☆10
今度は少し離れたところにしようと、バスに乗って終点の駅で降りた。ここも静かで寂れた町だ。活気が無く誰もが一人で、談笑している様子などない。ここなら多少警戒しているとはいえ、すぐにできるだろう。
偵察を終えて帰ろうと引き返すと、もうバスの時間はなかった。まだ夕方なのに最終だったようだ。
仕方なく辺りをぶらつき今日はどこかに泊まるか、多少面倒だが歩いて帰るか考えていると、目の前をふらふらと女が通り過ぎていった。
酒に酔っている様子はない。体調が悪いのか前屈みになりながら、弱々しく袋を抱え歩いている。辺りに人はいなかった。薄暗い電灯が十メートル先にあるだけだ。
足音を立てないようにそっと跡をついていく。暗闇の上に隠れる場所も多い。溜まったゴミなのか人間なのか、夜道の中で区別はつかないだろう。
時計を見ていないので正確には分からないが、十五分ぐらい歩いただろうか。かなり静かなところだ。女が一番端の家に入っていった。身なりは悪かったのに、意外にも一軒家の隣には倉庫があるような場所で驚いた。裏に回りなんとなく家の構造を頭に入れたところで倉庫に入る。窓を壊したときにもっと音が響くかと思ったが、そうでもなかった。中は車が一台停めてある。
頭の中にイメージが浮かんだ。一度倉庫から出て走る。ここへ来る途中に花屋があったはずだ。なるべく裏の道を通り人がいないのを確認すると、店先に飾ってある花はビニールを上からかけただけという、無防備な花屋からある花を探した。こんなところで花を買う奴などいないのかもしれない。すでに枯れかけたものの方が多かった。端っこの方に、他の花に埋もれた白いバラを見つけた。先の方は茶色になりかけていたが、この店の中ではマシなことに感謝する。あるだけまとめてコートの裏に隠した。ついでに一本だけ赤い薔薇の花も持っていく。
コンコンと家の戸を叩くと、数秒してから控えめに開かれた。震える声でどちら様ですかという女に、なるべく優しく聞こえるように車を貸してくれないかと問いかける。女は困ったような顔をしたが、案外すんなりと倉庫まで歩いていった。後ろの窓が割られていたのには気づかないのか、シャッターを開くと車のエンジンをかけ家の前に停めた。
「まだ動いたみたいです……すみませんがどこかでオイルを……」
車から出てきた女に笑いかけ、もう一度倉庫の方に誘導する。少し戸惑う女に、窓が割れていることを指摘してやった。
「あっ、いつの間に……私ったら気づかないで」
「もしかしたら老朽化かもしれませんよ。あまり……そのお手入れは苦手ですか?」
ほんの少し女の方が上気するのが分かった。本当に久しぶりに、誰かと会話したという感じだ。でもこれが最後の会話になる。
「……Queen」
呟くと女は顔を上げた。その前に注射器を取り出して首に刺す。女の体はぴくぴくと痙攣してから、ばたりと床に倒れた。シャッターを閉めて薔薇を部屋に撒き散らす。女には赤いのを持たせて、今から腹を切り裂こうとしたときに目に入る。オイルかと思ったが、開けてみるとペンキのようだった。青色の液体がドプドプと入っているので、まだ新品だろう。お目当ての色を探すと、奥の方にペンキで汚れたゾーンがあった。黄色や緑のがハケや缶にべったりとついている。その中に紫のような色があったから探してみると、見つけた。赤色のペンキ。女から赤薔薇を外して白を持たせる。女の裸を見るのは嫌だったけど、madhatterならきっとこういう演出をしたがるだろう。胸にナイフで十字架を描いた。その血を白薔薇に塗る。
服など邪魔な物は全て後ろに寄せた。女の周りを囲うように赤いペンキを零す。そういえば女はアートでも趣味だったのだろうか、今となっては演出の一つに使えてラッキーだったという感想しかないが。たまたま見つけた黒炭のチョークのようなもので、今までとは違うメッセージを書いた。女王の願いを叶えて、物語は終わりだ。
コートを脱いで車を走らせた。どこかに捨てようか、このまま帰ろうか迷っているうちに、微妙な道に入ってしまった。なんとなくあの教会のある森の中に似ている。と、その中でガソリンは切れてしまった。こんなところには誰も来ないかと、その中で仮眠をとった。朝になり多少寒かったものの、コートを森の中に捨て徒歩で帰った。さすがに汚れたコートを誰かに見られたら、不審がられるだろう。この場で捕まってしまうのは不本意だ。
多少迷いながらも、元の場所へ着くことができた。
テレビを見ながら、思ったより発見が早かったなと感じた。たまたま近くまで来た宅配員が異変に気付いて、ペンキが漏れている倉庫を覗いたそうだ。
地下室に行って棺を確認した。今考えればこれを先生にしても良かった、その方が長く一緒にいられたから。この子に罪は無いが、最後に手をかけるのが他人なのは少し悔しい。でも先生がまだここにいたら、自分はここまでできなかっただろうとも思う。それにこの子を磔にするのも、想像できなかった。
形見にもらったロケットを服の上から握りしめる。あの頃の先生と自分がその中に入っていた。
「早く先生のところに行きたいな……」
そう呟くと、先生が語りかけてきてくれるようだった。
彼のいた家で過ごして、彼のベッドで寝ていると、焦りや不安や恐怖は消えていく。今までのことがいつか見た夢のように、現実味が無くなった。
そろそろ自分だという証拠が出るのではと思っていたが、こんなときでもお腹は空くらしい。冷蔵庫の中のストックがなくなって、仕方なく街に出た。殺人犯を恐れているのか、あまり人はいない。
途中にあったバーの窓からテレビの画面が見えた。madhatterらしき男が捕まったというニュースだった。
なんと表現すれば良いのか分からなかった。今すぐ自首して、彼に謝らねばと思いながらも体は動かない。その一方で、どこか他人事のようだった。
先生の車に棺を乗せて、教会のあった森の前まで来た。沢山貼ってあった黄色いテープももう無い。以前のように静かで、近所の者でも近づかない雰囲気に戻っていた。教会はすっかり綺麗に全てのものが回収されていたが、壁の焦げは消えていないので安心した。そこに指で触れてから頰を寄せる。なんだか暖かい気がした。
そういえば発端となったこの子たちは、一体ここで何をしていたのだろう。あれはどんな事件だったのか。
「まぁいいか……今更」
ふと殺した二人の姿が浮かんだ。そうか、ここで死ぬと色んな人に見られることになる……それはちょっと嫌だな。
棺だけ中心に置いて、カッターで壁の一部を削った。それを持ってまた車を走らせる。
ここら辺で一番高いところ。目の前に広がる黒い水を上から覗いた。本当は濁っているだろうけど、周りが暗いのでよく見えないのが救いだ。ギリギリに腰を下ろした。
「先生……夜中に海を二人で眺めるなんて、ロマンチックですね。休日に海水浴を楽しむような綺麗な海ではありませんが、貴方と二人ならどこだって幸せです」
注射器を持つ手が震えた。今更迷うことなんてない、これを刺せば先生のところに行ける……。
「……っ」
なのにどうしても腕が拒んだ。針はガタガタと震え、腕の上を彷徨う。半泣きになりながら一度注射器を置いた。
後悔なのか、怖いのか、はたまた嬉しいのか? ……先生に聞いても答えてくれない。
がさりと後ろで音が鳴った。驚いたその拍子に足が地から離れる。考える間もなく、体はみるみる崖から遠ざかっていく。やけに月の光が眩しくて、目に沁みた。
何かに手を伸ばして――それは暗闇に包まれた。
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