短編の森

またたび

大好きの森

 ここは大好きの森。不思議な森だ。この森は私たちに話しかけてくれる、そして自分が本当に好きなものを教えてくれるのだ。


「僕の好きなも、ものはなんです、か」


 オドオドした様子で喋るこのお方。オタクである。どうやら推しが多すぎて誰が一番好きなのかが分からないらしい。で、この森に聞きに来たわけだ。


「……あなたは、両親のことを一番愛してます」


「えっ、いや、あの」


「……確かにあなたは多くの女性を愛してますが、そのどれよりも、自分を大切にしてくれている両親を愛してます。心の底では恩返しがしたくてたまらなくなっています」


「……」


「……気付いていないだけ、あなたは両親を愛してます。恩返し、できるうちにすべきでは?」


「……分かりました、ありがとうございます」


 その人は森から去った。この森は恐ろしい。ときに自覚さえしていない好きを言い当ててしまうのだ。あっ、また1人来た。


「僕が一番好きなのはなんでしょうか?」


 いかにもナルシストそうな男だ。


「……それはあなた自身です」


 ほら、やっぱり!


「そりゃあ僕が一番素晴らしい人間だからな」


 なんかムカつくやつだな、おい。


「……しかし、あなたは同時に自分自身が一番大嫌いです」


「えっ?」


「……自分に自信を持てず、いつも弱気な己が大嫌い。だから無理にでも自分を持ち上げ、自信をつけようとしてる。自分を自分が愛してやらなければ、自分を愛してくれる人はもうどこにもいないような気がして」


「……」


「しかし、私は大好きの森ですから分かります。よく周りを見渡してごらんなさい、あなたを愛してくれる人、いますよ、確かに」


「……本当ですか?」


「……あなたに嘘をついてどうするのです」


 そのあとしばらく男は黙っていた。そして


「ありがとうございます」


 その一言を言い放ったあと森から去った。この森は優しい……素敵だ。あっ、またもや1人、いや今度は2人来た。


「……早く来てよ!!」


「ちょっと待ってくれよ」


 高校生くらいの2人の男女がやって来た。


「大好きの森さん!! お願いがあるの!」


「……なんでしょうか」


「こいつの好きな人を教えて欲しいの! 幼馴染の私にすら教えてくれないのよ!」


「……分かりました」


「ちょ、ちょっと待ってください、森さん! やめてください!」


 2人とも必死だなぁ。一方、大好きの森は冷静である。


「……しかし、人の好きな人というのは個人情報です。それを教えろというのだから、あなたも覚悟はできてるのでしょうね?」


「えっ?」


「……まずはそちらの女性の方の好きな人を教えましょう」


「ちょ、なっ、勝手なことを言わな」


「……そちらの女性が好きなのは、あなたですよ。あなた」


「えっ? 俺?」


 女性は赤面してる。男の方も驚いたあとは赤面状態だ。


「そしてその男性の方が好きなのは、あなたですよ。あなた」


「えっ? 私?」


 とんだ甘ったるい劇を見せられたもんだ、と私は思った。


「……」


 2人とも急に静かになった。


「……では、お幸せに」


 大好きの森に顔はない、というより見えないが正しいが、きっと今、大好きの森は微笑んでいるに違いない。母のような慈愛に満ちた笑顔で。そしてまた1人、そう私が、やって来たのであった。


「……ずっと気付いてましたよ、あなたが見ていたこと。どうしたのです?」


「……私には好きという感情がありません。嫌いというわけではなく、どう足掻いても誰も愛せないのです。それを実感する度、私は自分が人間でないような気がしてならなかった、つらかった。だから私は大好きの森に来た、私が好きなものに会える気がして」


「……分かりました、あなたの大好き、調べてみましょう」


 しばし沈黙が流れた。さっきまでスラスラ喋っていたくせに、大好きの森は全然喋らない。やはり私の心の中に大好きなものはないのだろうか。


「……これは驚きました」


 何もない、ということに驚いたのかな。


「……1つだけありましたよ、好きなもの」


「えっ⁉︎」


「……非常に言いたくないのですが、あなた、私のことが好きらしいです」


「あっ」


 私は人の大好きを知りたくて、そして自分の大好きを知りたくて、この森をずっと見てきた。いつの間にか、この森を私は愛していたらしい……


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