第11話 姉の背中
映画を見終わった後、俺達は映画の感想を一言も喋ることなく近くにある洋食屋に来ていた。それは感想は落ち着いた場所でゆっくり話したいという信念の元の行動だった。
周りには俺達と同じように映画を見た後であろう人達がいた。カップルらしき男女が口々に楽しかったねと言っているのが横から漏れ聞こえてきた。
そんな中で男一人女二人の俺達のテーブルは少しだけ浮いていた。
「さて、一息ついたことだし、話そうか」
店員を呼んで注文をして、
「最初に一言言わせてもらうと、面白かったです。先輩はどうでした?」
「面白かったよ」
彼女の言葉の色を見るに、本当に面白いと思っているようだった。
俺が選んだ手前、変な映画だったらどうしようと思っていたのでとりあえず安心した。
「丸は?」
「面白かった! 面白かったよ! やっぱりたいちゃんが選ぶ映画は間違いないね!」
丸とは今までに何回も映画を観たことがあるが、安っぽいB級映画でも感動する丸は大抵なんでも面白いと言うので参考にならない。
「個人的な意見ですけどタイムリープ物って、ありきたりなストーリーラインでも観客の関心を引けるじゃないですか。エンタメ的な要素が強いと言いますか。だからこそ、綿密な伏線の張り巡らされたタイムリープ物は誰もが絶賛するような名作として名を残してると思うんです。
『時をかける少女』とか『バタフライエフェクト』とか『バックトゥザフューチャー』、映画に詳しくない俺ですら何個もあげられます」
タイムリープ物にすればなんでも面白くなるとは思わないけれど、題材的に続きが気になるような展開を作りやすい。
「そうだね、タイムリープ物の映画には外れが少ないと言われてるのも、君の言うエンタメ性の高さが要因の一つなんだろうと私も思う」
「今日見た物もエンタメ作品としてはとても面白かったです、次々に謎が提示されるから中弛みが一切なかったですし。
ただ、さっきあげた作品と違ってメッセージ性がなかったのが残念でしたね。
スリラー系なら必ずしもあるべきとは思いませんけど、ああいうヒューマンドラマ的なやつで結局なんだったのかと思っちゃうと余韻はあまり良くないですよね」
続きが気になる展開を作りやすいということは反面、期待が高まってしまいラストをしっかりさせないと尻すぼみと言われがちになってしまう。
実際今回俺達が見た映画もそうだった。
「私はストーリーラインと演出は秀逸だと思っていたけれど、そういう見方もあるのか。時間軸が複雑に入り乱れる中で、観客をスムーズに話に取り込んでいたと思う。
特に三度目の時間移動のシーンは良かった、あれは映画でしかできない表現だった」
「主演の二人の演技も良かったですしね」
「そうそう、あの女優はとても良い演技をしていた。
小説だったら地の文にかかれるような感情表現を振る舞いや表情であそこまで表現出来るのは恐れ入った。私も見習いたいものだ」
「先輩は今のままでも学生のレベルを超越していると思いますけど。将来は女優になりたいんですか?」
素人目からすると、先輩は十分すぎるくらいの実力が既にある。これ以上を目指すのなら、それは学生の枠に囚われるレベルじゃないような気がする。
俺の質問に、都築先輩は遠くを見るような目をして考え込んでから口を開いた。
「どうだろう、私もまだ決めてないんだ。今の学力なら良い大学には入れるだろうし、とある芸能事務所からスカウトもされている。選べる進路は多くあるだけに、どうしようか悩むんだ」
「贅沢な悩みですね」
風の噂でスカウトされていると聞いたことがあったけど、まさか本当だとは思わなかった。容姿だけでもモデルとして通用するくらいなんだから、それに演技力も加わればスカウトされることは当然なのかもしれない。
「丸はどうなんだ? スカウトとかされるのか?」
蚊帳の外で寂しそうにしていた丸に話を振る。丸は俺に対しては饒舌だけれど、こういう三人以上いる場面では話を振らないとずっと黙ってしまう。
「わ、私にスカウトなんて来るわけないよ!」
丸はとんでもないと顔の前で両手を振る。
「紅に来たんだから、その妹の君に来るわけないことはないだろう」
都築先輩は嘘のない声で言った。丸は自分を卑下しがちだけれど、世間の価値観からしたら可愛いに属される容姿をしている。紅さんとタイプは違うとは言え、顔立ち自体は似ているんだから、スカウトされてもおかしくない、と俺は思う。
「私は……お姉ちゃんとは違いますから……」
丸がぽつりと呟いたのと同時に注文していたものがテーブルに運ばれてきた。俺はボロネーゼで、都築先輩はチーズリゾット。丸は和風たらこパスタだ。出来たての湯気と一緒に食材の香りが漂ってくる。
「紅と君は違う人間だ。違うのは当たり前だろう」
「そういう意味じゃないです……私はお姉ちゃんと違って、優秀じゃないですから」
