではないと思うんですが」

「眠れなくても、身体は休めたほうがいい」

「あ、はい。そうですよね……起こしてしまって、本当にごめんなさい」

「もうしばらく眠れないようなら、僕の手を引いて起こしてくれ」


 言い終えた宗谷は目を閉じると、再び眠りについた。


 二〇分くらい後、宗谷の手に温かい感触が伝わってきた。ミアはまだ眠れないままのようだった。


「――おや。駄目そうか。睡眠を意識すると余計に眠れない。よくある話だ」

「ええ、本当に駄目ですね。私は、眠り方を忘れてしまったかもしれません」

「この場合は環境の違い、つまり僕が原因だろう。何とかしてあげたいと思うが、子守歌なんて柄でもない。けど、一応方法がある。僕にとっては、とても単純なやり方だが」

「……ええと、方法とは?」

熟睡ディープスリープの魔法」


 宗谷はベッドから起き上がると、机に置かれた黒眼鏡を取り、顔に掛けた。


「一度この魔法で眠りにつくと、簡単な事では目が覚めない。目覚めアーリーバードと呼ばれる覚醒の魔法か、激しい痛みや衝撃を受けない限りは。それで良ければ」

「……絶対に起きないのですか」

「揺すったくらいでは起きないね。効力は六時間ほど」

「……例えば、ですよ。私が眠りに付いた後ですね。ソウヤさんが何かをしても?」

「起きないよ。僕が君に何をしても、起きない」


 沈黙。無理も無い。宗谷は目を細めて微笑を浮かべた。

 何かをするつもりは当然ない。だが、良い提案とは言い難いものであった。いくら命の恩人とはいえ、ついさっき出会ったばかりの間柄であるのだから。


「……お願いします。……眠れないのは困るので」


 それでもミアは信頼してくれているようだ。

 そこまで信頼されるのも怖いもので、断ってくれた方が彼女の健全さの確認が出来たのだが、自分が不眠の原因となっている可能性が高く無下にも出来ない。


「では、身体の力を抜いて。かかりたくない意思が強く働くと、抵抗が働き魔法が上手くかからない事がある」


 宗谷は腕を伸ばすと、力を抜いて横たわるミアの頬に手を触れた。


「――眠りを齎す、穏やかなる神よ。彼女に安らかな安眠を。熟睡ディープスリープ


 頬に触れた手から、淡い魔力の波が揺らめいて霧散する。ミアはとろんとした表情を浮かべると、やがて瞼を閉じ、意識を失った。


「今度こそ、おやすみ。ミアくん。……さて、僕も寝るとしよう。今日は魔法力マジックパワーを使いすぎた。流石に眠る以外の選択肢は、今は考えられない」


 ミアが眠りにつくと、宗谷は大きく溜息をついた。

 魔術の行使による疲労、そして肉体的な疲労が齎す眠気。規則正しい生活を続け過ぎたので、無理が効かなくなっている。あまり考えたくないが歳のせいでもあるだろう。

 宗谷は黒眼鏡を外し、疲れた表情で再びベッドに横たわると、ゆっくりとまぶたを閉じた。

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