消えてしまったもの

「……なに、それ」


 からかっているのだろうか、しかし隆晴の表情は真剣そのものだった。


「昨日の朝、俺にたずねたよね。一昨日の放課後に学校へ戻ってきたかって」


 確かにそう質問していた。呼ばれた気がしたから、あの場にいたんじゃないかと思って。


「その日に須賀野さんは死んでるんだ。本当はあのとき、車にかれてた」

「私が幽霊だって言いたいの?」

「そうじゃない。言ったでしょ、以前の俺が願いを叶えたんだよ」


 隆晴が近くにあった机の上に座り、窓の外へと視線をむけた。つられて私も同じ方向を見やる。夏休みが近づく空は、夕焼けにはまだ遠い。


「嘘みたいな話だけど、そういう力があったんだ。自分に関する願いには使えなくて、使った相手にその力が受けがれていく」


 はっとして、私は隆晴へと視線を戻す。隆晴は私の左腕を見ていた。


「そう、あざがその証拠。どうやら以前の俺は、須賀野さんを助けることに使ったみたいだ」


 あのとき名前を呼ばれたのは、気のせいではなかった。痣についてもわかった。

 私は、隆晴に命を救われていたのだ。


「そう、だったんだ……ありがとう」

「痣が受け継がれたこと以外、全ては無かったことだよ。気にしなくていいんだ」

「そりゃ実感ないけど」

「だろ? それに以前の俺が願ったことなんだし」


 先ほどから、ひとつ気になっていたことがある。


「以前のって、どういうこと? 隆晴は隆晴なんだよね」


 隆晴であることに変わりはないはずなのに、まるで別人のような物言いだ。


「うん。力を持っているかどうかってだけで、俺に変わりはないよ。ごめん、呼び方とか気にしてたよね」


 見栄みえを張ってもしかたがないので、素直にうなずく。正直だね、と隆晴は苦笑した。


「覚えてないんだよ。記憶じゃなくて……なんて言ったらいいのかな。須賀野さんと話したこととかは全部覚えてるんだけど、そのときの俺がなにを感じていたのか、どんな感情だったのかを覚えてないんだ」

「それは……なにか理由があるの?」

「……さあ、俺にもわからない。だから、須賀野さんのことを名前で呼ぶようになった日、俺が何を思ってそうしたのかがわからないから、いま名前で呼ぶことに違和感がある」


 困らせてごめん、そう続けて隆晴は視線を落とす。


「そっか……なーんだ、嫌われることしちゃったかなって思った。あはは」


 私が明るく言うと、隆晴はおどろいたように再び私を見た。


「嫌いになったりしてないよ」

「よかった、じゃあこれからも普通に話せるんだね! いつも隆晴とつるんでたから、なーんか調子狂っちゃってさ。でも全部わかったし、安心した。ってもうこんな時間だ、話してくれてありがとう、先に帰るね」


 笑顔のまま早口で言いきって、私は逃げるようにして教室を飛び出した。

 安心なんてしてるわけがない。最後の最後で、私は見栄を張ってしまったのだ。


 いちばん仲が良い自信があった。いちばん近くにいた自信があった。友達という位置に甘えてはいたけれど、それなりに期待できるような出来事もあった。もしかしたら、近いうちに想いが届くんじゃないかって思っていた。


 それが全てなくなってしまった。

 これまで積み重ねた、全てが。


 悲しくないわけがない。辛くないわけがない。隆晴が願いを叶えなかったらなくならずに済んだかもしれないが、その場合は私がこの世からいなくなっているのだ。

 どうあがいても失うしかなかった。それが何より悔しかった。


 言葉にできない感情を振り払うように、学校を出てからも早足で歩き続ける。赤信号に足を止めれば、あの事故にいかけた交差点だった。


 あの日、もし本当に隆晴が学校へと戻ってきていたら。私を見つけて願いを叶える力を使うこともなく呼び止めて、振り返った私が隆晴を見つけて手を振るような、そんな世界があったなら――そんなことを考えて、なんて意味のないことだろうと自嘲じちょうした。


 さっき隆晴が言っていた通り、全てはなかったこと。

 車に轢かれて私が死んだらしいことも、轢かれることなく隆晴との関係が変わることもないまま、なんて日々があったとしても。全ての可能性は過ぎ去ってしまった。


 隆晴との関係がリセットされた今だけが存在している。


 生きていてよかったと喜ぶべきなのに、素直にそう思うことができないのは、きっと隆晴との日々が私の中であまりにも大切なものだったから。でも。


(嫌われたわけじゃ、ない……)


 昨日芳恵に言われたことを、再び胸の内で呟く。

 マイナスになったわけじゃない。ただ、リセットされただけ。

 やり直せるだろうか。


(……違う)


 やり直してみせる。だって、私の隆晴への感情はリセットされていないんだ。


 いつの間にか空は少しずつオレンジがかってきていて、私はにじんでいた涙をぐいと拭う。死んだ覚えはないけれど、視界を悪くしてまた事故に遭いかけるのは勘弁かんべんしたい。青信号でも気を抜かないよう、私は再び足を進めて横断歩道を渡った。



 □



 私が一度死んだかもしれないとか、願いを叶える力とか、当然ではあるけれど他の人にはとても話すことはできない。芳恵には帰宅してから『隆晴と仲直りできるように頑張るから、手伝ってくれると嬉しい』とだけ連絡を入れることにした。友達なのかすら怪しい今の関係では、もうすぐやってくる夏休みで距離を縮めることは難しいと思ったからだ。というか、会うことすら難しそうだ。


 トークアプリの返事はすぐにきた。『当然。協力するって言ったでしょ』芳恵の頼もしさに少しだけ笑って、お礼を送信してから自室のベッドに寝転ぶ。


「願いを叶える力、か……」


 似たような歌を小学生のときに習ったなぁ、なんて考える。私の今の願いは翼なんかじゃなくて隆晴と元の関係に戻ることだけれど、自分に関することには使えないと言っていたから無理なことだった。一度だけしか使えないとも言っていたっけ。試すこともできないものだから、本当にそんな力があるのかどうにも実感がわかない。私が気付かないうちに隆晴に嫌われることをしていて、適当すぎる言い訳をされていると考えたほうが自然なくらいだ。


 嘘のようなあの話を信じられる唯一の理由は痣くらいだろうか。半袖はんそでの部屋着の上から、痣があるだろう位置にそっと触れる。

 この小さな痣と、隆晴の言葉に私はすがりついている。

 嫌われてはいないのだと。だから、また頑張ればいいのだと。


 まずは明日、普通に話すことから。今日逃げるように帰ってきてしまったのは失敗だったなぁ、なんてため息をひとつ。

 あんなに楽しみだった夏休みが、今は不安でしかたない。そんな憂鬱ゆううつな気持ちは、やがてまどろみの中へと溶けていった。




 ――来年になっても彼氏ができなかったら、しょうがねーから俺が一緒に来てやろうか。


 そう言われたのは、いつだっけ。

 今は消えてしまった約束。真に受けたりしないで、さっさと告白してしまえばよかった。


 いなくなったのはあの日の隆晴? それとも、彼に甘えていたあの日の私?

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