8.イルシュタットの石門

 メルボルザと呼ばれる草原地帯から東に向けて半日程、夕陽が西空に傾きかけ、再び双子の月が東の空から顔を出していた頃、宗谷とミアはイルシュタットの西門に到着した。


「ソウヤさん、着きましたね」

「そのようだね。流石に疲れた、旅に出るのは久々なものでね。ミアくん、僕より君の方が旅慣れしてそうだ。それにしても……」


 石造りのイルシュタットの西門を見上げると、宗谷は懐かしさを覚えた。


(あの頃は心も荒んでいて、色々余裕も無かったが。今は違う味わいがあるものだな)


 月明り射す古びた石門にびを感じるくらい、歳を重ねたという事もあるのだろう。宗谷はそれに見入る様に目を細めた。

 大陸南西寄りに位置するイルシュタットの街は、城壁に囲まれた堅牢な造りで、素材を調達できる、草原、森林、山岳、そして遺跡群が近い事もあり、冒険者の拠点として人気が高く、冒険者ギルド・イルシュタット支部は、王都ドルドベルクにある本部に次ぐ規模を誇っている。……というのが宗谷の知っている、二〇年前のイルシュタットの情報だった。

 今もそれは変わらないのだろうか? 数日は街を散策し、情報収集を行い、二〇年の空白のギャップを埋める必要があると宗谷は考えた。


「ああ、何もかもが懐かしい。……そういえば、中央広場の近くにあるワッフル屋はまだあるのかな? 確かブルーベリーの奴が美味しいんだよ」

「よくご存じですね。ソウヤさん、今から買いに行きましょうか?」

「いいね。……はは、僕は無一文だから、欲しいと言える立場ではなかったな」


 宗谷は文無しである事を思い出し苦笑いをした。一瞬見せた、宗谷の物欲しそうな表情を見抜かれたのか、ミアが宗谷の手を引っ張る。


「行きましょう」

「悪いから遠慮しておくよ」

悪いから遠慮する・・・・・・・・、という事は、本当は欲しいという事です。それなら、行きましょう。悪くはないですよ。私はソウヤさんに奢りたいと思っていますからね」


 結局強引に押し切られ、宗谷はミアに引っ張られるまま、中央広場に向かう。


「頑固だね。それと意外と押しが強い」

「そうでしょうか?」

「そう思うけど」

「……嫌ですか?」

「いや、構わない。では行こうか」


 やはり頑固で押しが強い。宗谷は小さく息を吐き、そして薄く笑った。


     ◇


 暗がりの中、二人は中央広場近くにある店の前に到着したが、日が落ちてから時間が経過していた為か、お目当てのワッフルの店は既に営業時間を過ぎていたようだった。


「おや、残念。まあ、そんな事もあるだろう。ワッフルは夜食には向かないだろうからね」

「むー、ソウヤさん、ごめんなさい……なんか、強引に連れていったのに、徒労に終わってしまいました。駄目ですね」

「過程を楽しめたので結構」


 閉店クローズの札がかけられた店の前で、残念そうに顔を膨らせるミアを見て、宗谷はどうという事も無い風に笑顔を見せた。

 中央広場に目を向けると円形の噴水があり、水の精霊ウンディーネを模した女性の像が持った水瓶から、勢い良く噴水が零れ落ちている。


水精霊ウンディーネ像。これも二〇年前、そのままだ。最初これを見た時、どうしてか面白おかしく見えてね。像全体としてはバランスが良いが、顔の造形が若干微妙に見える」


 宗谷は円形の噴水に向けて歩くと、外側にあるベンチに腰をかけ、懐かしそうに水精霊ウンディーネ像を見た。

 水精霊ウンディーネ像の彫刻の出来が少し悪いのか、自分をこの世界に転移させた、女神エリスが少し変顔をして白目をむいたような造形で、それが宗谷の笑いのツボに入った。やさぐれた心の癒しのエピソードの一つである。あの女神が聞いたら激怒するかもしれない。


「くっくっ……あははははは。やはり少し、いや、かなり似ているな」

「……ソウヤさん?」


 爆笑する宗谷を見て、ミアは不思議そうな表情を浮かべた。


「……っと、失礼。何でもない。ミアくん、何かあったら、この水精霊ウンディーネ像を目印に待ち合わせをしよう」


 現実世界と違って携帯電話という便利な道具アイテムはない。他にも現実世界にはない不便を甘受しなくてはいけない日々が来る事になるだろう。


「そうですね。……ソウヤさん、これからどうしましょう?」

「夕食は先ほど草原で終えてるから、そろそろ休みたいかな。ああ、そういえば食事を分けて貰ってありがとう。既に二食分を奢って貰ったね」


 宗谷は道中、平原でミアから昼と夕方に食糧を分けて貰っていた。


「ソウヤさん、食事は気にしなくてもいいですよ」

「そうはいかない。きちんと借りはメモしておこう。……まあ、メモする紙すら、今は持ってないのだが」


 冒険する為の道具を揃えたいが、先立つものが何もない。早くお金を稼いでミアに借りを返済しなくてはいけない。流石に親子程も年の離れたミアに養って貰い続けるのは、宗谷の誇りプライドが許さなかった。


「それを言ったら、私がソウヤさんに助けて貰ったことは、返済出来ないくらいの大きな借りなのに」 

「それとこれは別だよ。僕はなるべく借りは作らない主義でね……おや?」


 宗谷が空を見上げると、かけていた黒眼鏡に雨の雫が滴った。


「あっ、雨が降ってきました」


 ミアは空いた左手を広げて、暗がりの中で振り始めた雨を手のひらに感じ取っていたが、やがて、そんな事をするまでも無く、乾いた石畳が雨水に染められていった。噴水の池の水面は、いくつもの波紋を描き始めている。


「おやおや……一日早くて助かった。雨ざらしの中、草原を歩くなんて羽目にならずに済んだようだ」


 雨は次第に大きな音を立てて石畳を叩き始めた。続けて遠雷が響く。


「雷が鳴っています。ソウヤさん、急ぎましょう」

「これは本降りになりそうだね」


 雨足が強まる中、宗谷とミアは、急ぎ足で中央広場を後にした。

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