姉&妹 編

第8話 天西 鈴音(私)の見た世界 ④ 『同棲開始!』

「――――」


「――……フフッ」


「――――」


「へへ~……」


 これ以上はないってほどの幸せな時間が流れ、だらしなく頬が緩んでしまう。


「――ん……」


 そうしている内に、私の『幸せ』が身じろぎ、目を覚ます。


「――……何?」


 起きたかっきちゃんの、最初の第一声がそれだった。


「え~? 妹ちゃん、カワイイな~って思って、それでず~っと眺めてたの~♪」


「―――っ」


 私に言われた瞬間、かっきちゃんが何やら急に目を見開いて青ざめ、布団で身を隠しながら後ずさり、後ろの壁にぶつかった。


「――――」


 そればかりか、自分の胸元やパジャマを見たり触ったりし、何もされていないか確認までしていて――。


 ええ~っ!? 今の私って、そこまでかっきちゃんから信用ないの~?


 そんなふうに私がショックを受けている間もなく――。


「私……今から着替えるから……――出てって!!」


「――――」


 ――バタンッ! と、これもいつものこと。


 背中を強く押された私は、そのまま廊下に叩き出され、すぐにガチャッとカギまで閉められた。


 んも~っ、同じ女同士なんだから別に照れなくってもいいのに~っ。


 そこがまたカワイイんだけど~と思いながら頬を少し膨らませつつ、かっきちゃんが着替え終わるのを待った後、いつものように無理やり二人一緒に食堂へと向かう私達だった。


「――――」


 あ~ぁ~……それにしても、もう少しだけでもかっきちゃんと仲良くできたらな~……。


 ついさっきまで一緒だったかっきちゃんと別れ、ひとり教室に向かっている途中で切実にそう思ってしまい、口から盛大なため息も漏れ出てしまっていた。


「――――」


「………?」


 それに気付いたのは、教室で数学の授業を受けていた時だった。


 ……糸?


 空中を漂っている、少し長めの糸が見えた。


「――――」


 普通にゴミかと思い、すぐに手を伸ばしたけど、その手が空を切り、どうやってもつかめない。


 ――……? これ、って……私の指先から出てる……?


 え? 何!? ――やだっ、何かキモいっ!


 そうやってブンブン手を振っていると、その糸が勢いよくパッと目の前から消え――。


「――――」


 そのまま――黒板の方を向いている数学の男性教師・米山先生の背中に当たり、くっついてしまった。


 ど、どうしよ~っ、どうなってるの!? コレって取れる~!?


 そう思いながら、糸の伸びている人差し指に意識を集中させていると――。


「――――」


 その糸が淡い光を放ち、それが指先の方から徐々に変化していく。


「―――っ」


 それを見たと同時に息を呑み、思わず呼吸が止まってしまう。


 そうだ……。 どこかで見たような気がしてけど……コレ――下にある、あの糸とそっくりだ……。


 その感覚がとても懐かしく、ほとんど無意識の内に糸の色を全て変化させ、それが一気に米山先生のもとまで届いてしまう。


 ――でも……コレって、一体……何なんだろ?


 そう思いながら、私がその指先の糸を眺めていると――。


「――ん? 何だ? コレ?」


 今まで黒板に数式を書いていた米山先生の手がピタリと止まり、首をかしげている。


「ん~? どうなっているのか全くわからん!? そもそも、私はここで何を――」


 私の知る米山先生はこれまで冗談といったたぐいを全く言わず、黒板に書いたものをひたすらノートに書かせる、厳格で寡黙な先生というイメージだった。


 そんな米山先生が、いきなり黒板の前で頭を抱えたままうなっている。


「―――っ」


 そんな先生を見て何かを感じ取った私は、指先から伸びている糸へ必死になって、外れろ~と念じてみた。


「――――」


 そう意識した瞬間、米山先生の背中からパッと糸が外れ、また宙を漂う。


 そのタイミングに合わせ、米山先生もハッとなって元に戻り、授業の続きが再開された。


 そのすぐ後、生徒の一人が――ボケるにはまだ早いよ~と言って、先生をからかうことで笑いが起き、それで教室全体が騒がしくなった。


『――――』


「………」


 そうした周囲の喧騒と笑い声に包まれる中、私はひとり表情を崩すことなく、自分の指先から出ている糸をじ~っと見つめ、考えていた。


 ――確かめてみたいと思った。


 私が糸を先生に伸ばし……コレって何だろ? って思っていると、米山先生も私と同じようにワケがわからなくなっていた。


 もしかして、これって……この糸がつながった相手と、私の思考がリンクした……とか?


 その仮説を証明させてみようと、今度は右隣にいる大鳥さんに対して同じことをためしてみようと試みる。


「――――」


 伸ばした糸は大鳥さんの左手の甲に当たり、見事にくっついた。


「………」


 それを受けた大鳥さんは特に気にした様子も見せず、再開された授業の内容を真面目にノートに書き写し続けていた。


 この糸……やっぱり、私以外には見えてないんだ……。


 それから、手に当たっても無反応だったってことは、触れたその感覚すらない……?


 大鳥さんは絵に描いたような真面目な性格で、それでいて感情をあまり表情に出さない、とても内気な子だった。


 そんな大鳥さんが、絶対にやらないことっていったら~……。


 私はフムとなって考えると、わずかに視線を下げて顔を伏せ、いま思い浮かべただけでもお腹がよじれて笑ってしまいそうなことをひたすら思い出し、その想いを糸に込め続けてみた。


 それと同時に、私の指先から変化した糸の光も、すぐさま大鳥さんの方へ向かって伸びていき――。


「――――」


「――プッ」


「アハハハハハハッ!!!!」


「――――」


 うっわぁ~……大鳥さんの大きな声って初めて聞いたぁ……。 それに、ものすっごい笑顔だし~……。


 実験は大成功だった。


 私の感情とリンクした大鳥さんが、今が授業中であることなんてお構いなしに、お腹を押さえながら大声で笑い続けてる。


 ん~……念のため、もう一人。


 大鳥さんにくっついていた糸を外し、今度は左隣の根本さんにも糸を伸ばしてみる。


「――――」


 糸は根本さんの腕に当たり、私は再び意識を集中させる。


「―――っ」


 ――想うのは……深い、悲しみの感情……。 私が死んでしまったことにより、両親やかっきちゃんに会えなくなってしまった、つらい悲しみ……そんな想いを余すことなく思い出し、それを糸に込め続けていき……。


「――――」


「――ぅ……」


「うわあああああんっ!!!」


 ――号泣だった。


 授業中にいきなり笑い出した大鳥さんによって、教室全体がかなり浮ついた空気になっている中での号泣。


 これはもう、間違いなさそうだった。


 これがあれば、かっきちゃんと……。


 ぐへへっとなって心のヨダレを拭き、私の中にあるイタズラ心が鎌首をもたげたのだった。


「――――」


 その日の夜。


「ねー、妹ちゃーんっ♪ 一緒に怖い映画のDVD見よ~っ」


 そう言いながら、近くのレンタルビデオ店から借りてきたDVDのタイトルをかっきちゃんに見せつける。


 A寮の部屋は設備が相当に充実していて、そこにはお風呂やトイレ、それからキッチンに冷蔵庫、乾燥機能付きの洗濯機もある上、テレビにDVDプレイヤー、さらにちゃんとしたテーブルや大きめのソファーすらあって、もはやマンションか何かの一室だった。


 ちなみに部屋に置いてあるベッドは二段ベッドで、その上段が私、下がかっきちゃんだったりする。


 せっかくそんな設備もあることだし、かっきちゃんと一緒になってソファーに座って、その映画を見たかったんだけど――。


「――は?」


 メッチャクチャに不機嫌そうなかっきちゃんのひと言。 それで私との会話が強制終了してしまった。


「――――」


 その後……かっきちゃんは自分の机に向かって勉強に集中しているばかりで、私のことなんて気にも掛けてない。


 今まで通りだったら私がグスンとなって、その映画を一人寂しく見るしかなかったけど、今日は――。


「ねー、妹ちゃんっ♪ 勉強してるところ悪いんだけど、私こっちの方でなるべく音小さくしてこの映画見てるから~」


「………」


 私がソファーの方に向かう途中でそう言い、かっきちゃんの方を振り返ってみたんだけど、返ってきたのは無言&無反応の合わせ技。


 無視、ですか……今の私を? へぇ~……。


 この瞬間、今夜のかっきちゃんの運命が決定し、私の口元にクククッと、よこしまな笑みが浮かんだ。


 それから……テレビを見ているフリをしつつ、かっきちゃんに向かって右手の人差し指をブンと振ると――。


「――――」


 今日の数学の授業と同じように、指先から伸びた糸がかっきちゃんの背中に当たり、くっついてくれた。


 まずは小手調べ~……。


「……~~~~っ」


 この映画の内容がとても気になる~、ここからの展開が、その先がすっごく気になる~、気になって仕方ない~っ!


 私が眉を寄せ、必死になってその想いを送り続けていると――。


「――――」


 キィッとイスが鳴り、何やらかっきちゃんが身体を後ろに反らせながら、こっちの方を見ていることに気付く。


 それを確認した上で、私は――。


「――あ、うるさかった? ゴメンね~」


 と、ワザとらしくあえてそう言い、元々小さかったテレビの音量をさらに下げた。


「―――っ」


 あっ、と何か言いたげにしてたかっきちゃんを尻目に、そのまま映画を見続ける私。


「………」


 その途中、横目でチラッとかっきちゃんの様子を確認したけど、勉強の手は完全に止まっていて、この映画の内容が気になって仕方がないといった感じだった。


 でも、そこからだと音は聞こえないよ~?


 そうやってほくそ笑みながら、私が映画の続きを見ていると――。


「――――」


 ――グイッと、不意にソファーの反対側がわずかに沈み込む感覚。


 見ると――かっきちゃんがソファーの端の方に手を置き、集中して映画を見てる真っ最中だった。


 集中してるかっきちゃんもカワイイ~♪


 と、私のそんな心の声が漏れ聞こえてしまったのか、かっきちゃんが私の視線に気付き、バツを悪そうにして顔を逸らすと――。


「きゅ、休憩っ! どうせ試験はまだ先だし、別にいいでしょ!?」 


 と、若干顔を赤くさせながら、怒っているような口調でそう叫ぶ。


 別に怒るつもりなんてこれっぽっちもないのに~……かっきちゃんてば、変なところで真面目なんだから~。


「――――」


 そのままおもむろに近づき、思わず抱き締めたくなってしまいそうになる衝動を必死に抑えつつ、糸の感情を維持し続ける。


 それは……いいと、して……。


 この――映画が気になる~って気持ちと、こうして普通に考えてる自分の意識とを別にするのって、ものすっごく無駄に疲れる~っ。


 ともあれここまでは順調、私の予定通り……。 現在の作戦をこのまま第2フェイズへ移行――。


 ニヤリと、再び私の顔に浮かんでしまう邪悪な笑み。


「――あぁ、妹ちゃん? 先に言っておくけど、私……さっきシャワー浴びたばっかりで身体 火照ほてって暑いから、あんまり近づいてこないでね?」


「―――っ」


 私が気軽にそう言った瞬間、ピキッとかっきちゃんのこめかみに青スジが走ったのが見え、その直後――。


「~~~~っ!! 頼まれたってするかっ!!」


 そうやって感情を爆発させて叫びながらも、ボスン! とソファーの端に腰掛けてくれるかっきちゃん。


 素直じゃないかっきちゃんもカワイイ♪


 心の中で、もう何度言ったかわからないカワイイを連呼した後……――私は、その心を鬼にした。


 私はこれからかっきちゃんに対し――私がかっきちゃんから言われたらショックな言葉を逆に浴びせ掛けるつもりでいた。


 そして、言われた私がその時に受けるであろう同じだけのショックを、かっきちゃんに味あわせてあげるつもりだった。


 うぅ~……我ながら、考えただけでも恐ろしい~っ。


 さっきのはそのための布石……次は――。


「だったらいいけど……ホント、近づかないでよ~?」


「――チッ!」


 あからさまに不機嫌になったかっきちゃんが舌打ちしながらソファーの肘掛けにヒジをつき、半分そっぽを向いてしまう。


 いいのかな~? そんな態度を取って~、3倍返しだよ~?


「――あ。 妹ちゃんも見るんだったら、ちゃんと音大きくするね」


 私は何でもないといった感じでテレビのボリュームを元に戻すと、その次に視線をテレビ――ではなく、かっきちゃんの方にチラッと向ける。


「――――」


 私がこれからこの糸に込めようとする想いは恐怖……ううん、それすらも超える――『死』そのもの。


 この世界でおそらく私だけが理解し、実体験したことで知っている……人生でたった一度きりの『死の経験』のイメージを、余すことなく存分にかっきちゃんへプレゼント~♪


 さらに――。


 かっきちゃんにくっついてる一本の糸はそのままで……込める想いをさらに追加。


 新たに糸に乗せる想いは、さっきまでとは別の――寒い~、寒い~、寒くてたまらない~、人肌が恋しくなる~。


 ――と、そんな想いもあわせて乗せた。


「………」


 それからしばらく様子を見ていると、かっきちゃんが何やらモゾモゾと身じろぎしてソファーに乗せていたヒジを下ろした後、まるで寒がっているかのように腕や足を何度も組み直し、その度に私の方ににじり寄ってきた。


 それを見ながら、私は――。


「ねぇ……妹ちゃん、何か近いよ? そっち行ってよ」


 シッシッと、あえて虫か何かでも追い払うかのような仕草でかっきちゃんを向こうへと追いやる。


「~~~~っ! わかってるってのっ!!」


 言われて顔を真っ赤にさせたかっきちゃんがそう叫び、私からまた一気に距離を取った。


 そんな様子を見て計画が順調に進んでいると判断した私は、続けて次なるワナを仕掛けてみることにした。


「――――」


 かっきちゃんに気付かれないよう、なるべく自然に……ソファーの肘掛け部分に寄りかかり、あえて寝たフリを始めてみたりする。


 その間も糸に込め続ける人肌が恋しい想いはそのままで、私が実体験した本物の死の恐怖も絶賛継続中。


 そんな感情をMAX状態にしたまま、薄目を開けて待機すること数分――。


「――――」


 フニッと、私の腕に伝わってくる女性の身体特有の柔らかな感覚。


「………」


 それを受けた瞬間、触られた今の感覚で起きました~といった感じで、薄らぼんやりと目を開けてみる。


「―――っ」


 ビクッと、まるで外敵に怯えるネコのようになったかっきちゃんが全身を震わせ、すぐに身を離したのが目に入った。


「ん……何~?」


 それから、いかにも眠たそうにして目を擦りながら周囲をグルリと見渡し、いつの間にか私のふとももに触れられていたかっきちゃんの手に注目する。


「―――っ」


 私の視線に気付いてバツを悪そうにしながらその手を離し、プイッと顔を逸らしてみせるカワイイかっきちゃんを見て、少しだけ考え直しそうになったけど、今夜の私は容赦せず――。


「――ねぇ、妹ちゃん……私言ったよね? 近づかないでって、私一応先輩だよ? そんなに私のこと嫌い? それともバカにしてる?」


「――――」


 私が怒ると思っていなかったのか、かっきちゃんの瞳の奥に映った明らかな怯えの色。


 こ、これ……言われてる側のかっきちゃんには悪いんだケド……何だか、すっごく楽し~っ!


