酸性

tu-buri

途中の村

 その村は少し貧相な村だったが、人々は温厚だった。ヘクトが入ってすぐの所で畑を耕していた青年に、宿はどこにあるだろうと聞くと、宿は無いけれどヨイサシさんの家なら旅人を泊めてくれると教えてくれて、案内までしてもらった。

 泊めてくれるというヨサイシ氏の家は、決してその村でも特別大きい訳では無かったが、立派なメジハウシ二頭が牛舎の中で牧草を食んでいた。家の戸を叩くとふくよかな夫人が迎え出てくれた。この村ではあなたのような旅人を歓迎しているのだと好意的な対応をしてくれた後、大きな体をゆすって部屋に案内してもらった。おれは手厚い歓迎が嬉しくて、前に立ち寄った街で特価だった干し肉を、全て宿代として夫人に渡した。彼女は、申し訳ない、申し訳ないと言いながらも嬉しそうに受け取ってくれた。

「最近はこの街に立ち寄る商人の数が減っているのですよ」

 日が暮れ、農耕から帰ってきた恰幅の良いヨサイシ氏は、麦酒を呑みながらこれからの不安を語りだした。ヨサイシ氏と、夫人と、その娘の食卓に同伴させてもらっていた。

「商売が成り立たず不便な土地になってしまえば、いつか村人総出でどこかに引っ越さなければいけないかもしれません」

「確かにこの場所は少し難しいかもしれませんね。主要な馬車道から、一本外れた場所ですから。もういくらか立ち寄りやすい場所だったら丁度よい休憩所になりそうですが」

 ヘクトはこういった会話がどちらかと言えば苦手だった。この類の問題は村の彼ら自身で解決すべき問題であり、力になれない自分が申し訳ないからだ。

「それでも、いずれかはもっと大きい場所に行くべきなんでしょうねぇ、いつかは動きださなきゃいけないんでしょうが、村まるごととなるとどうしても腰が重くて」

「あら、でも若い子たちは乗り気なのも多いみたいよ」「それでも全体の方針を決めるのは年寄りだからなぁ」

 出されたスープをすする。木製の容器に入ったその温かさと、ごろごろと大きい野菜から、この家族の優しさを感じる。娘は口々に悩みを吐きだす夫妻をよそに、食事に集中している。

 ふと二階の方から、なにやら物音がした。

「あら、またかしら」「お前、ちょっと見てきてくれ」

 夫人はいそいそと、前掛けで手を拭いながらながら二階へ上がっていった。

「どうかしましたか」

「あ、いや、息子の方が体調を崩しましてな、なんだか身体の自由がきかないそうなんです。暖かくして寝かしつけてるんですがね、ここ十日ぐらいかなぁ、一向に良くならなくて。一体、どうしてしまったんでしょうなぁ」ヨサイシ氏は眉間にシワを寄せた。よくない事が続いているのか、なかなか深い溝が刻まれている。

 階段の上から音を立てて夫人が降りてくる。

「身体の方はまたなんとか落ち着いたみたい。でも、またこれよ」

 夫人が手に持っていたのは、半分に折れた木のスプーンだった。

「ああ、またか。これで何本目だろう。新しいのを作ってこなくちゃな」

「どうしたんですか、これ」

「いやぁ息子なんですがね、調子が悪いのは確かなんですけれども、なんだか力が有り余っているみたいで。スプーンフォークもそうですし、棚の取っ手とか手すりとか、掴んだ物を次から次へと壊してしまうんですよ。加減が効かないからしょうがないのは分かってるんですけど、私は何度も木を削って新しいのを作らなきゃいけないから、気が滅入りますよ」

「なるほど、ご夫人、そのスプーン、少し見せて下さい」

 ヘクトは夫人から壊れたスプーンを受け取る。思ったよりしっかりした硬い木で作られていたが真っ二つに折れている。彼はその尖った継ぎ目の部分を合わせて、両の手でしっかりつかんだ。長く息を吐いて呼吸を整え、一息にその手に力を込めた。すると、彼の手の隙間から激しい緑の光が放射状に飛び出した。ヨサイシ夫妻は驚いて身体をのけぞらせる。娘は目を輝かせている。部屋一面が緑に覆われ、やがてその光が収まり、彼がスプーンから手を放すと、もう使い物にならなかったスプーンが、本来あるべききまっすぐな一本になっていた。家族は感嘆の声をあげる。やった張本人のヘクトは、ぐったりとした様子になって肩で息をしている。

