最終話 刑事よ、愛と友に死すべし


「そうですか、主人の遺体がそんなことに……でも見つかってほっとしました」


 日当たりのよいダイニングでそう漏らすと、荒木洋子はうつむいた。


「これで私の仕事はひと段落なのですが……個人的に気づいたことがありましてね。奥さんにはお伝えした方がいいと思い、お邪魔しました」


 俺が本題に話を向けると、洋子は「私に?」と小首をかしげた。


「ええ。ご主人は殺害された当時、ごろつきの手先になって違法薬物を販売していました。その事に対する罪の意識と、リングに戻れない葛藤とで相当、悩んでいたことと思います」


「主人が苦しんでいたのには気づいていました。でも私の力ではどうにも……」


 そう言って口をつぐんだ洋子に、俺は一葉の写真を見せた。


「この女性に見覚えはありませんか?」


 写真に目を落とした洋子は一瞬、怪訝そうな顔になった後、はっと目を瞠った。


「日塔さん……」


「そう、日塔菊美、通称ミス・ダリアという女性占い師です」


「ミス・ダリア?占い師?」


「そうです。驚かれたところを見ると、あなたには別の肩書きで接触していたんですね」


「はい。主人が昔、お世話になった方としか……」


「その際、彼女のご自分の悩みを打ち明けたことは?」


「…………」


「洋子さん」


「はい」


「ご主人に「俺を殺してくれ」と依頼されましたね?」


 俺が核心に切り込むと、洋子の表情が凍りついた。だが次の刹那、昂然と顔を上げると「はい、頼まれました」と澱みない口調で言った。


「主人は苦しんでいました。そしてある日、私に「もうこの世では生きてゆけない。頼むから俺を殺してくれ」と言ってきたんです」


「あなたはそれに対してなんと?」


「嫌よ、断るわ。そう何度も伝えました。ですが主人は「自分が殺される日」と「殺される場所」を勝手に決めてしまったんです。そして突然、日塔さんを私に紹介したのです」


「アリバイ作りのためですね?」


 俺が畳みかけると、洋子は「そうです」と項垂れた。


「主人によると、彼女にはどんな女性にでもそっくりに化けられる特技があるとのことでした。主人の計画は殺害される当夜にパーティーを開き、そこに自分が殺されている間、私になり澄ました日塔さんを出席させるというものでした」


「でもあなたは行かなかった。そうですね?」


「……はい。日塔さんから準備ができたと電話があっても、私は頑なに断り続けました」


「それで彼女はあなたの代わりにご主人を殺しに行ったわけだ」


「なんですって」


「ご主人は……正確にはご主人の分裂した魂は、五道という人物に自分の「死体」を売る約束をしていました。それが殺人をあなたに依頼した本当の理由です」


「……すみません、お話がよくわかりません。どういうことですか?」


「日塔菊美と五道は同じ世界の人間で、妻であるあなたに殺されるという無念がご主人を闇へと誘うきっかけになると踏んでいたのです」


「私は……私は主人を殺していません」


「ええ、わかっています。あなたが頑なに拒んだので、菊美が仕方なくあなたになり澄ましてご主人を殺しに行ったのです。しかし刃物を向けられた時点でご主人は目の前の女性が本物の妻ではないことに気づいた。それでめった刺しにされ、魂が二つに分かれる直前、殺害現場にあった鏡の後ろに「裏切ったな」と書きこんだのです」


「まさか……そんなことがあったなんて」


「日塔菊美はこれまで捜査線上に浮かびあがってはいませんでしたが、いずれ逮捕されるでしょう。もしかしたらその際に、あなたの名前も出るかもしれません」


「……覚悟はしています。一度は主人を殺害するという話に乗ったのですから」


 洋子は厳しい表情のまま、俺の目を見据えた。


「私が今日、こうして伺ったのには理由があります。お願いと言ってもいいでしょう」


「お願い、ですか?」


「ええ。ご主人は救われようとしていました。あなたに自分を殺せと命じたのも、楽になりたい一心からでした。ご主人が無事に成仏を遂げた今、あなたのしたことはご主人をどうしたら救えるか、それを考えていただけなのです。ですから今後、誰に何を聞かれても殺意はなかった、ただ主人を救いたかった、そう言い続けて欲しいのです」


