第19話 公爵家令嬢
女王の間では、ディアとレヴォルグによる戦闘が激化していた。
「――ッ!」
「くっ……! なかなか厳しいが、慣れてくるものだっ」
人の身とは到底思えない膂力で繰り出されるディアの攻撃を、レヴォルグが防ぎ、避けるという構図は変わらない。一度でもしくじれば死ぬという綱渡りの状態を強いられているレヴォルグの表情が苦し気に歪んでいる。
だが、怒りに任せた単調な動き故か、段々とレヴォルグの捌きは正確さを増していた。今までは反撃の糸口さえ見付けられなかったが、レヴォルグは攻め立てるディアの両腕を掻い潜り、大剣を振り抜く。
浅いながらもディアの身体を刃が捕らえ、鮮血が飛んだ。小さいが確かな戦況の好転に、レヴォルグは畳み掛けようと大剣を構えるが、ディアは止まらなかった。
「ぐっ、らぁあああああああああっ!!」
咆哮が如き叫び声を上げ、斬られた事に気が付いていないかのように攻め続ける。
まるで恐怖を感じていないディアの強行に、レヴォルグは攻撃の手を緩める他なかった。
「これでは、狂戦士といっても過言ではないな……っ!」
死をも恐れぬ戦闘狂。敵対者を殺すまで止まらないかのように、身体に傷が刻まれるのに構わず、ディアはレヴォルグを殺そうと前へ前へと進み出る。
結果的に大剣の間合いを潰されてしまい、決定打が生まれにくくなった状況は、レヴォルグにとってやり辛さを生んだが、戦況としてはレヴォルグにとって優位であった。
理性があり、冷静に対処していた時とは違い、攻撃が入り、傷は残る。確実なる決定打はなくとも、傷は増え、血は流れている。
精神が怒りに染まって痛みを感じなくとも、身体の限界はいずれ訪れる。その時を迎える為に、レヴォルグはディアとは対照的に努めて冷静にディアの猛攻に耐え続ける。
――かつて、竜を倒した英雄というのは、このような気持ちだったのかな。
人の形をした竜をこの身で倒そうと、かつて英雄と呼ばれた男は大剣を振るい続ける。そうして、いつしか天秤は傾く。
「――――ッ!?」
血を流し過ぎたせいか、はたまた体力が尽きたのか。レヴォルグへ突きを繰り出そうと肘を引いた瞬間、ディアは膝から崩れ落ちてしまう。踏み止まり、体勢を立て直そうするが、冷徹なまでに心を研ぎ澄ませていたレヴォルグがその隙を見逃すはずがなかった。
「これでさようならだ! ディア・ファーリエっ!!」
あらん限りの力で柄を握り締め、大剣を一閃。
空気を斬り裂き、狙うはディアの首一つ。
避けることのできない必中のタイミング。
「私の、勝ちだっ!!」
勝利を確信したレヴォルグは、彼には珍しく会心の笑みを浮かべる。
だが、そのせいだろうか。レヴォルグは気付くことができなかった。ディアの理性を取り戻させる者が現れたことに。
「ディア!」
ディアとレヴォルグ、双方の耳に届いた女性の声。女王の間に響いた声にディアの顔から、剥き出しになっていた怒りが消えていく。だが、もう間に合いはしないと、レヴォルグは大剣を止めなかった。しかし、予想に反して手応えはなく、剣は空を斬っていた。
「なっ……」
レヴォルグは驚愕の声を上げ、唖然とする。
自身から敢えて体勢を崩し、地面に倒れ込んだディアは、レヴォルグの剛剣を紙一重で躱してみせたのだ。
「ならばっ!」
レヴォルグは咄嗟に縦斬りへと移行するが、ディアは左手で床を叩きつけ、その勢いのまま転がるように逃れる。
死を告げる大剣から逃れたディアは体勢を立て直すと、自身の名を呼んだ少女の元へと下がっていく。
ここにきて、初めて悔し気に歯を噛み締めたレヴォルグは、少女の名前を口にする。
「ロゼ・ベッセンハイト……! 君が何故ここにいるっ」
「あら? お前はそんな顔もできるのね。ふふ、とても愉快だわ」
心底楽しいと、瞼を閉じてクスクスと笑みを零す。
「――私のリタを傷付けた報いは、必ず取らせる。ふふふ。一矢ぐらいは、報いたかしらね?」
――
憎々し気に睨んで来るレヴォルグを見て、一頻り愉悦に満ちた笑みを浮かべていたロゼは、傍に寄って来たディアに質問をした。
「それで、何でレヴォルグは悔しそうなのかしら? 私、何もしてないのだけれど?」
レヴォルグが悔しそうだった故、得意げに返してみたが、ロゼからすれば合流しただけなのだ。正直、そのように睨まれる謂れはない。
不思議そうにするロゼに、ディアはお礼を告げる。
「いえ、助かりました。周りが見えなくなっていたので」
「……だから、どういう意味よ」
眉根を寄せるロゼに、ディアは苦笑する。
ロゼが来なければ、ディアは間違いなく殺されていただろう。ネーヴィス達を連れ去られたことによって、頭に血が上り、完全に我を失っていた。ここまで怒りを覚えたのは生まれてから初めてのことで、自身でも驚く程だ。
冷静に考えるならば、手早くレヴォルグを倒し、ネーヴィス達を探しに行くべきだった。なにより、致命的な失敗を犯したのだ。最悪、ネーヴィス達が殺されていることも考慮に入れて行動するべきであった。死と隣り合わせの世界で生きてきたディアからすれば、当然の思考。それなのにも関わらず、理性的な判断もなく感情のまま力任せに戦うなど愚かでしかない。
自身を殴りたくなる思慮の欠けた行動であったが、死ぬ前に理性を取り戻せたのは僥倖だ。それすらも、ロゼの声を、ネーヴィスと聞き間違えたという間の抜けた理由であったが、こうして生きているならば構わない。
