第12話 物語のありか――10時7分、鴬台
「もう時効だから言うけど俺、映像に弱いじゃん」
「弱いね」
「夜景の真ん中に空港のタワーがあって、その上のところでフネの光が行ったり来たりするのがむちゃくちゃ綺麗で、すぐには青の怪我に気がつかなかった」
やりかねない、と白音は思う。
「青がまた、痛いとか苦しいとか言わない子なんだよね」
そう、あれは鋭児に似たのだ。
「それで気付かなくて……しばらく二人で並んで、夜を見た。ちょっと話したりして」
「何の話」
「青菊の好きなものとか。改めて聞いたのはほとんど初めてだったな。お前知ってる?」
ひやりとする。知らない、そんなもの知ろうともしなかった。今なら、写真じゃないの、としか答えられない。
「夜。星。飛行船」
既に起き上がって暖炉を見ながら床に
「花。魚。鳥。空。雨。雪。雲。五月の優しいくっきりした光」
デジャヴのように、言葉が現われる。
それは青菊の写真集の中で見たものだ。
そしてルーツを同じくするものを、鋭児の写真や映画の中に見てきたような気がする。
「陽光を透かした植物の緑。肌の上できらきらするアクセサリの光。ひかり」
光。
そうだ、あの子は、自分は強い日差しが苦手ですぐ木陰に入りたがるくせに、そんなものばかり撮る。
「青菊の好きなものって全部、『光景』なんだよな」
鋭児は面白そうに言いながら白音を見た。
「ぬいぐるみだのお花のピン止めだの、自分が所有する、自分が占有できるものじゃなくて、光景なんだな。それがなんか、面白くてね。あいつは目に映る世界を綺麗だと言ってる。だからその風景を、
「……それでカメラか」
「まあ写真撮るの自体はその時初めてじゃない。お前らは今時の子だからな、小さいうちから
「ああ……」
それは当時、白音もたまに見ていた。
青菊が一番初期に買い与えられた携帯端末は子供用で、そのままではカメラも貧弱だったが、何しろ青菊の保護者は映画監督兼写真家と俳優であった。元々レンズのまともなモデルを買っていたうえ、後から有償のソフトウェアを買い足して、スナップ程度ならレンズと後処理の力で高級モデルにもひけを取らない作画が可能になった。これは青菊が特別扱いされたわけではなく、その何年か前に鋭児は白音の携帯端末にも同じことをしている。
姉妹は撮る写真も全く違っていて、白音は友達と一緒の自撮りが主。一方青菊は人間を撮ることがほとんどない。家のストレージに上がった鍵なしの写真は家族なら自由に見ることができるから、白音はそれで、たまに青菊の写真を見ていた。
地味で冴えない妹の、地味で冴えない写真を見て鼻で笑う態度だったことは否定しない。どんなダサい写真を撮っているかと、はなから馬鹿にする気で覗いたのだから。
見て本当に、友達のいないつまらない子だと思ったことを今も覚えている。写っているのは通学路と塾の行き帰り。あとは自宅。ほとんどそれだけで、人間がいない。いつも同じような木や花や地面や雲を撮っている。そこに何が写っているのだか全く分からない真っ黒な夜空が混じる。まるで面白くない。友達とシェアできるような写真じゃない。
だから青菊がフィルムで写真を撮り始めたときは似合わないことを始めたと思った。後々青菊が写真家として世に出ることなんか、予想もしていなかった。ホームストレージのあの面白くない写真たちのことを覚えていたからだ。
でもいま鋭児は、携帯端末撮りのあの写真のことも、結構いいと言った。それも白音には、もう意味が分かる。撮り方に雑味があり、撮った後の処理もろくにしない写真だったが、自分だけが気付いたものをある意味で執拗に撮り続けるスタイルは鋭児のスタイルと似ている。それが分かったのは青菊の出した写真集を見たときだ。
鋭児にはこうなることが見えていたのだ、と思った。自分よりも青菊のほうが、鋭児に近い存在なのだと。
「……で、やらせてみたら、まあ大量に撮るんだあいつは。その日の午後、八本。次の日十一本」
それが撮り過ぎなのかどうか、白音には良く分からない。鋭児が仕事で写真を撮る時は、そのくらい普通に使っているような気もする。白音の雑誌の撮影の時だって、何百枚も撮られる。
「二日目に現像プリントしたんだけどさ。正直それで既に、こいつは写真で食ってくかもしれないなって思って、でも下手に自信持って変な風に色気が出たら嫌だから、怖くて何にも言えなくなっちゃった。なっさけないよなあ、俺」
続けたら良いよって言っただけでね、と鋭児は苦笑し、床に置かれたままの写真集を見やった。
「増岡ちゃんち行ったこの日は、家出の次の日、八本撮った日だ。確かお前を撮ったのもあったよな」
思い出した。白音は奥歯を少しだけきつく噛む。……覚えている、あの日、白いワンピースが嫌で、撮影先で買い取ってきた服を着て行った。写真にはその服で写っている。
それが昨夜、青菊が持ってきた写真だった。
あたしを撮らないで、とあの時、白音は言った。
――これから俳優になるのに、変な写真残しておきたくないの。
……あれから青菊は、白音の側でカメラを使わない。携帯端末のカメラさえ。
プリントを見たのはしばらく後になってからだ。鋭児が焼き増ししてもらったものが家にあった。鋭児は、これは俺には撮れない白音だな、と言って誉めたが、青菊はそれを知らない。
他のプリントもその時に見た。
嫌になった。はっきり言うと、ショックだった。白音を撮ったもの以外も、どんなに割り引いても目を引く写真だったから、それがとても嫌だった。嫌で、そしてきれいだと思って、思ってしまっていることが本当に嫌だった。
だったら何故、あんなに自信なさそうに、白音の前ではカメラを仕舞うのか。だったらホームストレージに溜め込まれたあの面白くない写真の山は何だったのか。
急にブレイクスルーがあった?
考えてみると青菊は、素人としてはかなりリッチな環境にいたことになる。質の高い写真や映像が豊富に行き来する家庭で、自らも写真家として地位を築き上げた父親に助言を受けた。
それなのにあの、押せば余計に引っ込んでいく様子はどうだ。
才能に対して全く無自覚な振る舞いに苛ついたし、分かって演じているのならば卑屈な子だとも思った。
子供のくせに。
何の努力もしていないくせに。
パパに似ただけで、それだけで。
冷静に考えたら白音自身も容姿は母から受け継いだのだが、その時はただ、ずるい、と思った。
毎日欠かさず肌の手入れをしてむくまないよう荒れないよう気を遣い、絶え間なくダイエットとエクササイズに励み、ファッションを細かくチェックし、歩き方も演技も勉強したし、本だって手当たり次第に読んだ。仕事を取るために、認めてもらうために、毎日頭も身体もめいっぱい使って自分は頑張っているのに、という割り切れない思いがあった。
もう少し考えれば、仕事をしている人は誰だってそれぞれにそれなりの努力をしているという事が分かったはずだった。でもあの頃は自分が人よりずっとずっと努力していると思っていた。かなり子供だった、と今では思う。
でも、本音を言うならば白音も鋭児に似たかった。
今朝ベッドの上に放り出したままのノートのことを、白音は思う。ろくな話が浮かばない。無理に書いてもどうにもならない。
鋭児のように物語を作りたかった。モデルも好きだ、演技も好きで俳優志望でずっとやってきた。でも本当は、小説が書きたかった。
けれど白音は負けている。
物語は、青菊の写真にこそ確実に存在している。
嫉妬はしたくない――醜くなるから。
どうしたらいいのか、もう分からない。
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