第7話
出てきたのは少女と変わらない年頃の女の子。
栗色の髪は乱れ、身につけている服はくたびれている。
いつかの少女ほどひどくは無いが彷彿とさせるには違いない。
「お前がアリア・レイシアか?」
少女はその女の子の怒りなど気にもとめず質問する。
「だから何っ! さっさと帰って!」
乱暴な言葉を少女にぶつけて女の子は手早く扉を閉めようとするも少女の足に阻まれる。
「そういうわけにはいかない、私は受け持った任務をこなさなければならない邪魔をするな」
少女は華奢な手で扉を掴むと目一杯力を込めてこじ開けようと試みる。
「ちょっ、離して!」
ドアノブを持ち必死の抵抗を見せる女の子もジリジリと引っ張られていく、少しづつ開いていくドアに焦りが浮かぶ。こんな少女のどこにこんな力があるのかと驚きが隠せない。
この扉の開け閉めをめぐる争いに勝利したのは言うまでもなく少女だった。
力付くで入ってきた侵入者にアリアは警戒の眼差しを向ける、どう見ても自分と変わらないただの女の子。
一度は大声をだして助けを呼ぼうかとも思ったがやめた。自分にはそんな大声を出すほどの気力も残っていなかったし聞けばこの子があの人のところから来たと聞いたからだ。
どういうわけか分からないが私が依頼した事になっている。
そんな依頼はしていないと言っても聞く耳を持たない。
悪い事をしに来たとは考えづらい、けど、その少女はとにかく不思議だった。
入ってくるなり家の中を見回ってそれが終われば掃除用具を引っ張り出して無言で掃除を始める。
「何の用?」と問いかけると帰ってくる答えは「掃除だ」
その少女は掃除するために侵入したらしい。
「出てって」と言えば「任務を終えるまではできない」、「そんなのどうでもいいから出てって」と言えばやっぱり返ってくる答えは「任務を終えるまではできない」。
決して手は止めず機械的に決まった返事をしてくるだけ。
何を言っても無駄な少女にアリアは成すすべなく、諦めて自分の部屋にこもることに決めた。
・・・・うーん・・。
瞼が重い、自分は何をしていたんだっけ?
重い瞼に抵抗せず目を閉じたまま考える。
そうか、何もしてなかった。
あの少女がやって来て自分は逃げるように部屋に閉じこもったのだ。
そしてそのまま眠ってしまった。
どれほどの時間眠っていたのだろう? あの少女はいい加減帰っただろうか?
いや、そんなことより、この音は何だろう? さっきから近くでする物音が気にかかる。
気だるさを覚えつつも瞼を開けて確認すると目に映ったのは少女の姿。
寝ぼけた頭が現実を理解するのに数秒を要した。
「ここで何やってんのよ?」
「掃除だ」
決まった言葉が返って来たことで間違いなくあの少女だと認識した。
「どうやって入ったの?」
アリアは確かに部屋の鍵を閉めた。日常的にかけてはいないが今日は別、少女の侵入を防ぐという目的があった。だからしっかり確認した、それは間違いない。
扉は蹴破られてなどいない、以前のまま閉まった状態を維持している。
「あそこだ」
そう言いながら少女が指差したのは窓。
窓に鍵は・・・ダメだ覚えていない。そこからの侵入を想定していなかったので確認していない。
しかし窓も割られた様子はないということは閉まっていなかったんだろう。
迂闊だったと自戒するべきか? いや、そんな必要はない。こんな子がこんな所から侵入してくるなんて普通思わない。
ここは二階でおまけに窓の外には足場になるようなものがない、ちょっとした出っ張りならあるがまさかこれを登ろうなんて考える方がどうかしてる。
言動や立ち居振る舞いから普通ではないと思っていたがなんなんだこの子は?
アリアの怒りは少女に対する疑問に飲み込まれた。
「あなた何なの?」
「どういう意味だ? 質問があるならもっと具体的にしてくれ、でないと分からない」
アリアは何も言えなかった。
自分が何を聞きたいのか何も浮かんでいない、だって今のは自分とは違う、いや普通の人という枠からどこかズレている異様な存在を前にして感情的に出ただけの言葉。
「どうした? 早くしろ、私は忙しい」
言いあぐねる私に容赦なく上から物を言う。
言い返してやろうとも思ったが面倒になったのでやめた。
別にどうでもいい、この子の事なんて、他人の事なんて、もう何もかもどうでもいい。
もうすぐ私には何もかも関係なくなるんだから。
「もういい、勝手にして」
アリアはその子に背を向けて再び布団に潜る。
何も見ないように目を閉じて、何も聞かないように耳を塞いで、何も関わらないように口を結んで。
ただ一人の世界に落ちて行った。
アリアが次に目を覚ました時、そこにはもう誰もいなかった。綺麗に整理された部屋だけが残っている。
薄暗い室内を見て今が夜なんだと理解した。
ようやく一人になれたとアリアは安堵の息を漏らす。
窓からわずかに差し込む光は隣の家の明かり。
布団から起きることもせず暗闇の中しばらくその明かりを眺め続けた、早く消えてしまえと願いながら。
見せつけるようなその明かりはアリアの心を少しづつ痛めつけていく。
見たくない。
勢いよく起き上がり窓の側まで行ってカーテンに手をかけると隣の家の様子が見るつもりはなくても見えてしまう。その光景の眩しさに顔を歪めつつカーテンを閉める。
二度の睡眠ですっかり眠気が失われている、きっともう暫くは眠れない。
だったら自力で眠ればいいだけだ。
アリアは階段を下って一階に向かう。
そこもやはり見違えて綺麗になっている。しかし今のアリアはそんなことで感動することはない。
そのまま足を止めることなくキッチンに向かうとまずは喉をうるおそうと冷蔵庫を開く。
そこで見たものには少し驚かされた。
料理のようなものが置かれている。
料理と呼ぶには少し簡素すぎる、パンに雑に切られ形の揃っていない野菜とハムが挟まれただけの不恰好なサンドウィッチ。
側には『腹が減ったら食べろ』のぶっきらぼうなメモ書き。
あの子が作って置いていったのだろうか? それにしては下手くそだ。
掃除をここまで綺麗にこなす人間が作ったものとは到底思えない。
じゃあ違う誰かが来て作ったのか? どちらにせよ余計なお世話だ。
アリアはサンドウィッチには手をつけず水だけを取り出しメモ書きをクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てる。
そして水を流し込み果物ナイフを手に取る。
今日こそは絶対に成功させる。
衣服の袖をまくって露出した腕、16歳の女の子にふさわしい白くなめらかな肌、そこに気付きさえしなければどこにでもいる女の子と変わらないと人は思う。
アリアの手首に刻まれた無数の痛々しい傷跡にさえ気づかなければ。
手が震える、毎回こうだ。
震える手のまま果物ナイフを手首に当てる。
死ぬのなんて怖くない、でも痛いのが嫌だ。
そんな感情がどうしても躊躇いを生じさせる。
すぐだ、すぐ終わる。終われば眠れる。二度と目を覚まさなくて済む。
アリアは起きている時間が苦痛だった。起きていればどうしても余計なことを考える、寝ている時間だけが完全な無でいられる。
だからもう起きたくない。
永遠に眠っていたい。
そしてまたひとつアリアの手首に新しい傷が増えた。
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