「こりゃ驚いた。ヘクトさん、これはもしかして、魔法ってやつですか」

 息も切れ切れ、話し出すのもやっとという様子で口を開いた。

「ええまあ。タンセーの王立図書館で、少しだけ勉強したんです。センスが無くてこれぐらいが関の山ですけどね」

「すごい!」

 娘はまっすぐになったスプーンを手にはしゃいでいる。ヨサイシ夫妻も開いた口が塞がっておらず、一緒になって感心している。

「こりゃ驚いたなぁ。噂には聞いてたけどやっぱり魔法だ、信じられん。ヘクトさん、これいったいどうなってるんです?」

「習ったのは、なんでもこう綺麗に壊れてるものってのは、全体を見ればもちろん使い物にならないが、壊れた一部分だけ、つまりスプーンの折れた、いわゆる傷口みたいな部分に着目すると破壊されているのはほんの少しなわけで、折れたスプーンと元のスプーンは実は対して違わない。だからこの変化が起こったからってそんなにすごい変化が起こっているわけでは無い、という訳だそうです」

 なんだかよく分からない説明だった。しかしヘクトもこういう風に習ったのだからしょうがない。ヨサイシ夫妻も娘も、何を言っているのか分からない様子だった。しばらく考えたのち、ヨサイシ氏だけは要領を得たという顔でひらめいた風になって、なるほどなぁと呟いた。彼は本当の所何も理解していなかったがそうやって家長としての威厳を示そうとしていた。しかしそのことは夫人はもちろん娘も薄々気がついていた。

「なるほどなぁ不思議なもんだ。他には、他にはどんな魔法ができるんですか?」

 家族たちが興奮した様子で尋ねたが、当のヘクトはぎこちない顔になった。

「申し訳ないですが、さっき言った通り、おれにはこれしか出来ないんですよ。他にもいろいろなのを勉強したんですが、出来るたはこれだけでした。物をほんの少しだけ、それもあんまり大きくないものだけを、なんとか治せるだけなんです。」

 ヘクトは期待させてしまった事に申し訳無さを感じていた。それでも家族たちは全く未知の不思議な能力に興味津々で、いろいろヘクトに聞き出そうと目を輝かせていた。しかし彼はその視線に答えられなかった。

「すいません、申し訳ないのですが、さっきのですっかり疲れてしまいました。今日はもう遅いですし、休ませて下さい。魔法の話は、また明日にでも。」

「えー」娘さんが非難の声を上げる。無理もないことだったが、夫妻は娘をこらこらとたしなめる。内心は同じ気持ちだった。

「ご夫人、息子さんは今どんな様子ですか」

「息子ですか? うなされてずっとつらかったみたいですが、さっきなんとか眠りについたところです」

「そうですか。それなら明日の朝、少し見させて貰ってよろしいですか?」

 ヘクトの申し出に、夫妻は顔を顔を見合わせた。この人なら、もしかしたら息子をなんとかしてくれるのではと思った。

「ええ、それはもちろんです。息子を、どうかよろしくお願いします。」

 次の日、ヘクトが眠気の残る顔で寝室から出ると、ヨサイシ氏と夫人が期待に満ちた眼差しでヘクトを迎えた。ヘクトは驚いて緊張した。夫妻は息子さんの事で頭がいっぱいなのだ。

「おはようございますヘクトさん、早速息子を、ああ、朝食が先ですな、失敬失敬」

「いえ、大丈夫です、息子さんの様子を見せていただきます」

 夫妻の浮足立った様子の中で飯を食べろというのが無理な話だった。それでは、とヨサイシ氏が席を立ち、二階の息子の寝室に案内される。部屋の壁や家具にはちらほら穴が見受けられた。その幾つかは木の端材で応急処置されていたが、まだ直せていない場所が大半だった。息子は、ベッドの上でうなされている。顔は上気していて真っ赤だった。

「あんまり近寄ると危ないですぞ、時折すごい力を出すんです」

「ええ、気をつけます」そう言いながらもヘクトはそそくさとベッドに近づく。息子はうう、ううとうなりながら目をきつく閉じている。ヘクトはしばらくその様子を観察したのちに、確信したようにうなづく。

「おそらくなんとか出来ると思います。息子さんに触れても大丈夫でしょうか」

「ええ。もちろん、もちろん」

 息子の首元に手を触れた。真っ赤に血がのぼっている首筋は、沸騰するように熱く、脈は速く流れていた。昨日のスプーンと同じように、彼が両の手を首元に当て、その手にぐっと力を込めると、緑の光が放射状にほとばしった。昨日よりも少し長い間輝いていたが、やがて光はしぼんでゆき、どうやら治療は終わったらしい。ヘクトはすっかり衰弱して、目がとろんと溶けていた。呼吸はずっと深く、今にも倒れそうだった。ヨサイシ氏はこっちも崩れ落ちてしまうのではないかと心配した。

