第15話 魔女

 音もなく、突然現れたネーマと名乗る少女。

 帽子のつばで隠された顔は伺いしれないが、容姿や声からはロゼとそう年が離れているとは感じなかった。

 魔法……よね。今の。

 姿を消す魔法。転移と違ってどの程度難しい魔法かは分からないが、どんな魔法であれ維持というのは相当難しいとされている。姿を消すなど、元より維持を前提とした魔法を、疲れた様子もなく使えているというだけで、相当腕の立つ魔法使いだというのが分かる。

 状況から見ても、レヴォルグの仲間である可能性は高く、恐らくはあの転移陣を作成した者。それが、まさかこんなに年若いとは思いもしなかった。

 誰もがネーマに警戒する中、ロゼを背に庇っていたディアが一歩前に出て、少女へと近付く。


「私を迎えに来た……と言いましたか?」

「そう」


 短く、簡潔な返答。

 続く言葉はなく、ネーマからもディアとの距離を縮めていく。

 そうして、一歩進めば触れられるまで距離を詰めると、そっとディアの頬へと手を伸ばす。優しく、撫でるように頬から顎へ指を動かす。


「綺麗な顔。君は本当に男?」

「――離れなさい。さもないと殺します」


 ネーマの首筋にフランが短剣を突き付ける。

 その表情は殺意に満ちており、脅しなどという生易しい言葉ではない。

 殺気の乗った短剣を突き付けられているというのに、ネーマは平然としたものだ。帽子の影から垣間見える金色の瞳を動かし、フランを見る。


「短気。それでは、主人に嫌われる」

「っ、死ね」


 偶然か、狙ったのか。

 もっとも言われたくない部分を的確に突き、一瞬動揺を見せたフランの動きが止まる。咄嗟に短剣を振った時には遅く、ネーマはあっさりと身を離して躱す。

 悔し気に下唇を噛むフランと違い、目の前の殺伐としたやり取りなど気にも留めず、ディアがネーマへと質問する。


「貴女はレヴォルグの遣いで間違いありませんか?」

「間違いない。私は案内役を頼まれた」


 こくり、と。子供のように素直に頷くネーマ。


「……いいでしょう。元よりレヴォルグを倒すのが目的。連れて行ってくれるというのであれば好都合です」

「ディア様!?」


 これに驚いたのはフランだ。

 ネーマへの感情を即座に霧散させて、ディアへと詰め寄る。


「行ってはなりません! この誘いは明らかに罠。どうか考え直して下さい」

「罠……そうなのですか?」


 予想もしなかったことを問われたように、ディアはきょとんっとした表情でネーマへ聞く。

 ネーマはネーマで、疑問符を頭に浮かべるように大きな帽子を傾ける。

 内容は国を傾け兼ねない事態だというのに、二人の幼子のようなやり取りにどうにも気が抜けてしまう。

 それはロゼだけではないようで、ネーヴィスの様子を確認すれば、どこか困ったような表情でやり取りを見守っていた。


「知らない。私は呼んで来てと頼まれただけ。判断は任せる」


 本当にレヴォルグの遣いなのかと疑問を抱かずにはいられない返答だ。これが国同士のやり取りであれば、無礼として首を落とされても文句を言えない。

 だが、ディアが気にした様子はない。


「どうあれ構いません。誘いに乗って行くか、独自で乗り込むかの違いです。結果に変わりはない」

「豪胆」


 音が出ない程弱く、ネーマがパチパチと拍手する。

 フランからすれば豪胆などと言っていられるわけもなく、縋るようにディアへ身を寄せる。


「ディア様!」


 心配だと訴える従者に、ディアは落ち着き払った様子ではっきりと告げる。


「フラン。私がレヴォルグに負けるとでも?」

「――ッ! いえ、いえ! そのような不敬な考えを抱いたことなど、ディア様と出会ってから一度もありません!」


 まるで咎められたように、必死に首を左右に振った。今にも泣き出してしまいそうな程、フランが狼狽える。

 そんな少女を配慮することなく、淡々と告げる。


「そうであるならば、何も心配はいりません。違いますか?」