「……わかりました、そうします」


 弱々しく頷く洋子を見て、俺はようやく今回の仕事にけりがついたなと思った。


 洋子のアパートを辞して往来に出たとたん、何の予告もなく死神が俺に語りかけてきた。


 ――やれやれ、やっと終わったようだな。


 ――ああ。思った以上に面倒なヤマだったよ。しばらく死体に関わる仕事はお休みだ。


 ――ふむ、そうはいくまい。わしもまだまだ、ノルマが残っているしな。


 ――強欲め。少しは荒木の冥福でも祈ったらどうだ。


 ――もちろん、祈っとるよ。それがわしの本来の仕事だからな。


 死神は珍しく、浮かれた口調で言った。俺はふと、意地の悪い提案を口にしたくなった。


「なんなら洋子さんから子猫を引き取って育てようか。どうだい?素敵な提案だろう?」


 ――碌でもない冗談はやめろ、……まったく、人間の考えることと来たら死神以下だな。


 死神は悪態をつくと、俺の奥深くへ姿を消した。俺は笑いを噛み殺しながら、青空の下をおなじみの掃き溜めへと向かった。


           エピローグ


「しかしこの凸凹チームでよく、二週間で片がついたな。」


 ダディがどこか満足げな表情で、俺に言った。


「冥界の連中さえ絡んでこなけりゃ、この半分の期間で済みましたよ。……お蔭で対亡者用の装備を使い切っちまいました」


「ふん、そのくせ支給の鉄砲は例によって使わなかったんだろう?」


 ダディが全てお見通しだと言わんばかりに俺の顔を覗きこんだ。


「あいにくと官製の武器は苦手でしてね。もっぱら亡者が相手なもので」


「それじゃあ消耗した分はあの世にでも請求してくれ。……あとの二人も最初の捕り物がこれじゃあ、いささかヘビー過ぎたろう。ん?」


 ダディが沙衣とケヴィンに目を向けると、二人は遠慮がちにうなずいた。


「ケン坊なんざ、こんなヤマばかりじゃあ、すぐに折れちまうんじゃねえか?……実は一係の方から希望があれば別の人材と人事を差し替えてもいいと言われているんだが……どうだ?」


「そんな、考えたこともないっす。……せっかく兄貴の近くで事件に関われたんです、変えるなんて殺生なこと言わないで下さい。お願いします」


 ケヴィンが目に涙を溜めながら懇願するのを見て、俺は妙におかしくなった。事件に出向かなくても、こいつならダディの「挨拶」を食らっただけでバラバラになっちまうに違いない。


「……ポッコは、どうだ?」


「そうですね……」


 沙衣が眉をひそめたのを見て、俺は無理もないと思った。今回の事件は新人研修としては、いささかか酷だったといっていい。金輪際お断りと公言したってかまわないのだ。


「私も配置替えは辞退させていただきます」


「ふむ……お化けと死体だらけの掃き溜めだが、それでもいいのか?」


 ダディが念を押すと、沙衣は鳩のように胸をつき出して頷いた。


「宿命なんじゃないでしょうか」


「宿命?」


「一係が解決できなかった事件を解決するための、呪われた部署……そう考えたら納得がいきます。私たちはきっと、死者たちの無念を晴らすまでここから出られないんです」


 沙衣のきっぱりとした物言いに、ダディが珍しく声を上げて笑った。


「俺たちはみんなこの部屋に呪われてるってわけか。……困ったな。どうするカロン?」


 いきなり話を振られ、俺は面食らった。それからしばし考えた後、俺はこう口にした。


「なに、心配ありません。俺が一流の死神になって、みんなを成仏させてあげますよ」


 俺がわざと自信たっぷりに言うと、生者の輝きからこぼれた狭い世界に笑いが満ちた。


                 〈了〉

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