teardrop

 ザァッと暖かな風が吹く。芽吹き始めた緑の香りが開け放たれた教室になだれ込んだ。最後の授業も全て終わって、もうこの教室に残されたのはただ一人。椅子の冷たい木の感触が彼女の太腿に触れた。

 カラカラカラ。教室の戸が開けられる。

「あれ、舞花まだ残ってたんだ」

 卒業証書とピンクの一輪の花を手に抱えたショートカットのボーイッシュな美少女が立っていた。

「なんで、奏……帰ったんじゃなかったの?」

「まぁ、ね。ちょっとだけこの教室を出るのが惜しい」

「なんか意外。さっさと卒業したいんだと思ってた」

 奏は見た目の通り割とサバサバした性格。だからこそ、見た目も中身も対極にあるであろうと思っていた舞花には奏のその言葉が少しだけ信じ難かったのだ。机の合間を縫って奏は舞花の座っている一個前の机に座る。そして二人で窓の外の咲きかけの桜を眺めた。

「もう、終わりなんだよな」

「うん。っていうか奏、行儀悪いよ。ちゃんと椅子に座りなって」

 窘められた机の上に腰掛けたままの少女はツンと口を尖らせる。

「分かってないなぁ、これが一番落ち着くんだよ。舞花も一回やってみたら分かるって」

「えー本当に? まぁそこまで言うならやってみるか」

 座っていた椅子を戻して同じように机の上に座ってみる。スカートとスカートが触れ合った。間に流れる桃の香り。肩にかかるくらいの栗色の髪が揺れた。

「……近くないか?」

「近いねぇ、ふふっ」

 教室に少女二人の笑い声が微かに響く。黒板に描かれた『卒業おめでとう』の字とイラストがその姿を見守る。

「卒業、だね」

「ああ」

 眉を寄せて少し困ったような顔で頷いた。水色の雲ひとつ無い空には清々しい気持ちと少しの寂しさが滲む。二人の吐息に隠された『まだ卒業したくない』の文字がひとつの光となって舞花の目から溢れ出す。

「舞花、泣いてるのか……?」

「見な、いで」

 ふっと真剣な顔を向ける奏の視線から逃れるように舞花は顔を背けた。少しだけ響いた微かな嗚咽。

「舞花」

「あの、先帰ってていいから……」

「舞花、こっち向いて」

 いつになく優しい声に驚いて、泣いていたことも忘れて彼女は振り返った。栗色の髪の間に華奢な手が差し込まれる。そして奏は舞花の頬に掌を添えた。

「泣いてる事を恥じることはない。沢山の思い出を抱いて涙を流せる貴女は美しい」

 頬を撫でていた親指が艶やかな唇に触れる。

「あの、奏?」

 キラキラとした微笑を向けた美少女。そしてゆっくりと二人の距離が縮まってゆく。どれくらい近付いていたのだろうか。唇が離れる時、やっと舞花は何が起きたのかを自覚する。

「……んなっ、何を」

「ふふっ、ごめんごめん。綺麗で、つい。はは、凄い顔真っ赤。あ〜ごめんごめん、痛いって!」

「んもー、初めてだったのに……責任、取ってよ?」

「えっ」

 またびゅう、と風が二人の間を割いた。

「いやまぁ嘘だけど。あーあ、奏が男だったら良かったのに」

 少しの沈黙。その静寂も不思議と居心地の悪いものではなかった。それはお互いがお互いを許しあっているからだろうか。

「私は男になりたかったな……」

 桃の香りを乗せた風がふわりと頬を撫ぜた。少しの切なさを背負って、最後の高校生活が終わる。

 男になりたかった少女と初めてを奪われた少女。二人の行く先が交わることはないのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る