「っ…………」


 返す言葉が見つけられないのか、フランは言葉に詰まる。

 それでも、どうにか引き留めようとするその姿からは、ディアのことを心配しているのがありありと伝ってくる。

 結局、上手い説得の言葉は思いつかなかったのか、意気消沈し、俯いてしまう。


「……例え、例えディア様が負けないと、私自身が確信していても、心配で、不安になってしまうのを、抑えられないのです」


 迷子の子供のように、心細い声を零す。

 そんなフランを、ディアはしばらく黙って見つめていた。フランを慰めようと悩んでいるのかもしれないが、即断即決というディアの印象からすれば、悩むこと自体珍しい光景だ。ディアは否定するだろうが、それはフランへと向けられている親愛のようだとロゼは感じた。

 考えがまとまったのか、ディアの取った行動を見て、ロゼは絶句する。

 

「貴女は良い子ですね、フラン。大丈夫です。優しい貴女のことを、女神様が見捨てることはありません」

「ディア様……」


 優し気な笑顔を浮かべて、ゆっくりとフランの頭を撫でたのだ。普段のディアを知っているだけに、ロゼは目の前の光景を疑ってしまう。

 まるで人が変わってしまったかのような、優しき慈母の微笑み。女性のような顔立ちと合わさって、今の表情では男だと知っているロゼすら女性だと勘違いしてしまいそうだ。

 その優しさを正面から受けたフランに至っては、普段の違いなど些末事であるかのように、頬に紅を塗り、呆然と見惚れている。


「女神……?」


 ディアの変化に驚く一同とは対照的に、ネーマのみは訝しむようにしている。

 魅了でも掛けられたかのような状態から回復したネーヴィスは、先程の光景に当てられ赤くなった頬を誤魔化すように、ごほん、と咳払いを入れる。


「ディア。私達も行きます。――構いませんね?」


 後半はネーマへと向けると、大きな帽子を上下に動かす。


「レヴォルグが呼んだのはディアだけ。ただ、他を連れて来るなとは言われてない」

「ロゼ。貴女はどうしますか?」


 回ってきた質問に、一瞬考えるも、左右へと首を振った。


「止めておきます。私が付いていっても足手纏い以外になれませんので。なにより、私のリタはフラウシュトラオス女学園で療養中なのですよね? そちらに向かおうと思います」


 王城に付いていくことも考えたが、戦力になりえないロゼが付いていっても無意味。

 元より、リタの安否を確かめに来たのだから、そちらを優先すべきだ。

 敵方が迎えに来るなどということがなければ、先に学園へ向かって欲しかったが、この状況では許されない。

 ネーヴィスもロゼの心情は察しているのだろう。了承しつつも、提案してくる。


「お一人で宜しいのですか? 護衛としてヴェッテを連れていっても構いませんよ?」

「これからもっとも危険な者と相対するネーヴィス王女殿下から護衛を奪うわけにはまいりません。学園もそう遠くはありませんので、心配はご無用です。本来であれば、私がネーヴィス王女殿下の身を案じるべきなのでしょうが……」


 ネーヴィスからディアへ、一瞬視線を移す。

 ネーヴィスもその視線の意味を察したのだろう。その表情に、笑みを浮かべる。


「心配するだけ無駄になりそうですね」

「ふふ。そうですね。ですから、ロゼは自分の身を心配して下さい」

「そう致します」


 丁寧に頭を下げると、ネーマがネーヴィスへと声を掛ける。


「話しはまとまった?」

「ええ」

「なら行く。付いて来て」


 無愛想に告げると、背を向けて歩き出す。

 その背に付いて行こうと歩き出そうとするディアに向けて、ロゼは声を上げる。


「ディア! 任せたわよ」


 ディアは立ち止まり、ロゼへと振り返ると、一つ頷いてくれた。

 そうして、去っていくディア達を見つめていたロゼは、ネーマが纏っているマントに何かが描かれていることに気が付いた。


 ――天秤と、剣?


