閑話3) ある崇高なる一日
我輩は……トム。
今は少なくとも、そういうことになっている。
……何故か元の名前を忘れてしまったため今の主から与えられた名なのだが、何故かしっくりきているから不思議なものだ。
我輩が主と定めたヒトの子は、ちょっと有り得ないぐらいに強い。
竜や悪魔を打倒する姿を何度も実際に見ている。
生命なき者の王……リッチーを苦もなく本来あるべき姿に還したのにも驚かされた。
主様は驚くほど強く、それでいて勤勉だ。
リッチーを屠った後、主は休む間もなく精力的に活動を開始している。
どうもそのせいでまた新たな厄介ごとを抱え込んでしまったようだが、主が言うにはそれも『必要なこと』らしい。
血は水よりも濃い……そんなことはネコだって知っている。
つまりは主様に連なる血を持つ者達を迎え入れたことがきっかけで、我も我もと主様の庇護下にいる者どもが主様に詰め寄るようになったのも、理解出来ぬ話では無い。
皆、近しい者は大切なのだ。
我輩も故郷の森に一族を残して来ている。
故郷に帰れば我輩も長だ。
一族の者達が今どうなっているのか、気にならないと言ったら嘘になる。
主様の力が『あちら』の世界にまで我輩を連れていってくれるというならば、今以上に忠勤に励もう。
今でも至誠をもって力を尽くしてはいるが……。
「トムちゃん、そろそろ行くよ~?」
主様の奥方。
アイ様は我輩をトムちゃんと呼ぶ。
大のオスをつかまえてトムちゃんは無いだろうとも思うのだが、どうやら全く悪意は無いらしい。
『了解ですニャー』
快く賛意を示し、誰よりも率先して歩き出す。
……お。
『アイ様、また見つけたのですニャ!』
迷宮の隠し部屋の印。
我輩にとっては造作もなく見つかるものなのだが、大半の者にとっては難しいらしい。
何故か『ケット・シーの爪跡』などと呼ばれているものだが、我輩達の爪がいくら鋭くとも不壊と言われる迷宮の壁面に痕跡を残せるほどでは無い。
我輩の一族が代々コレを発見する技術を伝えて来たから見付けられるだけの話で、単にケット・シーだから……というわけではないのだ。
この技術のせいで森に隠れ住むことになったというのに、何故か次代に伝えなくてはならないという使命感は我輩の内にもあった。
宿業というものが有るせいなのか、それともやはり血は水よりも濃いということなのか。
◆
『エマ様、今日も無事に帰りましたニャー』
『うん、おかえり。しかし、ウチにまでニャーニャー言わなくても良いのに……』
この家の先住者……エマ様は苦笑しておられるようだった。
エマ様はお美しい。
キジトラ柄とこちら側では言うらしいのだがその毛並みは豊かで、なおかつ模様は鮮やかの一語と尽きる。
故郷の母上も美しいと思っていたが、エマ様の容色の前ではいささか分が悪いだろう。
老齢というが全く気にならない美しさ。
これで
『そう言われましても……なかなか直せないのですニャ』
『不憫な子だね。ウチみたいに気楽に生きなよ。そしたらそのうち直ると思うんだけどね』
『我輩は主様に忠誠を誓った身ですからニャー。なかなかそういうわけにもいかないのですニャ』
『ヒデちゃんか……アレも大概だからね。子猫の頃から可愛がって貰っておいて言うことじゃないかもしれないが、ちょっと生き急ぎ過ぎだよ。たまにはおヘソをこう、天に向けてさ……ゆっくり昼寝でもしたら良いのに』
エマ様は何よりも昼寝を愛されている。
その寝姿の愛らしさは天下一品だ。
……今もいつの間にか、また寝てしまわれたようだった。
エマ様の安眠を妨げぬよう静かにその場を後にする。
◆
主様が帰って来られるまでの間、エマ様の横で昼寝をしたいという誘惑はなかなかに抗い難いのも事実だが、我輩には主様に大切な尾を土壇場で救われた恩がある。
あのとき……グリフォンを墜とすためには必要なことだったとは言え、得物をあらかた失ってしまったのはいかにも痛い。
最近すっかり日課になりつつあるが、カシワギという腕の良い鍛冶師の下へ行き武器の補充を図らねばならないのは、自明の理というものだ。
『カシワギ様、出来ましたかニャ?』
「やぁ、トム君おかえり。沙奈良から聞いたよ。今日も大活躍だったらしいじゃないか。鎖鎌ならもう出来てるよ」
『それは有難いのですニャー。さっそく拝見しても良いですかニャ?』
「もちろんだとも」
驚いたことにこちらにも我輩の一族に伝わる武器と似たものが存在していた。
今や使いこなせる者こそ稀だというが……。
こちらではクサリガマというらしい。
我輩の故郷では【§#&*₩Э】というのだが、何故かうまく発音出来ていない気がする。
不思議なことも有るものだ。
「そんな感じで良かったかい? しかし珍しい造りの鎖鎌だね」
まぁ似て非なるものではあるわけだし、全く同じである筈も無いのだが、それでも我輩の注文通りの出来なのだから本当に凄い腕前と言わざるを得ない。
刃などの材質はオリハルコン製。
分銅は魔鉛を内包したミスリル。
柄は神使樹というらしい稀少な素材で出来ている。
そういう意味では以前の得物と比べて遥かに良いものに仕上がっているのは間違いない。
『非の打ちどころの無い逸品ですニャー。今度はコレを……』
携えて来たのは、これも破損してしまった我輩の得物。
一族の中でも限られた者にしか十全に扱える者がいない武器だ。
さすがにコレはこちらには無い代物だろうから最後に回した。
中ほどから真っ二つになってしまっているが、参考にしてもらう分には問題無いだろう。
「ソードブレイカーかい? これはまた珍しいものを……」
……! これも似た物が有るのというのか?
◆
『ただいま戻りましたニャー』
「お、ちょうど良かった。トム、こっちおいで」
主様が帰宅していた。
我輩に何か用事が有ったらしい。
すぐに駆け寄るが、そのまま抱えあげられて主様の膝の上に乗せられてしまった。
「エマ寝ちゃってるしさ、ちょっとだけ触らせてくれよ。今のオレには癒しが必要なんだ」
『それは構いませんが……あ、そこはダメなのですニャ』
主様の最も恐ろしいところはコレだ。
たちまち夢見心地にさせられてしまう。
どこをどう触れば我輩がどうなるかを知り尽くしているかのようだ。
あぁ……そこは本当にダメなのですニャ。
我輩の意に反して喉が喜悦の音色を奏で始めてしまうのを、今日も我輩は止められなかった。
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