 こんなコロコロ表情の変わるかっきちゃん初めて見た~。 ……こんな表情のかっきちゃんもいいなぁ~。


 もう少しだけ見ていたい気もするけど、このまま手を緩めずさらなる追撃――というより、止めを刺すべく仕上げに入る。


「――――」


「それといい? ……女の子相手に、こんなこと言うのも気が引けるんだけど――」


「……妹ちゃん、オフロまだでしょ? ちょっとニオイ、ヒドイよ?」


「―――っ」


 直後、つながった糸に即座に畳み掛けて込める――ショック、悲しみ、絶望の感情っ!


「――………っ!」


 瞬間、ビクッとなって固まったかっきちゃんの身体が徐々に再稼動し、そのまま自身の身体を抱くようにしながらジリジリと後ずさり――。


「―――っ!」


 ダッ! と、そのままオフロ場の方へ駆け出してしまった。


「――――」


 ――あ、糸切れた。


 それはちょうどかっきちゃんが脱衣所に駆け込み、ドアを閉めたタイミングだった。


 そっか~、この糸にも有効範囲ってあるんだ~……それとも、閉じられたドアのせい?


「………」


 にしても……う~ん……我ながらずいぶんヒドイこと言ったな~。


 仮に、今のセリフを逆にかっきちゃんの方から言われたらと、想像してみる。


「――――」


 ――あれ? 何か、不意に死にたくなった。


 仮に死なないまでも、あまりのショックで私……そのまま落ち込んで、一週間は寝込んじゃうかも……。


 それはいいとして……かっきちゃんって、今――。


「――――」


「………」


 音を立てないようにしながら……慎重にドアを開け、脱衣所の中に入る。


「――――」


 そこには、さっきまでかっきちゃんが着ていた服がそこらじゅうに脱ぎ捨てられていて、浴室からシャワーを浴び続ける音も聞こえてくる。


 足元に落ちている部屋着と下着をひとつひとつ丁寧に拾い集め、脱衣カゴの中に入れていく。


「………」


 それから――モノは試しにと、ここから浴室に向かって糸を伸ばしてみる。


「――――」


 曇りガラス戸越しなのに、糸がつながったような――そんな感覚がした。


 正直、ここからつながるとは思っていなかったため、逆に自分で驚いてしまった。


 この糸って、間に障害物があっても大丈夫なんだ~……へ~。


 一応確認のため、自分の身体は汚れている~、クサイ~、汚い~といったイメージを送ってみる。


「――~~~~っ!」


 浴室で身体を洗うかっきちゃんのスピードが、目に見えて速くなった。


「………」


 はぁ……と、大きく息を吐き出し、正面を見据える。


 ――うん、イジワルな私はここまで。


 たとえイタズラとはいえ、かっきちゃんの心をこれ以上苦しめるような真似は、もう私にはできそうもなかった。


 ……だから――。


「――妹ちゃん……今、いい?」


「――――」


 シャワーの音がわずかながらに弱まり、曇りガラス越しに映るかっきちゃんの動きも止まった。 ……聞こえてはいるようだった。


「さっきのは、一方的に私が悪かったと思って……ゴメンなさい。 今日はちょっとイヤなことがあって……それで、八つ当たりしちゃったの……」


「謝って許されるようなことじゃないけど……本当に、ゴメンなさい……っ!」


 ここから見えるかっきちゃんは私に背を向けたまま……。 今の自分の姿が見えないのはわかっているけど、それでもこの反省の気持ちをちゃんと示すため、深々と頭を下げる。


 そして……私の内なる想いの全ては……つながってる、この糸へ――。


「――い、妹ちゃんからはモチロン嫌なニオイなんてしないし! ――っていうか、それは私にとってすっごくいいニオイでっ!」


「わ……私は本当に、妹ちゃんのことすごっくカワイイって思ってるし――」


「―――っ」


 ゴクッと息を呑み、胸に当てていた手にもギュッと力がこもる。


「そ! それに――」


「世界中の誰よりも……――私がっ! 絶対に妹ちゃんのこと愛してるからっ!!」


「――~~~~っ!!!」


「――――」


 ついさっきまでの――他のことを考えながらの片手間じゃない。


 イメージすべきは……込めるべき万丈ばんじょうの想いは……――今の私の、本気の想い。


 前にイメージした雷――その時の百倍、千倍……万倍の想いを糸に込めるっ!


 そんな……あまりの熱い想いの熱量によって、この糸が耐え切れなくなるほどの……――ううん、むしろ焼き切ってしまうつもりで、その想いをさらに高め続ける。


「―――~~~~っ!!」


「――――」


「――――」


 それから一体……どれだけの時間が流れたのか。


 10秒か、1分か、あるいは1秒も経っていないのかもしれない。


 それは、ともかく――。


「――――」


 こうして耳に届いてくるのは、かっきちゃんが浴びているかなり強めのシャワー音……。


「――……はぁ……はぁ……」


 あまりにも集中し過ぎたせいか、いつの間にか呼吸が相当に乱れていて、視界の端で輝く小さな星々も見える。


 私の言葉……私の想い……ちゃんと届いたよね……?


 ……必要以上に大きなシャワーの音がもう出ていってという意味に聞こえ、部屋から持ってきていたかっきちゃんの着替えだけをそこ置き、リビングに戻ることにした。


 それから、しばらくし――。


「――――」


 シャワーを浴び終え、部屋着に着替えたかっきちゃんがガチャッと脱衣所のドアを開け、リビングに戻ってきた。


 あっ、と私が声をあげる前に――。


「ひとつだけ――」


 ズイッと、いきなりかっきちゃんが人差し指を向けてきて、近づこうとした私を制する。


「今日あった……イヤなことって?」


 そう言いながら、ジロリと私の瞳を覗き込んでくるかっきちゃん。


「……え?」


 一瞬、何のことか本気でわからなかった。


 ――あ。


 そして、すぐに思い至る。


『今日はちょっとイヤなことがあって……それで、八つ当たりしちゃったの……』


 ――そ、そうだった~……! 私ってば、かっきちゃんに言い訳するため、ついそんなこと~。


「イ、イヤなこと~……? あ~~……――あぁ、そうっ! わ、私ってば~、何か今日フラれちゃって~」


 そう言ってアハハ~と笑いながら手が勝手に動き、自然と頭をかいてしまう。


 ひとつの小さな嘘を守るため、また別の嘘を重ねる、そんな私。


「――――」


 ……あれ? 何故だか不意に、部屋の温度が2、3度下がったような……そんな気が……。


「………」


「――世界中の誰よりも、私のことを愛してる」


「そのセリフ……私で何人目ですか?」


「――――」


 凍えるようなかっきちゃんの瞳。


「―――っ」


 その眼差しを受けた瞬間、私の全身が氷漬けの彫刻と化してしまう。


 ち、違うよ~っ! かっきちゃ~んっ!!


 あの時の私は、本気でかっきちゃんのことを想って~~っ。


 ――あ、あれ? そういえばここって女子校だから、私って女の子に告白したことになってる?


 先生って可能性もあるけど、ここにいる男の先生はおじさんっていうより、もうおじいちゃんに近い感じだし~。


「――――」


 その後――言い訳にもならない言い訳をしている間、私は想い続けていた。


 今日は……本当にゴメンね、かっきちゃん……。


 さっきまでつけていた糸なんてとっくに外してる。


 それでも心の中で想わずにはいられない。


 ――ごめんなさい……。


 やっぱりダメだよね……人の心を無理やり操るような、こんな卑怯な真似……。


 もうこれっきりにするから、それで許して……?


 そんな反省の想いを胸に秘めたまま、どこか穏やかな気持ちになってかっきちゃんへの言い訳を続けた私だった……。


「――――」


「――――」


 三日持ちませんでした。


 あの……最初は軽い気持ち――というか出来心だったんです。


 ……だって、かっきちゃんてば最近全然笑ってくれなくて、それでちょっとだけでも笑った顔見たいな~って、そう思って~……。


 あの日の授業の再現。


 私が糸に込めた、その感情……。


「――――」


 それは、その日の夕食を食べ終わった後、かっきちゃんがいつも通り机に向かって勉強していた時、で――。


「――クッ」


 急にかっきちゃんがそっぽを向いて震え始め――。


「――プッ! アハハハハハハッ!!!」


 そのまま両手でお腹を抱えて大声で笑い出し、目尻に浮かぶ涙まで見えた。


「――――」


 ――感動だった。


 こんな、泣くほどの――屈託のない純粋なかっきちゃんの笑顔を見たのはそれこそ数年……いや、十数年振りかもしれない。


 それだけ昔のかっきちゃんはよく普通によく笑う子で、それが大きくなるにつれて極端に少なくなっていったような気がするなぁ……。


 ――ん?


 そんな感じで私が物思いにふけっていると――。


「……~~~~っ!!」


 何だか、かっきちゃんがやたら恨みがましい視線をこちらに向けているのに気付いた。


「プッ! アハハッ!! ア、アンタッ! ――フフッ! ま、また私に、何か変なことしたでしょっ!!」


 また? 失礼だな~、かっきちゃんてば~っ。


 それに、そうやって笑いながら怒っててても全然怖くないよ~……っと。


 いきなりっ、笑いの感情MAX!


「――プ! ギャニャハハハハハハハハハッ!!! ――っ! はーっ、はーっ!!」


「ヒュー、ハーッ!!」


 どうやら今のかっきちゃんはもはや、呼吸することすらままならないほどに、笑いが止まらないようだった。


 そうやって必死に呼吸を整えているかっきちゃんに対し、私は――。


「――ねぇねぇ、見て~」


「――――」


「座ってる私」


 と言って、勉強机のイスに姿勢正しく腰掛け、両手をヒザに乗せた。


「――ピャ! ギャハハハハッ!!!」


 最初のひと声が裏返り、声にもならない笑い声を上げながら、床で転げまわるかっきちゃん。


 どうやら今のかっきちゃんは、何を見ても面白く感じてしまう状態のようだった。


 そんな状態のかっきちゃんを私が放っておくワケもなく――。


「――――」


 その後も、一時間近く続けたかっきちゃんへの様々なイタズラ……。


 後から見回りに来た寮長にものすっごく叱られました。


 そんなお叱りを受けている間、こんなことはもうしないって、再び心に誓い……。


 それから日付の変わった今――。


「――――」


 ペロペロ、ピチャピチャ――と。


 私の先指が、かっきちゃんの口内に含まれ、直接舐め回されている真っ最中だったりします。


 事の発端はついさっき――。


 いつものようにキッチンで料理してたかっきちゃんを見ながら、私も手伝う~と言って隣へ行き、軽いお手伝いをする。


 そうしていた最中さなか、再びこの糸を使って昨日とは別なことを試してみたいな~と考えた私は、ある作戦を思いついた。


「―――っ!」


 まず最初に、包丁で指を切った(フリ)をし、かっきちゃんの注意を瞬間的にこちらへ向けると――。


「――――」


 私のことがものすごく心配~、治療には口で消毒するのが一番~。 それが普通~っ、当たり前~~っ。


 と、そんなどこか一般的じゃないイメージを糸に乗せて放ってみた。


 切ったのは薄皮一枚で、出血もしてないからダメかな~、って思ったけど――。


「――――」


 その試みは見事に成功。


 心根の優しいかっきちゃんは、私のことをすごく心配してくれて、必死になって指先を舐めてくれてる。


 それを見ながら、私はゴクリと息をのむと――。


「ね……妹ちゃん、こっち見て……」


「?」


 指を口に含んだまま、かっきちゃんが上目遣いでこちらを見つめ、首を軽くかしげた。


「―――っ!!」


 瞬間、射られたハート型の矢が、私の胸の中心を直接貫いた。


「――~~~~っ!」


 ハァ、ハァ……と、自然と呼吸が荒くなってしまい、私の中のいけないスイッチが入ってしまった。


 ――今日の夕飯はオムライス。


 料理の腕は私以上、そんなかっきちゃんの作った特製のオムライスだった。


 そのオムライスを見ながら、ピーンといけないことを思いついてしまった私。


 思い立ったら即行動。


 治療(嘘)を終えた私は、完成したオムライスをテーブルに並び終えた後、かっきちゃんにスプーン持っていくね~と言い、その直後――手にした2本のスプーンを、ワザと床に落とした。


「――――」


 ――瞬間、込めるべき想いは、私の本気の嘘。


 かっきちゃんに、嘘の――ニセの情報を与え、そのことを真実だと思い込ませる……っ!


 これは私にとって初めての試みで、ある種の常識変換みたいなものだったけど、今の私なら絶対にできるっていう妙な確信があった。


 ここにはスプーンが2つしかない~……オムライスはスプーンでしか食べられない~……床に落ちたスプーンは雑菌まみれで洗ってもどうしようもない~……っ!


 それから~……――お腹がペコペコで、今にもお腹と背中がくっつきそう~~っ!


 と、そんな嘘ばかりの誤った情報を本気の想いで乗せ、かっきちゃんに込め続ける。


 そうして、そのまま私が全力で次々とその想いを送り込んでいると――。


「――バ……バカ~ッ!! ど、どうしてくれんの!? 私すっごくお腹空いてるのに、これじゃあどうしようもないじゃない~っ!!」


 本当はどうしようもあるんですけど~と思いつつ、内心でほくそ笑む私。


「ん~、そっか~……。 でも、だったら~……もうこうするしかないよ~」


 かっきちゃんの怒号を軽く受け流し、気にも留めない口調で明るく言った私が、中腰になってテーブルの端に両手を置くと――。


「――――」


 バクバクバクッ!! ――と。


 そのままお皿の方に自分の顔を寄せ、まるで犬のようにしてオムライスを食べる見本を見せた。


「――………っ」


 そうして食べながらも込め続ける私の想いは継続中。


 他に方法が思いつかない~……私の言うことは正しい~……お腹が空き過ぎて今にも倒れそう~っ!


「――――」


「――うぅ……っ。 た、確かに……それしか方法がなさそうだし……っ」


 どこか躊躇ちゅうちょするような様子を見せたものの、かっきちゃんがそう言った後から私の真似をしてテーブルの両端に手を置き、そのままオムライスの方に顔を近づけていき――。


「――――」


 ガツガツ、パクパクッ!! ――と。


 よっぽどお腹が空いた状態だったのか、かっきちゃんはほとんどお皿に顔を突っ込ませるような格好になってオムライスをむさぼり食べている。


 そんなかっきちゃんの様子を私は、はわ~っとなって両手を頬に当てたまま――恍惚こうこつな表情で見ていた。


 し、しあわせすぎて鼻血出そう~っ!


