第121話

「ヒデちゃん、右!」


 妻の声に助けられたのは、これで何回目だろうか?


 最高到達速度こそ、フィジカルエンチャント(風)を掛け直しておいた甲斐も有って互角か、オレの方が多少、ワーウルフを上回っているのだが、動き出しの速さで僅かに後れを取っている。

 ほんの僅かな差なのだが、これほどの高速で行われている攻防に於いては、その僅かな差がそのまま勝敗に直結しかねない。

 しかし妻や父の声に救われ、完全な回避には失敗を続けているものの、今のところ致命的な傷を負うようなことも無かった。


 戦い方そのものが……上手い。

 今までの相手は強者ゆえの驕りだとか、怪力に反して知能が低かったりだとか、どこかしらにオレの付け入る隙が有った。

 レッサーデーモンには通じた、鎗の刺突と同時の魔法行使も、拍子抜けするほどアッサリと見破られてしまっている。


 もちろん、ワーウルフも無傷では無い。

 鉄や鉛の武器や弾頭を無効化する特性を持っているのが人狼の厄介なところなのだが、オレの鎗は柏木さん特製のミスリルの穂先や刃を持った武器だ。

 まともに命中しなくとも、少しでも当たりさえすればワーウルフにだってダメージを与えられる。

 問題はヤツの回復力だった。

 先ほど肩口に負わせたばかりの傷が、徐々に癒えているのが目に見えて分かるほどだ。

 こちらは間隙を縫ってポーションストッカーから、ポーションを取り出して飲まなければいけないのに、相手は傷を気にせず戦闘を継続できる。

 これは苦労して魔法を当てても同じ結果だった。


 後方に現れるモンスターは今のところ、父が察知するたび、妻や柏木兄妹が対処してくれているが、どうしてもオレの意識もそちらに向く。

 それこそレッサーデーモンのような凶悪なモンスターが再び出現した場合、この場に居る人々が立ち向かえるのかどうか……。

 先ほど至近距離に現れたオーガは、父と妻が協力して極めて短時間で討伐していたようだが、オーガの咆哮に気を捕られた隙に、ワーウルフから手痛い一撃を喰らったようなことは、今後も起こり得るだろう。


 あちらは戦いに専念できるし、こちらは後方が気に掛かる。

 こちらは声援に力を貰い、危地を何度か救われた。

 どうしても有利不利を比較すると、ワーウルフが有利に思えるかもしれないが、オレだって味方から力を得ているのだ。

 不公平などとは言うまい。


 有利な点を探すとすれば……

 当初、腕力は僅かにあちらが上の様に思えたが、今はオレの方が明確に上回っている。

 一騎討ち序盤、戦闘中にも関わらず脳内に【解析者】からの声が響いた。

 その時に【腕力強化】をスキルとして得ていたのだ。


 それでもワーウルフは巧みに両腕の爪と、鋭い牙とを駆使し手数ではオレより優位に立つ。

 技と知恵は、どうやら互角といったところ。

 これが単なるモンスターとしてのワーウルフなら、オレがどこかで出し抜くことも出来た筈だが、目の前の人狼は明らかに違う。

 人語を解し、衝動に依らない理知的な行動をしている。

 そもそも人型で現れるワーウルフというのが珍しい。

 変身前と変身後で、明確に能力が違うのだ。

 わざわざ人型で姿を現し、こちらと会話をする余裕まで見せた。

 驕りではなく、自信の表れだろう。


『やっぱり素敵ね。貴方、私とつがいにならない? 私とベッドの上でも踊りたいと思わない?』


「断る。オレには嫁も子供も居る」


『そうでしょうねぇ。貴方、強いもの。いいのよ、強いオスなら何匹のメスをはべらせようと』


「そういう問題じゃ……ない!」


 クソ!

 ほんの僅かなスピードの差が、こんなに不利に働くのか?

 会話に興じる余裕を見せるワーウルフに、フェイントからの一撃を見舞ったが、すんでのところで避けられてしまった。


『怖い、怖い。じゃあ良いわよ。私、貴方の腕も足も食べちゃうから。そしたら無理やりに連れて帰ってあげる』


 言うなりサイドステップでこちらを惑わし、言葉とは裏腹にオレの首筋を狙って爪を振り下ろす。

 危ういところでそれを鎗で受け止め押し返すと、今度は自ら後方に跳び退き、改めて猛スピードで突進して来る。

 形に拘らず転がって避け、同時に鉄球を投擲……それを追いかけるように全力で走り、鎗の側面に取り付けられた槌頭でスネを狙う。

 妻仕込みの薙刀流脛撃ちだ。

 両脚を折り曲げるようにして飛び跳ねるワーウルフ……オレが狙っていたのはコレだった。

 空中で回避動作が不可能なところを狙い、ウインドライトエッジ。

 風の光輪が人狼の喉、膝、腹に襲い掛かる。

 行動と同時の魔法行使が今は三回まで可能になっていた。

 オレはコレをひた隠しに隠して、ここまで立ち回って来たのだ。

 当然、全てを避けきれる訳もなく、腕をクロスし身をよじり、喉と膝こそ守られてしまったが、喉を庇った腕からは骨が覗き、太ももには大きな裂傷……脇腹にも同じく痛々しい切り傷を与えることが出来た。

 今までに無いほど大きなダメージを受けたワーウルフは、バランスを崩したまま地に落ち、それでも何とか態勢を立て直しつつ、傷が癒えるまでの時間を稼ごうと牙を剥く。


 これをこのまま見過ごすオレでは無い。

 追撃の鎗を、これでもかと喰らわせ続けていく。

 鎗が振るわれるたびに吹き出る血が赤かった。

 事ここに及んでも諦めず、爪を……牙を伸ばしてオレに抗うワーウルフ。

 その様子に先ほどまでの余裕は無くなっていた。

 この陽気な人狼の命が失われることに、少しばかり感情が揺れるが……容赦はしない。

 オレの後ろでは、今日ここまでの防衛戦を必死に戦って来た皆が固唾を飲んで見守っている。

 誰もが勝利の瞬間を見届けようと目をみはっていたのだ。


 ……がいけなかった。

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