神を倒し、神を孕め



 ――ルークは変なことを言っていたけど、どういうことなんだろう?


 神はいるのではなくあるのだと言う意味合いの台詞。そして、今のあたしならば倒せるとも告げていた。


 ――最初に会ったとき、ルークはあたしに対して、勝つことはできない、生き延びるのが精一杯だ、と評価していたはず。あの時と今では何が違うっていうのかしら?


 通路を歩き続けていると、広い空間に出た。そこは自分がさっきまで寝ていた場所に似たような球状の天井を持つ真っ白な部屋。四方を支える太い柱が見える。そんな部屋の中央に台座があり、さらにその上に棺らしき箱が置かれていた。


 ――何かしら?


 真っ白な石のようなものでできた棺にあたしは近付く。そのほかにとりわけ目立つものがないのだから、その中を覗くくらいしかやることはない。

 棺には蓋がなくて、あたしの胸の位置くらいにその縁はあった。そこに手を掛けて中を覗き込む。


「!?」


 驚いて、あたしは思わず離れた。


 ――なんだったの? あれは……。


 棺の中にあったもの、それは一体の人形。


 ――いや、人形じゃなくて……。


 あたしはゆっくりと思い出す。

 やわらかそうな金色の髪、象牙色の肌。閉じられた瞳に長いまつげ。鼻筋が通った美少女だ。細く長い四肢、成長しきっていない幼い身体を包むものは何もない。眠っているかのように横たわっている全裸の彼女には、しかし身体のいたるところにひびが入っていた。


 ――ここにいるのが神様ってこと?


 ルークが「いる」のではなく「ある」と表現した意味が、なんとなく理解できた。


 ――ってか、これって、あたしがどうこうしなくても既に死んでいるんじゃ……。


 あたしがもう一度覗いてみようと手を棺の縁に置いたとき、異変が起きた。


『――お前が今期の月影の乙女か?』


 男とも女とも区別のつかない奇妙な声。様々な声が重なっているかのようなその声がどこから聞こえてきたのかわからなくて、あたしはきょろきょろと辺りを見回す。


「そ、そうですけど……あなたが神様? ってか、どこにいらっしゃるんですか?」


 人影はない。気配も感じられない。真っ白なこの不思議な空間にいるのはあたしと、棺の中の少女だけ。


『ワタシの器はそこにある。――力を維持できなくて使い物にならないがな』


 言われて、あたしは少女の人形を見る。眠ったままの少女が動いた形跡はない。


『人は喋るときに相手を認識できないと不安に感じるらしいからな、これまでその器を使っていたのだがこの有様だ。ゆえに直接お前の意識に干渉して声を届けている。慣れないかも知れないが、このまま続けさせてもらう。良いな?』


 淡々とした感情のない声は、きっぱりと言い切った。


「構わないわ。――しかし、ずいぶんと弱っているみたいですね。あたしが直接手を下さなくても、消えてなくなってしまいそうじゃないですか」

『そう見えるか?』


 あたしは黙ったまま頷き、棺の中を見つめる。

 微笑みの表情のまま眠っている少女の肌に刻まれている無数のひび割れ。それが痛々しいを通り越して、無機質な人形であるかのような印象を与えているのだから不思議な気がする。


『確かにこのままでは消滅するだろう。そして、ワタシの消滅と共に今の世界も同時に消滅する』

「消滅って……あっさり言ってくれましたけど、それ、困りますからっ!」


 どこに向かって話しかければいいのかよくわからない。あたしはしぶしぶ棺の中に向かって叫ぶ。


『今の世界を作ったのはワタシだ。そのワタシがいなくなれば、今の世界を維持する者がいなくなり、従って世界は消滅する。自然の道理だ』


 ――なるほどね。だから創造と破壊の神様なのか……。


 この世界を創った神様は創造神でもあり破壊神でもあると言われている。てっきり神様自身は残り続けているのだと思っていたけど、実際はそういう仕組みじゃなくて、神様と共にその世界が創られて滅びていくだけだったというわけだ。


 ――どっちにしても、あたしは困るのだが。


 あたしは返す。


「自然の道理だろうと、あなたの意志だろうと、そんなのはこの際どうでもいい。あたしは今の世界が消えてなくなってもらうわけにはいかないんです! どうにかならないもんですか?」

『お前はワタシを倒しに来たのではなかったのか?』


 どこまでも感情の起伏が読み取れない声だ。あたしの頭に響く声に、首を横に振って続ける。


「倒すだなんてとんでもない。あたしは今の世界が続くことを望んでいるの。中には変わって欲しいって考えている人がいるかもしれないけど、今のままで充分だとあたしは思うのよ。――完全に平和でみんなが幸せっていうわけじゃないことは、知識として持っているわ。体感していないからこそ、こんな無責任なことが言えちゃうのかもしれない。でもあたしは今の世界であって欲しいの。消えてしまうのは困るし、変わってしまうのも困るのよ。だから、どうにかできないんですか?」


 あたしの必死の説得に、しかし神は。


『――お前は珍しいな』


 笑ったのだろうか。何を考えているのかわからない口調でそんなことを言われても、あたしはどのように取ったら良いのかわからない


『今の世界の存続か。なるほど。ワタシが引き継いでいる記憶には、そんなことを告げた選出者は一人たりともいなかったな』

「一人も……?」

『そうだ。皆一様にそれぞれの不満を持ってここに現れた。個人的な望み、社会的な望み、ある国を代表しての望み――そのすべてがワタシを否定するものだった。誰かの望みで作られたワタシを、誰かの望みによってワタシが作った者に否定される、その連続だ』


