第3話

ちょっとですが暴力シーンがあります。


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「従兄様、どうか御無事で……」


ラシードが出かけて今日で40日……戻るといったその日を既に大きく過ぎている。彼がこの地に住み着いてから10年の間、こんなに長く離れているのは今までなかった事だ。

大人しく待つように言われたファラは何をしても物足りなく、この40日の間で彼の存在が彼女にとってどれだけ大きいか痛感していた。そして、日を追うごとに会いたいという気持ちが強くなっていた。

しかし、彼が何をしに出かけたのかは帰ってから説明すると言われて教えてもらっていない。ただ、危険を伴うものだという事は理解できる。ファラは祈る思いで彼の帰りを待っていた。

一方、心配されていたアルマース家からの横やりは今のところ起こっていない。あれだけ頻繁に姿を現していたザイドも全く姿を見せなくなったので、逆に不気味にすら感じる。

今は安全面を考慮してファラはラシードの離れで生活していた。離れは領主館の最奥にあり、詰める使用人達もそれなりの腕を持つ者が揃っている。少々窮屈なのは仕方ないが、彼女はそこでラシードの与えた課題をこなしながら過ごしていた。


「姫様、お茶でも如何ですか?」


離れの召使を束ねる年配の女性が声をかけてくる。ファラは頷くと閉じた書物を傍らに置いた。


「私が淹れるわ」


ファラの行動は予測していたのか、彼女は笑顔で頷き、茶器を乗せた盆を彼女の前に置いた。

実はラシードから与えられた課題の1つが「私をうならせるお茶を淹れてね」というものだった。他にも舞や箏の演奏もあったが、体を動かすのが好きなので舞は難なくこなせるし、箏の演奏も難しい曲だが子供の頃からラシードと弾いている曲なので問題ない。だが、この課題だけが未だに納得のいくレベルに達していないのだ。


「……やっぱり普通だよね」


自分で淹れたお茶を飲みながら感想を漏らすと、年配の召使は笑顔で助言する。


「それはご自身でお飲みになられるからですよ。心を込めてお淹れすれば、主様もきっと納得頂けますよ」

「そうかな……」


彼女の言葉にファラは納得いかない様子で首をかしげていた。


「姫様、大変です。長と御父上が!」


そこへ慌ただしく母屋の召使の少年が駆け込んでくる。あまりにも無作法なので年配の女性はたしなめるが、そうは言っていられないほどの事態が起こっているらしい。


「何があったの?」

「アルマースのザイド様が来てお2人を皇帝陛下の命に背いた謀反人として捕らえると……」

「嘘……」


ファラは呆然と呟く。だが、意を決したように立ち上がると、召使たちの制止を振り切ってすぐに部屋の外へ飛び出した。そして着慣れないドレスの裾が絡んで転びそうになるのを必死に堪えながら懸命に廊下を駆け、母屋を目指す。


「この野郎、長を離せ!」

「卑怯だぞ!」


玄関の方が騒がしい。一か月余りの引きこもり生活のおかげで体はすっかりなまっているらしく、母屋まで走っただけで息が乱れている。それでもファラは足を止めることなく騒ぎが起きている玄関へ向かった。


「こいつらは恐れ多くも皇帝陛下の命に背いた反逆者だ。今日からジャルディードはアルマースに併合される。俺様に逆らったらどうなるかよーく覚えておけよ」


捕われた長とファラの父親の傍らでザイドがふんぞり返っている。周囲はアルマース家の屈強な兵士で固められており、その周囲には兄や従兄、叔父達が血を流してうずくまり、忌々し気に彼の顔を見上げている。騒ぎを聞きつけて駆けつけた一族の男達も長を捕われていてはうかつに手出しもでず、遠巻きに眺めているしかできないようだ。


「そいつらも俺様に逆らった罰だ。捕らえてしまえ」


ザイドが床に蹲るファラの兄達を指して尊大に命じると、兵士達は無言でその命令に従う。

彼がここまで強気でいられるという事は、外にも多くの兵士を待機させているのだろう。

その光景を目の当たりにしたファラは一気に頭に血が上る。すぐに飛び出そうとするが、それは周囲にいた召使たちによって止められる。


「みんなを離しなさい、ザイド!」

「やっと出て来たか。遅いんだよ」


ザイドはファラの普段と異なる姿を見て一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつものにやけた表情に戻す。一方で家族たちは慌てて彼女を制する。


「ファラ、来てはだめだ」

「戻りなさい」

「黙れ!」


捕われている長と彼女の父親も口々にファラを止めようとするが、それが気に食わないザイドは2人を足蹴にする。今までアルマースという威光をもってしても臆することが無かったジャルディードをようやく屈服できるとあって彼はいつも以上に気が高ぶっていた。


