第23話 旧ジェット発着場――6時43分、第九天菱号

 知らない街を歩いても大して迷わないのはえいの昔からの特技のひとつで、不完全な映像や見取り図からでも適当に補完して頭の中に3Dモデルを作って回せるから映像の仕事ではずいぶん便利に自分の脳を使ってきた。

 だから今、上六階左舷から上七階船尾に移動するのも特に迷うことはなく、大体で歩けばそうなる。それに、進むにつれて人がちらほら出てきて皆同じ方向に向かっているのだから、これは答え合わせをしてもらったのと同じようなもの。こんな夜明け前に誰も彼もがてんでばらばらの目的地に向かって走っているわけがない。行き先は皆同じなのだ。

 作業服もジャージもいるし、ジーンズに甚兵衛もいる。男も女も、若いのも年寄りもいる。

 旧ジェット発着場の待合ロビーでは離発着区域に開く耐圧ガラスの出入口を全て閉め切り、壁側の非常シャッタを上げる作業の最中だった。照明はいておらず、銘々持ってきたらしいランタンや投光器であちらこちらが照らされている。薄暗い中でも最も光量が集められているのは非常シャッタの前で、天井に押し上げられたシャッタの向こうからは巨大な金属のディスクが現れている。


「本田ぁ、このデカい円いやつかあ?」


『そうそれ。シャッタ全部開けて、まず両側の壁にハンドルの部品埋まってるから、壁の説明通りに組んで』


 夜明け前の静まり返っていた船内が嘘のように人の多いロビーで、よく通る声で喋っている誰かと、音のあまりよくないスピーカからの声とで会話が成立していた。見ると、非常シャッタの操作盤のところにいる恰幅のいい中年男性が声の主の一方だ。白いインカムをつけている。


「まじかよこれ、めちゃくちゃ原始的じゃね? ザ・力学じゃん」


『建造時にいいだけコストカットされたんだよしょうがねえだろ。当時もうジェット機のバスは下火だったんだから。それデカいからな、周りにぶつけないように気を付けろ。組み立てに何人か要るぞ』


「やってらあ。おめーんとこの息子がいるわ、手順はカイにお任せでいいだろ。そっちこそ命綱ちゃんとしろよ! 死んだら俺らが柴にボコられる」


『うるせぇ、天菱の百周年まで死ぬかバカ』


 思いのほか陽気な笑い声を立てながら人々は、壁から何か大きな部品を取り出すのを手伝ったり、離発着区域との境の耐圧ガラスに手動でシールドを下ろす作業をしたりしている。シールドは透明で離発着区域とその向こうの暗い進入路、そして閉じたままの扉が見えていた。

 それなりに長い進入路の遠くの方には、フルハーネスの安全帯をつけた作業服姿の男の後ろ姿が見えた。ハーネスの反射材が薄く光り、壁沿いには派手な色の命綱が繋がっている。壁や床には妙に波打った線が進入路の両側に引いてあり、よく見るとそれはフリーハンドで塗られた発光塗料のようだった。

 と、視界の端に何か見慣れたものを捉えた。もの? ものではない、青菊あおぎくだ。シールドの降りた窓のそばの小部屋を覗き込んで入っていく。中にもう一人、誰かランタンを持った者がいる。鋭児はすぐさまそちらに近付いた。


「青。おはよう、何してんだ」


 声を掛けると青菊は部屋の中でくるりと振り返った。見覚えのある銀塩一眼レフを斜めがけにしている。


「あれ? おはよう、早いね。てかよくここに辿り着いたね」


「え、青ちゃん、ご家族?」


 後ろから覗いたのは眼鏡の若い男だった。青菊のやけに近くに立っているのが気にはなったが、その男が話し出した声を聞くなり鋭児は、あ、と言ってしまった。


「昨夜ずっとラジオで喋ってた人ですよね?」


 映像にせよ放送にせよこの業界で番組を持つレベルの者だと分かれば鋭児はタメ口をきかない習慣がある。それが娘の友達であってもだ。


せきひとといいます。ラジオ天菱で番組をやっています。青ちゃんとは友達で。……中原鋭児さんですか」


「ええまあ、そんなようなものです。青がお世話になってます」


「いえ、こちらこそ、色々と仕事を手伝ってもらってる立場でして」


 ランタンの控えめな白い光の中で汐は、よれた眼鏡を押さえて直しながらやや呆然としている。寝起きと見えて髪がはねていた。目の下にくまもある。それもそのはずで、少なくとも午前二時まではラジオで喋っていたのを鋭児は聞いている。

 汐も昨夜の本田かいと同じで、状況から青菊の家族構成に関するほとんどのことを察したらしかった。また汐が驚いたことからも、昨夜スタジオに戻ったはずの海里が何も喋らなかったことが分かる。他者のプライヴェート情報を軽々に扱わないという船員の暗黙のルールは本当に存在するんだな、と鋭児は感心した。

 汐は、この発着場全体が停電してるらしいんです、と言った。来たなら情報は共有するし、ことによったらあなたの手も当てにしますよ、という素早い態度のスイッチが極めて好ましい、と鋭児は思う。


「……こちらに向かってる柴さんのシップとここは普段、接近すると自動で信号をやり取りして管制代わりに安全確認したり、安全に停止すればそれを感知して待合ロビーのドアを開けたりするんですけど、それがまるごと全部失神してるんで」


「え、あ、そうか。オートパイロットで着陸するための装置が動いてない……」


「そうです。ただ柴さんは普段からオートパイロット使わないフルマニュアルなんで、今みんなが頑張ってるあの扉さえ開けばまあ心配ありません。進入路視認のための誘導灯も点きませんけど、発光塗料で線を描きました。シップとの連絡は天菱の操舵室のほうで取れてまして、僕は操舵室からの中継をここで受けて」


