第132話
彼女が明確に善良な存在であると分かった以上、オレにはもう彼女を殺すことは出来ない。
彼女を殺してダンジョンを崩壊させることが出来ない以上、何らかの代替策を講じる必要性が有った。
彼女の知り得る情報をつぶさに聞けば聞くほど、彼女を殺す以外にこの付近をダンジョンの無い安全地帯に変える方法は無いように思えてくる。
まず、彼女を殺さないでおくと、ダンジョン内のモンスターの湧出は止まらないばかりか、ダンジョン外にもモンスターが出現し続ける。
これがある以上、彼女を殺さないことに対しての理解を得ることが難しい。
仮に兄に話しでもすれば、即座にオレの代わりに泥を被り、彼女の首を跳ねに来るだろう。
守護者権限を他のモンスターに委託したり出来ないか訊ねると、自分の意志では不可能だという回答が返ってきた。
現在、守護者の権能で可能なのは、モンスターのリポップに費やされる魔素の配分を、ダンジョン外、ダンジョン内の各階層ごとに決定することぐらいだという。
スタンピード時には、加えてスタンピードの発動と停止の権限を有する。
第6階層を新しく造り直したのも、彼女自身をリポップさせ守護者に設定したのも、恐らくは例の自称亜神の少年の仕業らしい。
作成が終わっているという第7層の様子も教えて貰ったが、戦闘面では彼女より強い階層ボスが居るらしいが、とても守護者を兼任出来るような知性は持ち合わせていないのだという。
第8層は調整中らしく、彼女にも立ち入りや内部の様子の閲覧は許されていないということだった。
今回、オレが来るまでの間、モンスターをリポップさせなかったのは彼女の意志だと思い込んでいたが、これはどうやらダンジョンの保有している魔素を、新しく作っている階層に注いでいるかららしく、かなりの強敵か、ミラークラブの様な新種のモンスターが待ち構えている可能性が高いという。
……徐々にだが光明が見えて来た。
まず、守護者権限は彼女にあるが、管理者権限は例の自称亜神の少年が持ったままであるということ。
第7層はともかく、第8層が恐らくは非常に難易度が高く、そこに配置されるモンスターや階層ボスも強敵が選ばれる可能性が高いこと。
そして……第8層の設定が終わるまで、どうやらダンジョン内外に新しくモンスターが湧く可能性が低いこと。
これらの情報は、今すぐに彼女を殺す必要性が乏しいことと、第8層の階層ボスを務めるモンスターが新しく守護者権限を与えられる可能性が高いことを示しているように思える。
そういえば……
「名前は……君の名前は、思い出せたのか?」
「ううん。なんでだろうね? 名前……私の名前だけじゃなくてね、村の名前も、パパの名前も、ママの名前も、弟の名前も、私を捕まえるように命令した辺境伯の名前も、全く思い出せないのよ。顔は分かるのにね」
名前……それを思い出されると困る?
何故だ?
両親や弟の名前、村の名前、領地の名前に繋がるだろう領主の名前まで思い出せないのも、何らかのきっかけで、彼女自身の名前に繋がりかねない……から?
よほど困るらしいな。
人間としての名前が有ると、ダンジョンの守護者として使えないから……か?
それは有りそうな気がする。
あくまでモンスターとして使いたい、扱いたいのだろう。
うーん……当てずっぽうが当たれば思い出してくれる可能性も有るが、そんなに簡単に当たれば苦労はしない。
とりあえず……彼女に似ている女優さんの名前でも借りとくか。
「本当の名前が分かるまで、マチルダって呼んでも良いか? 君に似ている有名人の名前なんだけど」
「マチルダ……うん、良い名前。素敵な響きね。気に入っちゃった」
嬉しそうに笑う。
笑うと無邪気そうなところが良く似ている。
「……でも、本当の名前はやっぱり思い出せないみたい。本当にマチルダって名前だったら良いのにね さ、そろそろ行って。まだ余裕は有ると思うけど、彼らは既に人間の肉の味を思い出している。元が妖精だから、食事はそれほど必要としないけど……それも、いつまで保つかは分からないもの」
「そうだな。また、すぐに来るよ。どっちみち、この先には進まなくちゃいけないだろ?」
「……バカ。そこは嘘でも私に逢いに来るって言うところでしょ?」
お互いに吹き出してしまう。
【転移魔法】で第1層に戻る瞬間、マチルダの顔が悲しそうに歪んだのは、見間違いでは無いだろう。
思えば酷く不憫な境遇だ。
終わる筈だった命を繋がれたとは言え、ダンジョンの部品のように便利に使われているのだから……。
既に暗くなり始めている空。
いまだに夜目が効くわけではないオレにとって、ここからは時間との戦いになるだろう。
本来なら警察に事情を話すのも難しいが、ダンジョンで手掛かりを得たことのみを端的に話して、被害者の救援を要請した。
新築に近いマンションを襲撃し、立て籠る住民達を殺害したうえ、連れ去ったというモンスター達は、店主が体調を崩し出来たばかりで閉店したチェーン展開の焼き鳥屋の建物を、
誰も住んでいないことから、調査が後回しになっていたところだ。
シャッターが閉まったままの正面から裏手に回ると、勝手口が破られ内部に侵入されていた。
中に入ると何とも言えない臭気に満ちている。
排泄物や吐瀉物、腐臭が入り雑じったような酷い臭いだ。
内部は既に暗く電気も通っていないため、警官隊の掲げる懐中電灯の明かりが頼りになる。
厨房を通り焼き場とカウンター席を見るが何も居ない。
テーブル席の方を照らすと……居た。
ゴブリンだ。
投石で手早く仕留めた。
仲間の倒れる物音に気付いたのか、半個室や座敷の客席からもゴブリン達が向かってくる。
警官隊が発砲しようとするのを制して飛び出し、短鎗を振るって素早く倒していく。
暗いのは暗いが、ゴブリン達の動きは遅く、今のオレにとっては難しい作業では無かった。
まだ調べていないのは……トイレと、従業員が使う更衣室ぐらいのもの。
まずはトイレから調べるが、何も居ない。
更衣室の扉を開ける……と、いきなり火の玉が襲って来た。
難なく躱したが、背後のトイレの前に掛けられていた暖簾が燃える。
構わず中に踏み入り、魔法を回避されたことに驚き固まっているゴブリンシャーマンを突き殺す。
……そこから先は詳しく語るのを避けたい。
生殖機能こそ開放されていないゴブリン達だったが、本能から来る行動か、それを試みることはしていた様だ。
保護された女性達は一様に、精神的な傷を負っていた。
身内を殺され、怪物に攫われ……筆舌に尽くし難い苦痛を味わったことだろう。
しばらくは警察が主導して、彼女達の保護をすることになった。
筒井の保有する別荘地で、警官隊で唯一の婦警である菅谷巡査が世話をすることになるのだろう。
菅谷巡査も恋人の小田巡査長を亡くしたばかりだが……今は、彼女にもやるべきことが有った方が良いのかもしれない。
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