自分以外の気持ち 赤毛の話

「ねぇ、親方はどうやって女心が分かるの?なんで分かるのが当たり前なの?」

 アマディの白い糸が布地を埋めていく。親方が色を変えるためか、玉結びをしてから鋏をぱちんと鳴らした。そして針山から別の針を取り出すと、糸を通して刺繍を始める。一連の動作にはまったく迷いがなく、アマディは自分の質問が宙に浮いてしまったように感じた。

「お前は男だから、女心がわからないって言うがな、皆自分以外の人間の考えることなんて、つぶさには分からんよ。ただ多少は、わからんでもないさ。特に自分が一度、同じ立場だった時はなおさらだ」

 エンビコ親方の目は時々全体のバランスを見るように細くなったり、広げられたりする。アマディは下手に口を挟むまいと、自分の刺繍を続けていった。シンプルなステッチが布を覆い尽くす。最後のステッチを終えて裏側で玉結びをすると、さっきエンビコ親方がやったように、鋏をパチンと鳴らした。これでこの布地は作業が終わりになる。刺繍枠をはずして皺を丁寧にのばすと、作業済みの箱に入れる。そして新しく布地をとって枠をはめる。その時親方がようやく口を開いた。

「その針に通っている糸を抜いておきなさい。次に別の糸を使って見ろ。青系か赤系か、どちらがいい?」

「本当にいいの?!赤、絶対赤がいい」

「即答だな。さすが赤毛殿」

「なんだよ、それだって決め付けだ」

 自分で絶対と言った癖に決めつけられるのには不服そうに頬を膨らませる。ははは、悪かったと親方は笑い、赤い刺繍糸の束を渡してきた。アマディはドキドキしながらそれを受け取り、針に通して縫い始める。それを見届けてから親方は自分の手元に目を戻した。そして大きく息を吸った。

「決めつけは、いけないことだと分かっていても、どうしてもやってしまう。それは人間の性なのかもしれん。だがな、さっき言ったように自分の経験したことは、気持ちがなんとなく想像できる部分があるのは確かだ。大切なのは、それが絶対と思わずに、相手を観察し続ける姿勢なんだと思うよ。現に、俺が女だったことは、女の好むものが分かる一端でもあるし、女の気持ちを察するのが難しくない理由なんだろう」

「・・・やっぱり。親方、昔は女だったんだ。そうかもしれないと思った」

 二人はしばらく黙々と作業を続けた。室内は外の暑さとは無縁で、石の壁はひんやりとしている。時折吹いてくる風がアマディの前髪をかすかに揺らす。室内には光があふれ、針が時たまその光を輝きにして目に返してくる。

「・・・お前は驚かないな。何を考えているのか、さっぱりわからん」

「・・・驚くことは、さっき初めてそう思った時に済ませたからもういいよ。親方が女だったかもなんて、それまで考えたことなかったし。でも失礼なんだろ、その、そういうことを笑ったり、変に驚いたりするのって」

「お前はまじめだなぁ。学校に行っているだけはあるよ。人の口に戸なんて立てられないからな。俺の今をみると、どうしても驚いて、気色わるいと言う奴はいるよ」

 エンビコ親方はそう言われたことを思い出したのか、目を細めた。それを見てアマディの胸は少し苦しくなった。自分の親を誰かにおとしめられたような気持ちになったのだ。ついでに怒りも湧いてきた。

「なんだよそれ、そんな奴ぶっとばしちゃえよ。親方は腕っ節は強いんだしさ、黙らせるのは簡単だよ」

「まぁ、そう言うな。人気商売は自分の感情だけで動くわけにはいかんのだ。それにそう言った奴も、自分が性変化することにならないとは限らないのだから。その時になって、これまでの自分を反省する羽目になればいいのさ」

 エンビコ親方はアマディの心配そうな顔に片目をつぶって見せた。

「どっちなんだよ、そういうさ、男が女になったり、女が男になったりするの笑ったり、悪く言ったりするのは良くない事じゃないのかよ。俺たちは散々授業で教え込まされて、ちょっと笑い話にしようとしたらぶっ叩かれて。なのに大人は仕方ないで済ますのかよ」

「おいおい、縫い目が乱れてるぞ。落ち着け、アマディ。深呼吸しろ」

 アマディの鉄火なところを、親方は嫌がらない。むしろ上手く落ち着けさせる術をよく知っているせいか、口調に面白がるような抑揚があった。アマディは素直に何度か深呼吸をして、手元に目を戻した。少し前の目からやり直した方が良さそうだ。

「そうだな、お前の言うとおりだ。だがな、人は自分で体験したことしか、分からないもんだ。そして自分の分かることは、他の人も分かるはずだと思いこむ生き物でもある。だから性変化した事のない人からすれば、性変化した人の気持ちは分からないし、それを気色悪いと言っても許されるはずだと思ってしまうのだよ」

「くっそ、馬鹿みてえ」

「その言葉遣いを改めないと、学校でまた拳骨をくらうぞ。蹄にかけて、絶対だ」

 素直に聞ける親方の言葉であっても、釈然としないアマディは話を元に戻そうと、咳払いをしてからまた口を開いた。

「親方はどうして性変化したんだよ?なんか理由っていうか、そうする必要があったんだろ・・・?」

「食い下がるな、アマディ。お前はどうしてそんなこと知りたがる?」

「俺は・・・」

 アマディは手元の針を布から引き抜いてからエンビコ親方の顔を見上げた。親方の眉毛にはちらほらと白いものが見えている。茶色の目は優しくて、もじゃもじゃの髭の内側では口元がかすかに笑っているのが分かる。

「だってわかんねーもん。わかんねーけど、わかんないから、親方の話を聞きたい。俺は知らないくせに、わかんないくせに、気色悪いとか言えるような大人にはなりたくない」

「・・・」

 親方はアマディの言葉の強さに驚かされ、嬉しそうに目を細めた。しかし一方でアマディ自身も自分で言った言葉に驚かされていた。自分はこんな事を考えていたのか、と。

「お前の気持ちは良く分かった。毒にも薬にもならないかもしれんが、一応話しておこう。俺が性変化したのは、実は山神さまのお導きがってこそでな・・・」

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