 誰かが良かれと思ってしたことが、他の誰かにとっては都合が悪いこと。みんながみんな幸せになることは、とても難しい。


 ――でも……良いことだと思ってしてきたのに、それを毎度毎度否定され、殺され死にゆく神という存在は、どれだけのつらさを抱えることになるのだろうか。


『だが……こういうこともあるのだな。先代の選出者の望みを肯定する者に出会えるとは』

「必ずどこかにはいるわよ。否定するためにあたしたちは生まれてくるわけじゃないもの。この世界の一員として、あたしたちは生まれるのよ」


 あたしはこの世界が好きだ。あたしが知っていることなんてほんの一部なんだろうけど、だとしてもあたしはそこで幸せを感じているのだ。他の誰かがこの世界を否定したとしても、あたしが肯定していることは揺らがない。無知だからこそ言えることだとしても、胸張って答えてやる。あたしはこの世界が続くことを望むと。


「神様、お願いします。この世界を存続させる方法があるなら、やってください。この今の世界を守って!」


 あたしが一生懸命になって訴えると、棺の中の少女が目を開けた。


「――ならば、ワタシを受け入れることができるか?」


 ゆっくりと上体を起こし、少女はあたしを見て訊ねる。


「ワタシのすべてを取り入れて、新たな神を産み落とせ。ワタシのすべてを受け入れることができれば、おそらく今の世界を維持できる。ワタシを否定すれば、その影響は世界に及ぶ。――お前にできるか?」

「あたし以外に誰がやるって言うのよ。やるしかないんでしょ?」


 そのためにあたしはここに来たのだ。世界を変えずに済むのなら、あたしの帰りたい場所を守れるなら、それをしないわけにはいかない。

 あたしが答えると、少女は続ける。


「お前の命に関わるかもしれないが、その覚悟はあるか?」


 ――死ぬかもしれない。


 自分の死を意識して、マイトへの気持ちに気付いたことを思い出す。彼に想いを伝えなきゃいけない、一緒に故郷に帰らなきゃいけない。だって約束したんですもの、必ず町に戻るんだって。

 だから、あたしが生まれ育ったあの町が変わってしまうのは困るし、もちろん死ぬのもお断りだ。マイトと、クロード先輩と、ちゃんと全員一緒に町に戻る。そのためにあたしはここで踏ん張らなきゃいけない。


「世界の崩壊まではまだ時間はある。滅ぶそのときが来るまで、お前が望むように生きることも選択できるのだぞ?」


 神様の甘い囁きに、あたしは首を横に振る。


「共に滅んでどうするのよ。それに可能性があるのに何もしないだなんてあたしにはできないわ。あたしはその運命に対して否定してやるわよ」

「お前の強い意志を理解した。ならばワタシを受け入れて倒し、新たな神へと継ぐが良い」


 少女の人形はそう告げると、その細い指先であたしの顔に触れて固定し、口付けをした。触れた冷たい感触を認識すると同時に、砂で作った城が風で崩されていくように少女の人形があたしに触れた部分から消滅していく。


『示してみろ。お前が望む世界を維持するために』


 頭に響く声。それと入れ替わりにあたしの中に様々な情報が一気に流れ込んでくる。


 ――これって……。


 見たこともないあちらこちらの景色が目の前に広がり、いろいろな言語による話し声や歌が聞こえ、嗅いだことのない複雑な匂いが次から次へと香り、苦味や甘味といった複数の味が一度に押し寄せ、暑さや冷たさ、痛みなどが全身を駆け巡る――。

 自分の意識がかき消されてしまいそうだ。処理しきれないほどの入力に、果たしてこの身体が耐えられるものなのか。


 ――負けちゃいけない……。


 埋もれていきそうになる自分の意識を、あたしはひたすら繋ぎとめるべく集中する。


 ――あたしが、頑張らなくちゃ……。


 自分を保とうとしているはずなのに、自分という境界線がぼかされて見えなく、感じなくなっていく。世界と一体になっているというのだろうか。喜び、怒り、楽しみ、悲しみ、嬉しさ、辛さ……そんな感情がない交ぜになって流れ込んでくる。感覚のあらゆる機能が刺激されて、自分が何者なのか次第にわからなくなっていく。


『世界の一部でしかないお前に、果たしてこの世界のすべてを受け入れることができるかな?』


 男とも女ともつかない神様の声が聞こえたような気がした。

 あたしにはできないのだろうか、そんな不安な気持ちに支配されていく。


 ――あたしが、やり遂げなくちゃ……いけないのに……。


『諦めろ。他の選出者たちと同様にワタシを否定するがいい。己の小ささに、己の浅はかさに絶望してすべてを捨てろ』


 神様の誘惑に、世界を否定することで自分を認識し直そうという意識が向き始める。


 ――でも。


 移ろう感情を自ら否定し、あたしは強く思い描く。


 ――これはあたしだけの意志じゃない。マイトもクロード先輩も、この世界が消えてなくなることは望んじゃいない。ルークだって、彼の愛した人の思い描いた世界をあたしが壊す未来だなんて望んじゃいない。


 だからこそ、あたしは――。

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