第30話 神の牛と少年

東洋の十牛図とは、牧人がうしなわれた牛を探しにゆき、見つけ出し、つれ戻し、牛舎に入れ、牛に仮託された、自らの真の在り方を再発見する、という連続する絵像だ。仏教的にいえば悟り、空の境地、心理学的にいえば個性化過程、成功法則的にいえば自己実現(これも元は心理学的用語だが)となるだろうか。


さて、ミトラや古代の密儀では、永遠の少年がナイフを手に、神なる牛を切り裂く。この犠牲の牛は文字すら消える最古にさかのぼれば豚にもなる。東洋では牛を探し、西洋では牛をころす。どちらも真実。洋の東西の心象のちがいだろうか?


補足、キリストに至れば犠牲の血は神の子たる者の脇腹からから流される。

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