 そう思いながら、私が両手で口元を隠していると――。


「――はふ~~っ」


 とりあえずの空腹を満たしたかっきちゃんが、いかにも満足そうな様子で、長い息を吐き出した。


 どうやら私が無意識に込めてしまった幸福の感情がかっきちゃんにも流れ込み、今の私と同じだけの幸せを感じているようだった。


 それよりも――。


「――フフッ♪ もう~っ。 ケチャップ、目の下までついてるよ~?」


 そう言いながら、手にしたおしぼりがかっきちゃんのほっぺにプニッと触れると――。


「――ん……っ」


 目を閉じて無防備な表情になってるかっきちゃんが小さく、とても気持ちよさそうな声を上げた。


「―――っ」


「――~~~~っ!!!」


 それを見た瞬間、何だかもう――色々と限界だった。


 自分の目がグルグルになって視界が回り、何が正しくて何がダメなのか、正常な判断が全くつかなくなってしまい――。


 か! かっきちゃんも! 私の顔を見て、いけない気持ちになってしまう~っ! ――と、私の中にある歪んだ欲望の想いを直接送ってしまった。


 結果――。


「――――」


 そこには、何の変化もない……。 ――いつも通りのかっきちゃんがいた。


 ……あれ?


 わ、私を見ると興奮する~っ! ムラムラしてくる~っ!


「――――」


 変化なし。


 ――わ、私のことが大好きになるっ!! せ! 性的興奮を覚える~~っ!!


 最後の方はもうヤケになり、若干涙目になりながらもありったけの想いを乗せた。


「――………」


 それでも状況に全く変化はなし。 ただ無表情のかっきちゃんがそこにいるだけだった。


「――――」


 それを見た瞬間、私の中で不意にある答えが出た。


 ――そっか……。 この力……何でもできるって勝手に思い込んでたけど、こんなふうに人の心に直接干渉するようなことにはきっと使えないんだ……。


 ゲームか何かでいうところの、セーフティみたいなものかも――と、自分の中でそう結論付けた瞬間、今まで頭に上っていた血が途端に下がり、冷静になっていくのを自覚させられた。


「~~~~っ!」


 そこに至るまでの反動が大きかった分余計に――ついさっきまでの自身の感情がすごく浅ましいものに思えてしまい、自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。


「――い、妹ちゃん……何か、色々ゴメンッ! わ、私っ、シャワー浴びてくるっ!!」


 それだけ言うのがせいいっぱいで、慌ててタンスから着替えを引っ張り出した私はバタンッ! ――と、ほとんどかっきちゃんから逃げるような形で、脱衣所の中に駆け込んでいった。


 そして、すぐさま浴室で――。


「―――っ」


 ほとんど水のような低温のシャワーを頭から全身に浴びることで、ようやく少しはまともな精神状態を取り戻すことができた。


「――――」


 その後は、普通の温度でシャワーを浴び直し、パジャマに着替え終えてからもかっきちゃんの顔をまともに見れなかった私は――。


 おやすみのひと言だけをかっきちゃんに告げてすぐベッドに潜り込み、そのまま寝入ってしまった。


「――――」


 私が意識を手放した先は、いつもここ。


 ――上は星で、下は濁流。


 そして、指の先から伸びたままの一本の糸。


 死んだ先に私が行き着いた、あの世界だった。


「………」


 上に伸びた糸の先から見える、一番近い光を見つめる。


 ん~……もしかして、あそこで少しだけ動いているように見えるのがかっきちゃんかな~?


 オフロ? トイレ? それとも夜遅くまで勉強かな~?


 かっきちゃんは頑張り屋さんだから、無理して身体壊さないかお姉ちゃん心配だよ~。


 ――ま、実際にはここからだと上までの距離があり過ぎて本当の星のようにしか見えないから、想像上での話なんだけど~……。


「――――」


 私の本体(?)が起きて再覚醒するまで、おそらくあと7時間前後。


 死んですぐの時もそう思ったけど、かっきちゃんと同じ時間を共有するようになってから、それがよりいっそう強まってる。


「………」


 流れる時間が、遅い……。


 今の私は……かっきちゃんと会えず、話せない……。 そんな数時間を、それこそ数十時間以上にも感じながら、過ぎ去る時間をただ待って過ごすしかなかった……。


 ――というのも最近までの話。


 ようやく(?)といっていいのか、前からどうやっても動かせなかったこっちの身体(魂?)が、ついに動かせるようになった。


 とはいっても、その動きは一分間集中して、ようやく1ミリ――どころか0.1ミリほどで、ほとんど見間違いか誤差のようなレベルだけど、それでも確実に動いているということが最近になってようやく判明した。


 この0.1ミリの動きだって、繰り返す内にきっと良くなっていくだろうから、今はそれに挑戦中だった。


 そうやって、少しだけ退屈じゃなくなった時間を過ごすこと数時間後――。


「―――っ」


 ビクッ! となって震える全身。


 毎朝のことなのに、この五感の戻る時の感覚……私の身体の方がどうしても慣れてくれない~……。


「…………」


 そう思いながら薄ぼんやりと目を開け、意識を覚醒させていく。


 カーテンの隙間からはやわらかな朝日が差し込み、聞こえてくる小鳥のさえずりが心地よく耳に届く。


「ふ……ぁ~~……」


 小さくあくびをかみ殺しつつ、ムクリと上半身を起こす。


「………? ――~~~~っ!!」


 途端に顔に差す赤み。


 どうやら昨夜の私は相当に寝相が悪かったらしく、パジャマから、上下の下着から――はだけまくりで、ほとんど裸に近いような状態だった。


 確かにここは二段ベッドの上段で、ハシゴを上らないと上までは見えない、けど……。


 たとえそうだとしても、もし今の姿をかっきちゃんに見られたらと思うと、それだけで顔から火が出てしまいそうになる思いだった。


「……~~~~っ」


 シュ~ッとなって頭からケムリを出し、とりあえずの身だしなみを整えている間――そういえばと、思い出す。


 小さい頃、夏休みの家族旅行で旅館に泊まった際、パジャマ代わりで羽織っていた浴衣が朝になった時には完全にはだけ、帯一本になっていたことを。


「はぁ~~……」


 そう思いながら息を吐き出し、申し訳なく思ってしまう。


 全く……中身がこんなポンコツの私なんかのせいで、本来だったらきっとちゃんとしてたハズの寝相が、こんなにもひどくなっちゃったんだよね……。


 本当……ごめんね、天西さん。


 そうやって一度も話したことのない、この身体の本来の持ち主に対し、心の中で謝っておく私だった。


「――うぅ゛~~……」


 にしても……何だか、身体がすっごくベタベタする~。


 途中で一度も起きなかったけど……昨日の夜って相当に暑かったり、寝苦しかったりしたのかなぁ~……。


「――――」


 チラリと時計を見るとまだ6時前で、いつも起きてる時間より少しだけ早かった。


 だったら――。


 朝食前に一度シャワーを浴びようと、二段ベッドのハシゴに足を掛け――。


「――――」


 そうして降りている途中で、ふと目に入る。


 何やらベッドの下段にいるかっきちゃんがもう起きていて、私に背中を向けたまま布団を頭からかぶり、丸くなっていた。


「――あ、おはよ~。 もう起きてたの? 早いね~」


 ハシゴを降りる途中でそう挨拶し、背中越しに声を掛けた私だった、けど――。


「―――っ」


 瞬間、何やらビクッとなってかっきちゃんの身体が震え――。


「…………ぁぃ」


 聞こえてきたのは、まるで何かの『音』のような声。


 ――え!?


 何それ!? その声、どこからどうやって出したの!? といった感じの、初めて聞くかっきちゃんの声だった。


「え~っと……私、今からシャワー浴びてくるんだけど~……いい?」


「―――っ」


「…………ぁぃ」


 さっきの再現。 かっきちゃんの身体がまたビクッと震え、奇妙な声をあげる。


「ん~……それじゃあ行ってくるけど、シャワーの音うるさかったりしたら、ゴメンね~……?」


 自然と私の声もだんだん小さく……着替えを用意しながらかっきちゃんの方を向くと――。


「……ぁぃ……ごめんなさい……」


 そうつぶやきなら、私とは反対方向の壁に向かってペコリと頭を下げていた。


 ――フフッ、かっきちゃんてば寝ぼけてるんだ~。 カワイイ~♪


 布団に包まれたままお辞儀するかっきちゃんが、まるで何かのお人形のように見えて愛らしく。 ぬいぐるみ好きな私にとってはポイントが高かった。


 そうやって朝から存分に癒された私は、かっきちゃんをちゃんと起こすのは悪いと思い、なるべく音を立てないよう静かに脱衣所のドアを閉めた。


「――――」


「……あれ?」


 着ているパジャマと下着を脱衣カゴの中に脱ぎ入れている途中で、ふと気付く。


 そういえば、昨日の……私が慌てて適当に脱ぎ散らかしてた洗濯物がなくなってる……。


「――――」


 見ると――それらは全て洗濯&乾燥済みで、きちんと部屋干しまでされている状態だった。


 そっか……。 かっきちゃん……あの後、私の分も洗ってくれたんだ……。


 昨日は私が勝手に先に寝ちゃって、かっきちゃん自身、オフロだってまだだったっていうのに……。 それでも夜遅くに私の分も洗濯してくれたんだ……。


 やっぱり……かっきちゃんはいつも通りやさしーな~♪


 そうやって朝から気分よく、鼻歌を口ずさみながらシャワーを浴びた私だった。


「――――」


 シャワーを浴び終えてすぐ、起きていたかっきちゃんにその旨を伝えてお礼を言ったんだけど、例によってまたビクッとなり――。


 ……ぁぃ……ごめんなさい……――って、どうやらまだ寝ぼけているようだった。


「――――」


 そんな、どこか調子……というか様子のおかしいかっきちゃんの状態は、その後の朝食も――その日の放課後になってからもそのままで、すごく私によそよそしく、心の距離を感じた。


 そんな日々が続く中――どうしても前のかっきちゃんに戻って欲しかった私は、後ろから近づいて髪をクイクイ引っ張ってみたり、横からほっぺをぷにぷにしたり、耳元に急に息を吹きかけてみたりすることで、ようやく少しずつ普段の状態に戻っていってくれた。


 そんなこともあって、かっきちゃんからこれ以上距離を置かれるのはもう嫌だと痛感した私は、この機を境にあの糸の力はもう使わないと、今度こそ本当に心に決めたのだった。


 そして、そんな私の決意がこうそうしたのか――。


 それは……私にとってものすごく嬉しい――まるで奇跡のような大事件。


 何と、かっきちゃんの方から呼び方を妹ちゃんじゃなく、かっきちゃんと呼んでもいいと言ってきてくれたのだ。


 私が、いいの? 嫌じゃないの? って、念のために確認すると――。


 もちろん嫌です。 と、即座に答えが返ってきた。


「――――」


 その即答ぶりに私がショックを受け、固まっていると。


「けど……嫌じゃないと罰にならないし……――だからっ!」


 続けてそう言われ、結局はかっきちゃんと呼んでいいということで話がまとまった。


 ん? ん~~……?


 かっきちゃんてたまにだけど、よくわからない難しい言い回しするな~と、どこか感心した気持ちになりながらも、とりあえず納得してみせる私だった。


 ともかく、急にかっきちゃん呼びを許可されたことで浮かれて舞い上がってしまった私は――かっきちゃん! かっきちゃん! かっきちゃん! と続けて何度も叫ぶと――。


 言われた側のかっきちゃんも――何ですか? 何ですか? 何ですか? と、律儀に同じ数だけ返事をしてくれた。


 それで嬉しくなった私は、エヘヘ~呼んでみただけ~と言って、だらしなく笑ってみせた。


「――――」


 その時の、私を見るかっきちゃんの目……。 何だか虫でも見るような目になってた気がしたけど、さすがに気のせいだよね……?


 何はともあれ、かっきちゃん自身からかっきちゃん呼びが公認された以上、後はもう仲良くなる一方だと、私は気持ちを前向きに切り替えた。


「………」


 考えてみれば……ここまでかっきちゃんと仲良くなるまでの間に色々あったなぁ~……と、少し前までのことを思い返す。


「――――」




私とかっきちゃんの仲良し大作戦! その0:お料理編


「う~ん♪ いいニオ~イ♪」


 かっきちゃんの趣味&特技は料理だった。


 この学院には朝昼晩、いつでも利用できる学食があって、一食たったの300円できっちりバランスの取れた食事が提供されるけど、学校のない土日だけは別で、その日は自分達で用意しないといけなかった。


 他の子達はきっと、普通にコンビニや外食なんかで済ませてるんだろうけど、Aタイプの寮にはちゃんとしたキッチンがあった。


 だからこそ、かっきちゃんも休みの日になった今、こうして自分の手料理を振るっていて――。


 私だってそこそこ料理は上手いつもりだったけど、実際に何度も食べ比べてみた結果、かっきちゃんには到底敵わないって、そう思ってる。


 ――にしても嬉しいな~♪ こうして一緒に生活している限り、かっきちゃんの手料理がまた何度でも食べられるんだ~♪


「ね~っ。 妹ちゃん、何作ってるの~? 私も手伝おうか~? それとも食器並べるの手伝う~?」


「………」


 ジロリと、私に向けられる冷たい眼差し。


「――あの……何を勘違いしてるか知りませんが、これは私一人分の夕飯ですから」


「ええ~っ!! 何で~っ!! 私の分は~っ!? 一緒に食べようよ~っ!!」


 大ショックに打ちひしがれた私が、かっきちゃんの左肩をつかみながらグイグイと思いっ切り前後に揺する。


「――ちょっ! バ! 私包丁持ってるんだからやめてよっ!!」


「うぅ゛~~……っ!」


 お願い~っ! といった真剣な想いを込め、涙目になってかっきちゃんを見つめる。


「はぁ~……」


 かっきちゃんの口から盛大に漏れ出る大げさなため息……そして――。


「だったら一食千円。 それでいいんでしたら作ってあげても――」


「ホ、ホント!? ――ハイッ!!」


 そのひと言で息を吹き返した私は、お財布の中から光の速さで千円札を取り出し、それをかっきちゃんの目の前へと差し出した。


 たったの千円でかっきちゃんの手料理が食べられるんだとしたら、そんなのは考える余地もなかった。


「………」


 ……あ、あれ? かっきちゃんてば、何だかあきれ顔っていうか……若干引いてる?


 何で……――って、そうだったー! 山井出家の家計はいま火の車だった~!


 たったの千円じゃ普通の外食で食べる値段と大差ないのに、私ってば~っ!