「少し様子を見ましょう」

 ヘクトとヨサイシ氏は、部屋の隅で固唾を呑んで息子を見守った。彼の激しく寝返りを打つ音と荒い息が続いた。次第に息子の唸り声はだんだん小さくなって、やがて安らかな寝息に変わった。

「あとは自然に起きるまで待ちましょう。おれも少し疲れてしまいました」

 ヨサイシ氏はヘクトの手をとって、ありがとう、ありがとうと感謝を述べた。ヘクトは朝食も食べずまた寝室に帰って眠りにつき、起きる頃には昼にも遅い時間帯だった。

 ヘクトが夫人にたくさん出されたパンとスープを勢い良く食べていた時、二階から、ヨサイシ氏の肩を借りて息子が降りてきた。

「オヤジ、大丈夫だって、もう一人で歩ける」

「お前、昨日までずっとああだったんだ、もっと用心せい」

 大丈夫だって、と呆れながら息子がヘクトの向かいに座った。

「ヘクトさん、俺を見てくれたんだってね。オヤジから話を聞きました。俺、テイグって言います。本当にありがとうございました」テイグと名乗る少年は深々とおじぎをした。精悍な顔立ちをしていて、年の割にしっかりとした印象の子だった。

「お礼なんてとんでもないよ」夫妻とテイグは、何を謙遜してらっしゃると言いたげに苦笑いしている。ヘクトは彼らにとっては医者よりも遥かにありがたい存在だった。

「きみの病気も最近になってやっと治療できるようになったんだ。これも魔法の研究のおかげでね。なんでも魔法を使う為の力が有り余っていて、行く場所がなくなって暴れだすという仕組みで起こるみたいだ。これにかかるのは上手く魔法を使える人ばかりね。さっきやったみたいにすれば治るって事が分かっている。イメージとしては、その力がまだ行き渡っていない場所を探して、そこに流してやる感じなんだけど、まぁそんなに難しくはない。俺もこれまでに三人を治療したことがある」

 やっと全員揃った家族が、へぇと感心した様子で聞いている。聞き姿がどことなく似ていてやっぱり家族なんだなぁとヘクトは思った。

「それじゃあ、もしかして俺にも魔法が使えるんですか?」

 その可能性に気がついた途端に、はっとなってテイグと夫妻は目を輝かせた。

「確かに、さっきの話の通り魔法の力が有り余っているんなら、そうなりそうですよね? どうなんですかヘクトさん」揃って期待の眼差しでヘクトを見つめる。ヘクトはたじろんだ。

「確かにその可能性が高いかもしれないが、必ずそうって訳では無いと思う。うん、まぁもしかしたら、センスがあるのかもね」ヘクトはしまったなぁという顔をする。

「ええ、ほんと!? それじゃあヘクトさん、俺に魔法を教えてくれない?」

 テイグは食い気味になった。家族も面白いことが始まりそうだと言わんばかりのである。

「申し訳ないがおれは魔法の大先生じゃ無いんだ。俺よりもっといっぱい魔法を使えるやつはたくさんいる。それこそ、教えられるのはさっきの少し物を治せるやつ、修復だけなんだ」

「それでいいからさ!」

 結局その後も勢いに押されて、テイグに修復の魔法を教えるようとりつけられた。今までに何回か修復の魔法で人助けをしたことがあったが、その度彼らが目を輝かせていたのをテイグは思い出した。彼らは魔法という言葉を聞いた時は、自分にはまったく無関係であり不必要なものであるのだという振る舞いをするが、自分達がものにできるのでは無いかと気づいた瞬間、たちどころにくいつくのだ。

「それじゃあまず小さいのからな」

 テイグの寝室で、ヘクトとテイグは折れたスプーンを持って向かい合っている。テイグは緊張の面持ちだ。

「こうやって折れている所をぐっと持つ」

「ぐっと持つ」

「力を込めながらこのスプーンを直したい、直したいと強く念じるんだ」

「うん、それから?」

「それだけだよ」

「それだけで良いの?」

「まぁ、とりあえずやってみるといい」

 テイグは目をつむる。そしてスプーンを握りしめると、たちまち緑の光が部屋を覆った。先の通りだ。テイグの手元にはまっすぐになったスプーンがある。

「……これだけ?」テイグは怪訝な表情でヘクトを見つめている。

「それだけだよ、他の物でも同じように出来る。試しにそこの穴の空いた壁でやるといい」

 同じ要領でテイグが壁に対してやると、光を出しながら穴が塞がった。

「すごい……。けど、なんか思ってたのと違うね。こんな簡単なこと、魔法なんて名前が付く前に誰かが気が付きそうだもの。もっとなにか、複雑な段階を踏んだり、用意するのにすっごく時間がかかるものだと思ってたよ」