 何を意味するものなのか。

 気にはなったものの、明確な答えは思い浮かばなかった。


「ま、いいわ。私は私でやるべきことをやりましょう」


 一人となったが、臆することはなく。むしろ、一人になった故に、登校するような気軽さで、学園へと向かう。


 ――


 フラウノイン王国王城の女王の間。

 床から数段上がった場所に設置された、金の装飾が施された玉座の前に、レヴォルグは立っていた。

 座るでもなく、相対するように空の玉座を見つめている。


「来たか……」


 誰もいない女王の間に、レヴォルグの小さな声だけが室内に響いた。

 彼が思い出しているのは、ネーマがディアを迎えに行く少し前のことだ。


 ――


「ゾルダートは帰した」


 感情を一切感じさせない、金色に輝く瞳。玉座の前に立つレヴォルグへ、無表情のまま簡潔な言葉だけを口にした。

 ゾルダートとは、ネーマやレヴォルグに協力する者達の総称であり、城を強襲するのに魔法使いたるネーマを護衛する為、彼女が連れてきた者達だ。ネーマの盾となる者達を先に帰したとあってはレヴォルグとしても少々訊ねなければならない。


「別段、帰す必要はないと思うが? わざわざ君の守りを減らす必要もあるまい」

「目的は果たした。必要のない危険に晒す必要はない」


 使い潰そうとも替えの効く者達だというのに、彼らの身を案じているらしい。


「君は、優しいな」

「無駄に死なす意味がないだけ。死ぬぐらいなら、別の仕事をさせる」


 レヴォルグが笑顔を向けると、見当違いだというようにバッサリと切り捨てる。

 彼女の性格からすれば、言葉以上の意味はないのだろう。事実、過去にはネーマの盾として死ぬ者もいたが、彼女は悲しむ素振りなど一切見せなかった。

 故に情が移っているわけでないことをレヴォルグは把握しているが、受け取る側が言葉通り解釈は別問題だ。


「やれやれ。君の為なら死ねる者達だろうに」

「興味ない」


 見た目は人形にように美しい少女は、抑揚のない声で断言する。

 崇拝に近い感情を持っている者もいるだけに、報われないなとレヴォルグは内心思う。

 だが、レヴォルグの憂いをネーマが察することはなく、淡々と話題が移っていく。


「逆に質問。どうしてこんな面倒なことをした?」

「ふむ。面倒、とは?」


 意図は察していたが、敢えて聞き返すと、ネーマの眉尻が一瞬ピクリと動く。


「無駄なやり取りは嫌い」


 あっさりとレヴォルグの内心を見抜かれ、拒絶されてしまいレヴォルグは苦笑する。

 だが、会話そのものを楽しみたいレヴォルグとしては、結論だけを口にするのは味気無く、できれば避けたい。

 なにより、互いの意見を言葉にすることで見えてくるものもある。 


「少しぐらい付き合ってくれたまえ」


 レヴォルグの言葉に、どこか諦めたようにネーマが息を吐く。折れてくれたようだ。

 表に出て来る感情の起伏が少ないが、結果的に優しいネーマは、レヴォルグの会話に付き合ってくれる。


「今回の作戦のこと。ここまでする必要性を感じない。面倒な手間など省いて、始めからレヴォルグ一人で城を落とせばよかった」


 望んでいた質問を的確にしてくれるネーマに、レヴォルグは満足そうに微笑んで答える。

 ネーマが連れて来たゾルダートを含めて、おそよ百人で挑んだ城落とし。だが、実際にはレヴォルグ一人でほぼ制圧した。

 例え、令嬢を救出に向かった騎士団が居たとしても、結果は変わるまい。とはいえ、手間が掛かるのは事実。


「なに。私はね、一国を相手に一人で戦えるなどと己惚れてはいない。王都の戦力だけとはいえ、そのまま相手にしては骨が折れる。貴族の令嬢達を確保すれば、彼女達の救出をする為に、王都から戦力を出さざるおえなくなる」