「ゴ、ゴメンね! これじゃあ足りないよね!? コ、コレ! 中にいくらあるか数えてないけど、私のお財布このままあげるから――」


「あ~、もうっ!! 冗談ですってば!! 料理なんて一人分だけ作る方が逆にメンドいんですから一緒に作ってあげますよっ!」


「……え?」


 私の会話を途中でさえぎって話すかっきちゃんの言葉に、思わず固まってしまう。


「――で……でも、それじゃあ……」


 山井出家の家計がますます圧迫されることに――。


「い・い・で・す・か・らっ! 受け取るにしても、月に一回っ。 少し多めの材料費をもらうってことでいいですよっ!」


「――………」


 言葉が出なかった。


 かっきちゃんてば、自分の生活が苦しくて大変なのに……それでも無理して、頑張って……。


 どうして、そんなに良い子なの……!?


 そんなとっても良い子のかっきちゃんと、もっと仲良くなりたい……。 あらためてそう思わされた瞬間だった。




私とかっきちゃんの仲良し大作戦! その①:お弁当編


 友達同士との間でよくあるお弁当のおかず交換。


 最初はそうやって仲良くなろうとしたんだけど、それだと普通すぎてつまらないと思った私は――。


 『お弁当の丸ごと交換』を思いつき、それをかっきちゃんにナイショで実施することに成功っ!


 そして昼休み――無事に手に入れたかっきちゃんのお手製お弁当にハシをつけ、それをパクリとひと口。


 ――ウ、ウマッ!! 何コレッ!?


 前の休みの日に食べたかっきちゃんの手作り料理も当然美味しかったけど、いま食べてるお弁当はそれとは別――。


 冷めているからこそ旨みを凝縮させるようにさせた濃い目の味付けが、ひとつひとつの素材にしっかりと染み込んでいて、まさに極上の美味しさだった。


 前にかっきちゃん、何ひとつ私に勝ったことがないようなこと言ってたけど、やっぱり料理だけは絶対かっきちゃんには勝てないなぁ~……。


 だって~……おいし過ぎるもん、コレ~……。


 私の頬がだらしなく緩み、ほっぺたがそのまま落ちてしまいそうになってしまう。


 私の方だって負けないぐらいお弁当をちゃんと頑張って作ったし、途中で味見だってして失敗もしてなかったから、かっきちゃんも同じように喜んでくれてるといいな~♪


 そう思いながらパクパクしてる内にかっきちゃんのお弁当はあっという間に空になってしまい、物足りなさを感じてしまうほどだった。


「――――」


 その日の放課後――寮の台所でお弁当を洗っているところにちょうどかっきちゃんも帰ってきたので、すぐ最初に聞いてみる。


「――あ~。 かっきちゃん、おかえり~♪ お弁当どうだった~?」


「――――」


「……次やったら殺す」


 ギロリと一蹴。 メッチャ怒られた~。


「――っと」


 続けざまに顔に投げつけられた私のお弁当を軽くキャッチ。 ついでに一緒に洗ってしまおうとお弁当のフタを開ける。


「――――」


 重さでわかってたけどやっぱり中身はカラッポ、プンプン怒りながらもかっきちゃんは残さず私のお弁当を全部食べてくれたらしく、私は終始ニコニコしながら洗い物を続けたのだった。




私とかっきちゃんの仲良し大作戦! その②:私の正体編


 それは……かっきちゃんと部屋の中でいつも通り、楽しくおしゃべり――という名の、一方通行のひとり語りをしていた時――。


「あ~~もうっ!! 一体全体っ! 何なの! アンタ!?」


「大体、何の目的があって私のことを調べたの!?」


「目的は……――アンタの正体は何!?」


 な、何だか……今日のかっきちゃん、いつになく怒ってらっしゃる~っ。


 多分私が悪いんだろうけど……最近の私ってば、何したっけ~……。


「………」


 こ、心当たりが多過ぎて、ひとつに絞れない~……。


「………」


 ――にしても……私の正体、かぁ……。


 確かに……ドラマやマンガなんかでもよく、自分の大切な人には正体をバラしたらいけない――みたいな設定がよくあったりするけど、私の場合はそんなの全然気にしなくていいから~……。


 ――……よしっ!


「か、かっきちゃん! あ、あのね――」


「……私っ、千夏おねーちゃんだよっ!! かっきちゃんともう一度話したくて、生まれ変わって会いにきたのっ!!」


 言いながら自身の胸に手を当てて必死にそう叫び、今のかっきちゃんを迎え入れるため、反対側の手を広げて待ち構える。


「………」


「………」


 やけに長く続く……沈黙の後――。


「――死ねっ!!!」


「―――っ」


 そう叫んだと同時に振り返り、部屋から出ていってしまったかっきちゃん。


 ん~……前の時も思ったけど、人に死ねとか言ったりするの、あんまりよくないって、お姉ちゃんそう思うなぁ~……。


 そう心の中でつぶやきながら、かっきちゃんが乱暴に出ていったドアを黙って眺め続けた私だった。


「――――」


「――――」


 そんな感じの――私とかっきちゃんの楽しい日常が続いていた、ある日の放課後。


 いつものようにかっきちゃんの部活が終わるまでの間、校内で適当に時間を潰していた私は――。


「かっきちゃーん、帰ろー♪」


 そう言いながら中腰になり、剣道部の道場に顔だけ入れた状態で、中の様子を覗き見た。


「――――」


 入り口のすぐ近くにいたかっきちゃんは防具を外して素振りをしていて、そのままこちらの方を一切見ることなく――。


「すぐに終わりますけど、別に待ってなくていいですよ」


 と、いつも通りの答え。


 それを受け、私も――。


「――うん、それじゃあ待ってるねー♪」


 そういつも通りの返事をし、そろそろ終わるであろう部活の時間を待ち続けることにした。


「――~♪ ~~♪」


 聞こえてくる道場の掛け声に耳を傾けながら鼻歌を口ずさみ、大扉に背を預けたままかっきちゃんを待っていることしばし――。


「――――」


 その途中、道場からすれ違って出てきた後輩達から大きな声で、さようなら~! って挨拶されたので、私はそれにバイバイって手を振ってみせると、キャーキャー言いながら走り去ってしまった。


 うんうん、やっぱり部活終わりの放課後ってすっごいテンション上がるよね~。 それに剣道部員だからかすっごく元気もいいな~って、その後輩達の後ろ姿を見送ってると――。


「――天西さん……何度も、何度も、何度も言ってますけど、わざわざ私が部活終わるまで待ってなくてもいいんですよ?」


 練習と着替えを終え、ジャージ姿になったかっきちゃんが、そう言いながら出てきた。


「え~~? 私だって何度も言ってるように、かっきちゃんと一緒に帰ること以上に私に優先することなんてないんだから~♪」


「あの……。 そもそも一緒に帰るって……ここから寮の部屋まで、歩いて3分も掛からないんですが……」


「そんなの全然関係ないよ~♪」


「そ・れ・に~、私のことは天西さんじゃなく、鈴音お姉ちゃんっ。 もしくはそのまま、お姉ちゃんって呼んでって、いつも言ってるでしょ~?」


「それから、敬語で話すのもやめてってば~、もう~っ」


 そう言って、かっきちゃんの柔らかいほっぺを横からプニプニと何度も突っつく。


「ハハハ……痛い、痛い」


 かっきちゃんてば、器用だな~。 口は笑ってるのに、目が全然笑ってないよ~。


「ほらほら~、かっきちゃ~ん♪ 呼んで~? おねーちゃんって~」


「――――」


 ……あれ? かっきちゃん、何か緊張でもしてる? 少しほっぺが強張って、表情も硬いような――。


「天西さんは――」


「ん?」


「天西さんは、剣道部には入らないんですか?」


「――――」


 目からウロコだった。


 こうしてかっきちゃんに言われることで、初めて気が付いた。


 そっか……私、もう病気じゃないから、また剣道やっていいんだ……。


 そもそも学院のイベントで、これまで普通に何度か戦ってたりもしてたし……。


 最近の――かっきちゃんと一緒の時間を共有できるあんまりな喜びのせいで、私のことなんて完全に二の次になってた。


 それにこれから私が剣道を始めれば、必然的にかっきちゃんと一緒に過ごせる時間が増えることにつながるワケで――。


「――うん! 入るっ! 私も入るよっ、剣道部に! 明日からよろしくね、かっきちゃん♪」


 かっきちゃんのいる剣道部に入る――私の選ぶべき選択肢は当然その一択しかなく、即座にそう決断した。


「そうですか……」


 隣を歩くかっきちゃんがそっぽを向きながら、興味なさ気にそう言うと――。


「――次は負けません」


 と、闘志に満ちあふれた視線を私に向け、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「――――」


 うん……本当に……。


 相変わらず……負けず嫌いなのは変わってないね……。


 それは実にかっきちゃんらしい……私のよく知る、いつものかっきちゃんだった。


 自然と私の頬が緩くなってしまい、口元をほころばせると――。


「ね、かっきちゃん――……手、つないで帰ろっか?」


 そうして半身だけ振り返った私が満面の笑みになり、かっきちゃんに向かって優しく手を差し出した。


「――――」


 それを見たかっきちゃんはわずかに目を見開いたように見え、その直後――。


「はい♪ ――もちろん、嫌です」


 と、同じく満面の笑みでそう切り返し、スタスタと私の横を通り過ぎていく。


「――………」


 あぁ……この時間を……この瞬間のことを言葉で表現するとしたら、一体なんだろう……。


 ――そっか……これが幸せ、ってことなんだ♪


「――――」


 トンと軽く地を蹴り、後ろ向きのまま一足で追いついた私は、歩くかっきちゃんの隣に並びながら、この幸せな気持ちが少しでも伝わりますように~という願いを込め、微笑み続けるのだった。


 事件が起きたのは、このすぐ後――。


 『事件』といっても、私とかっきちゃんに対してじゃない。


 私達とは関係ない――第三者の手によって引き起こされた、事故のような事件だった。


 それは……私達が寮の2階に上がり、自室のカギを開けようとしていた、ちょうどその時――。


「――――」


「――キャッ!!」


 フニンと、いきなり私の腕に伝わってきた柔らかな感触。


 どうやら驚いたかっきちゃんがカワイイ声をあげながら、私の腕にしがみついてきたようだった。


 ……って、今はそんなこと考えてる場合じゃなく――。


「……停、電?」


「うん……でも一体、どうしたんだろ……?」


「――――」


 ここから見える窓の外は普通に晴れていて、空だって特に曇ってないから、雷が原因じゃないっていうのはわかるけど……。 急な停電のせいであたりは真っ暗……――かと思ったら意外とそうでもなかった。


 窓の外に見える雲ひとつない澄んだ夜空と、そこから明るく照らされる月明かりのおかげで、少し目が慣れるだけで周囲がわりとよく見渡せた。


 そんな――周囲が意外と明るいことにかっきちゃんも気付いたのか、月明かりの中でしっかり私と目が合うと、顔を赤くさせながらバッとその身を離した。


 残念……。 そう思いながら腕に残ったかっきちゃんの余韻を感じていた、その瞬間――。


『――――』


 ゾワリ! と私の胸の奥を冷たい何かが通り過ぎていき、思わずガクンとヒザが折れた。


「―――っ!」


 バンッ! と、とっさに近くの壁に手をついたおかげで転倒はしなかったものの、全身から大量の冷や汗が噴き出し、伝わってくる嫌な気配だって全く収まっていない。


「え!? ――ちょっ! 何!?」


 かっきちゃんが大丈夫!? といった感じで慌てて私に駆け寄ってくれてるけど、そんなことより今は――。


「シッ! 黙って!! 静かに……っ!」


 私は口の前に人差し指を立て、声を出さないようお願いする。


「――かっきちゃん……目を閉じて……意識を集中……」


 そう言いながら私自身も目を閉じ、可能な限り……限界まで意識を外に広げる。


 ――そうだ……この感覚を……私は知っている……。


 世界中の……どこの誰よりも……っ!


「――………っ」


 額に汗をにじませ、さらに意識を深く、底の方へ――。


「――――」


「………」


「―――っ!」


 広げた意識の端で、そこだけがポッカリと穴が開いたように浮ぶ感覚がし、その存在を明確に私に知らせてくれる。


「かっきちゃんっ! 見えた!? ――っていうより感じた!? 聞こえた!?」


「――え? え!?」


「あ~もうっ! わかるでしょ!?」


 いきなり叫び出した私の声に驚き、ポカンとなっているかっきちゃん。 本当だったらもっと色々と細かく説明してあげたいけど、今は一刻の猶予ゆうよもなかった。


 場所は1階、この先にある階段を下りたすぐ近くの部屋。


「かっきちゃん、ゴメン! 私、先に行くから――っ!!」


「――――」


 そう告げた瞬間、壁についていた手をパッと離し、全身の力を完全に脱力……。 そのままカクン――と、まるで意識を失ってしまったかのように前方に倒れ込んでいく――。


「――――」


 イメージすべきは風……それと、雷……っ!!


「―――っ!」


 私の顔面が床スレスレまで近づいたその瞬間、足元が爆発!


 倒れ込む勢いをそのまま利用した上、限りなく真横に近い方向に向かって蹴り出された一歩目を全力で踏み込む。


「――~~~~っ!!」


 ――瞬間、私の全身がまるで風の弾丸になってしまったかのようにしばらくの間宙を舞い、その着地と同時に踏み込んだ二歩目がさらなる加速を生み出し、稲妻のような鋭さで駆け抜けていく。


 頭に浮かぶのは『疾風迅雷しっぷうじんらい』の文字――そのイメージを強く心に想い描く。


「―――っ」


「――――」


 瞬く間に見えた階段。


 減速しないと下りれない――私の中の理性が大音量でそう警告してるのに、まるでそれに逆らうかのように駆ける足がさらに貪欲に加速を求め続ける。


「――――」


 その時、私の脳裏に入り込んでくるのは、別の……――もうひとつのイメージ。


 風と雷が『濁流』の渦となって暴れ狂い、全てを削り取ってくような……そんな――っ!


「―――っ!」


 再び地面が爆発!


 私の全身が、まるで重さのない風か稲妻になってしまったかのように宙を駆け、そのままダイレクトに階段の天井付近まで瞬時に到達。


「―――っ!」


 とっさにぶつかるかと思い、身体を瞬時に半回転――。


 そこから――。


「――――」


 天井を、壁を、階段を――周囲のあらゆるモノを削り取りながら破壊し、下だけを目指す。


「――――」


 それは、まるで――ここだけに局地的な竜巻でも発生しているかのようで、砕けた破片が渦を巻きながら舞い散っていく。


 そして、そんな現象を引き起こしている、当の本人はというと――。


 は、速い、速い、速い~~~っ!!!


 ――何コレ!? ジェットコースター!?


 あまりにも強大過ぎる力を完全に持て余しながら、それでも懸命に先を目指す。


 っ!! 1階!?


