第13話 変化
あれから、
そのおかげかどうかは分からないけれど、双日先輩自身の人当たりが柔らかくなっていた。他の部員と雑談しているところをたまに見かける。彼女の周りにあった見えない壁は確実にその厚みをなくしていた。
そして、俺と丸は演劇部の中で徐々に居場所を作りつつあった。
丸が一生懸命練習している姿と彼女自身の実力を見て、演劇部に相応しい存在であることを認めてくれたのかもしれない。今まで完全に無視されていたのが、話しかければ答えてくれるレベルにはなった。
「そういえば――」
講堂の座席の最前列で休憩している最中、隣にいるであろう丸に話しかけようとしたがその姿がなく、俺は言葉を途中で止めた。
さっきまで俺の隣で飲み物を飲んでいたのに、俺が台本に目を通しているうちにいなくなっていた。トイレにでも行っているのかと周りを見渡すと、一人の男子生徒と話している丸の姿が目に入る。
同じクラスの
「誰か探してるのか?」
双日先輩がタオルで汗を拭いながら、俺の隣に座る。
「いや、丸が珍しく他の人と喋ってるなって思って」
俺が丸と岡谷の方を指さす。
「ああ、岡谷か」
「あいつは演劇部で何してるんですか?」
「助監督だよ。舞台監督は私だけれど、私は演者でもある。演技中はどうしても手が回らないところがあるから、その部分を担当してもらってる。自己主張は控えめだけど、真面目で優秀だ」
丸が男子と喋っているところは珍しい。女子の友達だったら人並みにいることは知っていたけれど、業務的な話以外をしているところはあまりなかった。
忠と話している時のように丸がしどろもどろになっていないか心配になり、俺は丸の様子を見に行く。
何を話しているかまでは聞こえないが、丸はときおり笑顔を見せていて、リラックスしているようだった。
「ん? どうしたのたいちゃん」
丸が俺が近くにいることに気付いた。遠巻きに眺めていたことを悟られないように、俺はあたかも用があったかのように二人に近づく。
「何話してるんだ?」
「えっと、私の演技について色々話を聞いてたの」
「で、こいつの演技はどうなんだ?」
岡谷に話を振る。
「声量とか滑舌とかはやっぱり江守さんには劣るけど、感情表現はすごい上手だよ。
本当に演劇を全然やったことのない素人とは思えないよ」
「そ、そんなことないよ」
ちょっと興奮気味な岡谷の賛辞に、丸は顔を赤らめて両手を振る。
「本当だって、丸ちゃんがこんなに出来るなんて知らなかった。もっと早く入部していれば良かったのに」
「丸ちゃん?」
「演劇部にはお姉ちゃんがいるから、その、名字だと紛らわしいから」
変な呼び方してるなと思って繰り返しただけだったのだけど、丸が慌てて弁解するように喋り始めた。
「僕は丸ちゃんの演技は椿本先輩にも負けてないと思う。本当にお世辞じゃなくて」
岡谷の言葉に嘘はない。
丸もそれが伝わっているようで、満更でもなさそうにはにかんでいる。
「それでここの台詞なんだけど、ここはもう少し語尾を弱く言った方がこの子の感情はよく伝えあると思うんだよね」
「たいちゃん、ごめんね、ちょっと話があるから」
「え?」
丸が俺よりも岡谷との話を優先したことに思わず驚いてしまった。
「どうかした?」
「あ、ああ……頑張れよ」
俺は内心の動揺に気付かれないように、二人から離れる。
俺は大した話があったわけじゃない。演技についての話の方が重要なんだから、優先されるのは当たり前だ。
だけど、初めてだった。俺が話しかけなくても、しつこいくらい付きまとってくる丸が俺以外を優先することが。
なんでここまで心を乱されるのか分からないまま、俺はさっき座っていた席へと戻った。
「いつの間にって顔をしてるね」
「まあ……」
双日先輩の問いかけに、俺は曖昧に言葉を濁して答える。
俺が気付いていなかっただけで、二人の様子を見るからに昨日今日の話じゃないはずだ。
丸が他の部員と仲良くしていることは良いことのはず。引っ込み思案なあいつが友達を増やすことは俺としても歓迎すべきことのはず。それなのに、なぜか俺の中には言葉に出来ない靄がかかっていた。
「実は彼女の演技指導をしてもらうように私がお願いしたんだ。丸は元々地力があるから彼に任せても問題ない。性格的にも相性がいいと思ったんだけど、目論見通りだった。問題は君だよ、今のところ全てにおいて足りてない」
「すみません」
俺の力不足は俺が一番感じていたことだったので素直に謝る。
俺なりに努力はしているつもりだったが、そんなもの言い訳ですらない、ただの弱音だ。
「それをどうにかするために私がいる。
この後は丸のことを気にする余裕がなくなるくらい付きっきりで練習をするから覚悟しておいてくれ」
双日先輩からマンツーマンで指導を受けている時も、俺の頭の中にはなぜか丸と岡谷のことがこびりついていた。
◇
そして、練習からの帰り道。俺と丸はいつものように一緒に帰路についていた。
通常の部活動に加えて、双日先輩との居残り練習があるので、帰る時間はいつも暗くなってからだった。
「ねえねえたいちゃん、最近の私の演技良くなってると思わない? 思うよね?」
自分でも手応えがあるのか、にやにやしながら俺の周りをくるくると回っている。
自惚れるだけはあって、丸の演技は日に日に良くなっていた。
もともと俺との差は大きかったが、更に離されている。
あとは声量さえどうにかすれば主役をはってもおかしくないレベルになってきている。
「そうだな、よく頑張ってるな」
俺が素直に褒めると、丸は更に笑みを深くする。
「岡谷君がすごく親身になってくれて、練習が終わった後に電話で良かったところとか反省点とかを教えてくれるんだ」
「そうなのか、あいつもお前なんかのために良くやるな」
「お前なんかは酷いよ! それでね、それでね、何かお礼しようと思ってるんだけど。男の人もお菓子嫌いな人いないよね? 甘すぎたら嫌とかあるのかな?」
外灯に照らされた丸の表情を見て、俺は言葉を失った。
微かに頬を赤らめているその姿は、まるで――。
「たいちゃん? 聞いてる?」
「あ、ああ、聞いてる。あいつが甘い物嫌いなんて話は聞いたことないし、よほど変な物作らなければ平気だろ」
「変な物なんて作らないよ」
「納豆クッキーとか」
「クッキーに納豆なんて……意外と美味しいのかな?」
「さあ、俺は食わないけど、作ってみれば良いんじゃないか?」
「駄目だってことじゃん!」
その日は、以降丸と何を話しても全然身が入らなかった。どこか面白くないような気持ちがずっと俺の後をついてまわっていた。
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