第6話 できない理由
「もしもし、今大丈夫ですか?」
帰宅して、
『大丈夫だよ、台本の件?』
「そうじゃなく丸のことです」
『丸? あの子がどうかしたの?』
「演劇をやるかもみたいな話されませんでした?」
『されたよ、やってみればって言った。
初耳だった。だけど、それなら尚更今日ああなってしまった理由が分からない。
紅さんからお墨付きがもらえるくらいならば、練習で何も出来ないなんてことはないはずなのに。
「今日実際にやったんですけど、全然駄目だったんです」
『え、全然ってどれくらい? 声が出ないとか?』
「そうですね、演技と呼べる物じゃなかったことは確かです」
電話口で紅さんが驚いている気配が伝わってきた。
『……私とやっているときは平気だったんだけどね。
「でも、あいつは中学生の時に文化祭で演劇をやったのは紅さんも知ってますよね」
『うん』
「いくら文化祭とはいえあの時よりも、今日やった練習に緊張するのはおかしくないですか?」
『それを私に言われてもね』
いくら姉妹仲が良いとはいえど丸は丸であって、紅さんじゃない。
どれだけ一緒にいた時間が長くとも、丸のことは結局は彼女自身でないと分からないのだ。
「紅さんでも分かりませんか……」
『そもそも、丸が文化祭で演劇をできたこと自体が私には驚きだったんだよね。あの頃は今よりももっと緊張しいだったから、まあそこが可愛いんだけど』
「はあ……」
『あ、ごめん。そろそろ消灯時間だから切るね、おやすみなさい』
「はい、おやすみなさい」
紅さんとの通話を終え、俺は手に持ったスマホを見る。
丸の感情のことだから、彼女の言葉で聞かないと俺には察することしか出来ないが、折角元気を取り戻した彼女の傷口を抉るようなことは流石に聞こうとは思わない。
ただ、今の通話で俺の中にはさらなる疑問が浮かび上がっていた。
紅さんの練習相手を丸が上手く務められていたならば、尚更今日の丸の惨状は理解できない。ブランクがあるわけでもない、演技自体が出来ないわけじゃないはずだ。
多少は緊張していたとはいえ文化祭でできていたものが、練習且つ観客が演劇部の面々しかいない場で緊張でできないのは考えにくい。
そもそも、あの丸が人前で演技が出来たこと自体が奇跡で、練習で緊張してしまうのが当たり前なんだろうか。
そこで俺は一つの違和感に辿り着いた。
よくよく考えると丸が人数の大小に関わらず人前に出たら緊張するのは当たり前なんだ。
今日緊張で演技が出来なかったことは、イレギュラーではなくレギュラー。
中学生の時に文化祭でできたことがイレギュラー。
そうなると、中学生の時にあって今日はなかった、何らかの要素があるはずだ。
一つだけある。紅さんの相手役をしている時と俺と一緒に演劇をした文化祭にあって、今日はなかった要素が。
◇
「丸、もう一度だけ挑戦してみないか?」
俺は次の日の昼休み、早速丸にそう話を持ちかけた。
丸は聞いた途端、珍しく怒ったように眉根を寄せた。昨日の今日でどういうつもりだと言うように。
「なんでそんなこと言うの? 昨日は私は演劇ができなくてもいいって言ってたのに」
「それは言ったし、今でもそう思っている。ただ、できるならやった方が良いと思う。今後丸が演劇をやるかどうかは別にして、人前に出ることの苦手意識がついたままなのは良くない」
「でも、昨日は――」
「今日は俺がお前の相手役をやる」
昨日の夜、俺は丸が失敗した箇所での相手役の台詞を覚えてきた。自分で書いてものなのですぐに覚えてこられた。
「たいちゃんが?」
文化祭で演じられて紅さんとの練習でもできたのに、演劇部での練習ではできなかった理由。それは、俺と紅さんの存在というのが俺の考えだった。
「ああ。中学生の時に出来て、昨日できなかった理由って親しい人が近くにいたかどうかだと思うんだ。紅さんの相手役をして結構上手って言われてたくらいなんだから、出来ない方がおかしい。江守さんより下手でもいいんだ、やるだけやってみないか?」