 そう気付いた瞬間、暴れ狂う力を無理やりに制御――。


「―――っ!!!」


「――――」


 それは――まるで足のギロチン。


 暴走した力の全てを込めて放った渾身のかかと落としを、部屋のドアノブに向かって振り下ろした。


「――――」


 何の抵抗もなくドアノブが床に叩きつけられ、かなり遠くの方でカツーンと音が鳴った。


 同時にそれがブレーキにもなり、何とかその場に踏み止まる結果にもつながった。


「――………っ」


 立ち上がる際、その片足がズキズキと痛んだりもしたけど、今は――。


 正面の――ドアノブが無くなったドアを片手で押して開け放ち、同時にクツも脱ぐ。


 元々カギが掛かってなかったらゴメンなさい~と、心の中で謝りながらも中に入っていき、目的の場所へと駆け急ぐ。


「――――」


 問題の彼女は、脱衣所にいた。


「―――っ!」


 わかっていたこととはいえ、実際に目の当たりにした瞬間、思わず固まってしまい、身動きができなくなってしまう。


 そう……私がさっき2階で感じていたモノは、魂が落ちる直前に感じる……あの圧倒的な――死の気配だった。


 見たところ――彼女は衣服を一切まとっていない全裸で、仰向けに倒れた状態のまま意識を失っているようだった。


「………」


 そのことによって心を荒立たせながらも私はすぐさま近づいて両ヒザをつき、彼女の胸に直接耳を当て、同時に口元も見る。


「――――」


 心臓の鼓動が聞こえない。


 さらに、呼吸すら停止しているようで――。


「―――っ!!!」


 考えるより先に身体が動き、すぐさま心臓マッサージを開始する。


「――――」


「……っ! ……っ! ……っ!」


「……っ! ……っ! ……っ!」


「……―――っ」


 その途中で人工呼吸も行い、心臓マッサージを続ける。


「――――」


 そうしている間にも、私は考える。


 これで本当にちゃんとできているのだろうか? 間違っていたらそれこそ取り返しがつかない。


 心臓マッサージのスピードは1分間に100回。 それから人工呼吸との割合は30対2だったと記憶している。


 え~っと……1分間で100回ってことは、1秒に2回よりほんの少しだけ遅くして~……――それと30対2って何!? 15対1じゃダメなの!?


 そうだ、回数……っ。 何回押したか数えながら心臓マッサージしないと――。


 ――失敗はできない。 何せ今、私の両手には人の命が懸かっているのだから。


「――――」


「ちょっと~……一体、何があったの~……そこの階段がメチャクチャ、で――っ」


 私に追いつき、後からこの部屋に入ってきたかっきちゃんが、話す途中でビクッとなって息を呑み、驚愕きょうがくする気配が伝わってきた。


「かっきちゃん!! 救急車!! ――急いでっ!!」


 私の両手は心臓マッサージを続けたまま、目線だけをチラッとかっきちゃんに向け、短くそう告げる。


「……え? ――ぁ……っ! ……え?」


「――――」


「――~~~~っ!」


 その後、私の指示で明らかに動揺したかっきちゃんがまるで絵に描いたようにしどろもどろとなり――それからどうにかこうにかしてスマホを取り出したのはいいけど、そこから何をどうしたらいいのかわからないといった感じで、絶賛混乱中だった。


「――――」


 私の中でザワめき、ささくれ立っていた心が急速に収まっていき、それと同時に普段の時の感情が戻ってきた。


 どうやら死の間際にいる彼女を目の当たりにしたことで想像以上に私の心が掻き乱され、冷静じゃなかったことに気付かされた。


「――――」


 目を閉じながら、大きく……深く……息を吐き出す。


 その間にも心臓マッサージは続けたまま――数回それを繰り返す。


「――――」


 ……――よし、もう大丈夫。 いつもの自分だ。


「……かっきちゃん、ゴメンね。 かっきちゃんは、ただ――そこで見ていてくれればいいから」


 それだけかっきちゃんに告げた私は気持ちを完全に切り替え、いま目の前の彼女のことを救うため――その意識の全てを集中させる。


 ……だって、私はこれでもお姉ちゃんだからっ!


 お姉ちゃんとして、かっきちゃんの手本になるっ。


 だから――かっきちゃんは、私だけを見ててっ!


「――~~~~っ!!」


 かっきちゃんが今、私を見てくれてる……っ!


 たったそれだけのことで、力がいくらでもあふれ出てくる……! 私は、何だってできる……っ!


 必死になり過ぎていたせいで、狭まっていた視野が――意識が広がっていく。


「――――」


 心臓マッサージを続けながら私の片眉がピクッとなって動き、彼女の足元の方に意識が向く。


 ……何? 足の指先に、何かが……絡まって――。


「――――」


 あれって……ドライヤー?


「―――っ」


 そうか――。


 どうやらこれが停電になった直接の原因で、彼女が浴室前で倒れてる理由なんだと、すぐに思い至った。


「―――っ!」


 それと同時に理解する。 このままだと、電気が復旧した瞬間にまた感電して、二次被害が起きるかもって……っ!


「~~~~っ」


「……―――っ!」


 そう判断した私は心臓マッサージを続けながら――どうにかして自分の足をドライヤーのコードに伸ばしてからみつかせ、そのまま足の指先だけで思いっ切りこちら側に引っ張り寄せた。


「――――」


 それで洗面台の方に挿さっていたコンセントも無事に抜けたらしく、ドライヤーとコードが一緒になって宙を舞い――離れた床にカツンと転がって落ちた。


「――――」


「―――っ」


 ちょうどそのタイミングでチカチカッと電気が復旧し、その明かりによって目が細まる。


 あ、あぶな~っ! 何てタイミング……ッ!!


 かっきちゃんを見て気持ちが冷静になってなかったら、私も一緒に感電してたよ~っ。 かっきちゃん、ありがと~っ!


 心の中でそうお礼を言いつつも、後は――っと……。


 ある程度慣れてきた私は、今まで続けていた心臓マッサージを少しの間だけ片手に切り替え、空いた方の手で制服のスカートに入っていたスマホを取り出す。


「――――」


 そのまま片手で119番通報してからハンズフリー状態にしたスマホを床に置き、すぐさま心臓マッサージを両手に戻す。


『――はい、こちら神丘市かみおかし消防本部。 火事ですか? 救急ですか?』


 コールなしで聞こえた声。 それに対し――。


「――救急です。 神丘市の見桜けんおう女子高等学院の学生寮まで至急、救急車の手配をお願いします」


 私も即座にそう答え、オペレーターからの指示を待つ。


 さすがに向こうはこういったやり取りに慣れているらしく――今どういった状況ですか? 要救助者は何人ですか? 意識はありますか? といった、定型文ていけいぶんのような質問を次々と投げかけてくる。


 ひとつひとつの質問は、落ち着いて考えればすぐに答えられるような内容のモノばかりだったので、私はなるべく心を平静に保つようにさせながら、努めて冷静に答えていく。


 それと、今回の私のケースは珍しかったりするのか、心肺停止の救助者に心臓マッサージと人工呼吸をしながら通報していると伝えた時、電話の向こうから少しだけ息を呑む気配が伝わってきたような気がした。


 それから救急車はあと5分で着くと告げられ、最後に――あなたは学校の先生でよろしかったですか? と、聞かれた。


「せ、先生じゃありません! 学生ですっ!」


 最後の最後でプリプリした気持ちになって心を乱されながらも通話を終了させ、救命措置を続ける。


 確かに電話からの声って、普段の声とは微妙に違って聞こえるとはいえ、それでも失礼だな~。


「………」


 ……あれ? 私の声……もしかして、本当に老けてる? ……大丈夫だよね? かっきちゃん。


 それはともかくとして、救急車がここに来るまであと5分。


 体力的に続くかどうかは未知数だけど、かっきちゃんが見てくれる――それだけで何でもできる気がした。


「――――」


 1分経過――。


 私の額にたまとなって浮かぶ汗……。


 これは体力消耗の疲れからくるのもそうだけど、心理的不安からくる割合の方が圧倒的に多かった。


 ――マズイ、マズイ、マズイ~~……ッ!


 停電直後――かなり遠くの方で感じられた、あの冷たい死の気配。


 そんな死の気配が、私のすぐ目の前でますます強まっていくのを感じる。


 どうやら私が今こうしてやっていることは、忍び寄る死の気配をわずかに遅らせている程度の効果しかないらしく、その命を救うまでには至っていないようだった。


 ――けど……これ以上のことなんて、もう……っ。


 心臓マッサージと人工呼吸……今の私の知識だとこれぐらいしかやれることがなくて――。


 ――違うっ!


 絶対にダメッ!!


 思考を止めるな! 考えろっ!!


 これじゃあ……このままだと、また……目の前で……っ!


 ……また? それはともかく――。


「――――」


 考える……っ!


 たとえ何もできないとしても考え続ける……っ!


 今の……この状態の私にできる、何か……別の――。


「――――」


「………」


「―――っ!」


 そうだ……! ――あの糸……っ!


 あの糸は下の世界にもあったし、こっちでも使えた。


 だったら、あの糸を使えばどうにかなるんじゃ……っ!


「――――」


 とっさにそう考えた直後、私の人差し指から一本の糸を伸ばす。


 心臓マッサージは止めずに続けたまま――伸びた糸には何の感情も込められてない。


 糸の伸ばす方向は真下で、まず重点を置くべきは『長さ』――その一点のみ。


「――――」


 心臓マッサージを続けている両手……。 ――不意に、その両手が消えてしまったようになって目に映る。


 ううん……。 消えてるんじゃなく、これ……――透けてる?


 透けた先に見えるのは、徐々に落下し、肉体から離れ続けている彼女の魂だった。


 同時に、その後から追いかけるようにして伸びている私の糸だって見える。


「――――」


「―――っ」


 そして――そのまま伸び続ける私の糸がとうとう彼女の魂を捉え、そこから決してほどけないよう魂全体に絡みつかせていく。


 ……よしっ! それじゃあ、後は――。


 このまま引き上げるだけだ――と、絡まった糸を巻き上げようとするイメージを強く送ってみる。


「―――っ!!」


 瞬間、私の両肩にいきなりのしかかってきた巨大な岩石。


 ……っ! 重……い……っ!


 実際に感じる重さじゃない。


 比喩的な感覚として伝わってくる心の重圧だった。


 ――けど、結果として彼女の魂の落下が止まった。


 それはつまり――私がこれを頑張って続けていれば、彼女を救える可能性があるということに他ならなかった。


「……―――っ!」


 糸と両手――それから心に私の想いの全てを乗せ、その意識を集中させ続ける。


 戻れ~!! 戻れ~!! 戻れ~~っ!!


 この糸を釣り竿のリールのように巻き上げていく、そんなイメージ……ッ!


「~~~~っ!!」


 ――戻れ……! 戻れ……っ!!


「――………っ!」


 視界が瞬間的にブラックアウトし、動かし続ける腕にも、力……がっ!


 体力と精神の消耗速度があまりにも異常過ぎて……今にも倒れそうになってしまう。


 けど、今――かっきちゃんが私のことを見てる……っ。


「―――っ!!」


 それを想うたび、私に再び力が戻ってくる。


「~~~~っ!!!」


 ――戻れ! 戻れ! 戻れ! 戻れ!!


「――……れ! 戻れ! 戻れ!!」


 心の叫びが、もう実際の声になって出ていた。


「……――~~~~っ!」


 さっきから視界が二重になって見え、呼吸だって荒くなってる。


 それに……腕の感覚が、もう……っ。


 かっきちゃんの眼差しチャージで回復を繰り返していた私だったけど、これ以上は……っ!


 あ~。 でも~……かっきちゃんからすっごい笑顔で頑張れ~って応援されたらもう少しだけ~――。


 そんな具合に若干現実逃避しそうになっていた、その時――。


「――――」


「――ゴボッ!! ガハッ!!」 


 私の手が止まった。


「ヒュー! ハーッ! ヒュー! ハーッ!」


 せき込んだ直後に、続けて聞こえてきた呼吸音。


「――――」


 ドクン、ドクンと、胸に当てていた両手から直接心臓の鼓動が伝わってくる。


 それを確認した瞬間、私は――。


「――よ、よかった~~っ」


 と言いながら全身を脱力させ、思いっ切り大きく息を吐き出した。


『――――』


 それと同時に、自然と耳に届いてきたのは大きなサイレン音と、さわがしい感じの喧騒。


 どうやら私が連絡した救急隊の人達が、ちょうどここに来てくれたようだった。


 その後――。


「――――」


 私はグッタリしながらも駆けつけてくれた救急隊員と、そのすぐ後から来た先生にとりあえずの事情を説明――。


 その間にも別の救急隊員が倒れていた彼女のバイタルを確認しながら適切な処置を施していき――最後に残った事後処理を先生に引き継いでもらうことで、ようやくひと息つくことができた。


「――――」


 私の頑張りによって、何もしなければそのまま失われていたであろう一人の女生徒の命を救うことができた。


 そう考えると、この疲れもどこか誇らしいものに思えてしまうから不思議だった。


 ――ううん……私一人の力だけじゃない……。


 すぐ近くでかっきちゃんがずっと私を見守ってくれなかったら私は途中で冷静になれず、感電もしていただろうし、心臓マッサージだって絶対に力尽きてた……。


 さっきのですっごく疲れてお腹も空いちゃったから、今日はおいしい晩ご飯が食べられそうだった。


「かっきちゃん、帰ろ~♪」


 そう思いながら私は振り返り、かっきちゃんに声を掛けて近づくと――。


「――かった……」


「………?」


「~~~~っ!! 私には何も聞こえなかったしっ!! 何も見えなかったっ!!!」


 いきなりそう叫び、全力で走り去ってしまった。


「――……え?」


 あまりに突然のことに、ポカンとなってしまった私……。


 けれども、そこからハッとなって我に返り、すぐにかっきちゃんの後を追いかけようと、慌てて駆け出す――。


「――――」


「――れ?」


 私の中では勢いよく踏み出したつもりだったんだけど、自分の足が全くついていかず、ガクンとヒザから力が抜け落ち――。


 ―――っ! ヤバッ!!


