二節:きおくのせいり

「……ガハっ!!」

 龍麻がうつ伏せに寝ていた体を起こした。

「はあ、はあ、はあ……」

 まるで悪夢にでもうなされていたかのように、息を荒げながらその場で座り、そして辺りを見渡し始めた。

 頭を数回振るった後、横で立っていた麻祁に気付いた。

 今だに息を荒げたまま、立ち上がる。

「はあ、はあ、……どうなってんだよ……」

 その問い掛けに、麻祁は淡として答えた。

「さあな」

 龍麻が自身の胸元を触り、そして足から全身へとあっちこっちを確かめるように触り始めた。

「どうなってんだ……ほんとに……確か俺達って……」

「水に巻きこまれた。それは確かだ」

「なら、なんで濡れてないんだよ……雨も振っていただろ確か……って――」

 龍麻がある事に気付き、辺りを見渡した。

 視界に映る景色。しかしそれは、いくら見回した所で変わりようのない暗闇の世界だった。

唯一、制服姿である麻祁の姿と長く伸びる銀髪、そして、自身の白の半袖のシャツだけが鮮明に映っていた。

「なんなんだよここは!? どうなってんだよ!」

 叫ぶ龍麻に対し、麻祁はただ前を見ているだけだった。

「私に聞かれても知らんよ。むしろ私が聞きたい。ここはどこなんだ?」

「俺が知るわけないだろ!? なんで体が濡れてないんだ? それにどうして周りが暗闇なんだよ?」

「考えられる理由なんて想像は出来ない。私達は確かにあの濁流に呑まれたんだ。……となると」

 その言葉の先を龍麻が読み取った。

「死んだ……? 嘘だろ……俺達死んだのか?」

 まるで老人のように、ふらふらと足元をおぼつかせながら、すがる様にして麻祁へと近づいていく。

 それに対し、麻祁は龍麻の頬を抓った。

「――っ! 痛いって!」

 龍麻は頬を抓る右手を払い、すぐさま赤くなる部分を押さえた。

「痛くない……なら、私達は生きている」

「俺だけが痛いんだって! ……って、なんでそれだけで生きてるって分かるんだよ? 死んでも痛いとかあるかもしれないだろ?」

「死後の世界がどのようなものかは分からないが、死んで魂だけの存在なのに、尚も痛みを感じるなんてどう考えてもありえない。それなら、肉体も共に連れなければな」

「……だったら、あれか? 死んではないと? んじゃ、何でこんな暗闇の中にいるんだよ? あんな水に巻きこまれたってのに……」

「それを考えている」

 麻祁は目を逸らさず一点だけを見つめている。

 先ほどから変わらないその姿に気付いた龍麻は、横に並び一緒の目線でその先へと目を向けた。……だが、視界に入ってくるのは、ただの暗闇だけだった。

「……さっきから何見てるんだ?」

「真っ暗闇」

「……何かあるのか?」

「あれば嬉しい。どうしてここにいるのか? の理由が分かる」

「だぁー! んだよそれ! 一緒に見た俺がバカだったよ!」

 呆れるようにして、龍麻がその場から離れた。

「勝手に横に並んで見てきたのはお前だろ? 同じ場所を見るより、他を見た方がいい、何かが見えるかもしれない」

「……何かって……」

 龍麻が再び辺りに目を向ける。……が、やはり、そこには何も現れはしない。

「何にも見えないよ。……本当にここはどこなんだよ。……って、大体、あの依頼自体に何か変わった事とかあったんじゃないのか? 内容ってなんだっけ?」

「ある村にて、訪れた人が消えているって話だ。それの調査であの場所に立ち寄った。――言わば、神隠しってやつ」

「神隠しか……実際にあるのか?」

「あるにはある。よく昔から話では聞くだろ? ふと居なくなった子供が、突然数年後に帰ってきたって話が。それの大体の事実としては、人攫いが関わってくる」

「人攫い? 誘拐って事?」

「ああ、当時の時代背景からも、子供を攫っては自分の欲を満たし続け、その後、飽きたり、何かしらの理由があったりで、手に負えなくなって、元の場所へと帰すという事が、ごく当たり前のように起きていたらしい」

「……なんか嫌な時代だな」

「見つけようにも、電話の無い時代だからな。周りには連絡の仕様がなく、そこの村だけで探そうとしても限界があり、被害にあった人達がその後に出来る事と言えば、無事戻ってくる事をただ祈るだけしかなかった。本当に神頼みってやつだよ」

「今は携帯とかもあるし、神隠しなんてのはないんじゃないのか? ほら、危なくなったら電話すればいいし」

「神隠しという言葉はなくなっても、居なくなるという事はよくある。山なら怪我をして動けなくなったり、酷い時は獣になんか襲われたりして、連絡しようにも、圏外だったり、持ってなかったり、最悪死んだりなんて事もある」

「……じゃ、俺達が調査していたのも、そんな感じじゃないのか? それを神隠しだなんて……」

「調べて見ないことには分からない。何があるかなんて……な」

「……で、俺達は今巻き込まれたと?」

「それがどうかとはハッキリとは言えないな。そもそも私達が訪れた場所は、その神隠しがあったとされる場所ではないんだ。あれは全く未開の場所だ。あんな場所地図には載ってなかった」

 麻祁の言葉に、龍麻の記憶が呼び戻される。それは確かに奇妙な場所だった。

「両脇を背丈よりも遥かに高い切り立った崖が挟み、そこにいくつもの洋風の建物が立っているんだ。それに中央には噴水だなんてありえないだろ?」

「……まあ、確かにそうだけど……でも、村って可能性が……」

「村にしては造りがおかしい。あんな洋風の建物、わざわざこんな山奥に立てる必要が無い、しかもレンガだぞ? それに広場の中央にあった噴水もそうだ。水はどこから引いてくるつもりだ? 山の水か? それとも雨か?」

「それは俺も分からないけど……」

「それに人の気配が全くなかった。廃村にしても、周りの家には風化した後も見られない……まるで幽霊が見せる幻覚のような所だった」

「……幻覚って、それじゃあの水も幻だったって言うのかよ?」

「あれは本物だよ、嘘じゃない。雨も降っていたし、何よりあの濁流の音が私の聞き間違いだとは思えない。冷たかっただろ雨?」

「……それはそうだけど」

 徐々に思い返していくあの時の雰囲気と景色。深く深く考えれば程、その不可思議だった記憶に、龍麻は自然と身震いをした。

 あの雨のような冷たさが、一瞬背中を擦った

「……なんだか寒くなってきた。……で、これからどうするんだ? さっきから暗闇の中にいるけど、正直かなり怖いんだけど……」

「明かりがあればいいが、暗いはずなのに、姿だけが鮮明に見える。普通に考えてもおかしな話だ。ならば道も見えるはずなんだけど……」

 麻祁が辺りを窺うように、首を下に向け動かし始めた。

「道なんてあるのかよ? ……ってそう考えると、全てが穴が空いてように見えてきた……」

 龍麻もその場に這うようにしゃがみ、手を伸ばしては暗闇を叩いた。

 コンクリートのような硬い感触だけが伝わってくる。

「地面はあるみたいだけど……」

「それなら歩くしかないな。とにかく前へ」

 麻祁が一歩前へと右足を出す。

「だ、大丈夫なのかよ!?」

 龍麻の言葉と被るようにして、麻祁の右足からは、コツンっと硬いモノを踏みつける音が響いた。続けざまに麻祁が左足を前へと進め、足を揃える。

「歩けそうだ」

 ツカツカと前へと歩き始める麻祁の後ろ姿に、龍麻が急ぎ立ち上がり、後を追った。

「ま、待ってくれよ!」

 だが、二人の足はすぐに立ち止まることになる。

 先に足を止めたのは前を歩く麻祁だった。

 次に足を止めたのはその後ろからついてくる龍麻。

「……な、なんだよあれ」

 それは二人の目の前に突然現れた。

 真っ暗闇の空間の中、二つの光が飛び回っていた。

 一つは白、そしてもう一つは緑の明かりだった。

 二つの明かりは互いにぶつかり合っている。

 二人はその光景を眺めていた。

「なんだよあれ……」

 同じ問いかけを呟く龍麻に対して、麻祁は何も答えない。

 白の明かりが激しく上下の移動を何度も小さく繰り返し、それに対し緑の明かりも同じような動きを返していた。

 その見た目はまるで、喧嘩でもしているようだ。

 激しいぶつかり合いの後、白の光が弾け飛び、闇へと消えた。

 緑の明かりは上下に小さく動いた後、二人の前へと飛んできた。

 二人の前に突如現れた緑の光。

 明かりに包まれるそこには一人の女が立っていた。

『はあ、はあ、お、お待たせしました!!』

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