外伝 堤 大輔の場合 第1話

「何だよ、アレ……ドラゴン?」


 ◆


 小岩。

 ギリギリ東京都内なのだが、その東の外れに位置し、何なら千葉県に徒歩で行くことすら可能な場所に僕は居た。

 眠らない街などと悪い意味でも良い意味でも言われることの有るところで、あまり治安が良いとは言えない。

 アジア系の外国人が多く暮らすことでも有名だ。

 事実、ついさっき豚顔のモンスターと激しい立ち回りを見せていた男性の怒号は、決して日本語では無かった。

 僕が水曜日の朝っぱらからこんなところに居た理由は単純に仕事だからなのだが、こうなるともっと自宅に近いところに居たら良かったと思わざるを得ない。


『この忙しいのにブッ壊れたオタクの機械が悪いんだからよ! 早朝だろうが何だろうが、すぐに代わりを持ってきてくれないと困るんだよ!』


 有無を言わせぬ剣幕で早朝から叩き起こされ、どうにか代替品を設置し終えた矢先の出来事。


 朝帰りらしい派手な格好をした男女が、目の前で馬鹿デカい狼に喰われるのを見て、営業車を停めたコインパーキングに戻るのを諦めたのが悪かった。

 なまじ小岩駅が間近だったからこそ、そんな誤った判断をするに至ったとも言える。

 駅は既に逃げようとして殺到した人々で機能不全に陥っていたし、それより何より僕は見てしまったんだ。

 一つ眼の巨人が南口の方から駅に向かって歩いて来ているのを……。


 慌てて身を翻した僕の目の前で、次々と惨劇が起こる。

 立ち食い蕎麦屋から出て来たサラリーマン風の男性が、粗末な剣を振り回す小さな緑色の小鬼……いわゆるゴブリンに腹部を切り裂かれて膝から崩れ落ちていく姿。

 書店のエプロンを着けたまま外に出て来た中年女性が、次の犠牲者だった。

 全身が鉄で覆われた巨大な牛がコンビニに突っ込んで行くところも目撃したし、毒々しい色合いのスライムを頭部に貼り付かせたまま、犬顔の小男に槍で刺し貫かれた高校生ぐらいの男の子も見てしまう。


 どこをどう逃げたのかは自分でも分からない。

 分からないが、いつの間にか僕は千葉県の市川市に続く橋の上に居た。


 道路は既に酷い有り様だ。

 都内に向かう道も、千葉県方向に向かう道も、にわかに増加した交通量に加えて、我先に先を急ぐ連中の無茶な運転のせいか、衝突事故を起こしていたり、横転して一車線丸ごと塞いでいる車が有ったりで、遅々として進んでいない。

 僕は、さっきまで営業車に戻れなかったのを不運だと思っていたけど、この体たらくを見る限りではかえって良かったかもしれない。


 クソ!

 僕もすっかり身体が鈍ったものだ。

 学生時代はそれなりに動けていたのに、すっかり息が切れてしまっている。

 こんなことならアイツの誘いに乗ってダンジョンでも何でも潜っておけば良かった。

 外回りの営業と言っても、扱う品物が重たいせいで、ほとんどは車に乗りっぱなしだ。

 そんな生活を十年も続けていれば、すっかり身体もそれに慣れてしまう。

 今スパイクを履いてピッチに立っても、現役の頃のようにサイドを躍動的に駆け回ることなど、もう決して出来ないだろう。


「うわ! 何だアレ!」


「近付いて来てる! ちょっと、少しは急ぎなさいよ!」


「痛い! 押さないでよ、アナタ!」


 声に驚き後ろを見ると、川の上を低く飛んでいるモンスターがこちらに向かって来ているところだった。

 アレは……ドラゴン?

 想像していたよりは小さいが、それでもあんなモノに襲われたら人間なんかひとたまりも無い。

 車に乗っている人々も車を乗り捨て歩道に乱入して来た。

 鳴り響くクラクション。

 悲鳴と怒号。

 歩道も車道も混乱の極致だ。

 僕も揉みくちゃにされながら何とか先を急ぐが、逆方向に向かう人々に押し返されそうになったり、歩道に突っ込んで来た原チャリに轢かれそうになったりしながらだから、とてもモンスターの襲来前に橋を渡りきることなんて出来そうに無かった。


「ドラゴン……いや、ワイバーンかよ。何でこんなところに?」


 物騒な武器を担いだプロレスラーみたいな体格の男が、僕の横で顔を青くしながら呟くのが聞こえた。


「アンタ、アレやっつけられないの? デカい図体して偉そうに斧なんて担いじゃってさ」


 痩せぎすのおばちゃんが唾を飛ばしながらそんなことを言うが、大男は首を横に振りながら言い返す。


「無理言うんじゃねぇよ。あんなもん、まともに相手に出来るヤツがこんなとこ歩いてて堪るか!」


「何よ、つっかえないわね! せめて一般市民の盾にぐらいなりなさいよ!」


 そんな言い争いをよそにワイバーンと言うらしいモンスターがついに犠牲者を量産し始めた。

 僕から見ればかなり後方だが、突っ込んだ勢いそのまま人々を薙ぎ倒し、太った若い女性を食らいながら、次の獲物を物色している様はまさに悪夢そのもの。

 前は進まないのに後ろからの圧力は強まる一方で、このままでは将棋倒しになる未来しか見えない。


「あ、危ない!」


 オレの斜め前方で先を急いでいた女性が、後ろから靴の踵あたりを踏まれて転倒しそうになっているのを目の当たりにし、思わず声を発してしまった。

 体勢を崩し掛けたその女性はどうにか踏みとどまって、キッと後ろから彼女の靴を踏んづけた中年男性を睨み付け、またすぐに前へと進む。

 ケンカしている暇が有ったら逃げる。

 そんな強い意志を感じた。


 ……あれ?

 あの子って、まさか?


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


【ここから後書きです】


……と言うわけで、皆様のご愛顧に応えて外伝です。


外伝すぎない?


そんな心の声が聞こえそうな内容ですが、実はそれなりにリンクしている部分が今後は出てくる予定です。

本編の主要人物の登場する閑話も挟みますが、こちらの外伝も続けていこうと思っています。


新作の『きっと全ては自分次第』も、よろしくお願い致します♪

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