 令嬢誘拐の際に、レヴォルグの顔を敢えて見せている。彼の実力を知っている者も王都にはおり、結果、数多くの戦力を王都から引き剥がせた。


「貴族が所持している戦力を出す可能性もあった」

「ないさ。フラウノイン王国の貴族共は、必ず今回の責任を王族にあるとし、救出を押し付ける。必ず、な」


 レヴォルグは確信を持って断言した。絶対にそうなると。

 そうでなければ、レヴォルグがフラウノイン王国を離れることもなかったのだから。

 無論、ネーマもそれは理解している。淡々と受け答えをしたネーマは、じとっとした目をレヴォルグへ向ける。


「上っ面の回答はお終い? 無駄な会話に付き合った。手早く本音を話す」

「やれやれ。君は本当にせっかちだね。まあいい。ただ、念の為補足しておくが、多少なりとも今語った効果を期待したのは事実だ。そこを履き違えてもらっては困る」

「レヴォルグ」


 いい加減にしろと咎めるように名を呼ばれ、レヴォルグは肩をすくめる。


「今回の作戦は、全てザンクトゥヘレの彼を、ディア・ファーリエを封じる為のものだ」


 先程まで熱心に語っていたものは、ついでのようなもの。

 脅威はただ一人。ディア・ファーリエだけだ。


「珍しく、君が認めていた」

「珍しくというのには語弊があるが……」


 認める力のある者は認めているとレヴォルグは訂正したかったが、これ以上話が脱線するとネーマの怒りを買い兼ねない為、レヴォルグは自重する。


「今回、唯一障害となるとすればディアだけだ。彼には私を止めるだけの力がある。できれば、彼との戦闘は避けたかったのでね。令嬢達を確保し、護衛という役目を押し付けることによって封じ込めたわけだ。結果として、こうして邪魔をされず、城を奪うことが叶った」

「始めから王城を強襲しても、ディアが動かない可能性が高い。令嬢を救出に来たのは、ザンクトゥヘレに連れ込んだから」

「いや……」


 確かに、ネーマの言葉は一理ある。

 ザンクトゥヘレに住むディアが、わざわざフラウノイン王国を護る理由はない。

 ザンクトゥヘレというおよそ人が住むには劣悪な環境に住みながらも、腐ることなく、確かな善性を持つ不思議な少年。だからといって国境を越えてまで動くことは、本来ならまずないのだろうが、レヴォルグは確信を持って答えた。


「来るさ。彼なら、間違いなくな。だからこそ、封じ込める必要があった」


 半ば信頼を乗せた言葉に、ネーマは首を傾げる。


「確信?」

「ただの勘だ」


 満足気に言い切るレヴォルグに、何を言ってんだこいつみたいな目で半眼になる。


「ディアが城を取り返しに来たらどうする」

「…………」


 聞かれたくなかったことを聞かれたように押し黙るレヴォルグに、ネーマは今度こそ呆れたように嘆息した。


「塵掃除も出来た。作戦が無意味とは言わない。けど、君が望んだ本質は違う。言葉の上では避けてる。だけど、実際には縁を残そうと動いている。僕にはそう見える」


 ――


 確信めいたネーマの言葉を思い出し、レヴォルグは玉座の前でただ押し黙る。

 ネーマの質問に対する答えは、最初から決まっていた。その答えに対する結果さえも、理解している。だからこそ、答えることができなかった。


「どうしたものかな」


 決着は、刻一刻と近付いている。

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