第11話 ただの男にはもう帰れない


「アンフィスバエナ?……なんですそりゃ」


 接見室のアクリルボード越しに、西鉄は訝しんでみせた。


「荒木が世話になっていた明石って奴がオーナーの会社さ。人間の能力を極度に高めるスーツを開発してるらしい」


「能力を高めるスーツ?それと荒木とどんな関係があるんです?」


「荒木はこのスーツのモニターをやっていた可能性があるのさ。そしてお前さんのお仲間を襲った「復讐者」はこの会社のスーツを着ていたふしがある」


「ふうん……それで俺に思い当たることがないか聞きに来たわけですか。あいにく、あいつらが寄越した電話の中身にスーツなんて言葉は出てきませんでしたね。ただ「荒木が来た、あの顔は奴だ」としか……」


「顔?」


 俺は耳が捉えた西鉄の言葉を繰り返した。


「そう、荒木に似た誰かがあいつらを襲ったってことです。言いませんでしたっけ」


「いや、顔が似てたという話は初耳だ。そうなると男性で年の近い人間ということになる」


「もっと単純に、荒木本人だったってのはどうです?旦那」


「本人?」


「ほら、保険金詐欺でよくあるでしょ。死んだと見せかけて実は替え玉。本人はちゃっかり生きてるって奴」


「……なるほど。小説か映画ならよくある設定だ。……だがな、殺人事件のような事件性の高い変死の場合、ほぼ例外なく司法解剖に回されるんだ。替え玉がばれないはずがない」


「とにかく、奴が確実に死んでるかどうか確認してくださいよ。でないと怖くてうっかり娑婆にも出られやしねえ」


「調べとくよ。幽霊だったら怯える必要はないからな」


 俺は強張った表情でこちらを見ている西鉄を宥めると、接見室を後にした。


                 ※


「……復帰の話ですか。たしかにありましたよ」


 明石が丈二に紹介したという鳳凰ジムの会長、神谷紀夫かしやのりおは俺の質問に即答した。


「明石さんが「肘のリハビリはこちらで責任を持ってやる」というので、荒木さんの回復を待って受け入れる準備をしていました。ご本人も来られてスパーリングなんかを見学されていきました。目標はカムバックですかと聞いたら「そうじゃない」とおっしゃっていたのをよく覚えてます」


「カムバックじゃない?」


「ええ。一度でいいからタイトルマッチに挑戦して勝利したいんだと言っていました。それが叶ったら引退しても構わないと」


「ふうん……引退ね」


 俺が首を傾げた、その時だった。神谷が何かを思いだしたかのように口を開いた。


「ただ妙なことも口にしていました。運よくカムバックできたとしても、あまり長くボクシングはやれないだろうと。それからカムバックに合わせて身体を調整しないと歯止めが利かなくなるとも言っていました」


「歯止めが利かなくなる?」


「強くなりすぎて、かつての自分のような犠牲者を出す前にやめなければと言っていたんです。よほどリハビリの効果に自信があったんでしょうね」


「強くなりすぎる……か」


 俺は沙衣が口にした、丈二が「アンフィスバエナ」のモニターだったのではないかという説を思い返した。仮に丈二が格闘用スーツのモニターだったのなら、リハビリを超えた肉体改造を行っていた可能性もある。復帰をサポートする代わりに、タイトルを獲ったらスーツのモニターに戻れ……そういう契約を明石と交わしていたのかもしれない。


「神谷さんが最後に荒木さんとあったのはいつですか」


「ええと……彼が亡くなる三週間ほど前でしたか。奥さんと一緒に来られて、練習の様子をご覧になっていきました。荒木さんはなんだか落ちつかない様子で、奥さんが「もう強くならなくてもいいじゃない」って心配そうに言っていたのを覚えてます」


「強くならなくてもいい……つまり復帰に関して前向きじゃなかったということですか」


「そんなふうにも見えましたね。荒木さんは荒木さんで、急に声を荒げたかと思うと、頭を抱えて俯いたり……何だか普通じゃない様子でした」


「なるほど……ありがとうございました。参考にさせてもらいます」


 俺はジムを後にすると、その足で「天界ビル」へと向かった。そこで沙衣と合流し、明石から「アンフィスバエナ・フィジカルプロジェクト」の詳しい業務内容を聞かせてもらう段取りになっていた。


 ――丈二のボクシング引退後について問い詰めたら、明石は何と答えるだろうか?


 俺は徐々に「復讐者」との距離が狭まってゆくのを頭の隅で意識していた。


             〈第十二回に続く〉

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