もじゃもじゃと赤毛
木原 美奈香
コップのなかの自分
自分の顔をまじまじと見るには時間とタイミングが重要だ。
カップに残った水をのぞき込みながら、ゴッチェはそう思った。
「早く飲み終わって、片づけをしてちょうだい!」
食事の監督をしていた修道女が声をかける。子供達は目を離すと、食事に集中できなくなるのだ。集中が切れたおかげで、床に食べ物を落とすことは教会の姿勢としては許されるべきことではなかった。
「シスター、またゴッチェが自分の顔を見てるんだよ」
ゴッチェの隣に座る小柄な少年、トマスが言いつけた。
すると離れて座らされていた背の高い、そばかすだらけの少年が芝居がかった驚きをみせた。ヘイリーは誰かの注目を浴びる瞬間が大好きなのだ。
「あんなでかい顔じゃ、鼻しか映らないのに!?」
その言葉に子供達の哄笑が広がって、そこにいた修道女の口元も緩んだ。ゴッチェはそれに気づかない振りをする。今のは自分の失敗だ。タイミングが悪かった。悲しい気持ちと苛だちを一緒に飲み下すと、急いで立ち上がる。
「どんなに見たって不細工は変わらないぜ!」
「ぶっさいく!」
「もじゃもじゃ!」
子供達は容赦なく言葉を継いでくる。誰かの自尊心を確実に傷つける方法なんて、誰にも教わっていないのに。隙あれば、お互いがお互いを傷つけようとする。みんなで寄ってたかってやるのも、お得意だ。
そんな様子に気の弱い修道女は困惑した。あたかも今回が初めての騒ぎみたいに。そしてなんとか騒ぎを抑えようとして、眉根を寄せて子供達の間をうろうろし始めた。
「こらっ!そんなことを言うんじゃない!神様はお怒りですよ!」
修道女の声を打ち消すほど大声で追い打ちをかける言葉を無視して自分の食器を集めると、それを別の大柄な修道女が立っている台所まで運んだ。そして穏やかだがはっきりと聞こえる声でこう言った。
「トマスにヘイリー、お前たちは自分の顔を見た方がいいぜ、いつまでも目やにと鼻くそをぶら下げている奴らに言われても、な。みっともないのはどっちだ?おっとそれはそばかすだったか?」
ゴッチェは尋ねるように言ったが、誰も返事をしない。その代わり、子供達はわっと盛り上がった。言い返された少年達は顔を真っ赤にして怒っていたが、修道女に目やにや鼻水を見咎められたようだ。彼女に顔を拭かれると、皆だらしなく相好を崩した。我も我もと他の子供達がシスターにすり寄る。ゴッチェは誰にも気づかれないように。教会の古びて薄汚い食堂を離れた。
ゴッチェは両親の顔を見たことがなかった。
ずんぐりと堅太りした体型や、もじゃもじゃと扱いにくい髪の毛は、おそらく親譲りなんだろうとは想像できるものの、彼にとっての親は教会と人の良すぎる老いた修道女たちだけだった。
彼女たちは多くを語らなかったが、ゴッチェが自分で立てるようになったくらいでここに捨てられたことは、教えてくれた。無骨でかわいらしさのない名前に劣らず、ゴッチェは病一つしらずにすくすくと育った。その間も教会には新しい子供達が増えていった。
この古い教会には年老いた修道女が何人も住んでおり、周囲の店や住人からの寄付や施し、慈善活動で暮らしていたので、そもそも子供を多く住まわせるような場所ではない。しかし子供を育てきれずに捨ててしまう親はいるのだ。もちろん褒められた行為ではないが、確実に死んでしまう森に置いてくるよりかは、教会に捨てるほうがはるかにましだった。
ゴッチェが物心ついたころには、教会には多くの捨て子が暮らしていたし、彼だけが不幸な子供であるという訳ではなかったが、修道女は毎日の世話に追いやられ、その愛情を奪い合うために子供達はいつももめ事を起こしていて、幸せな環境とは言い難かった。
「幸せってなんだろうか。食い物がたくさんあることかな。着る物がきれいなことかな。それとも馬鹿にしてくる奴がいないことかな・・・」
ゴッチェの独り言は道に散らばった枯れ葉を舞い上げる風に消えていった。そこには本当の幸せはないのかもしれない、と彼は考えた。
そんな教会の捨て子達の中でも、何名かは里親になる人物が現れることがあった。大体はお金を持っていそうな身なりで、偉そうに品定めをするように子供達を見に来る。その人物に気に入られれば、ほとんどその身ひとつで出て行くのだ。教会を去るのは寂しい気持ちがあるかもしれないが、自分だけに注目してもらえる機会などほとんどなかった子供達は、一様にうれしそうな笑顔で去っていく。そしてこれまで存在していなかったのかと錯覚するくらいに、その子は跡形もなく消えてしまう。もちろんどこかで生きてはいるのだろうが、ゴッチェの預かり知るところではない。そしてそれこそが幸せなのかどうか、いまいち確信がなかった。なぜなら里親となる人物が、揃いもそろって子供を欲しがっているのに恵まれない夫婦ばかり・・・、というわけではなかったからだ。加えて見た目のよい子供ばかりが連れて行かれることからも、彼の疑念は晴れることはなかった。
一方の彼は見た目が良いほうではない。
さっきの言葉がゴッチェの頭の中を去来した。
『不細工!』『もじゃもじゃ!』『大きな顔!』
「そんなことわかっているさ。毎日見ても変わらないことくらい」
ゴッチェは独り言を漏らした。そして道に転がる小石をけっ飛ばした。
美しいか、そうでないかと問われれば、百人が百人「そうではない」と断言するだろう。かっこいいか、問われれば「むしろ悪党寄り」と言われるだろう。
巻き毛というには巻きが強すぎるもじゃもじゃの髪の毛。眉毛も同じような毛で太く描かれている。そのせいで毛虫眉毛と言われるのはしょっちゅうだ。目はつまらないありきたりな茶色。しかも白目勝ちな細目のせいで、よく睨んだ睨まないとイチャモンをつけられやすい。鼻柱は太く、しっかり膨らんだ団子っぱなで、口元は薄くきゅっと締まっている。体は全体的にずんぐりと太い癖に、他の子供達よりも子供らしい丸みに欠けている。どこをとっても美しい造作とは言えない。
そんな自分の容姿について、彼はあまり悲観してはいなかったが、楽観もしていなかった。
すなわち、自分があのあやしげな里親に恵まれることはないだろう、ということだ。
降って沸いてくるような幸運を引き寄せる容姿ではない。
そもそも修道女達が小さい子供達に聞かせるような、おとぎ話に出てくる人物には到底なれないことは分かっていたし、どうとも思わない。なんと言ってもあの話に出てくる奴は善玉も悪玉も皆容姿端麗なのだ。
だが、と彼は思う。この容姿で生まれたからには、この容姿で生きていくだけの方法を考えればよい。不細工は他人を威嚇するには丁度良い。要は何でも使い様だ。生きていく道を見つけるのはさほど簡単ではないだろうが、骨身を惜しまず働けばきっと難しくはないはずだ。しかし、そのためにはその方法を思いつく頭と、その方法を実現するだけの力が必要だ。まずは手近なところで腕っ節を鍛えておこう。
ゴッチェはそんな実際家だった。
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