 汐は、先程の中年男性がしていたのとよく似た白いインカムを指差した。


「……明らかにヤバい進入じゃないかどうか、目視とこの速度測定器レーダーガンでチェックして柴さんに伝える役目です。で、うまく入って停止して進入扉も閉まり安全になったら、待合ロビーのドアを開ける合図をする。という役割です。レーダーガンの設置場所がこの部屋でして」


「なるほど。あなたは放送の人だから聞いたり喋ったりは適任ですね」


「といっても、管制用語も何も知りませんけどね」


 汐のつけているインカムは携帯端末ワンドで船内ネットワークを経由して操舵室に繋がっているらしい。喋りながら汐が三脚を開いて設置しようとしているレーダーガンには外付けのバッテリが繋いであるようだ。小部屋の外では何かの組み立てで大騒ぎだった。相変わらず割れかけたスピーカーと喋っている声が聞こえる。


「外のあれは? あの人と誰が喋ってんの?」


 青菊に問うと、カイくんのお父さん、と返事があった。


「あのほら、ハーネスつけて扉の方に行ってる人。あれがお父さん。天菱の技師で、この発着場のメンテも普段やっててここのことは柴さんの次によく知ってるの。壁んとこで騒いでる唐沢さんとは船内ネット通話してるんだけど情報共有めんどくさいから、多分誰か持ってきたスピーカ繋いで音出してるんだな。あれなら他の人に説明し直す手間が省けるから」


「なるほどね。であのデカい円いのを……回す?」


「回す」


 青菊は頷いた。


「ハンドルを組み立てて取り付けて頑張って回すと向こうの扉の開閉ができます。めちゃくちゃ重いですけどね」


 汐が引き継いでそう説明する。


「完全に物理の力で開けるんで、この時代に信じられないような原始的な代物なんですけど、今回みたいに停電した場合のことを考えるとどうしてもああじゃないと」


「なるほどねえ……」


「それにしてももっとやりやすい装置はあるんですよ。ただ、天菱は建前上、ジェット機の離発着業務は営業終了してまして、柴さんのシップだけ唯一の例外扱いで運用してるんです。それで、この発着場に天菱側からのまとまった設備投資は見込めない。あの装置もおいそれと取り替えられない、というわけです。ここは書類の上ではもう柴さんの船室キャビンなので」


「あのパイロットの人が自費で設備更新するならいいけど、ということですか」


「そうなりますね。やるとしても個人で賄うには高価だし、かなり大掛かりな工事になるので、諸々申請した上で天菱側の許可が必要ですが」


「なるほど。……それにしても、名目上は個人のスペースなのにインフラとして役に立っていて、何かの時には皆入ってきてどう動かしたらいいか知っているというのは凄いですね」


「ここは船ですからねえ。どうかすると誰も助けに来てくれませんから、いざという時に何をしたらいいか皆で共有してしまわないといけないんですよね。船室キャビンにしても私有ではなくて貸与ですから、何かの時には許可なくぶち破って入りますよ」


 それに柴さんは結構好かれてるんですよね、だからあいつを助けるためなら手伝いくらいするよって人は結構多くて、と言って汐は笑った。鋭児にもそれは分かる。この夜明け前に、呼び掛けに応じてこれだけの人数が駆け付けるのだから。昨夜オリオーザに乗せてもらって天菱に着いたときも、クルーは柴に飛び付かんばかりに喜んでいた。

 それに何よりも、青菊の友達だというのだから。


「あ、それで青、お前はどうして来たの。腕がそれだとモノ持ったりは辛いでしょ」


「もちろん写真撮りに来たんだけど、ちょっと今混み合ってて邪魔になりそうだから先にこっちからカイくんのお父さんとか汐さん撮った」


「ああ写真……」


「オリオーザが帰ってくるところを撮りたい」


 まだ閉まったままの進入扉をまっすぐ見て青菊はそう言った。思わず撮りたいような、強く力のある目をしていた。


「時間もいいし、何よりここにこんなにたくさん人がいることが珍しい。大勢に待ち望まれて飛んでくるオリオーザは、きっと、これまでで一番きれいだろうと思う」


 言われて改めて青菊のカメラを見ると、ついているレンズは標準ではなく望遠ズームだ。発着場のこの間取りでこのレンズ。自分の周囲の人間ではなく遠くのモノをメインに撮ろうとしていることは明らかだった。

 十ミリ超広角とか持って来てないの、と聞くと、広角撮りたくなったら携帯端末ワンドのカメラで撮る、と現代っ子らしく割り切った答えが返ってきた。笑ってしまう。まるで仕事の撮影の打ち合わせだ。恐らくさっき撮ったという汐の写真なども携帯端末ワンド撮りなのだろう。

 自分の娘と、こんな会話をしている。自分が勧めてカメラを持たせた娘と。あのおうぎやまでの夜がまるで昨日のことのように感じられるのに。生まれたときは、あんなに小さな赤ん坊だったのに。あの小さかった青菊が、今はもう一人前にやりたいことを認識し、そのために考えて、行動している。

 未来を狙う狙撃者の目をしている。

 これが恐らく、家族も知らない鍵倉かぎくらはなの顔なのだ。

 そう思ったとき、遠くから唐沢というあの男性の声がした。


「到着予定時刻まであと五分だ! 回すぞ本田、汐もいいか!」


 小部屋の窓に可除リムーバブルマーカーで様々な速度の目安などを書き出していた汐は、呼び掛けられるとインカムのどこかを触って答えた。


『汐です、通信正常です。柴さんも聞いてますよ』


 汐の聞き取りやすい発音がロビー側のスピーカに乗る。


『本田だ。進入扉、歪みや異物は確認できない。手動操作始めてくれ』


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