「――――」


「――――」


「………」


 気付くと私は、いつもの場所にいた。


 最後の最後で……私ってば、しまらないな~。


 私ってば多分、あのまま顔面から床に倒れて、そのまま意識を失っちゃったんだ~……。


「………」


 ――にしても……。


 何だか……胸がモヤモヤ? ザワザワする……。


 かっきちゃんがたまに突拍子もないことを言うのはいつものことだけど、さっきのかっきちゃん……涙が出てたわけでもないのに、何故だか泣いてたみたいな……そんなふうに、私には見えて――。


「………」


 そして、そのまま……かっきちゃんのことを心配しながら下で過ごすこと数時間後――。


「――――」


 ビクッ! となって、目覚めた瞬間――最初に脳裏に思い浮かんだのは、懐かしいという感覚だった。


「………」


 天井から壁――カーテンからベッドに至るまで、白一色で統一された清潔感を感じさせる内装。


 空気――というか、何となくの雰囲気でわかる……。


 ――病院だ、ここ。


「………」


 そのまま天井を向いている頭をゴロンと動かし、視線を横へ向ける。


「――――」


 そこには、口付け――という名の人工呼吸を何度も交わした間柄ながらも、その名前さえ知らない……。


 そんな彼女が隣のベッドで横たわり、眠っていた。


 よかった……。 やっぱり無事だったんだ……。


「――――」


 はぁ~、となって息を吐き出し――ふと考える。


 ……――本当に?


 私はこの名前も知らない彼女の、その声はおろか、目を開いたところすら見たことがない。


 その上さらに――普通の状態より、死んいでた(心肺停止)状態の方が触れ合っていた時間が長いというおまけ付きだった。


 そんなワケもあって、急に心配になってきた私はすぐさま寝ていたベッドから抜け出し、隣にいる彼女のもとへ――。


「――――」


 見えるのは、規則正しく上下に沈む胸。


 彼女……どうやら呼吸はちゃんとしていて、間違いなく生きてはいるようだった。


「――――」


 綺麗な髪……。


 昨日は無我夢中で容姿なんて気に掛けてる余裕もなかったけど、何というか……とても丁寧に手入れの行き届いた、すごく綺麗な黒髪だと思った。


「………?」


 左右非対称の、左側だけ伸びている髪の間から何か見えたような気がして、それをよく見てみようと手を伸ばした、その時――。


「――さちっ!!」


 バタン! といきなり病室のドアが開き、その音に反応して私の身体がビクッと震えた。


「――――」


 見桜学院……一年生の学生服。


 何やら……やたらと美人な後輩が、すごく慌てた感じで叫び、この病室に飛び込んできた。


「――――」


 その片手いっぱいには、やたらと大きな花束を抱えていて……――お見舞い、かな?


 けど……ちょっとだけ目がツリ目で、何か……怒ってる……?


 ――あれ? もしかしてにらまれてるのって、私?


「……どなたですの?」


「―――っ」


 ――お……。


 お嬢様口調だーっ!


 今のひと言が、たまたまそんな感じに聞こえただけかもしれないけど、不思議とそうは思えなかった。


「――――」


 この子の見た目――かなり失礼かもだけど、私の知ってる少女マンガの意地悪なライバルキャラそっくりで……だから私もついそう思って~。


 一度そう意識してから見ると、今のその髪型だって微妙に縦ロールっぽい気もしてくるし~……。


 さすがに色は金髪じゃなくて明るい茶髪だけど、それでも十分感動だよ~っ。


「――あの……」


 何も言わない私に、目つきをさらに鋭くさせた目の前のお嬢様(仮)。


 ん~……。


 何だか……どことなく空気が悪い感じだし、ここは少し私がユーモアを利かせて――。


「――――」


「まぁ……ただならぬ関係だったりするかな~」


「――は、はぁ!?」


 そのひと言で、信じられないといった驚愕きょうがくの表情を見せるお嬢様(仮)、それを見て勢いづいた私はさらなる追撃を試みる。


「――――」


 フワリと、とても大切なものを扱うような手つきで寝ている彼女の頭に優しく手を乗せると――。


「この子とは……まぁ、きずりの関係で、名前だって知らないけど、これまで百回ぐらい唇を重ねた間柄だよ~?」


 と、私の中にあるせいいっぱいの色香を身にまとい、それを言葉に乗せて放ってみせた。


 ――その結果。


「――――」


 ペタンと、そのお嬢様(仮)が、まるで腰が抜けてしまったかのようにその場に座り込み――。


「――ぅ……」


「うわああああああっ!!!」


 一瞬の静寂の後、両目からポロポロと涙をこぼし、大声で泣き出してしまった。


「……え!? ――ちょっ!」


 きっと驚いて泣いてしまったんだろうけど、こっちはこっちでそれ以上に驚いた。


「ウ、ウソッ!? ゴメンッ!! ウソッ! ウソだってばーーっ!!」


「――――」


 それからようやくお嬢様(仮)をなぐさめて泣き止ませ、事情を説明するまでにかなりの時間を要してしまった。


 聞くところによると彼女は、見桜学院一年生の山鷹やまたか ふえるちゃんという名前のお嬢様だった。


 それからベッドに寝ている彼女は臼井うすい さちちゃんと言って、ふえるちゃんと同じクラスメイトとのことだった。


 さちちゃん――だから、さっちゃんだね。


 今日はそのさっちゃんのお見舞いに来たとのことで、そう話すふえるちゃんの口調は、いつの間にかお嬢様口調じゃなくなっていた。


 それから少しタイミングを逃したけど、こうして相手が名乗ったこともあって、私も同じ学院に通う二年生の天西 鈴音だと簡潔に自己紹介もした。


「――――」


 ……あれ?


 目の前のふえるちゃんが、何だか口を開けた状態のまま固まっていた。


「天西って……あの天西 鈴音先輩ですか?」


 『あの』って、どれ?


 もしかして、私ってそんなに有名人だったりする?


 ……けど、私がこれまでやってきたことっていえば、学院主催のイベントに何度かノリで出たぐらいで、他は特に~……。


 んん~~……?


 首をひねりながら腕を組み、うなってしまう。


「ん~、ふえるちゃんって……私のコト、知ってたりするの?」


「――と、当然じゃないですか! あなたを知らない人なんてあの学院には一人もいませんよっ!」


 え、えぇ~~!?


 何だかすごい社交辞令っていうか、やたらとお世辞の上手いコだな~。


 私を知らない人なんて、それこそいくらでもいるんじゃ~……。


 ――って、あ、そっか!


 この身体の天西さんが、元々の有名人だったんだっ!


 これだけの美人さんだし、絶対にそうだよね~っ!


 そっか~……あやうく勘違いしそうになったけど、元の私か~。


 ……けど、そうとわかれば少しでも変に思われないため、話を合わせておく。


「え~? い、いや~っ、やっぱり~? 私ってほら~、こんなに美人だし~。 ねー♪」


「――え? まぁ……はい」


「ん?」


 何だか微妙な食い違いを感じたような気もしたけど……気のせい?


「――まぁ、そんなことはともかくとして~、そこで寝てるさっちゃん? と私が、百回近く唇を重ねたっていうのは本当なんだよ~?」


 と、なるべく努めて明るく言い、あった事実だけを正直に伝える。


「――――」


 ポロリと、再びふえるちゃんの片目からこぼれ落ちたひと粒の涙。


「あぁっ!! ゴ、ゴメンッ!! ウソじゃないけどゴメンてば~っ!!」


「――――」


 私はそのまま泣き続けるふえるちゃんの背中をさすってなだめながら、さっちゃんが部屋の中で倒れていたこと――そこで私が救命措置をして事なきを得たことを順を追って説明した。


 その後で、結局は私もそのまま倒れて気絶してしまったことも。


 最後に、いや~となって頭をかきながら説明し終えたその時、さっきまで私の目の前にいたはずのふえるちゃんの姿がいつ間にか消えていて――。


「――――」


 下げた視線の先にいたふえるちゃんが床に両ヒザをつき――深々と頭を下げていた。


 それは俗に言う土下座の体勢で、その額が床までついているように見えた。


「……え? ――ちょっ!! ど! どうしたの!?」


 それを見て慌てふためいた私は、頭を下げ続けているふえるちゃんと何とか視線を合わそうと、自分も床にヒザをつけて顔を寄せていると――。


「ありがとう……ございます……」


 顔を伏せたまま聞こえてきたくごもった声。


「さっちゃ――さちさんの命を救って頂きまして、本当に……本当に、ありがとうございました……っ!」


 ――声が、肩が震えてた。


 顔は見えなくても、泣いているんだと理解できた。


 それだけの、強い感情の込められている……心からの言葉だった。


「学生寮の生徒の一人がさちさんを救命したことは聞きおよんではいましたが、それがまさか剣王――天西 鈴音先輩だったなんて……」


 け、剣王って……ヤ、ヤメテーッ!


 学校の昼休みのイベントで決まった通り名を学院の外でも言われるのって、想像以上に恥ずかしいんですけど~っ。


「わ、私にできることがありましたら何でもおっしゃって下さい! あ、何でしたら――」


 体勢はそののまま、顔だけ上げたふえるちゃんがまくし立てるように話す中、声のボリュームもしだいに上がっていき――。


「――ん~……」


 ベッドの方から小さなうめき声が聞こえ、寝ていたさっちゃんが目を擦りながら身を起こし、意識を覚醒させたようだった。


 その瞬間――。


「オ、オーホホホッ!! あら~臼井うすいさん、ようやくお目覚め~? 相変わらずお寝坊さんね!」


 床から垂直に跳び上がったふえるちゃんが瞬時に立ち上がったかと思うと、口元に片手を当てながら高笑いし、復活したお嬢様口調で話し始めた。


「―――っ」


 ブワッと私の両目に涙があふれ、前が見えなくなってしまう。


 ふえるちゃん……何て、フビンな子!!


 大切な子の前だと素直になれない……そんな微妙なお年頃なんだねっ!?


 何となくかっきちゃんに似てるなぁと思いつつ、そんな可愛らしいふえるちゃんに妙な親近感を持ってしまう。


「――あ……山鷹さん……おは、よう……? ……あれ? 何か今、下から――」


「う、臼井うすいさんっ! あなたお風呂場で倒れてたんですのよ!? 覚えてらっしゃる!?」


「……それと、おはよ」


 さっちゃんの言葉にふえるちゃんがまくしたてるように言葉をかぶせながらも、最後にポツリと律儀に挨拶を返す。


「……倒れた? そっか……私、あのまま……」


「――それじゃあ、ここって病院?」


「………」


 さっちゃんがキョロキョロとあたりを見渡す中で、ふと何かに気付き――その視線がある一点を見た状態で固まる。


「あの~……ひょっとしたらだけど、山鷹さんの持ってるその花束って……もしかして私のお見舞い、に……?」


「っ!! ――は、はぁ!? ど、どうして、この私がアナタなんかのお見舞いにわざわざ来なければならないの!?」


 驚愕きょうがくの表情を浮かべたふえるちゃんが叫び出し、話す語気もしだいに強まっていき――。


「だ、大体っ、アナタなんかにこの花を渡したら、逆に花の方がもったいないですわ!」


「―――っ」


 最後にそう言い放ったひと言を聞いた瞬間、さっちゃんが全身をピクッと震わせたように見えたけど、ふえるちゃん自身はそれに気付いていない様子で――。


「こ、これは~~――そ、そうっ! こ、ここにいる天西 鈴音さんのお見舞いのために持ってきたのですわっ!」


「え!? 私!? ――わぷっ!」


 瞬間、いきなり顔の真正面に渡された大ボリュームの花束によって、私の視界が完全に覆い尽くされてしまう。


「――――」


 この、花束――。


 私だってそこまで花に詳しいわけじゃないから確実なことは言えないけど――こんなに大量で、しかもこれだけ数多くの種類もある花束なら、多分2、3万とかはするんじゃ~……。


「………」


 色取り取りの花びらが広がる視界の端で、さっちゃんの表情が目に見えて曇っていく様子が見て取れた。


「そ……そうだよね……」


「そんなキレイな花束と比べたら、私なんて……――?」


「……え? ――あれ? 今……天西 鈴音って……」


「――え……えええええ~~っ!!!」


「――~~~~っ!!!」


 さっちゃんがそのまま落下してしまうかのような勢いでベッド上を後ずさり、手にしたシーツを引き寄せながらその顔を真っ赤にさせた。


 ……あ、あれ?


 それを見て、ポカンとなってしまう私。


 な、何だろ……そのリアクション……。


 っていうか……やっぱりさっちゃんも私のこと知ってたんだ~……。


 もしかして、演劇をする役者の人に憧れるみたいな、そういったのが学院の流行だったりするのかな~……。


「~~~~っ!」


 ――あ。 今度はさっきまでとは逆に、ふえるちゃんの方がみるみる不機嫌な顔になって~……。


「――――」


 そんなふえるちゃんを見た途端、私の心の内にあった妙なイタズラ心が鎌首をもたげてしまい――。


「さっちゃ~ん♪」


 と、ワザと口調を猫なでっぽくさせた私が身体をくねらせ、さっちゃんが身にまとってるシーツの中に潜り込んでいく。


「さ、さっちゃ……? ――ちょっ! ええ!?」


 そんな私にあたふたしながら、目を白黒させるさっちゃん。


「――ねぇ……さっちゃん知ってる~? さっちゃんが倒れていた所に最初に駆けつけたのが私で~、私ってばそこですっごく必死になって人工呼吸して~、それでさっちゃんのことを助けたんだよ~?」


 そう言いながら……さっちゃんのアゴ先に当てた指を滑らせ、それを下唇から上唇へ……ゆっくりと移動させていく。


 その途中、横目でチラリ。


「うぐぐぅ~~っ!!」


 と、いい感じにプルプルとなって震えているふえるちゃんを視界の端に収めながら大満足。 対するさっちゃんの方は――。


「じ、人工呼吸って! わ、私なんかと!? そ、そんなっ! 汚れちゃいますっ!!」


「え? ――わブッ!! ん~~っ!!」


 いきなりベッドのシーツを顔面に押しつけられ、そのままかなり強めに私の口元をゴシゴシと拭いてくる。


「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!! ごめんなさいっ!!!」


 さっちゃんが必死になって何度も謝りながら、私の口を強引に拭き続ける。


 い、痛い! 痛い!! 痛い~っ!! ――っていうか、完全に予想外の反応~っ!!


