俺、戦争が終わったら
最寄ゑ≠
“其の
村には女と子供しか居なかつた。どうしてそんな村を襲ふのか解らなかつた。でも米兵の連中は情容赦無く鉄砲を撃つてゐた。鹿を撃つみたいにだ。あんなものは戦争では無い。狩りだつた。俺は腸の煮へ繰り返る気分で機関銃を撃ち放した。米兵は何人も何人も胸から腹から血を噴き出して斃れて行つた。”
「おんしがよびたいのはたれじや」
「俺だ」
ぼつりと兵隊は言った。几帳面に着付けられた軍服はまだ真新しい蓬色に映えて、丸っこい赤ら顔と釣り合わない。精一杯威勢を張っている心算なのだろうが、癇高く細い声は未だ子供のそれだった。
「としよりをこけにするものでは」
「いや、そういうんじゃねぇんだ。まぁ聞いて呉れ。此の間赤紙を頂戴して遠い島に出征するんだが、故郷の許嫁には黙って来て仕舞った。何処かで思い掛けず事故に遭って行き倒れたか、そんな風に思って呉れりゃあええと思ってな。俺が人殺しに為ったと知れば、屹度軽蔑するだろうから。併し色々と考えてみれば、あの娘にも暮しってもんがある。だからな、少少面倒な事を頼まれて呉れねぇか。死んだら俺を呼びだして、手紙を書かせて貰いてぇのだ。俺が如何に卑しい鬼に成り果てたか、在りの儘を知れば、あの娘だって踏ん切りを付けて生きて行けると思うんだ。どうだ、兵隊が頭を下げて御願いするのだ、ひとつ聞いて遣って呉れまいか」
「ここで、おにとなればええじやないか。むすめをつれて、にげればええじやないか。そうやつて、どこまでもみがってな、ぶざまなおにとしていきればええのではないか」
「あはは、婆ちゃんは物騒な事を言うのだな。だがな、俺は鬼には成れぬから此処に来たのだ。俺には人様を殺める様な意気地が有るとは思えねぇ。こそこそ隠れて、じたばた逃げ回って、追い詰められた挙句に獣みてぇに惨たらしく屠られるのだ。死体は其の儘放り置かれて還って来ないだろう。うん、長長と詰らない話をして済まなかった。それじゃあ、行ってくるから。婆ちゃんも達者でな」
兵隊は踵を揃えて立ち上がると、恰好を付けて敬礼をした。其れから思い直して、深く頭を垂れた。もう日が落ち掛けていて、霧が出ていた。兵隊の姿はすぅっと見えなくなった。
妾は、書き掛けの便箋をくしゃくしゃに丸めて屑籠に放った。七十年、山暮らししか知らぬ妾に、一体戦争の何が騙れると云うのだ。全く、何と云う事をあの兵隊は託して行ったのか。兵隊が寄越した便箋は、もう一枚を残す計りであった。
だが、兵隊はどうあっても娘の許には還らぬだろう。
だから、手紙はどうあっても書かれねばならぬだろう。
兵隊が語った在りの儘を、書くより他に無いだろう。
“俺は臆病だつたから、逃げなかつたのだ。”
妾は筆を置いて、其れを散り散りに裂いて仕舞った。
「或るイタコの覚え書(口述)」―了承を得て標準現代文に改めた。(筆者)
俺、戦争が終わったら 最寄ゑ≠ @XavierCohen
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。俺、戦争が終わったらの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます