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流行りのビビッドレッドを塗った爪で壁をなぞった。赤いライトで照らされた部屋のインテリアの一部……いやむしろこの写真の為の場所になりつつある。

イカした写真はダーリンがネットからとったらしい。一部はそのままカラーで、一部はオシャレにモノクロ。どっちも素敵だ。見ているだけで興奮してくる。あんなツマラナイ薬なんかよりよっぽど最高!


一番お気に入りのを撫でるように触れてから、女は飴を舐めた。

「ダーリン、madhatter氏は今日もお元気かしら?」

「そうだねハニーそろそろ新しいshowが見たいよ」

男は女の下品な金髪に指を通す。


こいつが本当は汚い赤毛だってことは前々から分かっているさ、でも俺の為に元の顔を捨てて可愛くなったなんて、健気だろ? 可哀想なペットを撫でてやるのは飼い主の仕事だ。俺は飴を舐めて、そのまま舌を絡めた。

早くmadhatter氏、始動してくれよ。こんなんじゃもう退屈だ。すぐ飽きちまう!

頭の中で音が鳴る。ガチャガチャのドラムと、重く響くベース、掻き鳴らしたギターがガンガンガンガンガンガンと!

ライブハウスで煽ってると思うことがある。こいつらはこの瞬間、全員俺に陶酔しているんだって。今なら怪しい壺を出しても全員買うんじゃねえかな、ブレスレットはもう売り切れたけどな!

「ハハハッ!」

「なーに? なんかイイ、アイディア浮かんだ?」

「ああ!最高だ! 決めたぞ、俺たちでhatter氏を盛り上げてやろう」


ああ、彼って最高だ。何年も頑張ってきただけある。私にとっては彼が神様で、全て。

だからあの日も家に来て、いつもみたいにされるのかと思ってたら、彼はこれを見ろって青白い画面を指差した。それは白黒のよく分からない写真だった。次のライブのTシャツデザイン? って聞いたら彼は笑って“本物の死体”だって答えた。そんなもの簡単に見られるって知らなかったから、凄く驚いた。よく見たら確かに手らしきものと、胴体が外れてる。

気持ち悪かったけど、二枚目の写真でまたびっくり。今度のは凄くアーティスティックだった。とってもかっこいい。それは彼も同意見で、彼が好きだから更に好きになった。

madhatterは最高の芸術家! これが理解できるのは一部分の、本当に才能溢れる芸術家達! あたしもちょっと自信が出てきて、得意のダンスを踊っていた。

それから二人でずっと彼? を追って、今ではすっかりファンになってしまった。未だに捕まっていないところも、痺れるぐらいカッコいい! 警察なんて大したことないんだ! ああ、あたしの町にも来ないかな? 次はどんな芸術を見せてくれるの?

「ダーリンそれ最高だわ! ……で、何をするの?」


甘いチェリーの香水をつけた女に振り返る。

「ま、俺は音楽の方のアーティストだからな。hatter氏に届く超痺れるサウンドを作ってやる」

「キャア素敵! やっぱりダーリンが世界一カッコいいロッカーよ」

バカな女ってのはとことんバカでいい。今日は機嫌がいいから肩に腕を回してやった。そのまま、また上がった新しい動画を俺たちの眼に焼き付ける。



『お茶会へご招待』


アリスはご存知か?

大きくなったり小さくなったりする薬

でも俺たちはそんなんじゃ満足できねぇ

もっと見せてくれ! クイーンを倒すところを!

もっと魅せてくれ! 首を刈るところを!


レッドベリー 甘すぎるチョコレート 鳥に変わる砂糖菓子 全てを混ぜろ混ぜろ混ぜろ

卵を割ってパイの中 ハートを潰してカップの中

全てをぐちゃぐちゃに 混ぜろ混ぜろ混ぜろ


芋虫が予言した この世は淘汰されると!

バカは置いていけ、俺たちだけが理解する!

赤に染まれ染めろ染まれ! 白の軍団へポーンを動かし、クイーンを××してやれ!


俺たちの夢は覚めない、奴がいる限り


イかれ帽子屋はwonderlandの夢を見るか――?



煙草を足で消して舌打ちをする。

どうしてこんな世界になりやがった!

俺は大衆向けに作られた物なんて、この世で一番嫌いだ。知られていないというところが最大の魅力なのに、今はなんだ? 史上最強の殺人鬼? 殺人アーティスト?何を言ってやがる!

レンガの壁を蹴った。

もう半年前か。手汗でよれた、何度も見たページにまた目を合わせる。夢にまで出てくる教会の見取り図と、蘇る血の匂い。

……まぁいい、アレを見た奴は極一部だ。写真と本物じゃ全く違う。それに初めの事件は資料が少ないから、二番目からの犯行が奴の仕業だと思われている。

バカには騒がせておけばいい。だが、俺があいつらと同じ価値観を持っていることが許せない! ただ便乗した馬鹿騒ぎのクセに! この事件はもっと謎に溢れ、ロマンが眠るものでなければならない! 三流以下のくだらない奴らが好むような、安っぽいものにするわけにはいかねえんだ!

最近ではあのふざけた歌をやめろと言っても、こっちに苦情が来るだけで規制しようとしない。止めようとするとデモが起こるぐらいだ。ネットでの画像はどこから漏れたか知らねえが、消しても消しても収集がつかない。本人が書くわけがないのに、適当なサインが入った死体の写真がオークションで高値で売れた。毎日毎日頭を抱える。

ポストを蹴ったら前にいたババアが目を逸らした。

「……チッ」

また煙草を取り出して、路地裏に入る。


あれから立て続けに起こった事件は、全て犯行後の発見になった。初めの少年の次に起こった、男がその教会の十字架に磔にされていた事件。あまりに初めの事件で手がかりが無かった為に、捜査が疎かになっていたときだ。あの場所は近所に住む者でもあまり来たりしない。迷わず辿り着けるものなど僅かだろう。それにニュースはこの地域でしか放送されていない。ネットニュースか、新聞を他の地域で見た者の可能性もあるが、犯人は地元住人だと睨んでいた。しかし犯人はおろか、殺された人物の身元も体の内部まで焼かれていて分からない。

そんな俺たちをバカにするように、この場所からたった五百メートル離れた教会、ここも廃墟になっていた。その裏庭で時計を大量に置かれる事件が起こった。もちろん町の時計屋を回ってみたがあまり収穫がなかった。

古い機種、その上パーツがわざわざあちこちに、ひとつひとつバラバラに傷をつけたり入れ替えたりして……かなり用意周到な奴らしい。しかもこんなに大量の時計の一つの種類が分かったところで何になる? いちいち売った奴なんて覚えてないと言われて終わりだ。そういえば全て腹を切り裂き臓器を出しているのは、何か意味があるのか? 同じ犯人だと印象付ける為か?

今度の人物は顔が残っていたのですぐに分かった。千メートルほど先に住んでいた漁師の男。家には七歳ほどの息子が一人。隣人の話によると、男は妻から逃げて、名前も知らない町に落ち着いたようだ。前からやっていた漁業ならばどうにか食っていけると、辿り着いてから六年経っていた。無口であまり人と関わろうとしない性格で、近所でも浮いていたそうだ。男と教会の関係は見えなかった。子供は施設に引き取られた。余談だが男の妻は檻の中という噂だ。

この頃からマスコミや警察に大量のくだらない手紙が届いた。あまりの量に注意をすることさえ億劫で、模倣犯も相次いだ。警備も強化されていたので、あちこちの軽犯罪は防げたが、パリの方で無差別殺人が起こった。目撃者がすぐに通報したので、刺された女性はなんとか一命を取りとめる。男は、自分はあの事件に影響されただけ、hatter氏を名乗るのは彼に申し訳ないと、ふざけた証言で終わった。

そしてこの間起こったのは隣の市の、それもかなり端っこの、街全体が廃墟みたいな場所だ。倉庫で女が殺された。真っ黒な倉庫は駐車場だろうか。車一台がギリギリ入る大きさは、女一人でスペースが埋まってしまうほどだった。

その女の周りには白バラが散乱していて、それを女の血と塗料で塗られていた。そして床には黒炭で書かれた『女王の意志を代行するもの』

その意志を代行するものということは、今までの奴ではないということか? ただのファンがやったのかもしれない。ただ俺の本能的な部分で、なんとなく今までの奴と同じ気がした。他の者には出せない、奴なりの美学がここに込められている気がする。

女は生涯孤独で仲の良い友人もいない、一人でこの寂れた町に住む人間だった。三十代後半でも厳しいものがあると思ったら、女はまだ二十代だった。

hatterはどうやら問題のある人間を探し出すのが得意らしい。夢を見せているということか? wonderlandに連れて行くって? ……クソッタレ!

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