その手がつかむもの



 何かが触れたような気がした。温かで安らげる大きな手。


「――だからお前さ、なんでも一人で抱え込もうとすんなよ」


 ――マイト……?


 流れ込んできた情報の量が軽減される。その所為だろうか。視界が安定して、あたしはマイトが自分の手にその大きな手のひらを重ねているのがわかった。


「一人できついって言うなら、俺を頼ってくれても良いだろ?」


 マイトの困ったような、そして苦しそうな顔が目に入る。あたしに流れ込む情報の一部が彼に流れて行っているのだろう。


「まったく、その通りですよ。ミマナ君。あなたって人は」


 さらに重ねられる細くて長い指を持つ手。その手の持ち主に視線を向けると、見知った眼鏡の青年の姿を捉えた。


 ――クロード先輩……。


「反則技かもしれませんが、とにかくミマナ君には耐えてもらわないといけませんからね。協力させてください」


 クロード先輩はあたしに優しく微笑みかけ、やがて眉を苦しげにひそめた。


 ――ありがとう。二人とも……。


 あたしは両の瞳を閉じ、感じるすべてのものを受け入れるべく心を安定させ集中する。それがどんなに困難なことだろうと、あたしは諦めない。だって、あたしは一人じゃない。支えてくれる人のために、支えたいと思う人たちのために、あたしはあたしの知る世界を絶対に守るんだ。


「――神様、あたしはあなたを否定したりしない。受け入れて、引き継いで見せるよ。もう絶望したり悲観したりする日々ばかりをあなたに与えるようなことはさせないわ。だって、あたしが知っている世界にはもっと素晴らしいものがたくさんあるんですもの」


 あたしは二人の顔を見て、そして強く念じる。


「あたしを信じて、生まれ変わって!」


 部屋を真っ白な光が包み込む。熱が身体を飲み込んでいく。


『――信じろ、か。世界の一部でしかない小娘を、世界そのものであるワタシが信じろと……』


 かすれ、消えていきそうな神様の声。


『だがそれも……あるいは面白いのかもしれないな……』


 神様は微笑んだのだろうか。あたしには、棺の中の少女の幸せそうな笑顔が浮かんでいた。


 ――大丈夫。あなたを受け入れようとしたのはあたしだけじゃないんだから。


 光が止み、あたしは自分が何かを抱えていることに気がつく。目をゆっくりと向けると、あたしはそこに存在する小さな生命の姿に息を呑んだ。

 一人の女の赤ん坊がすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。


「……本当にミマナが生んだみたいだな」


 マイトが赤ん坊を覗き込んで感想を述べる。感動というよりも、驚きが先に立っているような反応だ。


「新しい神様ですね」


 クロード先輩も赤ん坊を見て、不思議そうに告げる。


「オレはこの子の面倒を見るわけですか」


 神の使いだったクロード先輩は、あたしが神を産み落としたことで神の側近になる。つまり、この赤ん坊の面倒を見るのはクロード先輩というわけだ。

 クロード先輩は顔を上げてあたしを寂しげに見つめる。


「――これであなたとはお別れですね」


 ――言うと思った。


 あたしは赤ん坊をぎゅっと抱き締めて一歩下がる。


「お別れだなんて、冗談じゃないわ」

「ですがオレは、新しい神の側近となって――」

「ふざけんじゃないわよ!」


 クロード先輩の台詞を遮って、あたしは怒鳴る。きょとんとするクロード先輩。マイトもびっくりしたらしい顔をあたしに向けている。


「あたしはあなたにこの子を渡さない」

「えっ、あっ、ちょ……なんですって?」


 宣言してやると、クロード先輩は珍しくたじろいだ。


「神様を連れて町に帰るわ」

「お、おい、ミマナ、それってちょっとまずいんじゃ……」


 割って入ってきたのはマイト。どこまで事情を察しているのかはわからないが、神様を連れて帰ることがどんなことなのかを彼なりに想像してみたのだろう。

 あたしは続ける。


「まずいことなんてあるもんですか。神様にもあたしが知っている素敵なこと、素晴らしいことを理解してもらわなくちゃ。せっかくこの世界と共にあるんだから、自分の目で良いところ悪いところを感じ取ってもらわないとね。選出者にけなされてばかりで傷つく神様なんて、どんだけ悲しい存在なのよ。それはあたしが認めない」


 毅然として告げると、クロード先輩があたしの前に立つ。


「しかしこの『選出者』の制度が変わることはありませんよ、ミマナ君。誰かが神を育てる必要がある。世界を維持するために、支えていく存在が必要不可欠です。それが神の側近という存在であり、オレの役目。あなたはオレの存在意義を奪おうとしているんですよ? わかっていますか?」

「そんなのわからないわよ」


 あたしはクロード先輩の目を真っ直ぐに見つめる。


「だって、クロード先輩はクロード先輩なんでしょ? あたしが知っている、ちょっぴり変わり者で、学校創立以来の秀才で、どんなに嫌な目に遭っても他人を悪く言わない優しい先輩なんでしょ? 存在意義のために、自分のやりたいことを、あなたの望みを捨てることはないんじゃない?」

「ですから、これはそういう問題じゃなくて、ですね――」

「うるさいわよ、クロード先輩。あたしはこれまでの『選出者』の制度を否定するわ。地上の人間なり何なりに話を聞いて判断させて世界を変えるのも悪くないかもしれないけど、その都度誰かが犠牲になるだなんて切なすぎるでしょうよ?」

「あなたは神様にでもなったつもりですか?! そんな簡単にできるわけが――」


 そこまで言って、クロード先輩は黙り込んだ。視線があたしの後方に向けられている。


「……どうして?」


 ぽつりとこぼれた台詞。あたしは自分の後ろにいるだろう人物に身体の向きを変えて迎える。


「生き残ったみたいね、ルーク。気分はどう?」


 その問いに、様子を伺いにここに来たらしい黒尽くめの男、ルークは肩を竦めた。


「僕を先代の選出者の元に導いてくれるんじゃなかったのか? 話が違うじゃないか」

「せっかくだから、彼女が望んだ世界を満喫していきなさいよ。愛する者のいない世界で長々と生きるのは真っ平御免みたいな感じはしたけど、自分の任務から離れて、自分の視点で世界を見て回った方が良いと思うのよ。彼女だって、知って欲しいんじゃないかってね」

「余計なお世話だ」


 面白くなさげに答え、苦笑する。この処遇について満更でもないように感じているんじゃないかと推察してしまうのは、あたしの悪い癖だろうか。


「――そんなわけよ、クロード先輩。規則は変えられるわ。ただ、誰も変えようとしなかっただけ。世界を変えることができるように、ここの規則も変えられるってことよ」

「ど、どういうことですか? ルークさんっ!?」


 納得できないらしい。クロード先輩はあたしではなくルークに問うた。ルークはやれやれといった様子で返す。


「彼女に味方する幸運の女神様が、そこにいる神様だったってことなんだろうね」

「……」

「どんだけの強運持っているんだよ、ミマナ……」


 ルークの出した結論に、クロード先輩は絶句し、マイトは呆れ気味に言葉を漏らす。

 そしてあたしはというと。


「みんな一緒に帰りましょ。町のみんなが待っているわよ?」


 満面の笑顔で号令をかけるのだった。


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