「―――っ」


 続く痛みから何とか逃れようと、さっちゃんの両肩をつかみながらどうにか距離を開け、無理やり微笑み――。


「さ、さっちゃん~……あのね~? 今さらそんなことしても意味ないよ~?」


「さ、さっちゃ……? え? 私?」


「だって~、私ってばさっちゃんを救命する時に、もう百回ぐらい人工呼吸しちゃってるし~」


「ひゃ、ひゃく!?」


 聞いたさっちゃんの顔がカァッとゆでダコのように赤くなり、頭もグラングランになって揺れる。


「――――」


 そして、私の目の前にいるふえるちゃんからもよ~く見えるようにさっちゃんをギュッと抱き寄せると――。


「――にしても~……お見舞いのお花の方がもったいないだなんて、ふえるちゃんもヒドイこと言うね~っ」


 言いながら頭をナデナデ。


「さっちゃんてば、こ~んなにカワイイのに~♪ ね~♪」


 さらに続けて、お互いの頭同士をピッタリと合わせ、グリグリと動かしたりしてみせたりもした。


『――~~~~っ!』


 さっちゃんとふえるちゃん。 二人が同時に息を呑む反応を見ながら、私はニヤリとなって意地悪く微笑むと――。


「ふえるちゃーん? いいの~?」


「このまま何もしないんだったら~……この子、私がもらっちゃうよ~?」


 言いながらグイッとさっちゃんを引き寄せ、そのまま両手でギュ~ッと後ろから抱き締めてみせながら、その様子を存分にふえるちゃんに見せつけた。


「あわわわわわ~!!!」


 腕の中にいるさっちゃんはさっきから目をパチクリさせ、私にされるがままだった。


「っ、――は、はあ!?」


「わ! 私が何かするって、何のことですの!?」


「だ、大体にして、そもそも……いるだの、いらないだの……! い、一体何の話ですの!?」


「そ、それに~? ――う、臼井うすいさんも、何だか喜んで? まんざらでもなさそうですし~? お、お好きになさればいいじゃないですかっ!」


 途中途中でたまに声が裏返り、言動が多少怪しくなりながらも――。


「――そ! そんなの、私いりませんわっ!」


 最後に力強く、そう言い切った。


「―――っ」


 言った直後――ふえるちゃん口から『――ぁ……っ』と、小さく声が漏れ出し、自身の口元に手を当てながらその表情を曇らせた。


「――――」


 けど……実際に言われたさっちゃんの衝撃はそれ以上だったようで、言われた瞬間に両肩がビクッとなって震え、私の病院着の裾をつかんでいた手がかなり強張ったのが伝わってきた。


「そ、そうだよね……。 いらないよね……こんな……――私なんて……」


 声のトーンを徐々に落としてうつむいたまま……その表情は見えないけど、かなり暗く落ち込んだ感じになったさっちゃんが、小さくそうつぶやいた。


「――………っ、~~~~っ!」


 それを見たふえるちゃんも、まるでそれが自身の苦しみであるかのように表情を歪め、胸元をギュッと握ると――。


「――か、帰りますっ!!」


 そう叫びながら振り返り、ほとんど逃げるような形でこの病室から飛び出してしまった。


 ――あ。


 止める間もなかった。


 あ……あれ?


 わ、私……素直になれないふえるちゃんをちょっとからかって、それで背中押したつもりだったんだけど~……もしかしてコレ、すっごく悪いことしちゃった……?


 と、ともかくっ! すぐにでも追いかけて事情を説明しないと――。


「―――っ」


 そう思いながらすぐに姿勢を正し、ベッドを抜け出そうとしたところで――。


「――おねーさまぁ……」


 いつの間にか私の片腕に両手で抱きついていたさっちゃんが、まるで小さな子供になってしまったかのように、その身をギュッと預けてくる。


「お、おねえ……?」


「さっちゃん、ごめんね……? 今はそれどころじゃなく――……げ」


「げ?」


 私の言葉に可愛らしく反応したさっちゃんが腕に抱きついた状態のまま――その顔を見上げる。


「――――」


 見間違いか、夢だって思いたい。


 たった今……ふえるちゃんが出ていったばかりの、病室のドアの入り口。


 何だか、そこに――。


「――――」


 かっきちゃんが、立っているように見える。


「………」


 無言のかっきちゃんが、冷たい眼差しのまま……私とさっちゃんとの間を何度か往復させる。


 それから、そのままツカツカと私達のもとまで近づいてくると――。


「あの~、もしよろしかったらコレ、どうぞ~」


「誰かのお見舞いのつもりで持ってきた花束だったんですけど~。 たった今、何の価値もないゴミに変わってしまったので~」


 そう言いながら――やけに綺麗な笑顔で微笑むかっきちゃん。


 そ、その笑顔……逆にすっごく怖いよ~。


「……ゴミ? あの……それって、私のことがゴミみたいとかって、そう言いたいんですか?」


「――は?」


「――――」


 何だかよくわからない内に二人の間でバチバチッと見えない火花が飛び散り、不穏な空気が広がっていく。


 ――え? 何? 何で?


 よ、よくわからないケド、ここは私が――。


「や、やめてっ! 私のために争わないで!!」


「――あぁ゛っ!?」


「――はい♪」


 全く正反対の反応を返す二人。


 だからかっきちゃん、怖いってば~っ。


 思わず視線を逸らし、かっきちゃんの視線から逃げるようにしていた、その最中さなか――。


「――――」


 バシッ! と、かっきちゃんから差し出されていた花束をさっちゃんが強引気味に奪い取り――。


「そうですか~♪ このお花もらっていいんですよね~っ♪ ありがとうございま~す♪ ――私達『二人』で、大切にしますね~っ♪」


 『二人』の部分をやけに強調しながら、私の腕に胸を押しつけるようにして抱きつき、満面の笑顔を見せつけた。


「――そ、そうですね~。 よかったら受け取ってやって下さ~い」


 対するかっきちゃんもすっごくニッコリ。 穏やかで優しげな――まるで天使のような微笑み(?)を見せる。


 そんな――どことなくぎこちない笑顔を貼り付けたまま近づいてきたかっきちゃんが、ポンと私の肩に軽く手を置き、顔を寄せると――。


『お盛んですね』


 と、まるで絶対零度のような凍えるひと言を私の耳元でささやいた。


「――――」


 そのままクルッときびすを返し、私に一瞥いちべつも向けることなく病室の外へ向かっていくかっきちゃん。


「――ちょっ!! まっ!!」


 すぐさま後を追いかけようと、私の身体が今まで腕にしがみついていたさっちゃんをとっさに振りほどき――。


 ほど……? ふりほど……けない!?


 えっ、何!? 力つよっ!!


「おねーさまぁ~……」


 さっちゃんがまるで心酔しきったかのような表情になったまま、それに合わせて腕に抱きつく力も強まっていく。


 さ、さっちゃん? 少し力を、ね……。


 何だか、ちょっと~……――いや、かなり。


「いたたたたっ!!」


 そのまま際限なく強まっていく締めつけに、思わず声が出てしまった。


「……――あ」


 その瞬間、病室のドア付近で立ち止まっていたかっきちゃんとバッチリ目が合ってしまった。


 今の私とさっちゃんが仲良く遊んでいるようにでも見えたのか――。


「―――っ」


 さらに表情をきつくさせたかっきちゃんが――フンと鼻を鳴らし、そのまま立ち去ってしまった。


「………」


 これって、さっき……ふえるちゃんのことからかったりした罰かなぁ~……。


 ギリギリと強まり続ける痛みの中、かっきちゃんの誤解を解くのはすっごく時間が掛かりそうだなぁ~……と、強くそう思ってしまう私だった。


「――――」


 結局――怒ってしまったかっきちゃんは、あの日以降お見舞いには来てくれず、その後の入院生活はかっきちゃんと会えない寂しいモノになってしまった。


 まぁ……さっちゃんとは違い、私の入院はついでの――念のための検査入院ということで、その期間も二日だけ。


「――――」


 ――の、ハズだったんだけど~……病院の方で何か手違いでもあったのか、その二日だけの検査入院が何故か五日まで延長されたりもした。


 ……まぁ、そうやって延びた入院期間が長くてひとしおだった分、かっきちゃんとの再会がすっごく嬉しかったりもしたんだけど~。


「――――」


 それから――さっちゃんの方も、私の退院したすぐ後に退院する予定だと聞き、それでとりあえずひと安心。


 そして……無事じゃないのはこっちの方。


 病院の一件以来――かっきちゃんと何度か話し、あの時の事情を詳しく説明したんだけど、それでもなかなかわかってもらえず、私は泣きそうな日々を過ごしていた。


 そんな中――。


「――――」


「は~い、どちら~……さ……ま?」


 聞こえたノックの音でドアを開けた私だった、けど――。


「――――」


 着物でメガネ。 キッチり後ろにまとめられた白髪に、恐いぐらいにシャンとした背すじ。


 この学院のトップ――学院長がいきなり寮の自室を訪ねてきた。


「――――」


 そして、その学院長がおもむろに近づき――。


「天西さん……どうかこの学院を救って下さいっ!」


 いきなりそう叫びながら、私に深々と頭を下げてきた。


「……え? ――え? え~~っ!?」


 大人の――それもかなりご年配の方から頭を下げられたのは初めての経験で、それだけで私は慌てふためいてしまったけど、事情を聞くにせよ何にせよ、とりあえず中に入ってもらうことにした。


「――――」


「そ、粗茶ですが~」


 部屋にまねいた際、中にいたかっきちゃんが学院長を見た瞬間にギョッとなって固まってしまったので、とりあえず私の方でソファーに案内し、ちょうど沸かしてあったお湯で緑茶を用意した。


「ありがとう」


「――――」


 そう言ってからすぐ、学院長が私の差し出した緑茶を正しい所作で数回に分けて飲み干し、とりあえず落ち着いたように見えたところで、私は詳しい事情の説明を求めた。


「――――」


「――――」


 ん~~……。 え、え~っとぉ……話を簡単にまとめると、何でもあの臼井うすい さち――さっちゃんが先日、この学院のボクシング部に殴り込みに行った、と。


 そこで、さっちゃんがボクシング部員全員を病院送りにし、その結果――。


 剣王と双璧を成す、素手での最強――『拳王』の称号を得た、とのことだった。


 そして……現剣王である私に、新たな拳王になったさっちゃんを倒してもらいたい……と。 ――フム……。


「………」


 私の思った率直な感想……それは――。


 が、学院長……あなたもですか~~っ!


 これまで都合何度か、半ば強制的に参加させられてきた昼休みのイベント……。 やけに学院全体で流行はやってるなーとは思ってたけど、まさかそのトップ、学院長自らが先導に立ってただなんて~……。


「――――」


 クラッと目眩がし、フラつく頭を片手で押さえる。


 ――にしても学院長……話盛り過ぎです。


 い、いくら何でも……大人しくて照れ屋で、すっごく気弱そうに見えるあのさっちゃんが、ボクシング部に殴り込みに行っただなんて……。


 さっちゃんもかわいそうに……そういう話にしておいてって学院側から頼まれて、それで断り切れなかったんだね……。


 そんな困ってる姿が目に浮かぶようだよ~……。


 学院長からひと通りの話を聞いた後、私が人知れずさっちゃんの気苦労を思いやっていると――。


「これは……彼女の心の闇に気付くことのできなかった私の責任です……。 ですが――」


「今っ、この学院で彼女を止められるのはあなたしかいないのです!」


「ですからどうか、あなたの力でこの学院を救って下さい! ――お願いしますっ!」


 そう力説してソファーに座ったまま――再び私の前で頭を下げる学院長。


 え、え~~!? さ、さっちゃん、何だか知らないところで勝手に闇とか言われて、ラスボスみたくなってるけど大丈夫っ!?


 そ、それに私の力で学院を救って下さい、って……。


 そういえば~……そんな感じのセリフ、ゲームとかやってる時によく見るなぁ~。


 そうやって頭をカラッポにしながら目を細め、現実逃避したくなってきた私。


 う~ん……とはいえ、どうしよ……? いくらイベントとはいえ、学院長が直接かかわるような事態に、こんな私なんかがずっと参加してていいのかなぁ……。


 ――あ。 でも私が不戦勝とかで負けちゃったりしたら、かっきちゃんと離れ離れになっちゃうかもしれないし、それはちょっとなぁ~……。


 って、そうだ……かっきちゃんの方は、一体どう思って――。


「――ぜったいにダメッ!!!」


「そ、それって!! すっごく危険なことなんじゃないんですか!?」


 私の横にいたかっきちゃんがテーブルの上をバシンと叩きながら、いきなり叫び出す。


 か、かっきちゃんもノリノリだったーっ!


「――確かに……山井出さんの言う通りです……。 これに関しては私自身が非常に情けなく、返す言葉もありません……」


 そう言って視線を下げ、うつむいてしまう学院長。


「――けれど……そこまで理解してなお、私は天西さんにお願いしたいと考え、ここまで来たのです」


「彼女なら……天西さんなら、不可能とされる可能性ゼロの困難な道のりでも……。 ――たとえ出口のない迷宮の中からでもその壁を打ち砕き、新たな道を切り開いてくれるのではないか――と、私はそう思ってます」


「……あなたは違うのですか? 山井出さん」


「わ、私は……っ! ――でもっ!!」


 何だか、私のよくわからないベクトルで勝手に白熱していく二人の口論。


 ――けど、まぁ……こんな状態になった以上、私の取れる選択肢はもはやひとつのみ……っ!


「―――っ!」


 心の中で、意を決した私は――。


「――待って! かっきちゃん!!」


 熱い口論を続けるかっきちゃんの目の前に、バッと手を突き出して話を中断させると――。


「――わかりました、学院長。 この話お受けします」


 私も真剣な表情になって答え、そのままスクッと、その場に立ち上がってみせる。


「………」


 そう……。 つまり、私も――。


 乗るしかないっ! この流れにっ!!