丸と紅さんは仲が良い。そして、椿本家は親子関係も良好だ。親が紅さんばっかり目にかけているわけじゃない。それどころか家族全員で丸を可愛がっているような節すらあるくらいだ。それなのに丸は卑屈だ。
「紅に比べて、君が劣っている部分が多いのは間違いないだろう。学力も体力も演技力も全て劣っている。背の高さとスタイルも負けている」
「先輩!」
思わず口を挟んでしまった。いくらそれが本当のことだとしても言い過ぎだと思った。
「だがな、紅だってはじめから何でも出来たわけじゃないはずだ。それは君が一番知っていることじゃないのか? 演技だって最初は今みたいじゃあなかった」
丸は何も言わない。紅さんが努力家なのは俺でもよく知っている。妹として、紅さんの近くにいた丸は俺の何倍も分かっているはずだ。
「君は紅に追いつく努力をしてきたのか? 君が努力してないとは思わない。現に演劇部でもとても良くやっている。だが、紅に並びたいのなら超えるつもりで努力しろ。なにせ、あいつは君の一年先を歩いているんだ」
そんなこと考えたこともなかった。紅さんは天才だから絶対に超えることはできない。それが俺と丸の共通認識。だから、俺は丸にいつも言っていた。お前にはお前の良さがあると。
「君の能力は決して紅に劣っていない。足りないのは自信だけだ。君自身が紅に劣っていると、そう思っている限りは紅の横に立つことだって出来ないだろう」
「もしかして……励ましてくれてますか?」
丸が恐る恐る言葉を選ぶようにして聞く。まさか、都築先輩が自分にそんなことをするわけがないと思っているが、それ以外に考えられないというように。
「違う。紅は君の目標であり続けるために努力しているのに、その君に諦められたらあまりにも不憫じゃないか。それに、紅がなんで演劇部をやり始めたか知っているか?」
「お姉ちゃんから誘ってきたんですか?」
丸は初めて聞いたようだ。俺もこの前都築先輩から聞かされるまで知らなかったので、紅さんはあえて言っていなかったのかもしれない。
「ああ。私も紅も演劇の経験なんてないから大変だった。椿本妹が文化祭でした演技を観て自分のやりたいと思ったそうだ。それに、演劇なら君と一緒に出来るからって」
「そんなこと……一言も……」
「言ったら入らざるを得なくなるだろう。私には紅の気持ちを想像することしかできないが、強制はしたくなかったんじゃないか?」
「お姉ちゃんが……」
「私からしておいてあれだが、湿っぽい話はやめにしよう。折角の料理が冷めてしまう」
「そうですね、食べましょう」
ちょっとだけおかしな雰囲気になりかけていたのを打ち払うように、俺はいただきますと言って、フォークを取る。都築先輩も続いてスプーンを取った。
先輩は綺麗な所作でリゾットを口に運ぶと、「美味しいな」と顔を綻ばせた。
丸は少し元気をなくしていたようだったが、好物のたらこパスタを食べると、すぐに顔を綻ばせた。
この店はチェーン店ではあるものの、本格的なイタリアン料理が食べられると評判だったので選んだ。都築先輩と丸の顔を見る限り、その評判は正しかったようだ。
しばらく口をとめて、お互いの食事をしていると先輩はふいにスプーンを置いて、俺のパスタをじっと見つめる。
「君のボロネーゼ美味しそうだな。私もそれにすれば良かった」
「食べます?」
俺は自分の皿を少しだけ彼女の方へと押した。
「いいのか? じゃあ頂こう」
そう言うものの、都築先輩はただ口を開けて止まっている。
「何してるんですか? 発声練習でもするつもりですか?」
彼女が何を求めているのかは分かっていたけれど、俺はあえて聞いた。すると、都築先輩はその端正な顔に怒りを露わにする。
「本当に君は無粋というか、デリカシーがないというか……鈍いのであれば可愛げがあるが、わざと惚けられると怒りしか沸いてこない」
「先輩が無理難題をふっかけようとするからです。でもすみません。ちょっと失礼でした」
彼女が俺に食べさせてもらうことを望んでいたのは分かっていた。俺はそれをするつもりはなかった。だけど、断るにしても小馬鹿にするような言い方をするのは失礼だった。
この人は感情を溜め込む人じゃないので、俺がたまに言ってしまう失言を気付かせてくれる。そういった意味では、やっぱり付き合いやすい人だと改めて思った。
だって、思ったことを素直に言ってくれるので、内心どう思ってるのかと勘ぐる必要がない。嘘が分かるとは言え、言葉にされない気持ちまでは分からない。
「悪いと思ったのなら、やって」
そう言って頬を染めながら小さく口を開ける都築先輩を前にして、流石に断ることは出来なかった。そして、丸にも食べさせる羽目になった。周りの目がとても痛かった。
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