「魔法なんてそんなものなんだよ。要するに、これって出来るのかなぁとか、もしかしたら出来るんじゃないかっていう疑いがあると魔法は起こらないんだ。こうすればこうなる、そうに違いない。混じりっ気のない純然たる確信が魔法を起こすのさ」

 テイグは明かされるその仕組みに驚きと落胆が入り交じる。もっと高尚で、偉大で、尊大な魔法像を期待していたようだ。

「さ、おれの教えられる魔法はこれだけだ。さっさと壁の穴を塞いでしまいな。これからも、この村でなにか壊れてしまったら、同じようにして直してあげるといい。他の魔法も大したことはない。魔法で出来ることなんで、こんなもんなんだから」

 そうなんだぁと呟き、期待を裏切られたテイグは壁の穴を直してゆく。一度見た手品に飽きる子供のようだった。

 次の日の朝、まだ皆が起きて来ない時間にヘクトは出発の支度をして、少し早くに朝の炊事をしている夫人に話しかけた。

「夫人、これはテイグくんの王立図書館への入館推薦状です。彼がしかるべき年齢になった時、ご両親で相談して、納得の上で将来の選択肢の一つにしてください」

 突然の事に夫人は怪訝な顔をする。

「いったいどうしたんですか。推薦状なんて、そんな」

「言ったとおり、あの病気にかかる人っていうのは、生まれつき魔法を使う栄養みたいな物が多いんです。もしかしたら、と思ったんですけれど、昨日の彼の様子を見て確信しました。彼は魔法を使うことに関して、数年に一度の逸材です」

「えぇ!」驚きの余り夫人はひっくり返りそうになった。。

「あの病気にかかるの人たちの中でも、彼は格別です。普通だったらあのスプーンを直しただけでも、慣れてない初心者は疲労の余り気絶、ずいぶん長く使っているものだって私のように肩で息をするのが普通。その中で彼は、全く疲労を見せずに壁の穴をいくつも塞いでしまいましたよ。まさかこれほどまでとは」

 夫人はわけも分からず途方も無い息子の才能話に立ち尽くしている。これまでの生活に全く関わってこなかった異形の概念を受け入れるにはまだまだ時間がかかるはずであった。

「世の中には修復だけじゃない、もっとたくさんの魔法があります。物を直すものがあれば壊すものがある。人を治療するものがあれば病に陥れるものだってある。一度手にしてしまえば元の生活には戻れなくなってしまう力、それを殆どの誰よりも存分に振るう才能が息子さんにはあるのです。どんなに彼が良識のある子どもだからって、とてもあの歳から身につけていいものでは無い」

「そんな、息子はこれからどうなってしまうの」

「安心してください。魔法は、基本的には人から教わらないと使えるものではありませんから息子さんが危ない魔法を習得する可能性は低いです」

 夫人は全く安心出来ていなかった。仕方のないことだった。どれだけ理屈を通したとしても親にとっても子供の将来は心配なものだ。彼は一通りテイグを危険から遠ざける手段を夫人に享受した後、加えて一枚の紙を取り出した。

「それと、もし図書館へ通わない事になった場合、これを参考にしてください、別の魔法が書いてあります。少し間違えると悪用されかねないので、ある程度彼の倫理観が育つまで成長してから、息子さんにお渡し下さい。きっと生活の役に立つはずです。」

 そこに書かれていたのは切断や発火、念動などの基礎的な魔法であった。ヘクトはテイグの魔法の才能が埋もれてしまうのも危惧していたが、何より彼の人生を魔法で破滅させてしまうことだけはあってはならなかった。彼の人間性が確立した後、周りの人を助ける為だけにその力が使われれば十分魔法に因る幸福を享受できるだろう。

「それを見せるときが来るなら、遅ければ遅いほど安心です。どうか、慎重によろしくお願いします」

「正直まだ飲み込めてないんだけれど、あなたがそう言うんだったらそうなんだろうね。主人と相談して決めます。」

「この家には本当に良くしてもらった。感謝しています、ありがとうございました。それでは」

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酸性 tu-buri @nurumayukaku

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