二度目はないと、ロゼを護り抜く決意を固め、レヴォルグへと向き合う。
レヴォルグは、ディアの瞳に確かな理性が宿るのを理解したか、自身の苛立ちを収めると、ロゼに問うた。
「先程も聞いたが、ロゼ。君は何故ここに来た? せっかく助かった命だというのに、自ら捨てに来たとでも言うのか?」
「そんなわけないでしょう? 元から、逃げるつもりなんてなかったわ。さっき言った通り、お前に報いを取らせるつもりだったもの。ただ、敵側の案内に全員で付いて行くというリスクを犯したくなかったから、私は別行動で動いたのよ」
ロゼからすれば当然の行動であった。元より、誘拐を行うような者達の案内なんて信用できるものではない。ディアならばどうにかしてしまう可能性はあったが、保険を掛けておく必要はあった。
「そうか。だが、君一人で何ができるというのか。私としても残念だが、ネーヴィス王女殿下達は、ネーマの手で殺されている頃だろう。今更君が増えたところで、全ては遅いのだよ」
「はっ。本当の愚か者ね、お前は。最初からそうだったけれど、お前はディア一人しか警戒していなかった。だから、ネーヴィス王女殿下達に私が同行していなくても気に掛けることもしない。脅威、などと思っていないものね。だからこそ、私としてはやりやすかったわ」
「……どういう意味かね?」
「既に対処済み、ということよ」
口角を吊り上げ、勝ち誇った笑みを浮かべる。
――
「――死んで?」
ネーヴィスを殺そうと、彼女の首に伸ばされたネーマの細い指。
殺すのに力は必要ない。魔法で息の根を止めるだけの簡単な作業。
これで終わりと、魔法を発動させようとした瞬間、閉ざされていたはずの扉が砕かれ、闇が支配していた室内に光が持たされる。
「ネーヴィス様っ!」
剣を片手に真っ先に突入してきたユースが状況を見て取ると、一気にその表情が凍る。冷たい殺意に満ちた瞳をネーマに向け、音も立てずに斬り掛かる。
ネーヴィスから手を離し、迫りくるユースへとゆっくりと顔を向けたネーマは、慌てることなく、ただ疑問を口にする。
「貴女は別室に閉じ込めていた。どうやって脱出した?」
「死んで詫びなさい」
聞く耳を持たず、剣を振るうユース。
魔法使いと思えない身のこなしで下がると、騒がしくなる入り口に目を向ける。
駆け付けるのは、ヴェッテに、王城の牢へ閉じ込めていた騎士達。そして、先頭では見慣れぬ女性騎士がネーマへと鋭い視線を向けて来る。
唯一見知らぬ騎士がこの事態を引き起こした者だと確信したネーマは、炎の壁を発生させ、ユースの追撃を退けると、見慣れぬ女性騎士へと名を尋ねた。
「貴女は、誰?」
女性騎士は引き抜いた剣を床に突き刺すと、高らかに告げる。
「――私はフラウノイン王国公爵家令嬢ロゼ・ベッセンハイト様に仕える騎士、リタ・シュベルト! ロゼお嬢様の命により、ネーヴィス王女殿下を救出に来た者です」
足音を立てて歩きながら剣を抜くと、ネーマへと切先を突き付ける。
「魔女ネーマ。御覚悟を」
「……そう」
正義の騎士が邪悪な魔女を討つ。英雄譚さながらな状況に、ネーマはどこか諦めたように息を吐く。
レヴォルグにも秘密で、王女を殺す確実な状況を作ったはずだったが、どうやら思いもよらない伏兵がいたようだ。
彼女が告げたロゼという令嬢は、ネーヴィス達に案内を申し出た時に別行動を取った者のはず。
ネーマからすれば、眼中にすらない小さきことであったが、その認識は改めなければならないようだ。ディアのみを障害と考え、甘く見た魔女の失態。
迫りくる騎士達に、ネーマは仕方がないと帽子を目深に被る。
「不利。撤退する」
「――ッ! 逃がすとお思いですか!」
「当然」
殺意迸るユースが、炎の壁に身を投じながらもネーマを討とうとするが、魔女は数歩下がって、一つ、足踏みをする。それだけで、彼女の足元には魔法陣が構築された。
「あらゆる準備をするのは魔法使いなら当然」
「ネーマッ!!」
怒気を放ちながら一閃。
ユースが放った一撃はネーマを捕えることなく、転移によって魔女は姿を消した。
「っ…………」
悔し気にユースは唇を噛み締め、ネーマが消えた場所を見下ろす。
ネーヴィスは、そんな自身の騎士の背に、倒れ込むようにしがみつき、嗚咽を漏らした。
「ユースっ。ユースっ。お母様や、お父様が……もうっ………………」
「……ええ。構いません。今だけは、王女ではなく、一人の少女として、泣いていいのです」
「うあ、ああ、あぁあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
大声で泣き叫ぶ一人の少女を、ユースは振り返り、優しく抱きしめる。
本当なら、王女としてはいけないことなのだろう。例え、両親の死を前にしても、周囲の目がある中では毅然としていなければならない。
優しくも、未熟な第二王女。
けれど、どうか、今だけはお許し下さい。
普段から民に慈愛を持って接する若き王女の心が壊れてしまわないよう、自身の胸の中で泣き続ける少女を、ユースは母のように優しく抱擁し続けた。
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