第2話
「こんな所で何をしている?」
大人の女性の声。とても澄んでそれでいて落ち着いている声。
こんな状況でなければ少し言葉を交わすのも良いかと思ってしまう。
「関係無い、ここは立入禁止だ、消えろ」
少女は振り返ることもせず短い言葉で突き放すように言った。
威圧するようなその口調に突如として現れたその女性は臆することなく「フンっ」と鼻で笑ってかき消す。
「それをお前が言うか? 立場としては同じだろうに。それになお前のような子供が大人に向かってそんな言葉遣いをするものじゃ無いぞ」
少女の態度にも女性は気分を害することなく顔に笑みを浮かべて無礼を諭す。
これで去ってくれれば余計なことをせずに済んだのにと少女は肩を落とした。
少女は後ろを振り返りその人物に向き合う。
初めて見たその女性の印象は美しいだった。
それは着飾ることによって作り出される美しさではない、その女性自身が初めから所有している美しさだ。
女性の姿は決して華やかに着飾ることはなく素朴な服装。
着ているものだけで言えばその他大勢と何も変わらない。
黒色の髪、藍色の瞳、目鼻立ちも良く、人に好まれそう。
だが少女が感じた美しさは容姿によるものではなく、その女性自身が纏う雰囲気によるものだ。
高価な人形のような気品さとどことなく人を寄せ付けないような異質さが互いに混ざり合うことによって出来上がったとても不思議な美しさ。
そんな人物と目を合わせることでその不思議な魅力に当てられるかのように少女も瞬間目を奪われた。
「綺麗な瞳だ」
目を奪われたのは少女だけではなかった。
女性もまた少女の宝石のように輝く緋色の瞳に目を奪われた。
少女は僅かにうろたえた、自分の顔を見て出る第一声がそれなのかと。
しかし少女の顔に表情は浮かばない。
「この顔に見覚えがないのか?」
少女の問いかけに女性はさっぱりといった仕草で答える。
「さあな? 物覚えはいい方だがお前のその顔に全く覚えがない。そんな瞳を持っている人間忘れるはずはないと思うが、どこかで会ったか?」
少女にとってその女性は間違いなく初対面だ。
にも関わらず少女がそう聞いたのは自分のことを知らないはずがないという確信があったから、それなのに女性は動じることなくその場に居続ける。
顔がはっきり見えなかった? そう判断したからこそ少女は、意識を顔に向けるためにそう聞いた。
しかし少女の判断は間違っていた、まじまじとこの顔を見たはずなのにその女性は立ち去ろうとはしない。
さらには下手な芝居でとぼけている。
知らないはずがない。
ここに来るまでの通り道、その壁のいたるところにそれは貼られている。
何故知らないふりを決め込むのか理由は分からないがそちらがそうするのなら仕方ない、やり方を変える。
死ぬ日を改めるなんてことはしたくなかった。
今日死ぬと自身の中で決めている、それを見ず知らずの他人に変えられたくない。
少し脅しをかければこんな人間すぐにいなくなる。
少女は鋭い目つきと共に自らの血が付いたナイフを女性に向ける。
「死にたくなければ消えろ」
声を荒げることなく今までと変わらぬ調子で放たれた言葉のはずだがそれには聞くものの背筋が凍るような冷たさを持っていた。
だが女性は笑った。
「なんだそれは! まるで殺意を感じないぞ! 子供の戯言とさして変わらないな」
お腹を抱えて女性はくつくつと喉を鳴らして笑う。
小馬鹿にされていることなど気にもとめず少女は次の方法を試す。
立ち上がり足に力を込め地面を蹴る。一瞬のうちに女性との距離を詰めその喉元にナイフを向ける。
目にも留まらぬ速さだった。常人では到底真似することなど不可能な早業。
「消えろ、これが最後だ。次はその喉笛を搔き切る」
ここまですればどんな人間でもでも自然に恐怖がその顔に現れる、そして命惜しさに去っていく。
そんな少女の判断はまたしても覆される。
「やれるものならやればいい」
恐怖など微塵も感じていないかのように平然として少女を見つめる。
少女の言葉がただの脅しだと分かっているのか、又はまるで死を恐れていないのか。
どちらにせよ少女を困惑させるには十分だった。
この女性に対してどのような手段を取るのが効果的なのかまるで分からなくなった。
この時初めて仮面のような少女の顔に表情が浮かんだ。
それは戸惑いであったが初めて見せた人らしい反応。
「どうしたやらないのか?」
女性はさらに少女に詰め寄る。
そのあまりの気迫にやがて耐えられなくなった少女は女性に背を向ける。
「もういい、好きにしろ」
女性を追い出すことを諦めて元いた場所に戻ろうとする。
「ああ、好きにするさ、だがその前に–––––」
