第2話
結い上げていた髪はほどいて軽く束ね、かっちりとした立襟のシャツに丈長の上着を着たラシードの姿を見てファラは思わず二度見した。
正直、女装した姿を見慣れているので、貴公子然とした姿はまるで別人のように感じる。
「じゃあ、行こうか」
ラシードに手を取られて母屋へと続く渡り廊下を歩く。先ほどまで仲睦まじくお茶をしていた仲だというのに、何だか気恥ずかしくてまともに顔を見ていられなかった。
ふわふわした気持ちで導かれるまま祖父が待っている部屋に着くと、そこには既に両親や2人の叔父が来ていた。
彼らは一様にラシードの姿……ではなく、普段は楽だからという理由で男物しか着ないファラが着飾っている事に驚いていた。
「まあ、まあ、ファラちゃん。何て綺麗なの!」
他の男衆があっけにとられる中、興奮を隠しきれない様子でファラの母親は彼女に近寄ると、ギュウッと抱きしめた。
「ラシード
「良く似合っている事。この髪飾りも素敵だわ!」
母親は感無量といった様子で娘を抱きしめて離そうとしない。だが、ラシードも呼ばれたという事はよほどの事が起こっているのだろう。ラシードは伯母をやんわりと窘めるとファラから引き離し、まだあっけにとられている長に声をかけた。
「伯母上、ファラが苦しがっているからその辺で。長殿、そろそろ要件をお願いします」
「……おぉ、そうじゃったの」
長は我に返ると取り繕うように咳払いをする。そして他の男性陣もようやく我に返ったのを見計らって本題を切り出した。
「先ほど、ファラに縁談が来た」
「相手は?」
「アルマース家のザイドだ」
「嫌よ」
相手が毛嫌いする男と聞いてファラは即答する。だが、話はこれだけで終わらないはずだ。ただ申し込まれただけであれば、長も同様の返事を相手に叩きつけているはずである。
何しろアルマース家はジャルディードの軍馬育成の技術を虎視眈々と狙っているのだ。この縁談を足掛かりにジャルディードそのものを乗っ取る腹積もりなのだろう。今までにも何度かあったのだが、長を始めとした一族の重鎮たちの機転でのらりくらりと躱してきた。
「既に皇帝直筆の署名が入った婚姻許可証が発行されている。従う義理はないが、少々面倒なことになった」
「……厄介だな」
ラシードの呟きに長もファラの父親も重々しく頷く。だが、末の叔父は長達の態度に納得いかないと言った様子で語気を強める。
「迷う必要はない。皇帝が盟約を破るというのならば、出て行くまでだ」
「それはあくまで最終手段だ」
「そうなれば我らと帝国軍が争うことになる。そうなればただではすむまい」
叔父は兄2人にたしなめられるが、それでもまだ納得しかねる様子で唇を強く噛む。
元々ジャルディードは騎馬の民。初代の皇帝が敵に回すには厄介だった彼らを味方として招きれたのが始まりだった。
自由を愛する彼らは高い地位よりも自由を望み、皇帝はジャルディードに自治権を与えると同時に不干渉とする盟約を交わしていた。もちろん、有事の際には帝国に協力する旨も記載されている。
以来、これらの盟約は200年に渡り守り続けられていた。
「あの、私……」
男衆の会話を聞いていたファラが思いつめたように口を開きかけたが、それは母親によって止められる。彼女は娘の顔を覗き込んで諭すように語り掛ける。
「嫌いな奴のところにわざわざ行く必要はないわ、ファラ。それにね、あの男はあなた自身ではなくジャルディードを欲しがっているの。それではあなたが幸せになれるとは思えない。私達はそれを望んではいないわ」
「母様……」
ジャルディードでは個人の意思が尊重されている。それは結婚においても同じで、200年に及ぶ歴代の当主達にも政略による婚姻をしたものはいないとすら言い切れるほどだ。もちろん、ファラの両親も互いに好きあって結ばれていた。
「長殿、アルマースへの返答はどれくらい引き延ばせますか?」
母娘の会話を聞いていたラシードが口を挟む。
「一ヶ月が限度じゃろうな」
「一ヶ月か……」
長の返答を聞き、ラシードは何やら思案する。やがて、結論が出たのか、居住まいを正すと何やら決意を固めた面持ちで口を開く。それを察した長も他の男衆も表情を引き締め、互いに顔を見合わせてから頷いた。
「長殿、3年前の申し出をここで改めて行いたい。よろしいか?」
「もちろんじゃ」
何も知らないファラがその場で首をかしげていると、ラシードは洗練された身のこなしで彼女の前に跪き、彼女を見上げる。
長いまつ毛に彩られた青い瞳に艶やかな唇……。今までファラにとってラシードは身内という認識であまり異性として意識してこなかったのだが、こうして間近に彼の端正な顔を見ていると妙に胸がときめいてしまう
「ファラ、私の妻になってほしい」
「ほぇ?」
突然告げられた内容に理解が及ばず、ファラは思わず間の抜けた声を上げる。彼女のそんな反応にラシードは少し傷ついたようで、恨めし気な視線を送る。
「真面目な話なんだよ、ファラ」
「で、でも、妻って、従兄様、その、あの……」
「そりゃあ、私は君より10も年上だし、見た目がこうだから頼りないかもしれない。けれども、君が私の事を
急な申し出にファラは混乱しながらも、従兄は自分の事を過小評価しすぎるのではないかと冷静に思ってしまう自分がいる。
その中性的な見かけの所為で誤解されがちだが、ラシードは決して弱くはない。あまり知られてないが、剣術だけでなく馬術も弓射もファラの兄や従兄達と同等の技術を持っているのだ。
「急なことだからすぐには返事できないかい?」
ラシードの問いにファラは素直に頷いた。正直に言うと混乱していてどう返事をしていいのかわからない。
「私は今から出かけてくる。一ヶ月後には帰ってくるから、それまでよく考えておいてくれないか?」
「従兄様……」
「お願いだよ」
ラシードから向けられる視線にどことなく必死さを感じる。なんでも出来て大人の余裕をいつも感じさせていた彼の姿にその本気度を伺える。ファラはもう一度小さく頷いた。
「それまでは危険だから遠乗りは控えて欲しい。だけど、それだと退屈だろうから、いくつか課題を出しておくよ」
ファラの返答に安堵し、余裕を取り戻したラシードは悪戯っぽい笑みを浮かべてそう付け加えた。ファラは一瞬その笑顔に魅了されたが、課題と聞いて少し顔をひきつらせた。
「従兄様も無理しないでね。約束よ」
「うん。ちゃんと帰ってくるよ」
ラシードは約束の印に彼女の額に唇を落とした。そんな若い2人のやり取りを年長者達は温かい目で見守っていた。
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