解決編

「競走馬なら、7歳というと、そろそろ現役を引退する年。取引の話が出てもおかしくない。ちなみに彼らのその後の行く先は、優秀な成績を収めた馬なら、種馬あるいは母馬としてひたすら生殖行為に励むことが使命となる。まあ、悪くない人生いや、馬生というべきか? 母親という単語は、ここに関連してくるのでは?」

「ちょっと待ってください。なら、7歳の牝馬ひんばと言うのでは? 女の子というのは、ちょっと……」


 辺見さんが、疑問をさしはさむ。


「うむ、電話などで日本人同士話すのならそういうだろう。しかし、今日は秘書の佐竹さんが不在、そして英国がらみの案件ということは、音声入力で日本語から英語に翻訳していたのではないかな。

 音声入力というのは、なかなか使いこなすのがやっかいでね。牝馬ひんばと発音しても、おそらく認識しないだろう。これは、部屋の外まで聞こえるくらい無駄に大声で話していたということとも符号する。

 父上が、機械を相手に必死で話しているところを想像すると、お気の毒でならないが、おそらく機械がうまく認識しないので、声をはりあげて、あれこれ言い方や表現を変えて試していたのだろう」

「あ……」


 そうだ! ここは私が以前暮らしていた安普請のアパートではない。重厚なオークの一枚板の扉が各部屋を仕切る、一柳家のお屋敷だ。今まで部屋の中の話し声が聞こえてきたことなど、そんなになかった。数回聞こえてきたのは、秀麗様との口論だ。あの勢いで、機械相手に必死でお一人でお話している大旦那様を想像すると、笑える……もとい、お気の毒に感じられるが、きっとそれに相違ない。


「ちなみに、ストールというのは競争馬を輸送するための専用ケージのことを言っていたのだろう」


 その時ベルが鳴った。大旦那様のお部屋である。

 執事の辺見さんが大急ぎでお部屋へ向かう。私は、会話を聞かれたか? と心配になり、こっそり辺見さんの後について行き、聞き耳を立てた。


「運転手の梶君に車を用意するように言ってくれ」

「予定よりもお早いですね」

「オフィスのほうに早く出たい。佐竹君が居ないと何も進まなくて困るよ」


 大旦那様と辺見さんの間で交わされたのは、そんなやりとりだ。どうやら、怒られることはなさそうだ。おそらく佐竹さんの代わりの仕事をしてくれる人を、オフィスで見つけるおつもりなのだろう。


「翻訳なら、なぜ秀麗様に頼まないのでしょう?」


 私は、秀麗様のもとに戻り、素朴な疑問をぶつけてみた。秀麗様は英国のパブリックスクールで教育を受け、英語はネイティブスピーカー並みにご堪能だ。


「私は、競馬が好きではないからな。動物は自然のままの姿が一番美しい。なぜわざわざ狭い厩舎に閉じ込め、人工的な芝の上を無理やり走らせる? くだらない賭け事のために!」


 そうだ。秀麗ひでつら様は、たとえ自分の父親であっても己の主義に反することには平気で反論し、ともすればやり込めてしまう人だ。うかつに競馬に関することを頼めば、また親子の間で火花が散ると思って大旦那様も頼みにくかったのだろう。


「秋吉君」

「はい」

「父上は、俗なギャンブル狂と動物の取引をすることはあっても、人身売買に手を

染めたりはしないよ」

 私は、秀麗様の言葉に顔を赤らめるしかなかった。

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