「今まで俺様にしてきた無礼の数々、こんなもので許されると思うなよ。こいつらを助けたかったら這いつくばって許しを請え。俺様は寛大だからな。罪人の娘でも愛人くらいにはしてやるぞ」


ザイドはファラに見せつけるように手にした長剣の切っ先を長の眼前に突きつけるが、長年荒くれ物の一族を率いてきただけあって長は動じることなく身動き一つしない。

その間にも兵に捕らえられた兄や従兄達は外へと連れ出されていく。召使い達も助けに行こうとするが、行く手は全てザイドの兵によって阻まれていた。

ファラはもう大人しくなどしていられず、召使達が止めるのも聞かずに進み出てザイドを睨みつけた。


「あんた、本当に最低ね」

「早くした方が身のためだぞ。それともこいつらに命じて無理やりされたいか?」


苛立ちを隠しきれない様子のファラに対し、ザイドは余裕の表情だ。ようやく今までの仕返しが出来るのが嬉しくてたまらないのだろう。嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべ傍らの兵士に身振りで命じるとファラの周囲を固める。

その威圧感に負けそうになる気持ちを奮い立たせ、ファラは急いで考えをめぐらす。何か打開策はないか? 何か見つけ出さなければこの絶望的な状況は覆せない。しかし、焦燥からか思考は空回りする。


従兄にい様、助けて……」


こんな時に頼りになるはずのラシードは未だに帰ってこない。それでもファラは思わず彼に助けを求めて呟いていた。


「呼んだ?」


意に反して答えが返ってくる。驚いて顔を上げると玄関から数名の帝国兵を従えたラシードがスタスタと歩いてくる。夢ではないかと頬をつねるが、現実を物語るように痛みが伝わってくる。


「ラシード従兄様!」


ファラはラシードに駆け寄り抱き付いていた。突然の事にザイドもファラを取り囲んでいた兵士達も対処できず、それを傍観するしかなかった。


「ただいま。遅くなってごめん」

「兄様やみんなが捕まったの」

「大丈夫。もう解放されているはずだよ」

「良かった……」


その答えにファラは安堵して笑みを浮かべる。そんな彼女をしっかりと抱きとめたラシードはつやめいた笑みを浮かべて腕の中の少女を見つめる。さっき彼女が自分でつねった頬が赤くなっている。彼はその頬に優しく口づけた。


「その女は俺のだ。離れやがれ!」


そこでようやく我に返ったザイドがものすごい剣幕で迫ってくる。ラシードも彼を守るように立つ帝国兵も身構えていたが、ファラがいち早く反応して鋭い蹴りを繰り出す。

しかし、着慣れないドレスに最近流行りだという踵の高い靴を履いていたせいか、少しばかり狙いが外れる。腹を狙っていたその蹴りはザイドの急所を直撃していた。


「うぎゃあぁぁぁぁっ!」


言葉にならない悲鳴を上げてザイドは股間を押さえてその場に倒れていた。周囲にいた男たちは揃って何とも言えない表情となる。ラシードはドレスの裾が翻った時にファラが履いている踵の高い靴を目にし、「あれは痛い……」と気の毒そうに呟いていた。


「こ、この野蛮な女を捕まえろ! こっちの男もだ!」


額に脂汗を滲ませながらザイドは兵士に命令する。主に忠実な彼らはその命に従おうとするが、ラシードが着ている紫紺の上着に施された刺繍を見て躊躇ちゅうちょする。そこに描かれているのは翼を持った獅子……皇帝の紋章だった。


「何をしている……早くしろ!」


ザイドは高飛車に命じるが、股間を押さえたままなので滑稽に見える。それでも彼らは動かない。否、動けないのだ。ザイドには見えていないが、既に彼らは帝国兵に囲まれている。彼が引き連れて来たアルマースの私兵はもうそのほとんどが無力化されていた。


「陛下、アルマース兵の無力化完了しました」

「分かった」


そこへ帝国兵がラシードの元へ報告にやってくる。鎧に付いている装飾品から身分が高い人物だと推測できる。けれども、ファラは彼がラシードに呼びかけた敬称が気になった。


「ラシード従兄様……何をしてきたの?」


どう聞けばいいか迷ったファラはごく端的に聞いてみた。すると彼は少し困ったような表情を浮かべている。その憂いを帯びた表情が艶めいていてファラは胸がときめいた。


「ちょっとクーデター起こしてきた」

「はひ?」


あまりにも突拍子もない答えにファラは間の抜けた返事しかできなかった。

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