女性は少女の肩に手をやった、そしてそれにつられるように振り返った少女の頬めがけて力強い平手打ちを放った。
少女は唖然として打たれた頬に手を当てる。
「悪いことをした子供を叱るのは大人の役目だ。人に刃物を向けることがどれだけ悪い事か分からない年頃でもないだろう」
少女は初めて叱られた。
人に刃物を向けるという少女にとって半ば当たり前となっていたその行為で初めて叱られた。
しばらく少女はその場で立ち尽くした、頭を整理する時間が必要だった。
自分にこんな事をする人間がいるなんて信じられなかった。
「本当に私のことを知らないのか? 私はこの国で追われている––––」
「連続殺人犯か? 知っているさ、あれだけ街中に張り紙がされていれば嫌でも目に入る。それに私は個人的にお前に興味を持っていたからなお前のことはある程度のことは知っている」
少女の言葉を遮って答えた。
女性は全て知っていたのだ、知っていて尚立ち去ることなく少女の側に居続け、そればかりか頬を打つという普通では考えられない行動に及んだ。
「知っていたなら私に殺されるとは思わなかったのか?」
当然の疑問だった。殺人犯に出くわせば誰だってそう思う。
「その可能性が無いとは言い切れないが限りなく低いとは思っていた、私は悪人ではないからねお前に殺される理由がない。言っただろう私はお前のことはある程度知っていると」
知っているという女性の言葉はまるで全てを見透かしているようでひどく不快だった。
少女のしてきたことは人に知られても決していい印象を持たれないことだったからだ。
少女の生きてきた短い人生の中に綺麗なことなどほんの僅か、大部分が血に汚れている。
それに気付くまで時間をかけ過ぎたせいで染み付いたその汚れはどうしたって落とせなくなった。
そんな自身の一体どこまでを知っているのか気にかかった。
「お前は連中に連なる者、依頼さえ受ければどんな人間でも殺すような連中の仲間。その中でもとりわけお前は多くの人間を殺している」
少女は何も語らない。黙って地面を見つめている。
女性はそこで一息いれて再び喋り出す。
「夜の街を徘徊しては手当たり次第悪という悪を斬り伏せてきた。罪を犯した人間その全てがお前の殺しの対象、人殺しから窃盗に至るまで分け隔てることなく目にした犯罪者を断罪してきた。それほどまでに悪人を裁くとは凄まじい正義感の持ち主じゃないか、まあ、歪みきっているがな」
パチパチと一定のリズムで手を打ち鳴らす。
しかし女性のそれに賞賛の意は込められていない、ただ拍手という行為を行っているだけ。
「いかなる理由があろうともやったことは人殺しだ。たとえその相手が犯罪者であろうともな。犯罪者ばかり狙ったのは良いことをしているつもりだったか? それともそいつらなら誰にも咎められないとでも思ったからか?」
女性の挑発とも思える言葉に少女は極めて冷静に返す。
「両方だ。悪人など生きている価値もない、そんな奴らを殺したところで誰も悲しまない。奴らは善人を不幸にするだけの生き物だ、そいつらがいなくなればこの世から悲劇を消せると思っていた」
「その考えは間違いとは言えない、いつだって悪人は自分勝手に悲劇をばらまく。だがお前がやった事もそれとさして変わらない。お前は自分が正しいと思い込み身勝手に殺しを続けた、その結果はどうだ? お前は連続殺人犯となり人々を恐怖に陥れた。最も自分が嫌う存在へと成り果ててどう感じる、後悔しているのか?」
「そんなものをしたところで意味がない、奪った命は戻らない。いつのまにか私自身が悪に堕ちていた。それはもう自分で理解している、ならばあとはやる事をやるだけだ、散々自分が行ってきた事を」
「なるほど、最後は自分を裁いて終わりにするつもりだったか、その傷はそういう事か」
少女の手首にあるまだ新しい切り傷を指差して女性は伺う。
「そうだ、私は今日この場で死ぬ。だから邪魔してくれるな」
「邪魔などしないさ、むしろ手伝ってやろうか?」
女性は服のポケットから拳銃を取り出しそれを少女の眉間に突きつける。
少女は動かなかった。
取り出される拳銃を見ても、それを突きつけられても微動だにしない。
それどころか自ら銃口に顔を近づける。
「その引き金を引きたければ早くそうしろ。自分で死ぬのも誰かに殺されるのも変わらない」
「そんなに死を望むか?」
「ああ」
「死ぬことがお前の幸福なのか?」
「ああ」
「そうか・・・・・ならばここで死ぬがいいさ」
女性は引き金に手をかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます