禍の啼く町

ミカヅキ

開怪

 大人になるにつれて、怪談話や怪奇話は取るに足らない法螺と化す。

 幼い頃はあんなにも怖がっていたのに、いつしか其れは『こわいもの』ではなくなるのだ。

 正確には、その恐怖が偽りのものであると一蹴するようになる。ありえない、化け物など存在しない、と。

 果たして本当にありえないのだろうか。

 見えないふりをしているだけなのではないだろうか。

 かつての子供達は言う。『こわいもの』は、本当はいつもそこにあるのだと。



「ねえ、出たんですって」

「出たって、また?」


 教室の片隅で少女達が囁きあう。

 時に小さな笑い声を溢し、時に相槌を打ちながら、その雑談は続いていく。

 其処に意味などない。そもそもが、彼女等にとっての暇を潰すための物なのだから、意味を求める事の方が滑稽なのである。

 そう、彼女等にとっては些細な雑談、意味を成さない遊戯。取るに足らない日常の欠片に享楽を見出す――彼女等に限らずとも、皆行う事であるだろう。


 出たのよ、また。

 少女の一人がもう一度繰り返し、舌先で遊ぶ。

 からん、と。何処かで自転車が転がった。



 鳥の鳴き声が響く。

 鳥といっても、鶯や駒鳥のような耳に心地良い音色で鳴いているのではなく、ぎゃあぎゃあと頭上で鴉が騒いでいるのだから、決して聞いていて楽しいものではない。寧ろそれは酷く耳障りで、日が沈みかけている事も相俟って不気味ささえ覚えるのである。

 都会の建て並ぶビルの隙間で聞く分には気にならないその鳴き声に妙に不快を感じるのは、今の精神状態にも起因するのかもしれない。つまるところ、彼は実に憂鬱であった。


 ――ああ、こんな事なら外国だってなんだって、親と共に行けばよかった。


 うんざりとした顔のまま、高月は目の前の鳥居を見上げる。

 この町に帰ってくるのは十年ぶりだった。出来る限り、帰ってきたくはなかったのだが。

 言葉の通じぬ外国だろうとこの町よりはましだった。しかし、高月はこの町で一人暮らしをする事を選んでしまった。だからこそ、こうしてこの町の唯一の入口である赤い鳥居の前に突っ立っているのである。

 「外国には行きたくない」と駄々をこねる息子に、転勤先が決まってしまったものはどうしようもない――しかしそこまで言うのなら、と両親が出した提案は、『両親が用意した住居に一人暮らしをすること』だった。

 外国に行かずに済む、しかも一人暮らしが出来る、という親からの独立に憧れる17歳男子には願ってもない提案に高月は二つ返事で承諾した。

 碌に『用意した住居』の所在地も確認せずに。

 ――そして今に至る、というわけである。思慮不足、確認不足。ともかく完全に高月の浅はかさが招いた結果であった。

 しかしいつまでもここに突っ立って、過去の自分を責め立てていても仕方が無い。もう決まってしまった事で、覆す事は不可能なのである。両親は今頃、遥か彼方海の向こうにいるのだから。

 ――はてさて、俺は生き延びれるのだろうか、この狂った町で。

 もう一度重い溜息を吐き出して、高月は漸く鳥居を越えようと一歩足を踏み出した。古ぼけて所々塗装の剥げた鳥居の、柱の隅には『鬼島』と刻まれている。



 鬼島町は、県境に位置する人口1200人弱の、少子高齢化の典型のような田舎である。

 四方八方山に囲まれ、都市からは遠く交通の便も悪い、小中高と一応学校はあるものの田や畑が土地の殆どを占め、町というよりは村と言った方が差し支えないような場所だ。

 そんな地理も相俟って、観光客は殆ど来ない……かといえば、実はそういうわけでもない。その殆どは『噂』を聞き好奇心を刺激された大学生か、『そういうもの』に興味関心を抱く物好きが多くを占めるが――そういった人々が落とす収入で、町は多かれ少なかれ潤うのだ。


「鬼島町には、人智を超えたモノ達が蔓延っている。あそこに行くのなら、気をつけなければならない。禍はいつも、すぐそこにあるのだから――」

 町の外の人々にまことしやかに囁かれて、いつしか鬼島町を語る常套句となってしまった噂。性質が悪いのはそれが全くの真実であることだ。



 鳥居をくぐり、遂に町に足を踏み入れた高月はしかし、早速地図を睨みながら立ち往生する破目になった。

 母親に渡された高月が下宿することになる『鬼島荘』の場所が記された手描きの地図は、製作者である彼女の性格を現すかのように雑で、周辺に田があることしか読み取れない。しかしこの町では田が無い道を探す方が難しいのだ。

 そして、最早幼稚園児が描いたような其れからそれ以上の情報を得ることが出来るほど、彼は洞察力に長けてはいないのである。

 結論。地図は役に立たない。早々に地図を参照する事を諦め、高月は辺りを見渡す。

 高月が昔はこの町に住んでいたとはいえ、それは彼が7歳の時までであり今となっては地図など記憶の彼方だ。しかし探せば昔の知り合いならば見つかるのではないだろうか――そんな淡い期待を胸に、足を一歩踏み出した。

 空はもう日が八割ほど山の奥に沈みこみ、赤い夕焼けを闇が侵食していっていた。薄れた記憶が、それでもけたたましく警報を鳴らす。それに逆らうほど高月も愚かではない。

 急がなければ。日が沈んでしまう、夜が来る。夜は特に奴等が活動的になると『知っている』。

 横には畑が広がるあぜ道を人を探しながら歩いていたその時、後ろから自転車のベルが響いた。


「トン、トン、トンカラ、トン」


 唄うように『其れ』は唱える。嫌な空気に高月の背筋が凍った。

 出た。嘘だろ早いだろ。ちょっと待てよ――思考が渦巻くも、彼の声帯が震えることは無く代わりにその唇が動揺と恐怖に戦慄いた。拳は知らず握りしめられ、冷や汗が顎を伝って道に落ちる。

 シャアァ、と車輪が滑る音がして、『其れ』が高月の目の前に躍り出た。


「トン、カラ、トン」


 『其れ』は人ではなかった。人の形こそしているものの、その全身には包帯が巻かれ日本刀を抱えている。『其れ』の頭であろう部分が、ぐにゃりと傾いた。高月の瞳孔が恐怖に開かれる。さあっ、と血の気が引く音がした。


「トンカラトン、と、言え」


 高月の返事も待たず、『其れ』は日本刀を振り上げる。

 何の防衛策も持たない高月は無防備で、ただその体を強張らせることしか出来ない。腕で体を庇う間も無く、刀の一閃は高月の身を切り裂かんと啼いた。


 かつての少年は囁くのだ。

 『こわいもの』は、いつでもすぐそこにいるのだと。

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