第17話 主犯

 その日の練習後、俺は江守さんにちょっと時間をとってもらうように頼んだ。

 江守さんは練習後ということもあって、面倒くさそうな顔をしていたが渋々頷いてくれた。

 演劇部の練習場である講堂の裏手。清掃員ですら近づかない、基本的に誰も立ち寄らない場所だ。背の高い木が生い茂って、日の光が差し込まずにジメジメとしている。

 岡谷を呼び出した体育館裏だと変な勘違いをされそうだったので、練習場から近い場所を選んで、部活動に関する話をしている体にした。


「こんなところに呼び出して、何の用?」


 冷たさを感じさせる江守えもりさんの鋭い視線が、俺を睨むように見ている。

 怒られるようなことはしていないはずなんだが、やっぱり彼女からしたら俺は憎むべき対象のようだ。


「率直に言わせてもらう、もうやめてほしい」

「え?」


 江守さんの瞳が更に鋭さを増す。

 彼女も双日先輩に近い、そこそこきつ目の顔つきの美人なので睨まれると迫力がすごい。


「江守さん以外にいないんだ、とぼけないでくれ」

「三井くんが何を言っているのか、全く分からないんだけど」


 ここまで言えば分かるはずなのに、江守さんは本当に分かっていない。彼女は嘘をついていない。


「だから、丸への嫌がらせをやめてくれ。あの噂を流したのは江守さんだろ」

「なるほど、そういうこと……」


 俺がそう言って江守さんの瞳を真正面から睨みつける。

 数瞬考えるように上を見て、合点がいったように小さく頷いた後に彼女は苦笑した。


「確かにヒロインの役を奪いとった丸は目障りだったんだと思う。でも、あいつは――」

「私が……私が仮に椿本さんに嫌がらせをしたとして、それで役を手に入れて喜ぶと思う?」

 俺が最後まで言い終える前に、江守さんの怒気のこもった声が遮ってくる。

「……」


 俺は江守さんの言葉について黙って考えていた。

 まさか、江守さんが流した噂じゃなかったのか?

 そんなわけない、だって丸に嫌がらせをして得するのは彼女だけのはずだ。


「椿本さんが卑怯な手で私から役を奪ったのならそういう手段に出るのはやぶさかじゃないけど、彼女は実力で奪おうとしている。それなら、私も実力で対抗しないと意味がない、違う? 私は確かに今回不甲斐ない姿を見せてるけど、そこまで落ちぶれてない」

「どういうことだ?」


 江守さんの言ったことは嘘じゃない。

 ということは、彼女が主犯じゃなかったということになる。

 それなら一体誰がこんな噂を流すんだ?

 思考が混乱して、まとまらない。


「私じゃないってこと。そもそも、この噂って誰かが流そうと思って流したものなの? 三井くんの被害妄想じゃない?」

「いや、でもこんな急に噂って広まるものか?」


 ここ一日二日で一気に広まった噂なんて、誰かが流したに決まっていると決めつけたけど、冷静に考えれば噂なんてそんなもんかもしれない。


「三井くんは椿本さんと付き合ってると私はずっと思っていたんだけど、本当にそうじゃないの?」


 江守さんが訝しむような視線を俺に向ける。


「付き合ってない」

「事実がそうだとしてもクラスの大半は二人は付き合っているものだと思ってる。

それで最近急に岡谷くんと椿本さんが仲良くし始めたから、二股だと勘ぐる人がいてもおかしくないと思うけど」


 付き合っているの? と聞かれたことは何度もあったけど、その度否定してきた。

 それでも周りの人達は実は付き合っているんじゃないか、と思っていたようだ。

 そこで丸が岡谷と仲良くし始めたら、どうしたんだろうと思う人が現れるのは彼女の言うとおり自然なことかもしれない。


「俺の考えすぎか?」

「椿本さんのことが大事なのは分かるけど、疑心暗鬼になりすぎ。世の中そんな悪い人だらけじゃないわ」

「疑って悪かった」


 俺は江守さんに頭を下げた。

 いくら俺が彼女のことをよく知らないからとはいえ、イジメの主犯だと疑うなんて失礼すぎた。

 ビンタの一つくらいは覚悟していた。彼女はそれくらいしてきそうだとも思っていた。

 しかし、俺の予想に反して、江守さんはただ呆れるように頭を振るだけだった。


「別に怒ってない。それで、岡谷くんは椿本さんと付き合ってるの?」


 江守さんはそう言うけど、俺には嘘だと分かっていた。そりゃそうだ、急にこんな難癖をつけられて少しも怒らない方がおかしい。

 こんな俺に気を遣って怒っていたことを隠すなんて、ちょっと彼女のことを勘違いしていたみたいだ。


「多分」

「ふぅん……私は、三井くんと椿本さんはお似合いだと思ってたんだけど。昨日の三井くん、格好良かったよ」


 江守さんが柔らかく微笑む。俺は少し照れくさくなって目をそらす。


「江守さんがどう思おうと、丸が選んだのは岡谷だったんだよ」

「三井くんはどうなの? 椿本さんのことなんとも思ってないの?」


 なんとも思ってないわけがない。

 なんとも思ってない人だったら、ここまでして何とかしようとなんて思うわけがない。


「もう俺がどう思ってようが関係ないだろ。それより、一つお願いしたい。勝手に疑った俺がこんなこと頼むのは虫が良いのは分かってるんだけど、丸へのイジメを止めて欲しいんだ」

「なんで私に?」


 江守さんが形の良い眉をひそめる。まあ当然の疑問だろう。

 さっきまで疑ってたくせに、次は頼み事かと。

 でも、これは江守さんにしか頼めないことだ。


「江守さんはクラスの中心人物だろ。他の女子への影響力も強いはずだ。本当なら俺がしたいけど、俺が出しゃばってもややこしくなるだけだし。岡谷と付き合ったばかりの丸からしても迷惑だろ」


 正直駄目元で、断られると思っていた。

 江守さんは、そんな俺の様子を見ると小さくため息を吐いて、


「そんなに想っているのに――って、私がどうこう言うことじゃないか。分かった、椿本さんに嫌がらせしている人には心当たりがあるから言ってあげる。私も見て見ぬ振りするのは気分が悪いから」

「ありがとう、この借りはいつか返す」

「いつかって?」


 いたずらっぽい笑みを浮かべながら聞いてくる。

 自分で言っておいてあれだが、俺が彼女に何を返すのか想像もつかない。


「江守さんが俺の助けを必要とするときがきたら全力で助ける」


 おそらくそんなときはこないだろう。

 江守さんも同じことを思ったのか、小さく吹き出した。


「そんなときが来なかったら?」

「……駅前のケーキ屋でなんでも好きなのを奢る」


 気の利いた返しが思いつかなかったので、苦し紛れに言った。

 すると、江守さんは部長双日先輩譲りの芝居がかった仕草でパチンと指を鳴らすと、


「それはいいわね。絶対に忘れないでよ」


 と言って、涼やかに笑った。

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