 作った真剣な表情とは裏腹に、心の中の私はいっぱいっぱいで、背中に嫌な汗をかいてたりした。


「――………っ!」


 私の言葉を聞いた瞬間、驚愕きょうがくの表情を浮かべるかっきちゃん。


「――ちょっと!! アンタは、勝手に……またっ!!」


 え、演技派だな~かっきちゃんも~……。


 よぉ~し……私だって――。


「うん、わかってる……。 怖いんだよね、かっきちゃん……」


「――でも、大丈夫だよ……安心して……」


「この戦いの中……たとえどんな事態になったとしても、私が絶対にかっきちゃんのこと守るから……。 ――だから……ね?」


「っ! わ、私が言いたいのは、そういうことじゃなく~っ!」


「……~~~~っ!」


「――もういいっ!!」


「――――」


 かっきちゃんが一瞬だけ苦虫を噛み潰したような表情を見せた後――バタン! と、そのまま乱暴に部屋から飛び出してしまった。


「………」


 今まで……長年一緒に過ごしてきたけど、知らなかった~。


 かっきちゃんって演技の才能の方も凄かったんだ~。


 そのまま感心しきりで、かっきちゃんの出ていったドアの方を向いていると――。


「……こうなってしまったのも全て私の責任です。 本当に申し訳ありません……」


 そう言いながら三度みたび、学院長が私に向かって頭を下げてきた。


 いくらイベントでの演技上のこととはいえ、ご年配で、立場もかなり上の方から何度も頭を下げられるのはさすがに気が引けたので――。


「――わかりました。 私なりにせいいっぱい努めさせて頂きますので、よろしくお願いします」


 そう宣言し、今日のところはそのままお帰りになってもらうことにした。


「――――」


 それから――。


 少し気を悪くしているかっきちゃんの役のハマり具合は相当なもので、部屋に戻ってきてからもずっと機嫌が悪いまま別々に夕食を食べ、そのまま次の日を迎えることになってしまった。


「――――」


 そうして明けた翌日の休み時間、私はあんまり機嫌のよくないかっきちゃんの様子を見にいくという名目で、一年生の教室がある1階の廊下をブラブラ探索していると――。


「おね~さまっ!」


 と、いきなり後ろから明るく声を掛けられた瞬間、勢いよく腰に抱きつかれてしまった。


「――――」


 顔を見て一瞬、誰だかわからなかった。


 私のよく知る、病室の隣のベッドにいたさっちゃんは、いつもうつむき加減にオドオドしていて自信なさげで、けどそれが逆にかまってあげたい、もっと近づきたいと、そう思わせてくれるような――そんな感じの子だったのに……。


「――――」


 今――こうして私の目の前に立っている女の子の瞳からは力があふれ出ていて、その姿勢もまるで胸元を見せつけるかのようにして両腕を組み、伝わってくる態度からも自信がにじみ出ているようだった。


 ううん……。 あくまでそれは良く言った場合であって、悪く言うとするなら、何ていうか人を……何だか他人を見下しているみたい……――って、それはあくまで私が勝手にそう思った感想なだけで、実際は違うっていうのはもちろんわかってる。


 ――けど……。


「さっちゃん、変わったね……」


 何か、こう……悪い意味で……。


「え~? 本当ですか~?」


「それって、もしかして私がキレイになったとか、そういうことですか~?」


 そうやってアハハ~と笑うさっちゃんだけど、目が笑ってない……。


 少なくとも私にはそう見えて……。


 ん~……学校のイベントに参加するっていうだけで、人ってこんなに変わるものかな~……。


 今のさっちゃんを見てると、何だか心がモヤモヤするというか、不安のようなものが拭い切れなく――。


「――臼井うすいさんっ!!」


 再び後方から聞こえてきた声……――ふえるちゃんだった。


「――はぁ……」


 そんなふえるちゃんの姿を見た瞬間、さっちゃんの態度が急変してため息をつき、その目が据わったようにも見えた。


 そうしておもむろに、さっちゃんの方からふえるちゃんに近づいていこうとした、その時――。


「―――っ」


 廊下を歩いていた女生徒の肩がさっちゃんの身体にわずかに触れ、少しだけその上体をヨロけさせた。


 まぁ……廊下の真ん中を占領してたのは私達なワケだし~……と、私が少し申し訳なく思っていると――。


「――――」


 無言のまま――急に早足となったさっちゃんが、先程ぶつかった女生徒のもとまで距離を一気に詰めると――。


「―――っ」


 いきなりグイッと肩をつかんで、無理やりこちら側を向かせ――。


「―――っ!!」


 問答無用に顔面を平手打ちした!


「――――」


「……~~~~っ!!」


 その寸前、ギリギリ間に割り込むことに間に合った私が、さっちゃんのビンタを受け止めることに何とか成功。


「――――」


 ジーンと、防いだ手から響いて伝わってくる衝撃……。


 直前でこれってことは……さっちゃん、止めるつもりなかったんだ……。


「――――」


「……行って」


 私の背にかくまっていた女生徒にチラッと目線だけを向けながら短くそう告げ、ここから逃げるよう促す。


「っ、――は、はいっ!」


 私の言葉を聞いた女生徒がすぐに頷き、急いでこの場から走り去ってくれた。


「………」


 小さく安堵の息を吐き出しながら、ふと思う。


 今の子……ちょっと目が合っただけの雰囲気だけでも、すっごく怯えてたのが伝わってきた……。


 そして……あの子にそんな感情を抱かせてしまった、その原因が――私の目の前にいるさっちゃんなんだ……。


「あの~……おねーさま~……? どうして、止めたりしたんですか~?」


 放ったビンタを途中で止められ、私と手を合わせたままのさっちゃんがそう質問してくる。


「どうして、って……」


 私はそんなさっちゃんの言動に怒りを覚える――というより悲しくなった。


 さっちゃん……いくら何でも悪ノリしすぎ――っていうか、もうそれだけじゃ許されないレベルだよ……。


 それでも……私はさっちゃんより一年先輩の、お姉さんだから……っ。


「―――っ」


 私は瞳の奥にキッと覚悟の決意を宿し、さっちゃんと正面から向かい合う。


 ――ゴメンね……。 怒るのと、叱るのとは違うから……ちゃんとわかって!


 そう思いながら、暴力を振るおうとしてたさっきちゃんの手をパシッとつかむと――。


「――――」


「―――っ!!」


 その瞬間、横にいたふえるちゃんが、さっちゃんの横顔を思いっ切り平手打ちした。


「――……え?」


 突然の事態に全く反応できなかった私。


 ……あ、あれ? 確かに私もさっちゃんのこと叱ろうとしてたけど、それはあくまで少しきつめに注意しようと思っていたぐらいで、さすがにそこまでするつもりは~……。


「――………っ」


 その直後、叩いたふえるちゃんの両目に、ジワ~ッと涙が溜まっていくのが見えた。


「――――」


 そっか……。 心配だったんだよね、ふえるちゃんも……。


「――~~~~っ! バカッ!!!」


 言いたいことはそれこそたくさんあったんだろうけど、ふえるちゃんはそのひと言に全ての意味を込めて叫んだ。


 少なくとも、私にはそんなふうに聞こえた。


 ――あぁ……本当にさっちゃんのことが大好きなんだなぁ……と、ふえるちゃんの純粋な気持ちに触れることで、私の心の内が温かなもので満たされていき、自然と表情だって緩くなってしまう。


「――――」


 そんな中、ピリッと張り詰める空気。


「……あれ? ――あの……何で被害者の私がいきなり叩かれて、それとは関係ない山鷹さんとおねーさまがちょっといい感じになってるんですか……?」


「~~~~っ!! おねーさまだって見てたじゃないですか! ただ立ってただけの私が急に体当たりされたのを!!」


「それに山鷹さんだって何なの!? その雰囲気っ! もしかして山鷹さんもおねーさまのことが好きなの!? それだったら私も黙ってないよ!?」


 さっちゃんが強くそう叫びながら、ふえるちゃんとの距離をどんどん詰めていく。


 いけない……っ! このままだと……!


 取っ組み合いのケンカになる……っ! と、とっさにそう判断した私は――。


「――――」


 もう二度と使わないと、自分の中で決めていた――あの力……。


 けど、今は緊急事態だから……――ゴメンッ!!


「――――」


 私の指先から伸ばした一本の糸が、さっちゃんのこめかみに命中。


 そして、すぐさま――。


「――………っ」


 込めるべき私の想いは、穏やかで優しい気持ち……ゆっくりとまどろみ……思わず眠ってしまうような……そんな――。


「――――」


「―――っ!!」


 バチンッ! と、いきなり目の前に火花のようなものが見え、指先にまるで電気が走ったような、鋭く熱い痛みが走った。


「――~~~~っ!!!」


 そして、どうやらそれはさっちゃんも同じだったらしく、さっきまで糸のついていたこめかみを痛そうにしながら押さえ、うずくまっていた。


「――――」


 そして――。


「おねーさまが……やったんですか……?」


 さっちゃんが……これまで一度も見せたことのないような形相となり、私のことをにらみつけてくる。


「―――っ」


 私はそれを見た瞬間……思わず息を呑んでしまった……。


 今もこうして……さっちゃんを見ている私の目に映り続けているモノ……それは――。


「――――」


 黒い……糸?


 見た目からして私の使っている糸とそっくりだけど、決して同じモノじゃない……。 ――何故だか、とっさにそう直感した。


 そして、まるでそのことを誇示しているかのように糸の太さや長さもバラバラで、数だって10近くもある。


「………」


 念のため、もう一度……。 さっちゃんの――今度は、腕の方に向かって糸を伸ばしてみる。


「――――」


 それでさっちゃんの様子に特に変化はなし。


 どうやら私とは違い、さっちゃんの方から私の糸は見えていないようだった。


 込める想いはさっきと同じ……優しく、穏やかで、そのまま眠ってしまうような……――。


「―――っ!!」


 バチッ!! と、再び走る電撃のような熱い痛み。


 私の方はさっきので前もって心構えができてたけど、さっちゃんの方は当然その準備ができていなかったようで――。


「……~~~~っ!!」


 瞳の奥に、燃え上がるような怒りの炎を宿したさっちゃんが私をにらみつけてくる。


「――――」


 さっきまでさっちゃんの周囲に漂っていた、黒い糸……。


 その内の一本が、いつの間にか私の胸元に向かって伸び、くっついていた。


「………?」


 これって何だろ、と考えている間もなく――。


「――さちっ!!」


 急に二度も痛がるさっちゃんを見ることで、心配する声を上げたふえるちゃん。


「――――」


 そんな声に反応したのか、まわりに漂っていた黒い糸が、今度はふえるちゃんの方へ向かい、徐々にくっついていく。


「――――」


 ゾワリと、この黒い糸から直接伝わってくるのは――さっちゃんからの強い悪意や敵意……憎悪といった、黒い感情。


 おそらく……だけど、今の私と同じことがきっとふえるちゃんにも起きていて――。


「――――」


 さらに、漂うその黒い糸が無関係の周囲にまで伸び、そのまま広がっていく。


「~~~~っ!!」


 ――同時に、黒い糸を通して伝わってくるこの感情が原因なのか、さっちゃんとふえるちゃんとの雰囲気がよりいっそう険悪になっていく。


 このままじゃ絶対にダメだ……――って、それだけはわかるんだけど……。


 今からだと話し合いはもちろん、いったん落ち着かせるのだって難しそう……っ。


 けど……何か、せめて……っ!


 いま見えているこの黒い糸は、私の糸と種類は違うけど、おそらく同じたぐいの力。


 だから、この糸の力は――同じ糸の力で対抗できる。


 どうしてそう思ったのかはわからないけど、今はそう感じた自分の直感を信じ、行動をすぐ実行に移す。


「――――」


 私が伸ばした白い糸を、ふえるちゃんから何本か出ていた黒い糸の内の一本に、どうにかして絡みつかせる。


 さっきの私はすっごく興奮してるさっちゃんに対し、眠くなるような――つまり興奮とは真逆の感情を送り込もうとして、それで失敗した。


 ……だったら、正反対の感情じゃなければ?


 前にかっきちゃんのオムライスの時にやった常識変換――今度はそっちの方を試してみるっ。


 対象のすり替え。


 今もふえるちゃんをメインターゲットにしながら、無差別にバラ撒かれている状態のさっちゃんの黒い糸……その糸に方向性を持たせ、それを一点に集める。


 こうなってしまったあらゆる憎しみの原因……全ての元凶は私のせいだ、と……。


 そう、さっちゃんに思い込ませる~……っ!


「――――」


 変化はすぐに起きた。


 今までふえるちゃんに何本かくっついていた黒い糸が徐々に外れ、それらが次々と私の方だけに集まっていき――。


「――――」


 その全てが連なって重なり――糸より少し太い、一本の紐のようになった黒いラインが私とさっちゃんとの間につながった。


 その瞬間――。


「天西……鈴音~~……っ!」


 低くうなったさっちゃんが、まるで親の仇を見るような目になって私のことをにらみつけてくる。


「――――」


 まるで獣か野生動物のそれ。


 私はそんな敵意むき出しの悪意に満ちたさっちゃんの視線を軽く受け止めながら、決して余裕のある微笑みを崩さない。


 そのじつ、内心では――。


 こ、怖いよぉ~っ! 一体何なの~……っ。 これってもう敵意っていうか、殺意に近いような気が~……。


 ――け、けどっ! ここで私が余裕の態度を見せてないと、本当にケンカが起きちゃいそうだし~。


 私がこうして考える間にも、その内しびれを切らしたさっちゃんが急に襲い掛かってこないとも限らないので、その前に自分の方から行動を起こす。


「――まぁまぁ……少し落ち着きなよ、さっちゃん」


 言いながら軽く目を閉じ、片手をスッと前に突き出しながら、やれやれといった感じで首を左右に振る。


「――――」


 瞬間、聞こえてきたのはバスケやなんかで急ブレーキした時に聞こえるキュッとまわりに響く、あの時の音。


 ……――あれ? もしかして本当に殴りかかって、たり……?


 まさか……今の私のタイミングって、相当ギリギリだったりした……?


 こうして目を閉じていることもあり、暗闇から伝わってくる恐怖は倍増だった。


 と、ともかく……ここで私が取り乱したしたりしたら全てが台無しになっちゃうから、ここは少しでも落ち着いて~……。


「――――」


 内心ドキドキだったけど、そこであえてたっぷりと時間を掛けてから、余裕を感じさせる仕草でゆっくりと目を開け――。


「――時間……ホラ、まだ10時過ぎだよ?」


 言いながらトントンと、自分の腕時計の指針を軽く指先で叩いてみせる。


「本番は12時半だよ? ちゃんと覚えてる~? もしかして忘れちゃった~?」


「――――」


 瞬間、ピリッと張り詰める空気。


「――まぁ、こんな奇襲みたいな真似でもしなきゃ私に勝てないのはわかるけど、せっかく舞台を整えてあげたんだし、どうせならそこで負けてもらえないと~」


 アハハ~と、軽い感じで笑いながらさっちゃんの肩にポンポンと気安く手を置き、余裕の微笑み(仮)も忘れない。


「――~~~~っ!!」


 さっちゃんの全身がブルブルと細かく震え、肩に置いた手から直に怒りの感情が伝わってくるようだった。


 それをまともに感じ取りながらも、私は決して表情を崩すことなく――。


「――それじゃ、また後でね~」


 最後にそう言ってからクルリと振り返り、後ろ手をヒラヒラさせてその場を立ち去っていく。


 そのまま……先にある廊下の角を曲がる際、横目でチラッとさっちゃんの様子を確認。


「――――」


 一瞬だけだったけど、そこには――その場から動くことなく、その怒りをあらわにしたままのさっちゃんの姿が目に入った。


 そして、私の目論見もくろみ通り、すぐ隣にいるふえるちゃんや他の人なんかには目もくれず、私のことだけをにらみつけているようだった。


「――――」


「っはぁ~……」


 角を曲がり切り、向こうから私の姿が完全に見えなくなったタイミングで、ようやく大きく息を吐き出す。


 ――にしても……『私で』よかった~。


 あんな黒くて怖い感情が、もしかっきちゃんに向けられたら――って、そんな想像するだけで私、泣きそうになっちゃうよ~。


 それはともかくとして……さっちゃんてば、一体どうしちゃったんだろ……。


 あれってば、間違いなく演技じゃないよね……。


 それに、途中から見えた――あのたくさんの黒い糸……。


「………」


 何だかもうワケのわからないことだらけで、これ以上深く考えようとしたら、それだけで頭からケムリが出そうになってしまう思いだった。


 ……とりあえず、イベントの開始時間は12時半……。 結果は二の次にして、かっきちゃんやさっちゃんにケガさせないようにすることだけ考えなきゃ~……。


 そうした新たな決意を胸にいだきながら、間もなく終わる休み時間のチャイムが鳴る前に、自分の教室へと戻っていった私だった。

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