第25話

「修学旅行、本買うほど楽しみだったんだ?」


 常連とまではいかないけれど、何度も鈴とケーキを食べた古めかしいお店。アンティークの家具に囲まれたテーブルの上、鈴がスキーの基礎が解説されたページをめくる。

 本屋で買ったばかりの私の本が、持ち主の意思とは関係なくスキーの上達法を伝えてくる。ついでに言えば、読む速度よりも早くページがめくられていくから内容を理解できない。


「楽しみじゃないし、気は進まない。寒いのも嫌だけど……。一度やってみたいなあ、とは思ってた。あと、怪我したくないから調べておきたい」


 私の言葉に、鈴が暇つぶしにページをめくっていた手を止める。


「スキーなんて、良いことないよ。休めば?」

「鈴、休みたいの?」


 私が柴田鈴という人間に興味を持ってから、彼女が学校を休んだところを見たことがない。楽しそうではないけれど、鈴はいつも教室にいた。だから、彼女が修学旅行を休むとは思えない。


「晶も一緒に休んで、二人で出かけるの。どこか行きたいところある?」

「楽しそうだけど、お母さんに怒られそう。ずる休みなんかしたら、お小遣い減額される」

「減額は厳しいけど、休んで。私、スキーに良い思い出ないから行きたくない」

「スキーしたことあるんだ?」

「昔、何回かやったことがあるけど。……でも、転んで骨折ったから、二度としたくない」


 心底嫌そうな顔をしながら言った鈴に、思わず吹き出しそうになって私は慌てて口を押さえる。

 三分の一ほどしか埋まっていない静かなお店で大騒ぎするほど常識に欠けた行いをするつもりはないから、必死に喉の奥からこみ上げてくる笑いをかみ殺す。けれど、漏れ出る笑い声をどうすることも出来ず、鈴が唇を尖らせた。


「晶、笑わないの」


 不機嫌に私を見た鈴が本をぱたりと閉じると、真っ白い雪山がテーブルの上で存在を主張する。斜面を滑り降りるスキーヤーに惹かれて表紙をめくりかけたけれど、私は本を鞄の中にしまう。そして、緩んだ口元を引き締めた。


「私も行きたくないけど、一緒に行こうよ。それで、スキー教えて」

「もう、スキーの滑り方なんて覚えてない。それに、スキーはインストラクターの人が教えてくれるって言ってたでしょ」


 確かに修学旅行の説明会で、そう聞いた。初級、中級、上級でグループを分けて、インストラクターから指導を受ける。

 私と鈴、そして藤原さんが初級。

 平野さんは、スキー経験者で本人が滑れると言っていたから中級クラスに分けられた。


「ねえ、鈴。経験者なら、中級じゃなくて良かったの?」


 初級はスキー未経験者か、ほとんど滑ったことがない人だと聞いた記憶があった。


「最後に滑ったの中学生のときだったし、初心者も同然だから。それに、晶も初級なら一緒の方がいい」


 鈴が正しく気持ちを口にしたのかはわからない。それでも、一緒が良いと言われたら悪い気はしなかった。


「やっぱり修学旅行、行くんだ」

「晶、休まないんでしょ」


 放り出すように言った言葉がころりと転がったところで、ケーキと紅茶が運ばれてきて会話がそこで途切れる。

 テーブルには、鈴と初めて一緒に食べた思い出のモンブランが二つ。くるくると巻かれた毛糸が山を作っているように見えるケーキのてっぺんには、マロングラッセが居座っている。

 鈴が頬杖を突いて、ケーキをフォークで何度も突く。白銀に覆われた山を滑り降りるスキーヤーのように、フォークがケーキに鮮やかなシュプールを描いていく。


「そういえば、晶ってよく本読んでるよね。いつもどんな本読んでるの?」


 お行儀の悪い鈴がケーキを口に運びながら、私を見た。


「推理小説が多いかな」

「推理小説って、最後だけ読んだらよくない?」

「犯人だけわかっても面白くない。鈴は、犯人さえわかれば良さそうなタイプだよね」


 茶色の山を崩して私もケーキを口に運ぶと、舌の上に滑らかな甘さが広がる。紅茶を飲んでからマロングラッセを残すようにしてケーキを削り、もう一口モンブランを頬張ると鈴が言った。


「そんなことないよ。トリックも知りたいから、晶が教えて」

「本貸してあげるから、自分で読んで。その方が面白いから」

「晶のけち」

「犯人を知ることだけが目的じゃないし、読まないと意味ないでしょ」

「じゃあ、絶対に面白い本なら読んでもいい」


 それほど推理小説を好きそうに見えない鈴が、面白いと言いそうな本に心当たりはない。小説は図書館で借りることも多いから、面白いと言える本が見つかったところで自室の本棚に並んでいるかどうかも怪しかった。

 けれど、滅多にない誰かと小説の感想を語り合う機会を逃したくない。探して見つかるかどうかはともかく、私は鈴が面白がってくれそうな小説を探すことにする。


「……見つけたら教える」


 そう答えると、鈴が「待ってる」と小さく笑った。一応、小説というものに興味を持ってくれたのだとわかって、私は大切に取って置いたマロングラッセをぱくりと食べた。


「モンブラン、よく頼むようになったよね」


 砂糖漬けにされた栗を咀嚼する私を見ながら、鈴が言う。


「嫌いだったけど、誰かさんのおかげで好きになっちゃったし」

「私に感謝しないと」

「してる、してる」


 ぱん、と手を合わせて鈴を拝むと、「よろしい」と芝居がかった台詞が飛んでくる。そして、フォークに突き刺されたマロングラッセが差し出された。


「オマケ、食べる?」

「うん」


 こくん、と頷く。

 差し出された甘い栗を食べながら、鈴にとって私はオマケみたいなものなんだろうかなんて考えがよぎる。

 けれど、それはほんの一瞬。後ろ向きな気持ちは、ごくん、と栗と一緒に飲み込む。


「美味しい?」


 満足げに問いかけられて、私は「美味しい」と答える。


「修学旅行、藤原さんたちと同じ部屋だっけ?」

「うん」


 六人部屋には、私と鈴、そして藤原さんと平野さんともう二人。修学旅行の間は、ずっと同じメンバーで部屋に閉じ込められることになる。


「三泊四日か。長いなあ」

「修学旅行なら普通でしょ。四泊くらいするところもあるし、短い方だよ」


 私は、ため息をつく鈴を慰めるように一般的な修学旅行について語る。でも、彼女の不満げな表情は変わらなかった。


「そうだけど、私には長いの。枕が変わると眠れないタイプだから」

「意外に繊細なんだ」

「意外は余計。眠れなかったら、ずっと話しかけ続けるからね」

「無理。多分、起きてられない」

「叩き起こしてでも、話し相手になってもらうから」


 鈴が断言して、紅茶を飲む。

 私は早寝早起きするタイプではないけれど、簡単に睡魔に負けるタイプだ。だから、きっと修学旅行は鈴より先に眠ってしまうに違いないから、彼女の寝顔は見られない。でも、かわりに鈴の声を子守歌に眠るのは悪くないと思った。

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