丸は人見知りだ。だけど、俺と紅さんみたいに付き合いの長い人相手ならば饒舌になる。だから、丸が心を許せる相手がいれば自然に演技ができるはずだ。
「……ホントに、ホントに私が出来ると思う?」
丸の丸い瞳が俺を見ている。
「俺は出来ると思ってる。俺は嘘はつかない」
嘘はいらない。俺は正直に思っていることを口に出した。
「たいちゃんがそう言うなら、私……もう一回やってみる!」
そして、同じく屋上で昼飯を食べていて都築先輩に打診し、再び演劇部の練習に参加させてもらえることになった。
◇
「見違えたな。そうか、三井くんがいるかどうかが大事だったんだな」
都築先輩が拍手しながら舞台上の丸へと近づく。
丸の演技は完璧だった。勿論都築先輩や紅さんに比べると劣っていただろうけど、他の演劇部員と比べて遜色ないか、それ以上だった。
丸は丸で、自分がここまでできることに驚きを隠せていないようで、顔を紅潮させている。
見違えるなんて言葉じゃ言い表せないくらいの変わりように他の演劇部員も目を丸くしている。どちらかといえば丸よりも俺の演技の陳腐さが際立っていて、非常に恥ずかしかった。
「別に俺じゃなくてもいいんです。紅さんでも俺の代わりにはなりますよ」
「違うよ、それは違うよ! 私が勇気を出せたのはたいちゃんがやってくれたから。それは、誰でも代われない、たいちゃんだけができること……だよ」
丸がおずおずと俺の右手を両手で包み込む。
彼女の何色でもない言葉は、嘘偽りない言葉として俺に届いた。
「人前で随分見せつけてくれるじゃないか」
「あ、そんな見せつけるとか、じゃなくて……その……」
呆れ顔の都築先輩の声に、丸は慌てて手を放す。
「兎にも角にも、これで皆も文句はないな。椿本妹と江守のどちらかをメインヒロインに据える。そして、もし椿本妹が選ばれた場合――主人公は三井くん、君にやってもらう」
「いや、それはおかしいでしょ。今の見ました? 自分で言うのもなんですが、酷いもんでしたよ」
一言二言くらいしか台詞のない、そこらの脇役ならばやれるかもしれないけれど、いくらなんでも主人公は出来ない。
「椿本妹に比べたら酷いものだったけれど、客観的に見ればそこまで酷くはない。うちの部員として今すぐやっていけるレベルだ」
「主人公ですよ? 俺みたいなぱっとしない奴がやるべきじゃない」
丸は何だかんだで可愛いから、ヒロインをはっていてもおかしくない。
ただ俺は誰がどう見てもthe普通。贔屓目に見ても中の上にいけるかどうかっていうくらいだ。
「いや、君くらいの方がいいんだ。あまりにも美男美女だらけで構成されていたら、それはそれで違和感がある。それに何度も言うが、あくまで保険だ。
元の配役で出来そうならば、そのままやる。それに君は演劇部に籍を置いているらしいじゃないか、少しくらい役にたったらどうだ?」
都築先輩が意地の悪い笑みを浮かべている。
脚本作成に携わっていることを俺が言い出さないからってとんでもないことを言い出した。
「たいちゃん、一緒にやろうよ」
「どうせ君は暇だろう。文芸部なんて大した活動はしていないんじゃないか?」
丸もいつになくやる気になっている。
どうせ文芸部という実質帰宅部に所属していて暇をしているのは事実。
「分かりました、やりますよ」
そうして俺と丸は急遽演劇部の活動に参加することになった。
基本朝練と自主練だけで、授業後の部活動では少しだけ参加するという形にしてもらった。
はっきり言って、本当に大会に出る気は微塵もない。
都築先輩がどう考えているのかは分からないが、丸だって俺と似たような気持ちのはずだ。
ただ、丸がやけにやる気を出していたから付き合おうと思っただけだ。
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