美味しい? 美味しくない?
青海 嶺 (あおうみ れい)
美味しい? 美味しくない?
みゆきのお兄ちゃんの賢一は、こないだ、はじめて大きな病気をしました。高熱や、吐き気で、とても辛い思いをしました。
病気のせいか、賢一は、ちょっと暗く、いじけて、ひねくれてしまったようです。体が弱ると、心も弱るのかもしれません。病気で何度も吐いたせいか、そのあと、何を食べても美味しいと言わなくなりました。家族みんなが心配しましたが、退院してからもそれは変わりませんでした。
お母さんが心をこめて作ったごはんを、賢一は、つまらなそうに、もそもそと食べたのです。
「賢一、ごはん、美味しい?」
お母さんが、おそるおそる尋ねてみると、賢一は、不機嫌に答えるのです。
「別に。どうでもいい。食べ物なんて、どうせ胃に入ってしまえば、ドロドロのゲロのもとになるだけなんだ。口の中でだけ美味しくたって、別になんの意味もないよ」
お母さんは夕飯の後、台所で後片付けをしながら、黙って、そっと涙を拭いていました。それを見たみゆきも、とても悲しくなリました。なんとかしなければ。
悲しんでいるのは、お母さんや、みゆきばかりではありませんでした。冷蔵庫の中で、自分の出番を待っている食材たちも、思いは一緒でした。せっかく食べられて栄養になろうというのです。なのにひとことの美味しいも聞けないとは。料理にしてくれるお母さんにも失礼というものです。なんとかしなければ。
冷蔵庫の、暗闇の中、食材たちは、おでこを付きあわせ、ひそひそと相談しました。
「ほんとに美味しくないとはどれほどのものか、目にもの見せて、いや、舌に味わわせてやろうじゃないか」
食材たちは、その気になれば、自分の美味しさを封印して、とても不味い味に変身することも出来るのです。
「だけど、それじゃあ、お母さんが料理に失敗したと思われちゃうなあ」
「それだと、お母さんに悪いねえ」
食材たちは、うーん、と首をひねりました。
「聞いたわよ」
食材たちの後ろから声がしました。みゆきが食材たちのひそひそ話に耳をすましていたのです。食材たちはびっくりしましたが、おかまいなしに、みゆきは言いました。
「わたしにいい考えがあるの」
母の日になりました。お母さんは家事をお休みする日です。お父さんは、掃除、洗濯、庭の草むしり。お兄ちゃんは、「肩たたき券」を発行しました。そしてみゆきは、夕飯を作ります。
みゆきは料理の前に、食材たちにそっと話しかけました。
「用意はいい?」
「でも、みゆきちゃん、料理が下手だって思われちゃうよ」
「いいの。ほんとに下手っぴだから」
一時間後、見た目はとても美味しそうなカレーが出来ました。それを一口食べた賢一は、目を白黒させました。
「ま、まずい。うぇー!」
みゆきはそれをみてニヤニヤしました。
「ふーん、そんなに? どれどれ。うわっ。これは確かに、なかなかのものね」
味見したお母さんも首をかしげました。
「おかしいなあ。見てたかぎり、別に変なことはしてなかったはずだけど」
お父さんも、一口食べて、黙ってしまいました。
誰もが無言になるほど、その料理は文句なくまずかったのです。
たまらず、お兄ちゃんが叫びました。
「こんなの、まずくて食べられないよ」
みゆきは、言い返しました。
「味なんかどうでもいいって、お兄ちゃん言ってたでしょ? お兄ちゃん、明日からも、わたしの作った料理を食べる? それとも、お母さんの作った美味しいごはん?」
答えは聞くまでもありませんでした。
次の日から、お兄ちゃんは、お母さんの愛情のこもった手料理を、美味しい、美味しいと言いながら、バクバク食べました。そして病気をする前よりも元気になりました。
みゆきはお母さんから料理の特訓を受けることになりました。料理をする前に、みゆきは、心のなかで食材にそっと話しかけました。
「こんどは、とびきり美味しいお料理になる番だからね。用意はいい?」
食材の声は、耳には聞こえませんでした。けれど、食材たちが、まかせておいて、美味しさ満点だよ、と口々に喋っていることは、みゆきには、ちゃんと分かりました。
(終)
美味しい? 美味しくない? 青海 嶺 (あおうみ れい) @aoumirei
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