第296話
「遅い……って言いたいところだけどな。亜衣ちゃん、納得してくれたか?」
「うん、何とかね。実際、戦ってみてどんな感じ?」
「歯牙にもかけないってのは、このことだろうな。ちょっとぐらい斬り刻んでも、何とも思わないらしい。悔しいが相手にもされてないな。オレが必死こいて躱してた魔法にしても、ヤツにとっては片手間に過ぎない。最初は傷を負わせるにしても最小限に抑えろ。ちょっと最初から欲張り過ぎたわ」
似合いの酷く男くさい笑みを浮かべ、自虐気味にそう言う兄だったが、その表情にはどうにも隠しきれない苦さが含まれていた。
アジ・ダハーカの巨体からすればほんの先端部分だったとは言え、兄の身長とほぼ同等のサイズに達するぐらいの長さ、ヤツの尾を斬り落とたせいで、ついさっきまで命懸けの激闘を繰り広げていたわけだし、それも仕方ないことだろうとは思う。
「うん、一応オレも視てた。あのカメ、何なら蛇王より強かったんじゃない?」
「それは間違いないな。クモ子と較べても良いセン行くんじゃないか?」
「そうだね。それに、明らかに
「……だな。お前も気を付けろよ?」
「分かってる。じゃあ……手筈通りに」
「おう」
兄と別れ、それぞれがそれぞれに狙いを定めた部位を目指して、飛ぶ。
兄は尾を先ほどよりは控えめに斬り落とし、這い出て来たサソリと戦闘を開始した。
オレは、まずは腹部を狙う。
兄の刀とは違い、オレの槍はあくまでも刺突がメインだ。
先端部位を斬り落とすことには向かない。
鱗が比較的薄く見える腹部を狙うのは、ある意味では当然だった。
槍を構えて近寄っても、アジ・ダハーカがオレに反応する気配は無い。
無防備だ。
思わず遮二無二突き掛かりたくなるが、グッと堪えてまずは一突き。
見た目に反して恐ろしく硬い。
アダマンタイト製の穂先だからこそどうにか刺さったが、ミスリルや魔鉄はおろか、これではオリハルコンでも厳しそうだ。
普通の武器など突き立つどころか、折れてしまいかねないだろう。
傷口から這い出たのは……漆黒のイモムシ。
サイズがデカ過ぎるのと、色が黒すぎて判然としない部分はあるが、イモムシというよりはもしかしたらウジムシに近い生き物かもしれない。
ウゾウゾと動き出したその姿は、普通なら鳥肌ものだ。
数々の精神耐性スキルを持つオレですら、嫌悪感を抑えきれないでいる。
アジ・ダハーカは、オレにも兄にも苛烈な魔法攻撃を仕掛けて来た。
ついでに自らの眷族への支援魔法も、それこそ雨霰と降り注いでいる。
この状況で、そのまま戦っても先ほどの兄のように酷く苦戦させられてしまうのは火を見るより明らかだ。
だから……飛ぶ。
互いに互いの相手を入れ換える。
オレは、サソリの背後に飛んで槍を突き刺す。
兄は、ウジだかイモムシだかの直上に飛んで、落下しながら一刀両断。
幸い、この工夫は大成功だった。
兄の斬擊がサソリに弾かれたのを視たオレが飛ぶのとほぼ同時に、兄もオレが先ほどまで居た場所に飛んでいる。
この辺りのタイミングは、阿吽の呼吸というヤツだ。
オレが狙いを腹部に定めたのも、実はこのためだった。
腹部の位置は先ほどから全く動いていない。
首や尾は絶えずウネウネと動いている。
兄は【遠隔視】を持っていない。
大した動きではなくとも、その巨体のせいで僅かな動きで大きく位置を変える首や尾、あるいは翼などでは、上手くモンスターを攻撃出来るポイントには飛べないだろう。
モンスターの直近まで一気に転移する理由も、恐ろしく単純明快だ。
アジ・ダハーカは、マギスティールを回避する時を除けば、オレ達のことを基本的には放置している。
例のドーム状の障壁……つまりは、魔素の満たされた自らの領域を拡げることに、相変わらず集中し続けているのだ。
それでいて、オレ達がアジ・ダハーカの肉体に傷を負わせると、尋常じゃない量の魔法を放ってオレ達に反撃してくる。
それを避けるためには、適当に転移するだけでは駄目だった。
ヤツの眷族たる漆黒のモンスターの直近。
肉薄という言葉がしっくりくる程の至近距離まで飛んで初めて確実に回避が可能なレベル。
兄の【瞬転移】なら魔法が到達する前に、自らが負わせた傷口から生まれたモンスターへの攻撃をしてからでも間に合う。
しかし、オレの【転移魔法】は発動まで僅かだが時間が掛かるため、兄のようにはいかなかった。
問題は……毎回コレが出来るわけでは無いということ。
アジ・ダハーカはオレ達に全く関心が無いような態度を取り続けているにも
さっきの例で言えば、兄が斬り落とした尾から生まれたカメやサソリには、確実に斬擊耐性が付与されていた。
オレが槍を突き刺した腹部から生まれたウジムシには、恐らく刺突耐性が付与されていた筈だ。
しかし、毎回オレと兄とが入れ替わって戦う展開が続けば、アジ・ダハーカがそれを見越して付与する特性を変更して来ないとも限らない。
必然的に、不利を承知で自らの長所を消されながら戦うことも必要だろう。
考えれば考えるほど前途は多難だ。
まぁ、こうなったらやるしか無いんだけど……。
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